ヒマジンノ国 -36ページ目

 ヒマジンノ国

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ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)による「バッハの平均律組曲、第2巻」(1950年ごろ)。国内盤、RA10004-RA10006。

 

 

ランドフスカのレコードをオークションで入手したのですが、届いてみると国内盤で、がっかり。オークションの小さい画像ではしっかりと見極めができませんでした(日本のレコードはどうしても初版にならないので、音が落ちます)。

 

しかし、レコードをかけてみて驚いたのはその音の良さです。本当にびっくりしました。鮮明です。

 

それまでランドフスカの演奏は、CDで、1928から1940年にかけて、ヨーロッパで録音されてきたものを聴いていました。

 

 

(↑、ランドフスカのヨーロッパ録音集。8CD。悪くないですが、レコードで聴くほど、彼女の演奏を身近には感じられませんでした。)

 

CDでも決して音は悪くないし、今回手に入れた平均律が1950年ごろの録音なので、同日には語れませんが、音が全く違います。

 

レコードでは、ランドフスカの演奏するモダン・チェンバロ(プレイエル社に作らせたという、響きが大きめの、ランドフスカ専用のチェンバロ)の音色がとても肉厚に響きます。

 

まず音色の中心に「濃い音の芯」があり、弱音部の響きもCDに比べて伸びがあります。初めてランドフスカのチェンバロの音色を聴いた気がして、感激しました(詳しい方によると、それでも国内盤は音が落ちるということ。ただ彼女の録音は、全体に鮮明なのものが多いということらしいです)。

 

こんな音だったのか、という思いですね。

 

19世紀、バッハの鍵盤楽器はピアノで弾かれていました。しかし20世紀に入り、その常識を覆してしまったのが、このワンダ・ランドフスカで、その後はグレン・グールドが現れるまで、逆にピアノでバッハを演奏することが「重い」と捉えられるようになりました。

 

彼女のチェンバロによるバッハ演奏は、今日のオリジナル楽器演奏ブームを先取りしていたわけです。

 

個人的には、彼女のチェンバロの音色は日本の「琴」のようにも聴こえます。雅で、音の大きいオルゴールのようです。

 

バッハをいわゆる「バッハ風」に、「禁欲的に」弾き切るのでなく、人間的感情を織り交ぜながら快活に弾いていきます。激しい感情の動きも表現しています。しかし、そこには彼女特有の華やかさが垣間見られ、宮廷音楽のような美しさがあります。

 

 

ランドフスカの演奏する、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(1945)。米国盤、LM1080。

 

 

19世紀には見向きもされていなかったバッハのゴルトベルク変奏曲をバッハ録音の定番に変えたのが、このランドフスカです。彼女がいなければグールドの有名なアルバムもありませんでした。

 

 

(↑、グレン・グールドを一躍有名にしたアルバム。個人的には後年のステレオよりも、このモノラルを推します。CD。)

 

ランドフスカとグールドのゴルトベルクを対極の位置にある演奏、という風にいう方もいますが自分はそれほどの差は感じません確かに1981年録音(ステレオ)の方は完全にグールド自身のファンタジーとして、バッハが解釈され尽くしていて「禁欲性」よりも「自然な心の流れ」と「癒し」を求めた音楽になっていると思います。

 

しかし1955年のモノラルの方は快活で、リズムがあり、時にはポップでさえありますまさにバッハが現代に蘇ったかのようです。

 

バッハにおいて、そのような革新的な演奏が可能だったのは、ランドフスカ同様に、バッハの音楽が「形式的」あるいは、「禁欲的」とも呼ばれるようなバランスのみ重視の芸術でなくて、それが「人間の感情、心」から生まれた作品であることを、演奏で示したからだと思います。

 

このバッハにおける「人間感情の重視」は、先にも書きましたが、ランドフスカの演奏にいえることで、バッハの音楽作品という、「形」、の中に人間の感情が込められることにより、作品全体に「生命」が宿るかのようです

 

音楽が生き生きと語りだす様子は、ランドフスカ、グールドともにある特徴で、それがなければ一見退屈そのものに思える「ゴルトベルク変奏曲」の、ランドフスカによる発見もなかったことでしょう。

 

確かに今聴くとランドフスカの演奏は雅で、「バロック」の雰囲気を決して崩し切っていないですが、グールドはもっと自由で、近代的な感性をさらすのもためらわない、という違いはあるとは思いますけども

 

しかしそれはどのような時代においても、人さえ得れば、バッハが再現され得るいう、その作品の普遍性の証拠なのではないでしょうか。

 

 

2006年にヨーゼフ・カイルベルト(1908-1968)が録音した、ワーグナーのリングが発売されました。

 

テスタメントが発掘したという録音で、1955年のバイロイト音楽祭のライヴながら、臨場感あふれるステレオ録音。それまで有名なゲオルク・ショルティによるスタジオ録音(1958-1965)が、リングの史上初ステレオ全曲だといわれていたために、これは驚愕以外の何物でもなかったわけです(写真はCD)。

 

演奏も素晴らしいもので、ショルティ盤以上の評価を与えている人も多いですね。個人的にもカイルベルトを知ったのはこの録音が初めてでした。

 

この録音を聴く限り、カイルベルトは余計なことをしない指揮者といえるでしょう。音楽は贅肉を引き絞ったかのように、筋肉質で硬派だと思えるもの。

 

トスカニーニのように攻撃的でもなく、ジョージ・セルのように緻密でもないですが、現代でいえばザッハリヒともいえるスタイルです。しかし、カイルベルトの場合、決して先を急がず、神経質なところがありません。質実剛健なドイツの指揮者という感じです。

 

同じ年に生まれたカラヤンがスターらしい華やかな演奏をしたのに対し、カイルベルトは地味ですが、本質を外さない手堅い職人的な指揮者です。

 

コンヴィチュニーや、R・ケンペなども同じ様なことがいえますが、スターでなかった分、彼らは、足が地に着いた、本物のドイツ指揮者だったという感じが強いですね。

 

 

カイルベルトによる、ウェーバー「魔弾の射手」(1958)。ドイツ・エレクトローラ、STE90956-STE90958。

 

 

カイルベルト、ベルリン・フィルの組み合わせで、ルドルフ・ショックやエリザベート・グリュンマーなどが聴ける、ステレオ初期の名盤と歌われたレコードです。

 

感情的に流されない、骨太の指揮で、ドイツ風の引きしまった演奏になっています。良く歌う金管、統率を乱さない弦楽器群、カイルベルトの力強い手腕が発揮されています。

 

歌手陣もみずみずしく、美しいです。今日C・クライバーなどの名演があるためにやや見過ごされ気味ですが、まさに「ドイツ流の魔弾」の名演でしょう。ステレオなのもうれしいです。

 

カイルベルトの代表盤といって良いでしょう。

 

 

カイルベルト、バイロイト音楽祭でのライヴ。ワーグナー「ローエングリン」(1953)。ドイツ・デッカ、LXT2880-LXT2884。

 

 

カイルベルトお得意のワーグナーです。聖地バイロイトの常連であった、この名指揮者の歴史的な記録です。

 

これは素晴らしい演奏だと思います。ややもすれば第1幕など、とらえどころなのない散漫な感じになりやすいローエングリンですが、カイルベルトは良く第1幕の意味と的を絞り、分かりやすくまとめていると思います。

 

合唱の揃わせ方なども美しく、湧き上がるような雰囲気があります。

 

ライヴ録音ながら音は良く入っており、舞台が目に見えるような録音です。「udite」のフルトヴェングラーのライヴ録音には敵わないですが、当時録音されたものが良く持っている「音の品の良さ」があり、うるさすぎず、硬すぎずで魅力的です。

 

デッカのLXTシリーズは時に硬すぎる音がするときもありますが、ここではそれもないです。モノラル。

 

この曲のモノラル録音だとマタチッチものものが好きですが、マタチッチの間口の広い演奏とは対極にあるような、筋肉質の名演です。

 

 

カイルベルトやコンヴィチュニーなど、60台でなくなっているのが悔やまれるような名指揮者といえるでしょう。


 

旧東ドイツ最高の指揮といわれていた、フランツ・コンヴィチュニー(1901-1962)。自分のようなCD世代にとってみると、紹介する人がいないため、知ることもないような、全く無名の指揮者でした。

 

しかし、レコードショップでアナログ盤を購入するようになってから、このコンヴィチュニーという指揮者を多く見かけるようになりました。数はそれほど多くないものの、それなりの価格で取引され、売れているところを見ると、これは何かあると思うようになって、彼のレコードを集めてみることにしました。

 

 

コンヴィチュニーによる「タンホイザー」(1960)。エテルナ、825217-825220。

 

 

CDではコンヴィチュニーの録音はそれほど出回ってなかったのですが、このタンホイザーだけは良く見かけました。しかし何の知識もない自分には「無名の指揮者」扱いで、一切興味を持っていませんでした。もちろん購入もせず。

 

恥ずかしながら、今回レコードで初めて聴きます。

 

前奏曲(ドレスデン版)を聴いて、驚きが止まらないです。ものすごい音がします。ド迫力。

 

コンヴィチュニーは、悠然と曲の構造に入り込んでいくと、骨太の力強さで梃でも動かないような、強大な音楽を作り上げていきます。いくらかギュンター・ヴァントを思い起こさせますが、あれほどの神経質さ、緻密さはないものの、迫力は彼に匹敵するかそれ以上でしょう。

 

武骨で骨太な、彼の演奏から生まれる音は、曲の構造を解き明かしていきます。オットー・クレンペラーなどもそうでしたが、これは明らかにドイツの音!

 

クレンペラーやヴァントに比べると、もっとおおらかにも聴こえますが、しかし、その力強さは強力な意志の力を表しており、素晴らしいです。

 

 

コンヴィチュニーの演奏する「エロイカ」(1960)。エテルナ、825412。

 

 

ベートーヴェンの「エロイカ」は指揮者の性質が如実に表れる音楽(特に第1楽章)で、この曲の演奏を聴くと、指揮者の資質が見分けられるケースがあります。はたして、ざっくりいえばこの曲は3種類ほどのタイプで演奏されます。

 

第1にトスカニーニや、ムラヴィンスキー、ヘルマン・シェルヘンのような前のめりで演奏するタイプです。今日の平均的なエロイカの演奏時間は50分ほどでしょうか。しかしトスカニーニであれば40分ほど。これはベートーヴェンの指示したメトロノームに近い速度だといわれており、このタイプの演奏は曲(特に第1楽章)が強力な核爆発を見せることなります。そして多分それがベートーヴェン自身が望んだ演奏スタイルといっていいでしょう。そのように「設計」されているわけです。しかし、今日このスタイルで演奏できる指揮者は、ほとんど見なくなってしまいました。

 

第2にカラヤン、アバド、ラトル・・・一応フルトヴェングラーも含めてもいいでしょうか、遅くも早くもない標準的なテンポのタイプ。本来カラヤンの演奏とフルトヴェングラーの演奏は、同列に語れないので(テンポ以外の別の問題が持ち上がる)、カラヤン的な演奏についてだけ書きます。多分このタイプの演奏が、今日の一般的なエロイカの姿を伝えているように思います。エロイカに内在する、前進する力と、広がろうとする力を、等しく同等に扱った演奏で、破綻がありません。

 

第3に、この曲の前進する力よりも、広がる方向に力点を入れた演奏で、マーラーやブルックナーを得意とする演奏家が多いタイプです。テンシュテット、チェリビダッケ、朝比奈隆など、曲に内在する爆発力よりも造形的な立派さを強調した演奏で、そびえる山のごとくという感じになります

 

ということで前置きが長くなりましたが、コンヴィチュニーは明らかに第3のタイプで、クレンペラーなどを髣髴とさせるような立派な演奏で、地を這うような太い線の、力強い演奏です。ゲヴァントハウス管弦楽団から、芯と艶のある音色を引き出していて、男らしい迫力の演奏ながら、美しさも感じられます名演だと思います。

 

ベートーヴェンの、このレコードは東独エテルナの再販ものです(タンホイザーはオリジナル)。

 

オリジナルはV字ステレオと呼ばれるもので、高価で自分は手が出ません。しかし再販ものでも音は良いと思います。ま、ベートーヴェンの音楽であれば、演奏さえ良ければ、多少の音の悪さは関係ありませんね。

 

 

コンヴィチュニーの演奏する「さまよえるオランダ人」(1960)。ASD385-ASD387。

 

 

多分コンヴィチュニーがあまり人に知られていないのは、レコードでないと真価が分からない、しかも旧東独のエテルナでないと、などといわれてきたこともあるようです。

 

しかしワーグナーの「さまよえるオランダ人」と「タンホイザー」はエテルナ盤と同時にHMV盤が存在し、これは愛好されています(HMVのほうが高価です。個人的にタンホイザーは諦めました)。しかし、エテルナかHMVのどちらが、本当のオリジナルかは、自分には分かりませんね

 

このHMV盤の音は、ビーチャム盤などでもそうでしたが、高音に輝きがあり、どの音もはっきりくっきり聴こえてくる特徴がありますその分いくらか音が薄っぺらい気もするといえば、しますね。エテルナのほうは音の輪郭線は弱いですが、音の構造が奥行きを伴ってきて聴こえる良さがあり、重厚です。ここらにも作っている国の特徴が出ているように思います。

 

マイスタージンガーのところでも書きましたが、HMVのレコードは名誉や栄光を気にする、英国人の音、それに比べるとエテルナのレコードは、実質と現実的なものを優先する、ドイツの音、といって良いと思います。そういう意味では、コンヴィチュニーはエテルナの音があっているのかもしれません。

 

ここでは根っからのドイツ風の演奏である、コンヴィチュニーの音をHMV流の輝きの多い音にしていると思います。しかしこれはこれで魅力的で、音にかなりの鋭さが出ています。

 

演奏はコンヴィチュニーらしい大きなスケールのもので、やや野暮ったいかもしれないですが迫力は十分です。

 

ワーグナーのオペラにおいて「タンホイザー」は彼の人生の主題となった、「女性の自己犠牲による、愛欲からの脱却」というテーマが初めて明確になった作品です。物語もそれなりによくまとまっており、不満はありませんそれに比べると「さまよえるオランダ人」の脚本は、ややワーグナー自身が「救われたい」という欲が出すぎているという感じは否めないという印象を、自分は持っています。

 

しかし改めてこの曲を聴くと、その音楽の素晴らしさは間違いがなく、憂鬱で陰気な印象ながらその底辺に流れているワーグナーの持っている土着的で濃い味わいの音楽などは、本当に素晴らしいですね。

 

 

コンヴィチュニーみたいな良い指揮者を、評論家などはもっと紹介すべきじゃないかな、と思いますよ。非常にもったいないことです。

 

ブログを書く時間があまりなくて、少しだけ書きます。

 

たわごと、なので興味のない人は読み飛ばしてください。陰謀論などの話です。

 

コロナウィルスのせいで、世界経済が緊迫し、恐慌の戸口に我々はいるのかもしれません。しかし相変わらず良く分からないことが多いです。

 

自民党は特措法を改正し、緊急事態を宣言できるようにしました。ところが、いつもしつこく何でも反対する野党がそれほどの抵抗もみせず、法案をあっさりと通してしまいました。

 

その後アメリカが緊急事態宣言をし、事前に安倍首相はトランプとマクロンに電話会談をしています。16日にはG7でテレビ会議をするとかいわれています。急に政治家たちの足並みがそろいだして、拍子抜けしています。

 

有名な高須医院長が自身のツイッターで、陰謀論の「アングロサクション・ミッション」の動画をあげていました(「中国が風邪をひく」という言葉で語られている、ウィルス兵器などを使った人類の人口削減計画が、実は10年以上前に仕組まれていた、という話です)。

 

確かに現状は、この動画が報告しているように進んでいるように見えます。

 

しかし、陰謀論に乗っかるのなら、アングロサクション・ミッションに登場する「上級メーソンのやり方」に反対する立場なのが、たぶんトランプ大統領、ということなのでしょう。あるいはプーチンなど(プーチンもまた独裁制に近い形になるだろう、法律を成立させてしまいました)。

 

こうなってくるとトランプの支持母体の1つである「Qアノン」のいう、「金融リセット」が来るのではないかという話にもなりますね。確かに、トランプが緊急事態宣言を出してすぐに、Qアノンなどが今回の「コロナウィルス」の件の首謀者の1人といってきた、ビル・ゲイツがマイクロ・ソフトの取締役を辞任するという報道がなされました。

 

アノンのいう「金融リセット」については、株式市場の崩壊とともに、今までの紙幣の価値がなくなってしまい、電子マネーを基調とした新たな金融システムに移行するというもの。同時に旧金融システムで自分たちの好きなように悪だくみを行ってきたという人たちに対する、逮捕劇があるというもの、です。

 

逮捕なども世間の目にさらされず行われるとかいうので、今回のビル・ゲイツの辞任はそれに関係あるとかといっています。そういう風に見えるといえば見えますが、偶然かもといわれれば、そうかも、としかいえません。

 

我々にはそれが「本当か、どうか?」などといわれても、分からないことばかりで、困ってしまいます。犯罪者逮捕についても、その結果は事後報告ということになるとかいっていますが・・・。本当にこんなことが起きるのなら、びっくり箱のふたが開くことになるんでしょう。

 

しかし、よく「アセンション」という言葉を使う人たちが、その「金融リセット」こそが新たな夜明けの始まりだ、バラ色の世界の開始だ、とかいう人もいるんですが、にわかには信じがたいですけどね。

 

多分そこからが本当の苦労の始まりなのでは・・・?

 

今我々が見ている世界は、何となく1つの方向を向かされている気はしますけどね。特に経済問題は今年の後半ぐらいから深刻な問題として扱われることになると思います。

 

従来の黙示録の解釈や、あるいは日本の神示などは「人間の進化」を求めてきているといえますね。日本の神示なら「身魂(みたま)の掃除」などといってきてますね。それがすむまでは「悲劇」は続くということをいってきてるわけです片や、自身が積極的に自分の「業」を刈り取った人にしてみると、こうした現象も単なる「映像」に過ぎなくなる、ということでもあるといいます。笑って過ごせるとでもいいますか。

 

それには真実を知ることから、といわれています。表に見える「現実」の裏にはもっとその原因となる「真実」があるということです。そしてその「真実」は我々人間のもっている「集合的無意識」の表れであって、その「業」を解決することが先のいう、「人類の進化」につながることだといって良いと思います。

 

 

ドストエフスキーについて、自分の意見をまとめてみました。彼は素晴らしい作家で、個人的には学生時代の支えの1人でした。感謝しているといっても良いです。

 

しかしその人物の内容をまとめようと思ったのですが、やはり長文になってしまいました。これは仕方ないことなのですが、内容にしても、我ながら、青臭い意見が多いともいえるかもしれません。

 

小説によっては、かなり作品の内容に触れています。書きたい内容のせいで、やむを得ませんでした。

 

ドストエフスキーはトルストイと並ぶロシアが誇る世界的な文学者として知られている。その内容は人間の本質に迫った熱のある作品であり、客観性の高いトルストイの作品と対照的である。

 

トルストイの作品は冷静で、完成度が高い。それは必ずしも人を面白がせようとして書いていないように思える。しかしドストエフスキーの作品は作家の思想が色濃く出ており(トルストイにも出てはいる。例えば、戦争と平和において、客観的な小説の内容と並列して、彼の思想は述べられている)、物語そのものも面白く人に読ませようとして書かれている。

 

これは、いわば小説における、「美学上の」問題である。

 

「戦争と平和」が幾分の哲学的記述を含み、その小説的純度において「アンナ・カレーニナ」に遅れをとるとき、その「アンナ・カレーニナ」は「無駄を含まない」という意味での完成度の高さがあり、そのムラのない客観的表現と相まって、文章は良く流れ、美しい。

 

ところがドストエフスキーの作品は、そのほとんどが、人の心理描写に終始し、時には読者の心理に何の予告もなく土足で入り込んでくる。これは幾分「美学」とは程遠い作品のように思える部分があるといって、差し支えないと思う。

 

一般に評論家が、ドストエフスキーの作品よりもトルストイの作品を上位に置くのは、こうした事情からのように思える。

 

↑)レフ・トルストイ

 

しかし、ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」においてトルストイに匹敵する評価を得ようと、その作品を彼なりのやり方で書こうとしたが、作品は完成させることなく世を去ってしまった。完成させていればトルストイをしのぐ評価を得ていた可能性もあるだろう。

 

小説上の美学的観点からいえばドストエフスキーはトルストイに敵うまい。

 

しかし、「文学」の持つ、内容の力強さにおいて、その説得力においてはトルストイをしのぐものがある。

 

そして、「カラマーゾフの兄弟」は未完ながら、未完とは思えないほどの完成度を示していることを考えると、その「続編」の内容がしのばれる。そしてそのボリュームは、トルストイの作品のスケールを超えたかもしれない。そうなってきたとき、世界最高峰の作家の称号はドストエフスキーのものになっていたのかもしれない。

 

そのため、この2人の作家の優劣を決めること自体が、非常に難しい。

 

はたして、ドストエフスキーの書いた小説の内容は人によってはその考え方を180度変えてしまう様なものであり、文学的意図と適切さにおいて、彼の小説をしのぐ作品は中々珍しいだろう。

 

彼は間違いなく一個の天才であり、その個性的な能力は特殊で、人の心理に入り込んでいく能力は、比類ない存在感があるといえる。

 

ドストエフスキー自身は感じやすい、コンプレックスの多い性格だったが、反面自分が認められたい、という欲求が強い人物でもあり、そのギャップが私たちの思春期に見られる、モラトリアムな傾向をよく示しており、そこが彼の文学の重要な要素になっている。

 

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フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーは1821年、モスクワのマリヤ貧民院施設療病院で生まれた。父は病院の外科医長であり、母は優しく、厳しい夫に耐えながら、7人の子供を育てたが、フョードルはその次男に当たる。

 

しかしフョードルが16歳の時、彼の愛した、この母マリアが肺結核で世を去ると、今度は、父ミハイルが徐々に性格を壊し始めることとなってしまう。

 

父ミハイルは、妻を失ったことが痛手で、フョードルを含む、2人の上の息子を工兵学校へと入学させると、自分は田舎に引きこもってしまい、農業を始めだした。しかし、妻を失った彼は憂鬱になり、元々乱暴な性格であった上に、次第に雇っていた農夫に当たり散らすようになったという。それは苛烈を極めたそうである。

 

そのためであったろう、1939年、彼は農夫たちに謀殺されてしまった。

 

だが、父の陰で圧迫されていたフョードルは、その圧迫を離れることができたということでもある。彼は、この年に作家になる決意をし、「貧しき人々」を執筆中の1944年には、工兵学校の「勤務にはじゃがいものようにあきあきした」ために、退職願を出し、作家活動に専念するようになった。

 

ドストエフスキーは高圧的な父のもとで、比較的大人しく暮らしていたようだが、作家になりたいという強い思いは決して消えることがなかった。そして優しかった母、傲慢な父親像は後年の作品に影を落としているということができると思う。

 

そして、1864年、彼は遂に努力が実り、中編小説「貧しき人々」でロシア文壇にデビューした。この作品は貧しい2人のロシア人、初老の下級官史ジェーヴシキンと身寄りのない若い娘ワルワーラによる54通の書簡という形で構成されている。

 

ここでのドストエフスキーは持ち前の繊細さをいかし、2人の貧しい境遇におかれた人物の感傷的な心理描写が特徴となっている。

 

この作品を詩人のネクラーソフが、大批評家のベリンスキーに紹介したことによって、大激賞をされ、彼をロシア文壇に劇的に登場させることになった。この「貧しき人々」に書かれている、ロシア下層民の悲劇の心情はベリンスキーが激賞したように、ロシア下層民の悲劇の告発に見えたのである。

 

↑)べリンスキー

 

ところが、この作品はドストエフスキーが、まだ若く、作家として、大人しかったために生まれた作品であり、ドストエフスキーの実際の内面を表してはいるものの、決してその本質には迫ってはいない。

 

そのため、ドストエフスキーが自分の本心をさらけ出すようになってから、この後数作発表される作品で描かれた内容は、人間のグロテスクな心理とその興味に向けられた作品だった。こうして、一躍文壇の寵児なったドストエフスキーだが、次第にその文筆活動は厳しいものになっていくのだった。

 

 

貧しき人びと、木村浩訳。

 

(↑、ドストエフスキーがロシアの文壇に花々しくデビューした作品。地味で繊細な内容。これをロシアの低層民の告白と捉えたべリンスキーだが、ドストエフスキーは徐々に人間の奇異な心理状態への興味を示すようになり、次第に文壇からは忘れ去られていく。)

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そして、その頃に興味を持ち始めた社会主義思想によって彼はある政治グループにのめり込んでゆく。

 

それは当時ロシアで盛んに叫ばれていた、社会運動の1つである。

 

当時ロシアで流行した、若者の地下活動はドストエフスキーを夢中にさせた。それは共産主義革命前夜のロシアで行われていた、数ある政治結社の1つといえる。

 

当時のツァ―リニズムに対する反対的思想としての、こうした新しいユートピア論は、人間の基本的な感情よりも数学的な分配の在り方を論じるような、社会主義という形をとる事が多かった様である。

 

しかし、当然こうした思想は当時の政治の主体側からすればおよそ受け入れがたいものであり、危険分子以外の何物でもなかった。

 

ドストエフスキーののめり込んだ、ペトラシェフスキーの主催する政治運動もこれら一連の「社会主義」運動である。

 

↑)社会主義運動の秘密結社のリーダー、ペトラシェフスキー。

 

後年、彼はこのユートピア論に対して批判的になった。

 

≪ドストエフスキイはカベーやフーリエのユートピアを批判して、懲役よりも恐ろしいと語った。ユートピアは管理機構として現象する場合、価値の一元的な支配を志向する。単一的な<システム>への批判は、ドストエフスキイの裁判での陳述にも見ることができる。こうしたユートピア批判は、『地下室の手記』の<クリスタル‐パレス>批判から『悪霊』のシガーリョフの<一割の独裁>、『カラマーゾフの兄弟』でイワンが語る「大審問官伝説」へと発展する。そしてニ十世紀にはいってスターリニズム、ファシズムを予言したものとして注目されていくことはよく知られるところだろう。≫(ドストエフスキイ、井桁貞義著)

 

人間を人間らしく扱う以前に、彼らはこうした思想上の「ドグマ」や「イデオロギー」を重要視したのであり、そのことによって世界は良くなると考えたのである。そして必要ならばその「主義、主張」のためになら人の命も犠牲にしなけらばならないと考えたのである。

 

「人間性」を排した「主義、主張」は一見「美しく、完璧」に見えるが、実は、間違いを一切認めない理論的な理想は、圧迫と排除へと向かっていく。こうした理想に、ドストエフスキーは共感したのである。これは色んな経験の少ない若者によくある間違いではある。「理想」的にみえる意見を本気にする傾向である。ドストエフスキーも自己の夢想に浸っていたといってよいだろう。

 

だがそれは、統治する権力者にしてみれば、「危険分子」以外の何物でもない。当時はまだロシアに「皇帝」がいた時代である。

 

社会主義運動はその観念的な傾向から、アナーキズムへの傾倒、そして現政治への不満分子へと見られ、ドストエフスキーの参加するペトラシェフスキー会は見せしめとして、当局に取り押さえられたのであった。

 

そして逮捕されたドストエフスキーを含む、サークルのメンバーは死刑を宣告されることとなる。

 

死の家の記録、工藤精一郎訳。

 

(↑、ドストエフスキーとしては珍しく客観的描写に終始した作品で、監獄に入れられた犯罪者の様子がリアルに描かれている。)

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社会主運動の観念的な傾向を好むということは、当時のドストエフスキー自身、現実的に物事を見ていなった部分があることを意味する。

 

何と、ペトラシェフ事件の首謀者達の死刑宣告は実は茶番であって、皇帝の企んだ、当時の社会主義運動家たちへのみせしめであった。そのおかげで、ドストエフスキー達には奇跡的に恩赦がおり、彼らは一転シベリアへ抑留されることとなった。

 

そして、その経験をもとに描かれた小説が、この「死の家の記録」である。「死の家」とは彼が収監されたオムスク監獄を指し、そこで生きる囚人たちの姿や、作家自身の体験を客観的に描いた作品である。


ドストエフスキーは、1850年から54年まで彼はオムスク監獄で囚人として過ごし、その後、1859年まで兵役に就いた。

 

こうした経緯もあって、この9年間、彼は文学者として一言も発することがなかった。しかし、生命力の強い彼は、この逆境を利用し、9年間の内に肉体を鍛錬し、気力を蓄えていたのだ。また同時に、この監獄で彼はロシアの「現実」に触れ、人間の本当の姿を自ら発見することとなっていくのだった。それは観念的なドストエフスキーにとってみれば、一種の救いともいえた。

 

自己の感情を排し、「客観的に」に書かれたこの「死の家の記録」こそは、ドストエフスキーが「貧しき人々」以来、文学者として再び注目を浴びた作品となる。

 

↑)オムスク監獄

 

この小説はドストエフスキーには珍しい、ロシア・リアリズムの書法で描かれた作品であり、彼が4年間、監獄で見てきた囚人たちとその内部の様子が映像で映し出されるように描かれており、その描写はまるでトルストイを思わせる。

 

トルストイはこの作品を読んで絶賛をした。

 

<トルストイも『死の家の記録』をプーシキンを含めた新しいロシア文学の最高傑作と認め、「彼のさりげなく書かれた一ページは現代の作家たちの数巻にも匹敵する。私は先日『復活』のために『死の家の記録』を読み返した。なんというすばらしい作品であろう。」と語っている。

 

『死の家の記録』はドストエフスキーにとっていかなる意味を持っていたか。それは自分の過去の生活の厳しい再検討と、民衆との極端な接触による信念蘇生の場であった。「私の周囲にいた人々は、ベリンスキーの信念によると、犯罪を遂行せずにいられなかった人々であり、したがって、ただほかの者より不幸な人間だったにすぎないのである。わたしは知っているが、全てのロシアの民衆は、やはりわたしたちを不幸な人間と呼んでいる。この呼び名を幾度も幾度も、大勢の人の口から聞いた。しかしそこには何かしら別のもの、ベリンスキーが言ったものとも違えば、このごろわが国の陪審員たちが下す判決文に見受けられるのとも、まったく違った何ものかがひびいていた。四年の監獄生活は、思えば長い学校であった。わたしは確信をつかむ時日をあたえられられたのだ・・・・・・」ドストエフスキーはシベリアの徒刑囚についてこう語り、信念蘇生の歴史を次のように述べている。

 

「その気持ち(社会主義信念)は永くつづいた。流刑の数年間も、苦悩もわれわれの意志を砕きはしなかった。それどころか、われわれは何物にもひしがれることなく、その信念は義務遂行の意志によって、われわれの精神を支持してくれた。しかし何かしらある別なものがわれわれの見解、われわれの信念、われわれの心情を一変さしたのである。このあるものというのは民衆との端的な接触であった。共通の不幸の中における彼らとの同胞としての結合であった。自分も彼らと同じような人間になった、同等のものになった、いな、むしろ彼らの最も低い段階と平均されてしまった、という観念である。繰り返して言うが、これは一朝一夕で起こったことでなく、きわめて長い時日を経て、漸次に行われたことである」>(死の家の記録、解説から。新潮文庫、工藤精一郎)

 

↑)若き日のドストエフスキー。

 

彼はこの監獄生活の中で、自分が体験した社会主義運動がどれほど「現実」を見据えておらず、また同時に残酷なものであるかということを、囚人たちと触れ合うことによって自覚したのである。

 

地下室の手記、江川卓訳。

 

(↑、流刑を終え、再び文学者として生きることを決意したドストエフスキーの作品。内容はそれほど長くなく、デビュー作の「貧しき人びと」を思わせるところがある。)

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ドストエフスキーが世界的に評価されるのは、1866年以降に書かれた「罪と罰」をはじめとして、「白痴」、「悪霊」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」という5大長編と呼ばれる作品群によっている。

 

これらの作品は、人間の愛への欲求が、一般的な世俗的生活の中で歪められ、変容する中で、本来の愛を求めて奔走する者らが陥る、自己欺瞞のレトリックから、いかに抜け出すかを主題としており、それは「社会主義運動」に身を捧げ、そして監獄で囚人となったドストエフスキーの実感があってこそできあがった作品たちであった。

 

ドストエフスキーの描く人物の多くは、性格が歪んでおり、自意識過剰な人物ばかりである。これは当然この作家本人の性格であって、彼はそれを囚人として、あるいは兵役を得ることによって、実際の「現実」に触れることによって、克服していったのである。いいかえれば、その「現実」に触れることがなかったのであれば、彼は生涯観念的なユートピア論に浸っていたに違いない。

 

そして、長編の「死の家の記録」に続き描かれたのが、ドストエフスキーの得意な、自意識過剰の人間を主人公にして書いた、「地下室の手記」である。主人公「わたし」によって描かれるこの個人の独白は、何の変哲もない惨めな40歳の1人暮らしの男性の、「地下室」の孤独に閉じ込められたかのような、心情である。処女作の「貧しき人々」の、主人公であったジェーヴシキンの内心を、深くえぐり出したかのような内容であり、同時に「罪と罰」のラスコーリニコフの劣等感をそのまま形にしたような内容である。

 

その後、彼はより本格的な作家活動を始め、1866年の「ロシア報知」に新しい小説の連載を始める。

 

これが有名な「罪と罰」であり、この後次々と発表される作品が、この作家の歴史的名声を決定したといって良い。これは彼の60年の生涯の内で、最後の15年間のことであった。

 

<罪と罰>

 

 

罪と罰、工藤精一郎訳。

 

(↑、ドストエフスキーの代表作、といっても過言ではない。文学を好む者にとっては衝撃ともなりうる作品だと思う。人間の持つ「良心」をこれほどはっきり自覚させる作品もないと思う。)

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「罪と罰」こそは、人間の良心と、その在り方を問うた傑作。多分、これほど作家の明確な意図と、人間の本質を深く抉った作品は他に中々に存在しない。

 

これは、大学を中退した青年、ラスコーリニコフを通して描かれる、人間性の復帰への物語である。それは現代社会に通じる、人間の内面の在り方を正確に書いている。

 

はたして、主人公のラスコーリニコフは自己の世界に閉じこもっている青年である。しかし、自意識の強い彼はこれを満足としない。

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現代社会は各自の存在が、「壁」(物理的にも精神的にも)によって区切られることにより、他人の接触を避けて生きることが可能である(必要であればネットのボタン1つで買い物も可能だ)。そして、もし本人が望むのなら、その人間は「自分の世界」に浸りきって、生きていくこともまた、可能である。この状態が長く続けば、その人間は自尊心が強く、自分だけの考えが全て、と考えるようになる可能性が高い。

 

そのまま大人になった人達は、社会に適合できない人間になることもあるだろう。時にまた、彼らは日本でもあったように、そこから逃れたい場合は、信じられないような、突飛な行動をおこす。

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主人公のスコーリニコフは、人間には、ナポレオンのようになにをしても結局は偉大な功業を成し遂げたことになる、「特別の人間」と、ただ歴史の形成のために「材料」として使われるだけの、「普通の人間」とがある、と考える。そして自分は前者になることを夢想して、それを証明するために、金貸しの老婆リザヴェーダを斧で殴り殺し、400ルーブル足らずの金を奪ってしまう。

 

ところがこの犯行が、奇跡的に何の証拠も残さず、完全犯罪に近い形で成功してしまうのである。ラスコーリニコフは誰にも見つからず、殺人現場から逃れ、屋根裏の自室に戻るが、この後、激しい恐怖と孤独感に陥いることとなる。

 

当時ロシアでは、インテリゲンチャと呼ばれる知識階級の台頭があり、空想的に生きる人間というものが、認識され始めた時代であった。インテリで孤独に自室に閉じこもるラスコーリニコフは、現代でいうところの一種の「ひきこもり」であって、大人になり切れないモラトリアムを抱えている。

 

そして彼は、その状態を乗り越えるためには、人は何をしたら良いのだろうかと考える。

 

大人であればいくらかの経験から、もっと現実的な道を選ぶだろう。ところが大学を中退したばかりのラスコーリニコフはまだ若く、頭が働く。

 

本質的に「論理」というものは、現実から本質を切り離したものであって、それを再び現実に適合させようとすると、新たな努力が必要となる。そしてその努力の「量」によって、人ははたして事をなしうるかなし得ないか、ということを判断する。そこには人生の経験や、知識が必要だが、若いラスコーリニコフは「論理」を信じ切っていて、そこの判断ができない。

 

故にここに若くして、経験もなく「知識」のみを詰め込んでいく怖さがある。この点については、現代においても、大人の、あるいは社会全体で彼らの人生を導いていく義務があるように思われるし、そうあるべきだろう。

 

これは1人の自己欺瞞に陥った青年が再生する物語である。「人に認められたい」という欲求は、本質的に「人に愛されたい」という思いの裏返しであり、若者が「英雄」に憧れる理由、そして「大事」を為したいという欲求は、その「愛」によって解消されもするだろう。

 

ラスコーリニコフは、貧しい娼婦ソーニャの献身によって自己の間違いを認めて行く。そこには確かに「愛」がある。

 

熱っぽいこの作家の「意図」は、はっきりとしている。人間の再生をいかになし得るか、である。この点について、明確に描かれた「罪と罰」こそは、まさにドストエフスキー自身の若者に対する愛情が生んだ、ロシア文学の傑作だと思う。

 

白痴、木村浩訳。

 

(↑、「美しき人」を描きたいという、ドストエフスキーの長年の夢を描いた傑作。)

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1868年に完成した長編が「白痴」である。これはドストエフスキーのいう「無条件に美しい人」を意図して書かれた作品である。

 

ここでいう、「無条件に美しい人」・・・とは当然ながら容姿や姿かたちのことでなく、「人間」存在としての美しさをいっている。それはキリスト者、ドストエフスキーにしてみれば、「キリスト」そのものであり、主人公ムイシュキン侯爵を通じて、その姿を表現しようと試みたものであるといえる。

 

片や、容姿は美しいが、捨てられた女として、自分の運命を呪うヒロインのナターシャ。そのナターシャを憐れみから愛するムイシュキンだが、同時に粗暴なロゴ―ジンも美しい女を手に入れたいがために、彼らは三角関係になる。

 

人々を愛し、憎むことのないムイシュキンこそがこの作家のいう「美しい人」であるのだが、その存在は淡くもはかない。業を煮やしたロゴ―ジンはナターシャを刺し殺してしまうが、それを知ったムイシュキンはそのロゴ―ジンさえ憎むことができず、彼にさえ憐憫を与え、自分は精神の病を再発し「白痴」に戻ってしまう。

 

同時代の作家であった、トルストイはこの作品が「何千ものダイヤに匹敵する」と激賞し、ドストエフスキーもまた、自分が長年温めていた夢を創造しえたのである。

 

<悪霊>

 

 

悪霊、木村浩訳。

 

(↑、どちらかといえば「罪と罰」と同じラインにある作品のようにも思える。しかし、内容は実際にあった残忍な事件をモデルにしており、そのような事件がなぜ起こらなければならなかったのか、という部分の、思想的背景について考察がされている、といっても良いのかもしれない。)

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「悪霊」は1872年に完成された長編小説である。この小説は彼の「カラマーゾフの兄弟」と並び、哲学的な考察が盛り込まれた・・・一説には「謎めいた」作品であるといわれている。

 

この作品において、その哲学的な側面は登場人物たちの「造形」となって表れており、その内面的な意味合いこそがこの作品を強く意味づけている。

 

この物語の最大の謎とされるのは、主人公のスタヴローギンである。彼は革命派やあるいは保守的な考えを持つ人から、「英雄」と見なされていたが、しかし、彼は最終的に何も行動をおこすことなく、自殺してしまう。

 

二コライ・スタヴローギンは、西ヨーロッパへの長い遍歴を終えて帰って来るが、「西洋風」の知識を身に着けている彼は無神論者であり、何か物事を深く考えているような感じがあった。そして人々はそこに何か偉大なものを感じ取ろうとしていた。

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物語はピョートルという青年が作った、秘密結社を中心にして起こる。

 

そして、そのピョートルもまた、何かありげなスタヴローギンを英雄視し、なんとかして担ぎ出そうとしている。ピョートルには仲間がおり、それぞれシャートフとキリーロフという。

 

シャートフはロシア人こそが人類を救済する、という信念を持つ、ロシア・メシアニズムの信奉者である。彼は信仰が深い人間であり、いくらか、ピョートルの秘密結社に参加しながらも、馴染み切れないでいる。

 

他方もう一人、青年技師のキリーロフがいた。彼は無神論者であり、特殊な思想を持つ変わり者だった。

 

彼は人が死の恐怖さえ克服すれば、人間には怖いものなど何もなく、人間自身が本物の人生の主に、いうなれば「神」に成れると考える。ではそれを証明するためには一体どうしたら良いのか?

 

彼は死の恐怖を超えるためには、自分から死を迎え入れること、つまり、「自殺」するしかないと考えるのである。

 

しかし、この特徴的な2人の「思想」は、実は以前にスタヴローギンに吹き込まれたものであり、この2人もまた、スタヴローギンが偉大なことを為す人間だと思い込んでいた。

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だが、神を信じようとするシャートフを、ピョートルは裏切り者、密告者と決めつけ、殺害する。そしてその罪をキリーロフに押し付けようと企てる。

 

キリーロフに意図的にシャートフ殺害のメモを残させて、以前からキリーロフがいっているように、「自殺」するという、自分の思想を実行するように迫るのである。そうすれば、自らのシャートフ殺しを隠匿し、自殺したキリーロフがシャートフを殺したように、見せかけることができる。そしてそのこと自体、キリーロフは納得している。

 

こうして、キリーロフはピョートルに追い詰められて・・・遂に自殺してしまう。

 

小説を読んでいると、この辺りのドストエフスキーの描写は恐ろしい、と思える。何かしら内面に存在する人間の感情を追いつつ、キリーロフを作家自身が追い詰めていく。・・・強がって自分の思想を実行しようとするキリーロフ。そしてうまく刷り込ませて、自殺させようとするピョートル。しかし、キリーロフは実際自殺することが怖いのだ。

 

だが、自らの欲望のままピョートルは、そんなことに構うこともなく、気のふれていくキリーロフを追い込んでいく。

 

しかし、キリーロフを自殺させることに成功したピョートルだが、事件がばれそうになると、国外に逃亡し、2度と戻ってくることがなかった。

 

そして肝心のスタヴローギンだが、彼は結局何のアクションも起こすことなく、自宅の屋根裏で「最後まで意識が明晰に保たれたまま」自殺し、小説は幕を閉じる。

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<本物の無神論者とは?>

 

ここに描かれている人物の造形は、「西洋思想」に染まったものが辿りつく、「無神論」のことについての、明晰な描写があるように思える。そしてその点を考察してみることが、この小説を理解する需要な要因であるように思える。

 

そのことを、少しだけここで、考えてみよう。

 

まず前提となるのは、「人間」は必ず「目的」を求める、ということだ。

 

「目的」のない人間は多分この世にいない。実際問題、まず人間は「ものを考えて」から「動く」。「ものを考えて」から、ということは「目的」を定めてから、といい換えても良い。

 

「動いてから」物を考えることも確かにあるが、それはまず「動く」ということを考えて動き、新たに物事を発見した場合か、あるいは「何も考えず動く」という「目的」を先に設置して動いたから、「考えない」のである、といえるだろう。

 

つまりこの場合、自分がいいたいのは「考える」ということは、「目的」を設定していることに他ならない、のであるから、常に「行動」の前段階では「考える」あるいは「目的」を設置することを行っている、といいたいのだ。これはどの人間も「絶対的」に逃れられない条件だ。自分をつぶさに観察してみれば、誰しもこのことを、認めざるを得ないはずである。

 

故に「人間」にとって、この「目的」とか「考え」というものが実際、より高度な抽象的な意味において、それが「何か」という問いができるはずである。

 

これは、つまり「人生における目的」を何と考えるか、ということでもある。究極的に「人生の目的」、それが「何になる」のかという「問い」は、どのような状況においても、我々の心の中には、ずっと存在している。

 

そう、このことは、今、実際これを読んでいるあなた自身にもある、ということだ。

 

あなたは今、なぜこの文章を読んでいるのだろう?暇つぶしのため?後学のため?・・・その理由をあなたはどんどん追っていくことができる。ではその究極の目的とは・・・?あなたは今このブログを読んでいる。しかしそれは何のためだろうか?

 

こうした内面における目的意識は、どんな人間のどの様な時にも・・・認識されるだろう。そしてその「目的」はどんどん追求していくことができる。  


仮にもし、その「目的」を失ってしまったら我々はどうなってしまうのだろうか?「目的を失ったら、失ったなりに」と考えること自体、すでに「目的」を設定しているのだから。

 

そして、もっといえば、人は「考えて」からしか「動けない」ということができるのである。

 

同時に、やや乱暴ないい方をしてしまうのならば・・・「神」、という概念はそういった「人生の究極的な目的」、として大昔からとらえられてきた、ともいっていいのだろう(ここでは、「宗教」からではなく、実際に観察できる、我々の、人間の内面を主体にして考えている)。

 

つまり、仮にその人が「善」を行う、と考えた時、あるいは「愛する」と考えた時、また「美」を追求しようと考えた時、人は満たされるかもしれないが、そういった「抽象的な善とか、目的」の究極的なものを人は、あるいは「神(ここでは言葉の語源は問わない)」と名付けてきたのではないか。究極的な目的意識、「それ(やむを得ず、神、といっている)」、そのものを「そういうもの」としてしか理解できない、ということだ。

 

この状況において、昔からあるようなロシアの宗教に根差した「目的」を持った人間が、シャートフだということができる。それは「ロシアの文化」とか「宗教の権威」などにいくらかは歪められたものかもしれないが、昔から大地とのつながり、そういったものを感じさせる思想であり、「人間の純粋な喜び」を知ろうかとするような思想でもあるだろう。

 

それは内面における「究極の目的意識」が、強い「生きる」という意識に結びついているという、実感を伴っている、といえるものだ。

 

しかし、キリーロフのような、無神論者はこの「神」を信じることは許されない訳だ。だとすればどうすれば良いのか?

 

この「神」の他に「何かしらの目的」を持てば良いのである。少なくともこの小説の中で、キリーロフはそう考えているように見える。

 

では、その「目的」とは?

 

それは「進化論」であろうか、あるいは「共産主義」、「資本主義」・・・であろうか?いずれにせよ、先もいったように「人間」は「目的」を、「常」に持つように宿命づけられている(その理由自体を問うことなど無理だ、現実にそうなっている、としかいいえない)。果たして、「人間がどんな時であれ、目的を持つという事実」、これを否定できるものがいるのだろうか?

 

だから結局、人は何かしら「究極の目的」を待たざるを得ない。

 

シャートフは、「信仰」という形で、彼自身にとって「究極」となる「思想」を必要し、それを実行しようとする。

 

シャートフはそれでよいのかもしれないないが、だが、「無神論者」は「信仰」というものも信じない。

 

しかし、すでにこの時点で「無神論者」は矛盾を抱えているのではないのだろうか?

 

仮に「信じたもの」が「神」でなかったとしよう。「無神論」をその人間が標榜したとする。しかしその「無神論」を標榜すること自体は、「信仰」だろうか、いや、信仰でないのだろうか?もし「無神論」自体を「信仰」する、というのなら、「無神論」が彼にとっての「神」ではないのか?

 

「神」という概念自体、その意味の汎用性から、時に実在的な事実から、さらに「観念的」なことまでを広く含んでいる(便利な言葉ではある)。当該の人の「究極的行動原理、あるいは、究極的目的」自体を「神」と呼んできたのであるのなら、「無神論」でさえ、「神」ではないのか?

 

「無神論」といいつつ、そのくせ何かしら、「人生の究極的目標」なり、「究極的原理」そのものを求めないといけないという事実は、どんなに頑張ってみても最後には、「神」という概念に行きつくという事実。そのことを小説内において、スタヴローギンは知っているわけだ(ドストエフスキー自身の自覚でもあっただろう)。

 

それ故スタヴローギンは、シャートフとキリーロフのような思想を生み出すことができるのと同時に、「無神論」を信じる彼にとってみては、キリーロフのような「思想」では追いつかないということになる。

 

そして「無神論」自体を信じるということ自体が、おかしいということにならなければならない。だから彼は最終的に、信仰のような熱意を持った行為ではなく、信仰でもない、あるいは情熱でもない、いわば「こうしなければいけない」という事実として、「意識を明晰に保ったまま」自殺しなければならないのである。

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この「悪霊」という小説における「思想」というものは以上のような「人物の造形」を通して描かれているというのが、明快な自分の意見である。

 

未成年、米川正夫訳。

 

<未成年>

 

1875年に、20歳のアルカージー・ドゴルスキーの手記として書かれた、長編小説である。貴族と貧しい農奴の間に生まれた少年アルカージーが、貴族の父である、ヴェルシーロフに幻滅し、より建設的な生き方に目覚めていく工程を描いている。

 

ドストエフスキーの書いた長編小説の中では若干影の薄い作品のように思われる。

 

 

カラマーゾフの兄弟、原卓也訳。

 

<カラマーゾフの兄弟>

 

ドストエフスキーの最高傑作といわれている長編小説。作家はこの作品でトルストイに匹敵する作品を書きたいと願ったが、全てを書き終えることなく他界してしまった。

 

しかし完成された部分だけで、とても未完成とは思えぬ完成度があり、これで完結していても、何ら問題がないようにも思われる。

 

カラマーゾフ(黒塗り、という意味)の家族に起きるおぞましい悲劇を、「神」と「人」という観念を絡めつつ、あるいは人間の深層心理の底に潜む「悪意」などを浮き彫りにしながら描いている。

 

娼婦に熱を上げる父フョードルと、長男ドミートリーはお互いに仲が悪い。そのため、撲殺されたフョードルの殺人容疑がドミートリーにかけられたのは当然の成り行きであった。

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このフョードルを父とするカラマーゾフ家には3人の兄弟がいた。直情的な長男ドミートリー、秀才で頭の切れるイワン、純真で修道僧のアリョーシャである。ところがここに、かつて父フョードルが乞食女に産ませたスメルジャコフがおり、下男として使われている彼は、頭の良いイワンに強い共感を覚えていた。

 

はたして父を殺したのは誰なのか・・・?その事件を中心として、物語は進む。

 

事件の犯人ではないかと、疑いをかけられる長男のドミートリー。しかし、彼は直ぐにカッとはなるが、善良な人間であった。

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この「カラマーゾフの兄弟」においては、「小説」としての内容とともに、この作品においても、そこに述べられている「哲学的」側面が注目されてきた。

 

最も有名なのは、インテリのイワンが弟のアリョーシャに語って聞かせる、「大審問官」という物語である。イワンは「神」を信じているアリョーシャに対して、自身がなぜ「神」という存在を信じつつも、この「世界」を認めることができないかを語りだす。


このような、「神」と人間の相剋はドストエフスキー文学の重要な要素であり、この作家の作品を他から区別する要因でもある。


これらを読み飛ばしてしまっては、ドストエフスキーを本当に理解したことにはならないだろう。


ここでの、信心深いアリョーシャと、懐疑主義のイワンを通して語られるこの「物語」は、はるか昔から語られてきた、「神 」への信仰と、その「不信 」という問題の根本的原因を、浮き彫りにしている。

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<大審問官についての考察>

 

「大審問官」の内容はこの小説の一つの核ともいえる内容で、どうしても一言触れたいので、いくらかの抜粋をしてみる。以下は次男のイワンが、弟の修道士、アリョーシャに語って聞かせる内容の一部である。

 

それは明らかに人間への不信を表している。そしてその内容は、何の罪もない幼い子供を登場させることによって、より一層中身を強調させている、といえる。


先もいったように、以下のおぞましい思想の抜粋は、物語の中で、イワンのものとして書かれている。

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「ところが、どうだい、結局のところ、俺はこの神の世界を認めないんだ。それが存在することは知っているものの、まったく許せないんだ。俺が認めないのは神じゃないんだよ、そこのとこを理解してくれ。」

 

「俺に言わせると、人間に対するキリストの愛は、見方によれば、この地上では不可能な奇跡だよ。なるほど、キリストは神だった。ところが、われわれは神じゃないんだからな。」

 

「ブルガリアでは、トルコ人やチェルケス人たちがスラブ人の一斉蜂起を恐れて、いたるところで残虐行為を働いているところだ。」

 

「まあ想像してごらん、ふるえおののく母親の手に乳呑児が抱かれ、入ってきたトルコ人たちがそのまわりを取りかこんでいる。やつらは楽しい遊びを思いついたもんだから、赤ん坊をあやし、なんとか笑わせようとして、しきりに笑ってみせる。やっと成功して、赤ん坊が笑い声をたてる。と、そのとたん、一人のトルコ人が赤ん坊の顔から20センチ足らずの距離でピストルを構えるんだ。赤ん坊は嬉しそうに笑い声をあげ、ピストルをつかもうと小さな手をさしのべる。と、突然、その芸術家がまともに赤ん坊の顔をねらって引き金をひき、小さな頭を粉みじんにぶち割ってしまうんだ・・・芸術的じゃないか、そうだろう?」

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イワンのいうところは「人間の愚かさ」である。どんなに高尚な目的が人間に与えられたとしても、人間はその本性に従う限り、キリストの教えに到達はできないし、それがこの世界であると同時に、不完全であることの証明であるというのである。

 

仮に「神」がいるとしても、なぜ「神」はこのような世界を作ったのか、ということである。その「世界」は、人間の「愚かさ」故、不完全でしかないというのだ。

 

そしてそこに現れるのが齢90になろうという、「大審問官」と呼ばれる老人である。人間には「自由」が与えられたとする。しかし、人間はその「自由」を乱用するとき、恐ろしい存在にもなれる。

 

子供を殺すトルコ人は果たして「自由」なのだろうか、違うのだろうか。このような非道な行動が実際に行われるとき、それは人間が「自由」であることの証明でなければならないのであろうか?

 

しかし、常識的に「犯罪」とも思われる行為があるとしても、人間は状況が許せばそれを「行える」。果たしてそんな世界を「肯定」していいのかとイワンはいう。このような世界を作ったのが「神」だとするのなら、その「世界」など認めたくないのだ。

 

そして人間というのはその本質に関していう限り、「自由」にかまけて堕落してしまう動物ではないのだろうか、ということも。

 

イワンの創作の物語の中で、大審問官は偶然現世によみがえってきた、本物のキリストにこう繰り出す。

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「(キリストが)服従がパンで買われたものなら、何の自由があろうか、と判断したからだ。お前は、人はパンのみにて生きるにあらず、と反駁した。だが、お前にはわかっているのか。ほかならぬこの地上のパンのために、地上の靈がお前に反乱を起こし、お前と戦って、勝利をおさめる、そして人間どもはみな、≪この獣に似たものこそ、われらに天の火を与えてくれたのだ!≫と絶叫しながら、地上の靈の後について行くのだ。お前にはわかっているのか。何世紀も過ぎると、人類はおのれの叡智と科学との口をかりて、≪犯罪はないし、したがって罪もない。あるのは飢えた者だけだ≫と公言するようになるだろう。≪食を与えよ、しかるのち善行を求めよ!≫お前に向かってひるがえす旗にはこんな文句が書かれ、その旗でお前の教会は破壊されるのだ。」

 

「人間にとって良心の自由ほど魅力的なものはないけれど、同時にこれほど苦痛なものもない。ところが、人間の良心を永久に安らかにしてやるための確固たる基盤の代わりに、お前は異常なもの、疑わしいもの、曖昧なものばかりを選び、人間の手に負えぬものばかりを与えたため、お前の行為はまるきり人間を愛していない行為のようになってしまったのだ。

 

人間の自由を支配すべきところなのに、お前はかえってそれを増やしてやり、人間の心の王国に自由の苦痛という重荷を永久に背負わせてしまったのだ。」

 

「あの力強い悪魔の第三の忠告を受け入れていれば、お前は人間がこの地上で探し求めているものを、ことごとく叶えてやれたはずなのに。つまり、だれの前にひれ伏すべきか、だれに良心を委ねるか、どうすれば結局すべての人が議論の余地ない共同の親密な蟻塚に統一されるか、といった問題をさ。なぜなら、世界的な統合の欲求こそ、人間たちの第三の、そして最後の苦しみの他ならないからだ。」

 

「とにかく、人間の良心を支配し、パンを手中に握る者なくして、いったい誰が人間を支配できよう。われわれは帝王の剣を受けとったが、受けとった以上、もちろんお前をしりぞけ、彼(悪魔)のあとについたのだ。そう、人間の自由な知恵と、科学と、人肉食という非道の時代が、さらに何世紀か続くことだろう。なぜなら、われわれの知らぬうちにバベルの塔を築きはじめた以上、彼らはしょせん人肉食で終わるだろうからな。だがそのときこそ、けだものがわれわれのところに這いよってきて、われわれの足を舐め、その目から血の涙をふり注ぐのだ。」

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つまり、現れたキリストに対して、大審問官が告白したことはもうすでに自分たちが「悪魔」に仕えているということであった。

 

キリストの教義は理想的でこそあれ、実際の人間にはとても実現できるものではない、というのがイワンの主張である。「パンのみに生きるにあらず」、キリストはかつてそういって、単純な利便による人間の支配をしりぞけた。つまりキリストは彼に従う民衆が、彼(キリスト)と同じレベルの人間になることを欲し、単に「食うだけ」、「寝るだけ」、「生きるだけ」にとどまらず、「隣人への愛」を含む、より崇高な生き方へと導こうとしたのだ。そこには「形」で支配する生き方でなく、人間自らがほっこんから、「隣人愛」を欲する生き方を望まなければ、本質的に解決しない類のものである。

 

しかしここで「神」が強制的に人間を「他人を愛するよう」仕向けたのであるのなら、それは人間でなく「神」の「ロボット、操り人形」になってしまう。

 

それを私たちはどう見極めればよいのか?自分が隣人愛を持っているなどという、その証明はどこでされるのか?

 

故に、それが証明されるために、選択の「自由」がある。この「自由」がなければ人間は「力づく」で従わされる「奴隷」でしかない。何をしても良い、という状況に置かれて、初めて人間は試される。

 

自分が何をするか、それを決める権利が自分にあってこそ、初めて行いは自分に証明されるのである。

 

しかし、そこに「キリスト」の失敗があると、イワンはいう。先に述べた「トルコ人」の例のように、人間は自由を獲得すると、結局自分を律するができずに、その「愚かさ」を露呈する、というのだ。そしてそういった人たちのために、彼らを統率する「大審問官」が必要になるという。

 

こうして「大審問官」は民衆に「食うこと」を保証し、彼らの「愚かさ」という「罪」をかぶってやる代わりに、彼らを支配するのである。

 

そしてそんな存在こそは・・・まさに「悪魔」に違いないのである。

 

確かにイワンの作ったという、この「寓話」には一定の説得力があるのかもしれない。

 

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しかしそんな強気なイワンも、実は彼を尊敬していたスメルジャコフが、父親殺しの本当の犯人だと知って、心底驚く。

 

スメルジャコフはイワンに近づきたいがために、イワンが心から父親を憎んでいることを察知し、いうなれば、イワンの代わりに父親をほとんど完全犯罪に近い形で殺してしまうのである。

 

つまりイワンこそが、間接的に父親殺しの犯人なのである。ドミートリーが犯人ではなかったのだ。事実を知ったイワンは己の「悪心」に気が付くと、徐々に気がふれ始める。

 

そして殺人犯のスメルジャコフはそんなイワンに幻滅し、首をくくってしまう。

 

ところが、今や殺人犯とみられているドミートリーは有罪を免れない。そのためにアリョーシャはドミートリーを助けようと奔走するのであった・・・。

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この小説の奥深いところにある真実を知るのなら、おそらく人は「自由」と「神」との意味合いを、再び見直さなければいけない、と考えるしかなくなるだろう。

 

そして、そのような深い意味合いを持ちつつも、「カラマーゾフの兄弟」は自然な小説として成立している。

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一連の長編の作品の中で、ドストエフスキーはどんな人間にも「良心」の衝動があることを述べている。「罪と罰」のラスコーリニコフしかり、「カラマーゾフの兄弟」のイワンしかり。そしてそれを「悪のたくらみ」の対として置いている。

 

ラスコーリニコフにとってのスヴィドリガイロフ、イワンにとってのスメルジャコフ。この2人の人物は頭が切れ策謀家であると同時に、「悪」への志向がある。しかしこの「悪」への志向はより強く「善」を意識しているから生まれてきた、ともいえる。

 

より「純粋」に「悪」を培養しようと思うのなら、より「純粋」に「善」を意識していないとできないからだ。そしてその「純度」を増せば増すほど、人間の持つ「良心」はより人間の持つ「神性」をあらわにしていくのである。ドストエフスキーの小説にはそれがある。そしてその問題は特にこの「カラマーゾフの兄弟」において掘り下げられている、といっても過言ではないだろう。