ヒマジンノ国 -35ページ目

 ヒマジンノ国

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今日も勝手な妄想で、適当なことを書いておきます。

 

安部内閣の支持率が30パーセントを切ったそうです。このコロナショックを見越して、ここぞとばかりに叩かれています。安倍政権については、今まではある程度までアメリカの支援などもあったのかもしれませんが、大統領がトランプに変わってから、やはり旧来のやり方は通用しなくなってきているのでしょうか。

 

元々日本はジャパン・ハンドラーズとかCIAみたいな組織の管理下にあったのだろうとは思っています。特に政府やマスコミなどです。

 

マスコミもその権利を日本人以外に渡すことで、他国の利益になるように画策できるものとしてきたのも、CIAあたりなのかなと勝手に考えています。

 

当然政府のことも弁護させたりすることもありますが、非難もさせます。またさっきも書いたように日本国内で、日本以外の国(韓国や中国、同時に米国)のことを弁護させれば、日本国内の世論を分離できます。

 

それで自分たちは政府の首根っこを押さえておけば、必ずしも日本全体が支持はしない政府というものができてしまってる以上、そのほうがコントールしやすいという状況になります。

 

その上で今までは、オバマとか、クリントンみたいなのが大統領であれば、中東や極東で紛争を作り、軍産複合体への利益などを画策もできました。そして彼らは、日本をそれに利用しようとし、憲法改正と富国強兵に近いことをやらせようとしていたのではないかと思えます。そこに偶然日本のコアな保守が、知ってか知らずか(ある程度は分かっていたと思いますが)乗っかってきたわけです。日本会議への批判も当初は外国からありましたが、おそらく利用できると考えたのでしょう、批判はほとんど消えてしまいました。

 

それがオバマ政権終わりごろの感じでしょうかね。

 

しかしながら突如現れたトランプ大統領。彼によって現状を大きく変更されたわけです。

 

トランプ大統領というのは従来の、アメリカの行ってきた、こうしたグローバル戦略を捨てて、CIAなどの力をそぎ(今度はNSAやペンタゴンがメインになる)、他国は他国で管理させようとしているわけです(今のところ)。

 

ですから今、日本で起きていることはCIAなどの日本の胴元の力が弱くなってきた結果かもしれないと、自分は考えています。各自の勢力が、より好き勝手にできる状況があるのかもしれません(あくまで個人的な考えです)。

 

トランプはアメリカの「どぶさらい」をやらされているといいます。アメリカ内部に巣くう、影の権力者たちのやってきたことの後始末です(つまり、直近ではオバマ政権など。ヒラリー・クリントンなども関わっているとされています)。

 

そんな中、トランプがつぶやいた「オバマゲート」が話題になりました。

 

 

(↑、トランプは「オバマゲート」は「ウォーターゲート」よりもスケールが大きいといっています。政治家、有名人の逮捕については一時期、名簿が出回っていました。それがどの程度まで信憑性があるか分かりませんが、オバマ、クリトン夫妻とともに安倍晋三氏の名前もありました。本来ならアメリカ人に限るべきなのでしょうが、トランプの支持者のいうところの、「影の支配者、影の政府」なる人々がインターナショナルなために、当然のようにアメリカ人以外の名前も挙がっていました。これを陰謀論ととるかどうかです。いわゆる「常識的」な人々は、ない、というに決まってますが、このアメリカの「どぶさらい」が世界中に広まるかどうかも、トランプ支持者の注目となっているといっても過言ではないと思います。)

 

この辺のことはトランプの急進的支持団体であるQアノン当たりのいうことと一致します日本ではこうしたことを報道しませんが、本当はもっとちゃんとやっておいたほうがいいのではないかと思えます。彼らは911などもアメリカ内部の権力者が計画的に実行したので、それを暴く必要があるとしています。

 

仮に、トランプが再選したら残り4年しかありませんから、次は本腰をいれてくる可能性はあるように思えます。

 

アメリカでトランプが保守などといわれますが、彼らの思想は日本でいうなら「れいわ新選組」などに近く、日本人が考える保守とは違います。個人的には何が「保守」かどうかなんてあまり興味はありませんが結局日本人というのは特殊で、その考えが世界基準に照らされたときに「どう見えるか」考えるいい機会となるとは思うんですけどね。

 

今は味方に見えても将来は敵になる、という者たちも多いのでは、と思いますね。

 

<肺の消毒>

 

コロナウィルスの猛威がやや衰えてきたようです。しかしウィルスの潜在的脅威は当分収まらないと思います。

 

仕方ないので、エドガー・ケイシー(1877-1945)のアップル・ブランデー吸引が肺に良いというので、コロナ対策に使っています。

 

エドガー・ケイシーは宇宙に存在している「記録」(アカシック・レコード)を読める人とかで、その能力を使って病気直しをしていたことがあるそうです(詳しいことは「ケイシー療法」という言葉で検索してみると色々出てくると思います。例えば、癌などについても色々リーディングされ、書かれています。癌は血液が劣化して起こる、などと書かれています。血は汚さないほうが良いということです)。

 

ケイシーは結核や肺炎などについて、このアップル・ブランデー吸引を進めていたそうです。病気の改善とともに、予防にも良いとのことです。

 

以下のようにします。

 

<ケイシー療法:アップル・ブランデー療法>

  1. アップル・ブランデー(ニッカのV.S.O.P.(白)やフランスのカルバドスなど)を用意する。
  2. オーク樽か、ふた付きのタンブラーやペットボトルなどの半分くらいまで、アップル・ブランデーを入れる。
  3. 太めのストローで、ブランデーの香気(アップル・ブランデーからの蒸気)を5分くらい吸う。※ストローはブランデーに付かないように。
  4. 1日に数回行う。
  5. アップル・ブランデーは1か月くらい、香気がたたなくなるまで使用できる。
本当は焦がした樽を容れ物に使うらしいですが、ペットボトルでも良いらしいです。人肌ぐらいにブランデーを温めると余計に良いらしいです。また、吸うとアルコールがひりひりするので炭をいれるとマイルドになると聞きました。他の会社のアップル・ブランデーは不純物が含まれているらしいので、ニッカのV.S.O.P.かフランスのカルバドスが良いということ。
 
確かに少し咳込むときに吸うと、ピタッと咳が止まるので良いかなと思いますね。気になる方はどうでしょうか。このことをネットで書かれている方は多いので、確かめてみると良いと思います。肺の中の消毒になるということです。
 
 
↑)自分はカルバドス使っています。アマゾンで3000円ほどだと思います。
 
 
↑)吸引用のストローを別個で買いました。それをコーラのペットボトルに着けています。ストローが長いので、ブランデーは入れてもせいぜい3分の1ぐらいにしています。1日3回ぐらいを目安にしています。
 
<色々>
 
ツイッターで検察庁法改正反対の動きが盛り上がっていて、ちょっとびっくりしました。個人的にはこういう動きはあって良いと思います。色々考える機会になっていると思います。結局今まで何も考えてこないと、急にこうやって爆発的に考えなければいけない時が来るんじゃないかと。そんな風に思えます。陰謀論なんかもありますが、今さらという感じもします。右も左も陰謀論はあるでしょう。要は洗脳合戦ですね。何とかとハサミは使いよう、ということでしょうか。
 
ただ野党はあんまり調子に乗って乗っかりすぎると変なことになりそうです。何でも反対すれば良いというもんじゃないです。
 
しかし自民党も相当に「鈍感」なんだと思います。麻生大臣、加藤厚労相、森まさこ法務大臣、西村コロナ担当大臣なんかも変えたほうが良いんじゃないでしょうか15日の検察庁法改正審議の時の、森まさこ大臣の答弁はちょっとやばかったですよね。答えられなくなると他の人の顔を見て、自分で答えられない。本当に大臣か?って思われますよ。資質はないとしか思えないよ。
 
加藤厚労相も似たようなものじゃないでしょうか。
 
自分は必ずしも評価しているわけじゃないですが、大阪の吉村知事とか、自民党の河野太郎氏とかは、それなりに自分で考えて発言してるように見えるので、人気があるのかと思うんですけど。そういうのが全然ないと大臣は務まらないでしょうこの人たちは一応、喋っている向こう側にそれを聞いている人たちがいる、ということを感じている喋りぶりだと思います。それがパフォーマンスになってはいけないんですが、森まさこ大臣や、加藤大臣は人に向けて喋っている感じさえありません。保身ととられますね。
 
西村大臣は経済復興大臣もやっているんですが、彼が新コロナ対策委員会に呼んだ経済学者たちが、増税主義者たちばかりというので、安倍政権に比較的好意的な識者からも批判が出ていますアホかと。これでは財務省のいいなりじゃないかと。加藤大臣も西村大臣も官僚出身でしたかね。
 
麻生さんも外交はいけるカモみたいな声はありますが、財務大臣は、本当は森友ぐらいで、とっくに辞任でもしてなきゃおかしかったわけじゃないかな。その辺のけじめのなさというのか、そういうのがありますよね、自民党には。その辺見られているんですよ。こういう時だから余計に。何で分からんのかな。
 
今回のコロナの件でそういった自民党の負の部分が、一般庶民に悪目立ちしてるってことを早く察知しないといけないと思います。やってることが同じでも「言葉」で語るだけで全然違うと思うんですけどね。彼ら、何か喋っても、良いことをしたところで、結局マイナスになることばっかりいってる気がしてます。損だし、もっとぴりっとしないといけないでしょう。
 
本当に「鈍感」だと思います。

「人をダメにするイス」、というのがあるらしいので、アマゾンで注文したんですが、コロナの影響で全く届きません。どうも外国(中国?)から来るらしく、どうなってるのか売り手に確かめたんですが、片言の日本語でもうちょっと待ってほしいとのこと。

 

腰が痛いのでどうしても欲しかったんですが、この休み中には届きそうにない。あーあ、本当に残念。

 

 

1930年代から1950年代のミュージカル映画の黄金期を支えた俳優、ビング・クロスビー(1903-1977)とフレッド・アステア(1899-1987)が主演する「スイング・ホテル」(1942、米)を観ました。

 

ショウを離れ、自分の農場を、「祝日だけ」のエンターテインメントを催すホテルに改造するジム。そのホテルを舞台に、ジム(ビング・クロスビー)、テッド(フレッド・アステア)、リンダ(マージョリー・レイノルズ)らが三角関係を繰り広げます。

 

↑)フレッド・アステア

 

見どころは何といっても、映画内のドラマより、祝日に催されるという、エンターテイメントで、落ち着いた雰囲気の、上品で、ユーモラスな舞台が素晴らしいですね。高名なアーヴィング・バーリンが作曲を担当しています。

 

甘い声でしっとり滑らかに歌う、ビング・クロスビー、華やかでエレガントなダンスを踊るフレッド・アステア双方の魅力があふれている面白い映画でした。気難しいところのない映画です。

 

 

演技者たちの表情には常に笑顔が隠れているような、楽しい雰囲気があります。甘美なビング・クロスビーの歌に酔い、フレッド・アステアの華麗なタップ・ダンスなどが観れます。有名な「ホワイト・クリスマス」はこの映画がオリジナルで、マージョリー・レイノルズと歌う、ビング・クロスビーの歌声は素晴らしいです。

 

↑)ビング・クロスビー

 

エンターテインメントに徹した作品だと思います。観て良かったです。気持ちが良くなりました。

 

 

有名なジャズ・プレイヤーたちが出演している、「ニューオリンズ」(1947、米)も観ました。しかし自分はジャズの知識が全くないので、語れることもほとんどないんですけど。おまけ程度で書いておきます。

 

有名なジャズ・バンド、グレン・ミラー楽団のことを描いた「グレン・ミラー物語(1952、米)にも出演していましたが、サッチモ(ルイ・アームストロング)本人が出演し、当時の黒人への偏見なども交えながら、音楽に喜びを見出す人々を描いています。

 

音楽を信じ切って愛している、ルイ・アームストロングやビリー・ホリデイの嬉しそうな表情が心に残っています。

 

ジャズにしても、当時は場末の汚らしい音楽だと思われていたようで、その音楽の原点のようなものを描いた映画、ということなのでしょうか。こちらも良い映画でしたね(ルイ・アームストロングらは主役ではありません)。


ジャズが好きな方はかなり面白いのでは?と思いました。

 

 

外に出たいのですが、腰が痛くて、結局部屋で大人しくしているばっかりです。仕方ないので、久しぶりに自分の部屋で、映画を観ています。感想を、気の向くままに適当に書きたいと思います。

 

昨日観たのが、フランス人ルネ・クレール監督(1898-1981)作品の「巴里の屋根の下」(1929、仏)。

 

この監督だと他は「奥様は魔女」(1942、米)とか「禁じられた遊び」(1954、仏)という有名な作品ばかりです。自分は、その中でもこれが1番好きかもですね。

 

 

良かったです。パリに住む平凡な人間の恋愛を描いていて、主人公アルベールの歌う歌が作品のテーマ・ソングになっています。自分、映画は詳しくないんですが、この作品は映画史における、「詩的リアリズム」の出発点といわれているとか。またテーマ・ソングを積み重ねる今日のミュージカル映画の基礎もここにあるらしいとかでね。

 

初めは結構な場面で音楽がかぶさって、全編この調子かな、と思っていましたが、途中からセリフ少な目で、落ち着いた雰囲気の、映像を主体にした名画でした。

 

ここには第2次世界大戦以後に、国際化されてしまう以前の、パリの姿が自のまま映像に残されているんでしょうね。登場人物の衣装や髪形(特に女性)なんかは写真でしか見たことがなかった姿で、動いているのは初めて見て、妙に好奇心をかき立てられました。

 

 

当時はこんなのだったのかと、驚きながら観てました。

 

女性の姿はフラッパーとかいうんですかね?短い髪に巻き毛が絡んでいる。コルセットもしていない。当時のアメリカ映画は割と観てますけど、フランス映画は初めてですから、妙な気分でした。

 

今見ると女性の風貌は、少しばかり異様な雰囲気じゃないかな、と感じますね。美意識みたいなのは感じますが、その美意識がストレートには入ってきません。男の方は、今見ても割と普通なんですけど。サラ・ベルナールの写真を見てもそんなに綺麗に思えないというか、自分の中で、そういう類の感じと同じ印象だと思って、整理してますけど。

 

 

この映画には、当時のパリの下町の雰囲気があるということらしいですね。面白いです。時代は変わったんですね。

 

ジャン・ピエール・ジュネの「アメリ」とか、デ・パルマの「ファム・ファタール」とか、パリを舞台にした映画は面白いものがありますね。ドラマのセックス・アンド・ザ・シティーもラストはパリだったかな。この都市の、雰囲気そのものが、絵になるんでしょう。

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しかし、話は少し横道にそれますが、自分は特にデ・パルマ監督の「ファム・ファタール」(2002、米)は好きでしてね。開封当時ガラガラの映画館で観たんですけど。スーパーモデルの長い脚とパリの景色が良かったです。

 

大昔にこの作品の感想は書きました。最後にカメラマン役のアントニオ・バンデラスが壁一面にパリの写真を作り上げるんです。そこに坂本龍一のボレロ(ラヴェルの)崩れの音楽が良く合っていて気持ちが良かったです。

 

ギリシア彫刻のようなレベッカ・ローミンの肉体の美しさと、物語の、壮大なくだらない「オチ」。本心ではこれぐらいしょうもない映画が一番自分の心にぐっさりきます(これはミュージカル映画ではないです)。

 

 

 

 

ジュディ・ガーランド(1922-1969)が主演する、「若草のころ」(1944、米)。

 

「オズの魔法使い」(1939)で一躍大スターになったといわれるジュディ・ガーランド。しかし今この「オズの魔法使い」を観ても、セットはチープに見えるし、ジュディもややぽっちゃり気味で、なんだか間抜けに見えます

 

それに比べるとこちらのジュディ・ガーランドは痩せていて確かにかわいく見えました。これが評判だった魅力だったのかなという感じです。

 

しかし、太りやすい体質の彼女を太らせまいとして、会社は彼女にアンフェタミン(覚醒剤)をダイエット用に与えたせいで、後年彼女は薬物中毒に。そして睡眠薬の過剰摂取で、わずか47歳で亡くなってしまったのでした。ハリウッドの闇の部分ですかね。

 

 

映画そのものは普通のミュージカル映画で、楽しかったです。

 

20世紀初めのアメリカ中流家庭の、それこそアット・ホームな雰囲気をコメディ風のシークエンスや、馴染みやすい歌を交えて描いていて、それなりの起伏はあるにしろ、最後まで安心して観ていられました。ほっとします。

 

テクニカラーもこういう映画だと美しく見えますね。当時の衣装とか、建物とか、カラーで観ていると楽しいです。

 

他にも色々映画を観たんですけどね。グレン・ミラー物語とか。印象に残ったものを気の向くまま書いてるだけなので今回はこれぐらいにしておきます。

コロナ騒ぎでほとんど忘れ去られていますが、今年はベートーヴェン生誕250周年です。KYで申し訳ないですが、せっかくのお休みなので、趣味の話を書かせていただきます。

 

 

エルネスト・アンセルメ指揮、ベートーヴェン交響曲第9番(1959)。SXL2274。英国製。

 

 

エルネスト・アンセルメ(1883-1969)については、もっとしっかり書きたいとは思っていますが、何せどのレコードも高価で中々手が出ません。アンセルメは後継者を育てず、また、彼の真価を伝える録音が、火災で焼失したジュネーヴのヴィクトリア・ホールであったために、彼の芸術は往年の大家同様、まさに古いレコードの中に完全に閉じ込められてしまいました。

 

数学者で、物理学者でもあるこの指揮者の演奏は、明晰で曖昧さがなく、爽やかです。20世紀において、ディアギレフの率いるバレエ・リュスに14年もの間専属として活躍し、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェルという大作曲家との交流と作品の初演、そして後のレコード文化における中心的役割を果たすデッカ・レコードに素晴らしい録音を沢山残したアンセルメは、紛れもなく20世紀の大指揮者の1人に数えられます。

 

 

(↑、エルネスト・アンセルメ。数学者であり、哲学者でもありました。12音に対する不信はストラヴィンスキーとの交友を終わらせました。印象的なアッシリア風の髭、「ビザンチン時代のキリスト像」と呼ばれていたとか。レコード芸術のパイオニアでもありました。)

 

特にバレエ音楽やフランス音楽については権威といって良く、感情に流されないクリアな演奏から生み出される音のテクスチャアは、素晴らしいの一言に尽きます。それらの録音を味わうには、CDでも良いとは思うのですが、やはりレコードで聴くと音の角が取れ、彼の演奏特有の鋭さと、アナログ・レコード特有の音の柔らかさがブレンドされて、より生の印象が強くなります。

 

初めてアナログ・レコードで聴いた彼のカルメン組曲の明確な演奏には驚きました。音の押出、分離間、迫力がまさに明晰に録音されていて、眼前にオーケストラを見るようでした。

 

しかしそのアンセルメですが、ベートーヴェンも素晴らしく、知的で潤いに満ちた演奏をしています。つまり彼は決して録音効果が出やすい曲だけに適性を見せるのではなく、ドイツ正当の音楽にも見事な対応を見せており、絶対音楽に対する彼の知性や能力は、折り紙付きだといえるでしょう。

 

ベートーヴェンの音楽についてはいくつかの側面があると思います。その1つに数字的バランスがあるように思われます。以前トスカニーニのベートーヴェン交響曲全集をCDでバラで集めていた時に驚いたのが、CDに順に1・2番、3・4番、5・6番、7・8番と交響曲が2曲づつ収められていたことです。今日3番や6番は演奏時間が50分ほどかかるために1枚のCDには1曲しか収まらない場合が多いわけです。

 

しかし楽譜に忠実と呼ばれるトスカニーニの録音は、ベートーヴェンの録音をどの曲もほぼ同じ寸法に収めていることが分かり、個人的にベートーヴェンは、曲の寸法を初めからある程度考えて作曲していたのではないかと、「まさに」直感的に感じたのでした。メンゲルベルグやワインガルトナーなどの指揮者もトスカニーニの演奏のテンポに近く、多分ベートーヴェンの思い描いていた曲の形というものは、こうした指揮者たちが再現してきたもの、ではなかったかと思ったのです。

 

近ごろの遅いテンポは後期ロマン派、もっといえばフルトヴェングラーの亜流、あるいはワグネリズムに脚色された演奏を、トスカニーニ流のザッハリヒなスタイルに置き替えた演奏ともいえるわけで、カラヤンやアバド、ラトルなどは、トスカニーニやフルトヴェングラーという、こうした過去の巨匠たちの良いとこ取りをしているように思えます。

 

しかしその分、これらの若い世代は「初めてベートーヴェンの楽譜を読む」という行為を離れてしまっているわけで初めから完成された人々の演奏を後追いしているわけです。一応「演奏史」という言葉を使えば聞こえはいいように思えますが。フルトヴェングラーはベートーヴェンの音楽を個々に「自分の眼で」徹底的に読み切り、故にあれほど曲ごとに演奏時間が違うという「結果」が生まれたわけです。そういう意味では最近の演奏は美しいですが、曲の根源的な迫力は失われたように思えます。

 

話がだいぶん横道にそれました。アンセルメにおいてはベートーヴェンの音楽において表現されている、思想の明晰さが、音楽の演奏そのものから伝わってきます。これは彼の持つ、極度にバランス良くオーケストラを鳴らす能力から、生み出されているように思えます

 

ベートーヴェンの演奏において「これしかない」というスタイルは存在しませんが、アンセルメの演奏はフルトヴェングラー流というものからは程遠く、鋭い進行と音型によって作られており整然とし、緊張感があります。その部分が生のベートーヴェンを感じさせます

 

トスカニーニはここに沸騰する感情が加味されますがアンセルメは見通しが良くクリアで爽やかです根源的な迫力もあり、それはこのアンセルメという指揮者が、自分の眼で楽譜を読んでいる証拠のように思われます。

 

 

クリュイタンスの指揮するベートーヴェン交響曲4番(1959)。FALP623。フランス・プレス。

 

 

 

ベートーヴェン、ピアノコンチェルト3番、指揮アンドレ・クリュイタンス、ピアノ、ガブリエリ・タッキーノ(1962)。SXLP20045。イギリス・プレス。

 

 

両盤ともクリュイタンスの指揮するベートーヴェンです。4番は名演です(モノラルだとは知らずに購入してしまいました。しかし音はすごく良いです)。ピアノ・コンチェルト3番もクリュイタンスは素晴らしくピアノのタッキーノ氏(存命、東京芸大の客員教授とのこと、プーランク唯一の弟子などといわれているそうです)がやや位負けしている感じが否めません。

 

クリュイタンスはブルーノ・ワルターに似ている気がしています当然音になって出てくるのもは全く違います。しかし、彼らは楽曲のことを良く把握しており、一体どこで力を抜いて良いのか、あるいは迫力を出さなければならないのか、良く分かっているように思えます(ワルターの残した、ステレオのマーラー「巨人」などは、その典型のように思えます)。

 

物事を良く把握しているせいで演奏に余裕が出るわけです。ただクリュイタンスは華やかで滑らか、ブルーノ・ワルターは純朴で優しさが溢れており、表面的に聴いていると全然違うもののように思えますけども。

 

クリュイタンスの演奏はエレガントで上品です。迫力もかなり出ています聴いていると心豊かになる演奏で、素晴らしいと思いました。

 

今週末も仕事でした。職場の3密は解消されず。

 

1番偉い人間が「コロナにはめったにかからない」とかいいだす始末。自分が先週仕事場で「この時期におかしい」と無駄に騒いだので、一応どうしたら良いかという議題に、ナンバー2とナンバー1との間で話になったらしいですが、結局保留のまま(おい!!)。

 

ゴールデン・ウィークに入ったので、2週間休みになり、とりあえず様子見です。

 

今いる会社はスタッフ10数人の小さいところですが、1番偉い人は取締役で、その奥さんが社長を務めています。

 

それなりに業績は良いらしい・・・多分。この時期、失業寸前で大変な方々がいらっしゃる中、恵まれた環境かもしれず、あまり文句をいうものでもないのかもしれないですが。少ないですがボーナスも出ます。

 

しかし、いつもボーナスが出る時期に、全く出ないので「おかしい」という話(以前取締役から直々に、払う、という約束があったせいでもある)になり、仕方ないのでナンバー2と交渉をしました。はじめは「業績が悪いからだ」という理由でしたが、色々探ってゆくと、振り込みを担っている社長が、単に「忘れていた」だけのことと判明(!!)。「業績が悪い」とかいう、いい訳は何だったのか?ナンバー2は交渉している自分に、やや喧嘩腰になってきている。なんだろう、この面倒くささ。

 

社長は去年払わなければいけないものも、実は払っていなかった、というので「取締役」には黙っていて欲しいとのこと(社長とはいえ、ただのおばさんです、ナンバー2とは別人)。ものすごい「怒鳴られる」ので、大変ですから。色を付けて出すから、「黙っていてほしい」とかいう話になる。急にボーナスの額が大きくなり、良く分からない話になる。大丈夫なのか?

 

1番新しく入ったスタッフが使えないとかいうので問題に。「取締役」はとうとう頭にきたらしく「こんなやつに給料を払いたくない」と怒鳴りだす。確かにそのスタッフはもう1年以上(2年近かったかも)勤めていましたが、人の話をほとんど聞かない人でしたので、仕方ない部分もある。今月でクビ(!!)だといわれる彼。なんとも声のかけようもない。仕事柄、こういうこともある(めったにはないですが、今まで4人ほど見てきている、大概人の話を聞かない、というのが問題になりますね)。

 

自分も過去に2度ほど収入を突然全く切られた経験もあるので、気持ちもわかりますが、さすがにもうどうしようもできない。明日は我が身か、とか思ったりする。

 

しかもこんな大変な週末に限って、やらなければいけない本来の仕事が、いつもより大変だという事実。ヘトヘトになりました。

 

この時期に危機感のない上司、単に振り込みを「忘れた」、だけでボーナスが「ゼロ」か「高額」になるか分からないという恐ろしさ。人の話を聞かない人が首を切られていく事実。本当に「杜撰」なことが連続して起こっていることを再認識させられた、ジェット・コースターのような週末でした。


コロナより人間が怖いです。

 

 

まとまったブログを書く時間がないです。

 

自分は最近3密状態で仕事をさせられています。上の人が危機意識がないとおかしなことになりますよね。弱った。

 

給付金が出るとか出ないとか。30万円が10万円になり、一律給付かと思えば、やれ電子マネーだ、手を挙げた人だけだ、とか。利権がらみで足の引っ張り合いがひどい。甘いところに虫はたかる、という感じがしています。

 

安部総理はやっと頭を下げたような会見をしたみたいですけど。最近の政治家は偉そうな人が多いですからね。こういう時は何事も頭を下げたほうが上手くいく気がします。公明党にたきつけられたせいで、未だにメンツがどうだのといってる自民党員もいるようですけど、なんでそんな人ばっかりやねん、とか思います。皆が一律給付を望んでいるのなら、それで色んな人の役に立てるわけだから、政治家として喜んだら良いですよ。

 

でもまあ・・・おかげで財務省に矛先が向きつつあり、これはこれで良かったのかもしれないですね。

 

一概にディスってもしょうがないですが、東大なんか出た人が財務省などの役人になるんですかね。やっぱり教育そのものも考え直したほうが良いのでは?事務処理だけうまい人を育ててもしょうがないですよ。人生哲学みたいなのがしっかりしないと、ロボットと同じになってしまいます。役人は、一体誰の指示を受けて活動しているんでしょうか。財務省も、総理の意向を必ずしも反映してるとも思えませんで・・・。

 

今後食料が足りなくなっていく(長期的に見て、です)という噂があります。元農林水産大臣の山田正彦さんなどが農業について地道な活動をされています(アメブロで見れます)。こういう人のやっていることを、もっと評価すべきではないですかね。世襲の政治家ばっかりにするのでなくて、ちゃんと仕事や活動の内容を見て、政治家にしていくなり、という考えでないといけないと思います。

 

最近は人の悪だくみがばれることが多いような気がしてますね。この傾向は今後も続くでしょう。人が見ていないところで、どれだけしっかり生きられるか、ということが問われていると思います。

 

↑)以前紹介させてもらった(過去記事の、ラー文書、の記事の中です)光田秀氏の本。一種の「超能力者」であった、エドガー・ケイシーのことが分かりやすくまとめられています。

 

エドガー・ケイシーの紹介を日本で積極的になさっている、光田秀氏が、フェイス・ブックの記事(エドガー・ケイシー療法を学びあう会)で、ウィルス対策について、面白いことを書いてらっしゃたので、勝手ながら引用させていただきます。

 

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いま、ひたすら感染症に関するリーディングを調べていますが、ふとある重要な主張に気がつき、驚嘆しているところです。

 

これまで気付かず、見落としていましたが、よくよく調べてみると、51件ものリーディングが「Keep out of the night air!」とか、それに類する言葉で「夜気(やき)night air」に当たることを警告していたのです。

 
その一方で「When the sun is shining, be out as much as practical.」とか、「Walking in the MORNING air is good.」など、日の光を浴び、早朝の空気に触れることを大いに推奨しています。
 
ウイルスは日の光(特に早朝の日光)を浴びた大気の中では、急速に感染力を低下させて(死滅し)、日没後になると、強い感染力を保持したまま周囲に漂い始めるのかも知れません。
 
あくまでリーディングから私が推測していることなので、将来、撤回するかも知れませんが、「夜の外出を極力控える」というのは、リーディングから見ても、とても理にかなった、大いに推奨されることかも知れません。そして、午前中は散歩などして、新鮮な空気をたっぷりいただきましょう。
 
※ただし、午前11時から午後2時までの3時間は紫外線が強すぎるので、ケイシーは、直射日光を浴びるような形での散歩はしないように注意しています。
 
※皆さん、コロナ禍が終息するまでの間、日が暮れたなら、外に出ることは極力控えましょう!
 
・天気の良い日に外で活動し、日暮れまでに帰宅。

 

・日没後は外出しない


・レタス、ニンジン、柑橘系で免疫を上げ


・アップルブランデー療法で呼吸器系を防護しておく


・洗濯物や布団は昼間に干して日光に当て、夕方までには取り込み、夜風には当てない!


・晴耕雨読の精神


これを国民総出で1週間もやれば、国家としてとても高い免疫が得られるんじゃないかな。

モーセが300万人近いイスラエル人を引き連れてエジプトを脱出する前の日、モーセはイスラエルの民に、日が暮れたら家に閉じこもり、翌朝まで一歩も外に出てはいけないと命じました。そして、その日の夜、エジプト人達の家を疫病が襲い、すべての初子が死んだ、と旧約聖書の出エジプト記は記しています。

 
われわれは、疫病を免れたとする旧約聖書のこのような記述は架空の作り話のように受け止めがちですが、リーディングを受けた人の中に、エジプト人の過去生を持つ人がいて、この時の疫病で自分の兄弟が死んだとされる人が一人いるのです。なので、がぜん真実味を帯びてきます。ちなみに、その時に兄弟だった魂が、今生では自分の息子として生まれました。
 
この疫病を過ぎ越した(免れた)ことを記念する祭りが、イスラエルの「過越(すぎこし)祭」の起源であり、ユダヤ暦のニサン15日から始まります。そして、それに続く1週間の「除酵(じょこう)祭」では、家族が総出で家の隅々に至るまで徹底的に除菌することが現代も行われています。15日ということは十五夜の満月ということですね。ユダヤ人にとってもっとも重要な祭りの一つであり、ユダヤ人なら幼稚園児ですら、その由来を知り、守っています。
 
ちなみに今年の過越祭と除酵祭は4月8日(水)の夕方から始まり、4月16日(木)の夕方までが、その期間にあたり、考えて見れば、いま、われわれはそのど真ん中です。モーセの誡めに習って、もうひと踏ん張り、自宅にこもって、疫病が過ぎ去るのをじっと待ちましょう。
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そういえばこの前亡くなった志村けんさんも、夜な夜な飲み歩くのが好きで、ウィルスもガールズ・バーで拾ったのではないかと聞きました。どうも自分の直感だと暗くて陰気なところはダメなような気がしてますね。
 
環境だけでなく精神状態も含めて、健全に保つ努力をすることが一番疫病対策には良いような気がします。

クラシック以外でたまに聴いているものを書きます。

 

 

ちょっと古いですが、メイベルの「HIGH EXPECTIONS」。イギリスの若いシンガーソングライターらしいですね。しかし、UK、というよりはラテンな感じがします。父親が業界では有名な人物らしく、音楽をやるには恵まれた環境にあったそうです。

 

歌声がセクシーで濃い味を出しています。

 

 

カミラ・カベロの「ROMANCE」。ソロになってから2枚目のアルバム。以前よりも個性が出て、充実感がありますね。どの曲も結構面白いです。

 

最近の歌手は人気が出てくると、だんだんどぎつい感じになることが多く、個人的には若手ばっかり聴くことが多いです。ケイティー・ペリーやレディー・ガガなども初めは面白いんですけどね。だんだんおドロドロしくなってきて、結局聴くのをやめてしまいます。ビリー・アイリッシュはもう初めからダメでした。

 

 

↑、マックス・リヒター。ポスト・クラシックの旗手。有名なもう1人の作曲家、ヨハン・ヨハンセンは2018年に若くして亡くなりました。)

 

ヨーロッパでは「ポスト・クラシカル」ということが、いわれるそうです。我々の感覚からいえば「ライト・クラシック」とでもいえるような音楽で、クラシック風の音楽ながら、現代的感覚と聴きやすい平明なメロディーの作品が多いですね。ちゃんとした演奏会で演奏されることを目標に作曲されているようです。ただ、やや底は浅いと思います。

 

個人的には旅に出かけるとこういう音楽が欲しくなります。エリック・サティのいう「家具としての音楽」というのでしょうか。そこにあることが、楽しすぎず、邪魔すぎず、という音楽です。出かけた先を彩るような音楽が欲しいと思うことが多いんですね。

 

クラシック音楽は重過ぎる、ポップスだとビーチに行けば否が応でもかかっていますから。アルヴォ・ペルトも旅行に行く飛行機内で覚えました。

 

雑誌「レコード芸術」のマリ・サミュエルソンのアルバムの評価がひどかったのを覚えています。彼女は「ポスト・クラシカル」を得意にしているヴァイオリニストです。

 

雑誌では、評論というような評論もなく、投げやりな評価でした。しかしこれも仕方ないですね。従来のクラシック音楽とは違う音楽です。

 

 

しかしたまに聴くと面白く、新鮮です。感性に訴える音楽が多く、今日もしクラシック音楽が順調に発達していたなら、この手のメロディなどが使われていたかもしれないなどと、思いながら聴きます。

 

ヴァックスのロンリー・エンジェルなんか切実で好みです。

 

そのマリ・サミュエルソンを発掘したのが、ポストクラシカルの重鎮といわれるマックス・リヒター(1966-)です。映画音楽なども手掛けており、しっとりした、現代的センスあふれた音楽を書きます

 

 

「Woolf Works」というバレエ音楽のためのアルバムから、「THE WAVES」を良く聴きます

 

アルバムに含まれている、「ダロウェイ夫人」、「オーランドー」、「波」は小説の原作(ヴァージニア・ウルフ)があるらしいですが、自分は未読です。どの音楽も映画を思わせるような美しい音楽ですけれども、自分は「THE WAVES」を聴くと、数年前に南の島に行った体験を思い出してしょうがないです。

 

作品はミニマリズムで、同じ音型を繰り返す単純なものです冒頭は小説による語りと本物の波の音が入り、孤独で、静謐な空気を作り上げます。語りが終わり、波の音が遠のくと神秘的で瞑想的な音楽が非常にゆったりとしたテンポで、繰り返されていきます。

 

比較的市民権を得ているミニマリズムですが、長い曲になると繰り返しがくどすぎて、聴いているのが苦痛になります。しかし、この「THE WAVES」(20分以上かかる長い音楽です)ではテンポを極度に落とすことにより、静かで神秘的な雰囲気を作り出すことに成功していると思います。そしてラヴェルの「ボレロ」のように音量を徐々に増やしながら、大きな音像を作り出していきます

 

これを聴くと、1周歩いて20分もかからない南の島で、1人夜空を眺めていたことを思い出して、仕方ないです。

 

ヤシの木が覆う真っ暗な島で、聴こえてくるのは寄せては返す、波の音だけです。夜空を見上げると、星が見えます。沖縄でも綺麗に星は見えましたが赤道付近のその島では星雲まで見えるのでした。

 

(↑、写真は借り物です。)

 

時折写真で見るような風景ですが、肉眼で見たのは初めてでした。ああいう景色を見ると地球は銀河系の一部だと思えますそしてその地球に住む我々も、その広大な世界のほんの小さな一部だと、認識せざるを得ないのだと、強く感じたのでした。

 

「大日月地神示」

 

嫌がられることもあると思いますが、一応書いておきます。

 

今後何があるか分かりませんが、世の中が急変したりするのなら、読む価値などもあるかと思います。この手の神示は「神」、「靈」だけでなく、「陰謀論」や「宇宙人」などの存在などまで語られるために、馬鹿々々しいと思う人も多いかと思います。確かにこういうことを信じる人は「キ〇ガイ」などいうのが世間一般の認識でしょうが、常識というものが一瞬で変わることも無いとはいい切れない、今の世の中です。

 

まさか、そんなことを考える時代など来ないと思っている人がほとんどでしょうが、これは分かりません。

 

自分はこの手の本をいくらか読みました。若い時はもっとおかしな本も読みました。のちに詐欺で捕まるような人の本も、「本物」かも、と思いつつ読んできたこともあります(汗)。

 

その中でも「艮の金神」が降ろしたといわれている「神示」が、やはり一切のブレがなくて、同じことをいい続けていると思うようになりました(何種類もあります)。

 

100年以上にわたり、聖書でいえば「黙示録」に関する内容と同じことをいい続けてきています。明治維新以降、日本が世界にお披露目されて以来、日本の役目と共に、人類全体が受けねばならない「大峠」といわれる時代の節目の意味などを語ってきています(聖書風にいえばハルマゲドン)。

 

「天理、金光、黒住、大本、天明繋いで、時代相応に伝えてきておりますのじゃ。皆々同じ靈団の者からの筆先じゃ。これまでは方便も多くありたなれど、これからは方便無くいたして参りますぞ。」

 

元々宗教団体の体をなしていましたが、第2次世界大戦による失敗を経て、今日この神は宗教団体を避けるようになってきたようです。しかしこの手の内容については日本では「老舗」、といって良いでしょう。この「大日月地神示」はその中でも最新のもので、興味ある方は読まれると良いと思います(上下巻あります)。

 

ただ厳しい内容であることは、いい添えておきます。実際そのようなことが起これば、遊びではすみませんから。

 

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<本日のたわごと>

 

以下の文章は、読んでも意味が分からないかもしれないです。そういう人は読み飛ばしてください。

 

今回は個人的な誇大妄想を「相当に」発揮して書いています。批判的にお願いいたしますm(__)m。たまにはこの手の話も、「やりすぎ都市伝説」ではありませんが、はっきり書いてみたいと思って書いてみました。おまけみたいなものですね。

 

さてついつい最近のことですが、トランプの支持者たちが、アメリカがFRBを取りもどした、つまり、国家の支配下(ロスチャイルドでなく)に置いたといってきています(ニュースにもなりました)。今後、このコロナ・ショック(彼らにいわせると、ディープ・ステートによる人類削減計画の逆手をとった、ということらしいですが)によって、有名人の犯罪者の逮捕と、各国の銀行の国有化などが進むとかいっています。

 

アメリカが現在の形では残らないだろうという話があります。当然、それはトランプ大統領のせい、ということになるわけです。自由の女神がアメリカの象徴として語られますが、それが崩壊するのだと。アメリカはフリーメーソンが作った国だといわれ、自由の女神もフランスのメーソンから送られてきた像だといいます。今日では資本主義の象徴といっていいかもしれません。

 

 

 

彼らは中央銀行の金貸しによって、多大の富を得て、世界を支配してきたのだと。だからこれらの銀行をメーソンや支配者(ロスチャイルドなどのこと)から支配を取り戻しつつあるのがトランプ大統領なのだという、彼ら支持者の主張です。そのためのアメリカ中央銀行、FRBの国有化ということになります。当然それが進めば、それは旧来の資本主義でない別の体制になるかもしれないということです。

 

<ここに来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒によってしまった。>

 

<その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。>

 

 

↑)頭には7本の角があります(黙示録の中の、7つの「頭」、あるいは「丘」は「国」を指しているのかもしれないです)。

 

<「あなたが見た水、あの淫婦が座っている所は、さまざまの民族、群衆、国民、言葉の違う民である。また、あなたが見た10本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすであろう。神の言葉が成就するときまでに、神は彼らの心を動かして御心を行わせ、彼らが心を1つにして、自分たちの支配権を獣に与えるようにされたからである。あなたが見た女とは、地上の王たちを支配しているあの大きな都のことである。」>

 

以上は「ヨハネの黙示録」からの引用ですが、この後「大淫婦」は裁かれて崩壊することが語られています。大淫婦と獣は途中までともに活動していましたが、必要のなくなった大淫婦は餌食となります。

 

これはもしかしたら一時、アメリカが失墜すること意味しているのかもしれません。それは資本主義の終焉でもあるわけです(フリーメーソンは一定期間支配的役割をしますが、しかしそれは本体ではないということです。そして今までのアメリカはその本体でないアメリカ、という意味ぐらいに考えています)。

 

故に、世界恐慌の危険性を訴える人たちも、すでに出始めています。

 

 

(↑、イルミナティ・カードのトランプ。「もう十分だ」といっています。もしかしたら彼が「大淫婦」を裁く役目かもしれません。しかし大淫婦を裁くのは同時に666の獣でもあるわけです。トランプ本人が「獣」だというわけではないですが、その裏にいるものたちでしょうか?)

 

いったい彼らは正義の味方なのか、悪の使いなのか?これは分かりません。所詮善悪2元で考えることが間違っているのかもしれませんが。

 

ただ最近のQアノンの正義感ぶりは、あくまで個人的にですが、かなり危ない匂いがしてますね。仮にNSAが証拠を全て握っているのだとしたら、それ以外の人々はそれを一体どう確かめるのでしょうか?証拠が開示されたとしても、人によっては、疑うこともあるでしょう。しかし、ものすごくセンセーショナルに開示されるなら、人々は意味もなく信じてしまうかもしれないです。それを理由に、これら悪人といわれる人々を、処刑するとかいいだすなら、これは相当に怖いですが、すでにそれに近いことをいいだしてはいますね。

 

そうなってくると、何かしらの権威は欲しがりだすのではないでしょうか?

 

確かに、悪人、といわれている人たちが逮捕されるなどは仕方ないとは思いますし、支持できるものかと思います。

 

しかしそれでもなお、少し不穏な感じがします。

 

さらに妙な話があって・・・。

 

Qアノンはイスラエルが救済されるのは最後になるだろうといっているようです。そしてそこに「イエスの再臨」をほのめかしています。

 

確かにヨハネの黙示録には「イエスの再臨」があるとしています。しかし、その前にちょっとしたひっかけもあるのでは・・・?

 

 

 

ここにある再臨・・・それが本当だというのなら、個人的にはそれが偽物ではないかと思いますね。そんな風に、何者かが「公式」に発表する「聖者」って何?とは思いますけども。

 

本当に株式市場が崩壊するというのならば、以前少し書きましたけど、マイトレーヤなどが危ないかもですね(以前書いた、オカルト倶楽部、という過去記事で少し取り上げています)。

 

昔読んだ本の記述が気になっています。この方、比較的有名な方でしたが、かつて民事裁判などで問題があって、その後は姿を見ていませんただ書かれた本の内容は面白いと思うので、気になる部分だけ書きだしておきます。25年以上前の古い本なので、悪しからず。あんまり信じられないような記述も多いですけども・・・。

 

日本の神、スサノオの命が喋る、という体裁になっています。

 

「そして悪の真打ち、偽キリストが現れるのじゃ。偽キリストはもうこの世に生まれているぞ。ヤツはその邪悪な魂を持って、1964年2月5日の午前7時にイスラエルの地に生まれたのじゃ。ヤツはサタンの命により自分のなすべき事をもう知っているのじゃヤツの顔は観音のように優しいがその内なる表情は、牙を剥いた獣と同じなのじゃ。ヤツの言う言葉は、お前らの耳には非常に美しい響きを与えるじゃろうが惑わされてはならんぞ。偽善に満ちたヤツの言葉を聞かない者が、次の世界へ入れるのじゃ

 

ヤツは一時、大いなる軌跡を民衆に見せるじゃろう死人を生き返らすこともするじゃろうこの邪悪な力に騙される者の数、莫大であるぞ。ヤツは次に、神の名において大きな弾圧にかかる。キリスト教に入信しない者を弾圧にかかるのじゃ。

 

ヤツの出現により、エルサレムは一時的に活気を帯びるが、それも束の間じゃ。再びユダヤ人は国を追われる憂き目にあうのじゃ。彼らは、自分の家族を守ろうと必死になって抵抗するが、今度は神も守ることは出来ん。この戦により、エルサレム付近は無法地帯になり、油はもう使えんようになるじゃろう。」

 

神示などにおいても本物の悪は「光り輝いている」といいます。

 

「まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けねばならんぞ、悪の大将は光り輝いているのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。」とは「日月神示」からの抜粋です。

 

再び「ヨハネの黙示録」から引用します。

 

<竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。この獣の頭の1つが傷つけられて死んだと思ったが(アメリカのことだろうか?)、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。>

 

<わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上ってくるのを見た。この獣は、子羊(子羊はキリストを指す、つまりここではキリストに似た何者かを指すと、古来からいわれている。アンチ・キリストや偽キリストといわれている)に似た2本の角があって、竜のようにものを言っていた。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。>

 

どうなんでしょうね。Qアノンはトランプが、「ストーム」なる作戦をこの非常事態を利用して行っていて、いずれその結果をアメリカ軍が世界中に公開するだろう、と息巻いていますその際はピザ・ゲート(小児性愛に関わった事件)などを開示するとしてハリウッドなどの有名人などを告発するといっています(反対に、告発を行った人々の、いわゆる「善」は強調されるわけです。正義の味方、として)。

 

本当にあるんでしょうか?一応その辺のことがあるならと思って、今回少し書いてはみたんですけども・・・。

 

「またたきの間に天地引繰り返るような大騒動が出来るから、くどう気を付けているのざ、さあといふ時になりてからでは間に合わんぞ、用意なされよ。戦の手伝い位なら、どんな神様でも出来るのざがこの世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。」

 

世の終わりが近づくと、話してダメなら、実際の現象として改心を促されることが起きるといいますハルマゲドンも大峠も同じことだといえますでしょうか。艮の金神の文(フミ)には次のようにあります。

 

「今の世で楽しんで居る者には誠残念なことではござるが、このまま物質の世を続けては壊れるばかりでござるから、これ以上壊されてはこの方の世が滅びて仕舞うから、この方の生みたる神の臣民の血筋が絶えて仕舞うから、最後の最後はこの方が表に現れて、物質の世界を掃除して、元の神世に戻すのぞ。」

 

「大難が小難に変わると申すのは、そなたから見てのことでござる。外側の掃除は計画通り致すのだぞ。そなたの掃除の度合いによって、そなたにとって小難になると申して居るのでござるぞ。」

 

うーん、なんだか怖い話ではありますけどね。しかし転ばぬ先の杖などという言葉もあります。

 

個人的には水面下でおかしなことが進んでいるように思えるので、こういう神示なども馬鹿にはできないように思いますね。