希の身体には、色々な問題があった。

腎臓の他に、足の奇形もあった。

聴力は、まったく聞こえないわけではないけれど、人よりは劣っている事がわかった。

後は、定期的に検査を受ける事になった。

人よりも体力的に劣ったとしても、甘やかさずに、しっかり育てて行きたい。

それだけを考えていた。

風邪をひいただけで、入院した時には、どうして、風邪をひかせてしまったのだろうと、自分を責めた。

入院して、手術を受けた時には、術後の管だらけの身体を見て、可哀相で、どうして、ちゃんと産んで上げられなかったのだろうと、思った。

先日、かかりつけの総合病院で、ここでは、これ以上、希の治療は出来ないと言われ、大学病院の紹介状を貰った。

Tさんとの関係は、終わったと思われていたけれど、週に一回、希を母に預かってもらい、マンションへ行っている。

Tさんへの、愛情ではない。

希を守る為に・・・





許可が出てすぐに、NICUに面会に行った。

ガラス越しにしか見られなかったけれど、保育器に入って管だらけだったけれど、確かに生きていた。

名前のプレートが、私の名前になっていた。

私は、すぐに、名前を伝えた。

望まれて生まれた子供。

私の希望。

希(のぞみ)

医師や、看護士に、いい名前だね、そう言ってもらえた。

希の状態は、決して良くは無かった。

腎臓には、間違いなく先天性の疾患がある。

その他も、詳しく調べて見なければ、わからない。

それでも、私は、嬉しかった。

希が生きているだけで。

Tさんには、弁護士を通じて、子供は生まれた、だけれど、予断を許さない状態で、先天性の疾患があると伝えてもらった。

Tさんは、お金はいくらかかっても、自分の体のどこをあげてもいいから、絶対、助けるから、そう言っていたと聞いた。

私は、落ち着いたら、直接連絡するけれど、もう私達に関わらないと言う書類に署名してくれるのが一番のプレゼントだと、伝えてもらった。

その後、Tさんの署名が書かれた書類が送られてきた。

「ずっと、ずっと、影から見守って行きたい。何かあったら絶対力になります。あなたも子供も愛しています。」

Tさんからの手紙には、そう書かれていた。

私は、希の写真と手紙を送った。

「私の希望。希(のぞみ)です。」

そう書いて。



分娩室に移って、何時間たっても、陣痛は微弱だった。

朝になって、一旦病室に戻った。

昼に、また分娩室に戻された。

夜になっても、生まれない。

医師は帝王切開も視野に入れて準備を始めた。

私も、体力の限界だった。

陣痛と同時に、看護士が、私のお腹に乗った。

そして、お腹を押した。

何度も、何度も。

そして、赤ちゃんが生まれた。

だけれど、泣き声がしない。

看護士の慌しい動きに、不安が増す。

待機していた小児科医が処置をしていた。

しばらくして、小さい、小さい、泣き声が聞こえた。

赤ちゃんは、そのまま、NICUに運ばれて行った。

「おめでとう。女の子だよ。一応、NICUで様子見ようね。」

良かった、無事みたい。

そう、思ったら涙が出た。



それから、私の入院生活が始まった。

弁護士には、Tさんには、何も知らせないように伝えた。

夜、不安で眠れない時もあった。

それでも、生きているこの子を、諦める事だけはしたくなかった。

出産予定日まで、あと、一週間になった。

何だか、お腹がピリピリした。

でも、まだ一週間もある。

初産だと予定日より遅れる事だって多い。

まさか・・・

そう思っているうちに、鋭い痛みが襲ってきた。

陣痛だ。

ナースコールを押そうとしたら、痛みが遠のいた。

気のせいかもしれないけれど、一応、看護士さんに、痛みがあった事を伝えた。

すぐに、医師が診察に来た。

「もう生まれますね。頑張りましょう。」

聞いた私は、驚きもあったけれど、不安よりも、赤ちゃんに会える喜びで一杯の気持ちだった。

慌しく、分娩の準備が始まった。




次の検診でも、いい結果ではなかった。

「妊娠継続は非常に難しい状況です。胎児の心音がいつ止まってもおかしくない状況です。もし、出産まで持ったとしても、出産に耐えられない可能性があります。出産後の障害の可能性もあります。」

そう、医師に言われた。

何を言われても、私の気持ちはかわらなかった。

最後まで諦めない。

そう告げると、医師は、入院の説明を始めた。

Tさんには、赤ちゃんは、死んだと伝えたままだった。


家に帰って来ても、何も出来なかった。

私のお腹は大きいままで、赤ちゃんは確かに、ここにいるのに・・・

でも、私は諦めたくない。

最後の最後まで、絶対諦めない。

そう思った。

Tさんは、すごく荒れて、話も出来ない状態だった。

弁護士に、直接、私に連絡したい、そう言っていると、弁護士から伝えられた。

私から、連絡した。

Tさんは、ずっと泣いていた。

「傷つけてごめん。」

そう言って電話は切れた。

三日後、病院へ行き、診察を受けた。

医師の表情は、やはり、固かった。

「もしかしたら、このまま心音が止まるかもしれません。」

目の前が真っ暗になった。

なんで?

どうして・・・

「とにかく、しばらく経過をみましょう。」

生きてるよ。

絶対、生きている。

このまま、死ぬ事なんて絶対無い。

言葉には、ならなかった。

付き添ってきた父は、ただ、私の肩を抱いていた。

母は、泣いていた。

検診の結果を気にしていたTさんは、連絡が遅いので、弁護士に連絡してきた。

そして、子供が死んだ、そう伝えられた。



Tさんとの話し合いが難航している間にも、私のお腹は大きくなっていった。

お腹の中で、赤ちゃんが動く度に、幸せな気持ちになれた。

例え、憎い男の子供でも・・・

嬉しくて、嬉しくて、検診の帰りには、ベビー服を買いに行った。

検診日、病院で超音波を見ていた医師の顔が険しくなった。

何度も、何度も、確認している。

嫌な予感がした。

「心音が弱いのが気になります。本当は二週間後の検診ですが、三日後に来てください。」

そう伝えられた時に、足元が見えなくなる様な気持ちになった。

だけれど、まだ、何もわからない。

私が下を見てはいけない。

そう自分を奮い立たせた。

Tさんには、弁護士を通じて、この事を伝えた。

弁護士を交えて話し合いをした。

Tさんは、主張を変えようとはしなかった。

私は、精神的にも、肉体的にも、限界に近かった。

見るに見かねた父が、私と、Tさんと、弁護士の話し合いから、私の体調不良を理由に、弁護士とTさんの話し合いに変えた。

そして、弁護士からの報告を聞く限りでは、Tさんは、相変わらず、認知と養育費を払う事を認めて欲しい。

定期的に面会したいとの条件を言い続けている様だった。

このままでは、平行線なので、父が、お金を払う事を提案した。

Tさんは、お金は受け取らない、絶対、離れない、それを繰り返すばかりだった。


Tさんのマンションの近くまで来たけれど、それ以上足が進まない。

マンションへ行ったら、もう帰れないかもしれない。

このまま、逃げようか・・・

考えているうちに、Tさんから電話が来た。

近くに居る事を告げると、近くにあるファミレスで話す事になった。

Tさんは、もう着いていた。

向かい合って座っていても、話すことも、顔を上げる事も出来ない。

ただ、Tさんが聞いてくる事に、答えるだけしか出来なかった。

話が進まないうちに、どんどん時間だけが過ぎて行った。

「もう、私にも、生まれてくる子供にも、関わらないで下さい。」

精一杯の言葉だった。

Tさんは、しばらく黙っていた。

「認知と、養育費の支払いをしたい。定期的に面会もしたい。」

そう言った。

認知も養育費も、してもらったら、子供はTさんの子供だと認める事になってしまう。

もちろん、面会もさせたくない。

私の望みは、ただ、もう関わって欲しくないだけ。

そう何度も言っても、Tさんは、条件を変えようとはしない。

結論が出ないまま、父から電話が来た。

心配した父が、近くまで来ていた。

2人だけでは、結論が出ないので、次回は弁護士を交えて会う事になった。