想像していたより長くは生きられないのか?
いや、希望を持っていたい。
治る為に検査や手術や治療をするのだから、
死ぬことを前提で、後ろ向きの気持ちではいけない。
それでも頭に手術の恐怖と死がちらつく。
遺しては逝けない家族がいるから、まだまだ生きてないといけないんだよ。
【集会祈願】
いつくしみ深い父よ、あなたは限りない愛をもって
ご自分を立ち帰るすべての者を迎え入れてくださいます。
回心の道を歩むわたしたちに、神の子供としての新たな命を与えてください。
聖霊の交わりの中で、あなたとともに生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
【第二朗読】
(皆さん、)キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
これらはすべて神から出ることであって、
神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、
また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。
つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、
人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。
キリストに代わってお願いします。
神と和解させていただきなさい。
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。
わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
(コリントの信徒への手紙 二 5:17-21)
【福音朗読】
(そのとき、)徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
そこで、イエスは次のたとえを話された。
「ある人に息子が二人いた。
弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。
それで、父親は財産を二人に分けてやった。
何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
そこで、彼は我に返って言った。
『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。
「お父さん、わたしは天に対しても、
またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください」と。』
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、
父親は息子を見つけて、憐れに思い、
走り寄って首を抱き、接吻した。
息子は言った。
『お父さん、わたしは天に対しても、
またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。
『急いでいちばん良い服を持って来て、
この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。
食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに見つかったからだ。』
そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
僕は言った。
『弟さんが帰って来られました。
無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
しかし、兄は父親に言った。
『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。
言いつけに背いたことは一度もありません。
それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
ところが、あなたのあの息子が、
娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
すると、父親は言った。
『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
わたしのものは全部お前のものだ。
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。
祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
(ルカによる福音書 15:1-3、11-32)
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
「放蕩息子の回心」 1667〜1670
【共同祈願】
あわれみ深い神に、すべてをゆだねて祈りましょう。
悔い改めて立ち帰る者を迎えてくださる
あなたの愛に感謝します。
恵に満ちた言葉に信頼し、新しい心で生きていけますように。
神はあわれみ深く、ゆるしを与えてくださる。
いつくしみ深い神よ、あなたはキリストを通して愛とゆるしを与え、
すべての人が神に立ち返るようにと招いてくださいます。
秘跡によってあなたの子とされることを望む洗礼志願者を顧み、
罪の重荷と悪のきずなから解放してください。
いつも平和と喜びのうちにあなたに仕え、
永遠に賛美と感謝をささげることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。
【拝領唱】
息子よ、わたしは喜ばずにはいられない。
おまえの弟は死んでいたのに生き返り、
失われていたのに見つかったのだから。
レンブラント・ファン・レイン
「放蕩息子の帰還」1666年~1668年頃
放蕩息子のたとえ話
春休みは、子ども達のインフルエンザA型とB型の看病一色でした。
もうすぐ、私の下大静脈平滑筋肉腫の検査です。
週の後半の一日一日が守られ、支えられます様に。
空を見上げ、心でいつも祈っています。
天上からの眼差しと見守りも、信じています。