ベートーヴェン・イヤー |  ヒマジンノ国

 ヒマジンノ国

ブログの説明を入力します。

コロナ騒ぎでほとんど忘れ去られていますが、今年はベートーヴェン生誕250周年です。KYで申し訳ないですが、せっかくのお休みなので、趣味の話を書かせていただきます。

 

 

エルネスト・アンセルメ指揮、ベートーヴェン交響曲第9番(1959)。SXL2274。英国製。

 

 

エルネスト・アンセルメ(1883-1969)については、もっとしっかり書きたいとは思っていますが、何せどのレコードも高価で中々手が出ません。アンセルメは後継者を育てず、また、彼の真価を伝える録音が、火災で焼失したジュネーヴのヴィクトリア・ホールであったために、彼の芸術は往年の大家同様、まさに古いレコードの中に完全に閉じ込められてしまいました。

 

数学者で、物理学者でもあるこの指揮者の演奏は、明晰で曖昧さがなく、爽やかです。20世紀において、ディアギレフの率いるバレエ・リュスに14年もの間専属として活躍し、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェルという大作曲家との交流と作品の初演、そして後のレコード文化における中心的役割を果たすデッカ・レコードに素晴らしい録音を沢山残したアンセルメは、紛れもなく20世紀の大指揮者の1人に数えられます。

 

 

(↑、エルネスト・アンセルメ。数学者であり、哲学者でもありました。12音に対する不信はストラヴィンスキーとの交友を終わらせました。印象的なアッシリア風の髭、「ビザンチン時代のキリスト像」と呼ばれていたとか。レコード芸術のパイオニアでもありました。)

 

特にバレエ音楽やフランス音楽については権威といって良く、感情に流されないクリアな演奏から生み出される音のテクスチャアは、素晴らしいの一言に尽きます。それらの録音を味わうには、CDでも良いとは思うのですが、やはりレコードで聴くと音の角が取れ、彼の演奏特有の鋭さと、アナログ・レコード特有の音の柔らかさがブレンドされて、より生の印象が強くなります。

 

初めてアナログ・レコードで聴いた彼のカルメン組曲の明確な演奏には驚きました。音の押出、分離間、迫力がまさに明晰に録音されていて、眼前にオーケストラを見るようでした。

 

しかしそのアンセルメですが、ベートーヴェンも素晴らしく、知的で潤いに満ちた演奏をしています。つまり彼は決して録音効果が出やすい曲だけに適性を見せるのではなく、ドイツ正当の音楽にも見事な対応を見せており、絶対音楽に対する彼の知性や能力は、折り紙付きだといえるでしょう。

 

ベートーヴェンの音楽についてはいくつかの側面があると思います。その1つに数字的バランスがあるように思われます。以前トスカニーニのベートーヴェン交響曲全集をCDでバラで集めていた時に驚いたのが、CDに順に1・2番、3・4番、5・6番、7・8番と交響曲が2曲づつ収められていたことです。今日3番や6番は演奏時間が50分ほどかかるために1枚のCDには1曲しか収まらない場合が多いわけです。

 

しかし楽譜に忠実と呼ばれるトスカニーニの録音は、ベートーヴェンの録音をどの曲もほぼ同じ寸法に収めていることが分かり、個人的にベートーヴェンは、曲の寸法を初めからある程度考えて作曲していたのではないかと、「まさに」直感的に感じたのでした。メンゲルベルグやワインガルトナーなどの指揮者もトスカニーニの演奏のテンポに近く、多分ベートーヴェンの思い描いていた曲の形というものは、こうした指揮者たちが再現してきたもの、ではなかったかと思ったのです。

 

近ごろの遅いテンポは後期ロマン派、もっといえばフルトヴェングラーの亜流、あるいはワグネリズムに脚色された演奏を、トスカニーニ流のザッハリヒなスタイルに置き替えた演奏ともいえるわけで、カラヤンやアバド、ラトルなどは、トスカニーニやフルトヴェングラーという、こうした過去の巨匠たちの良いとこ取りをしているように思えます。

 

しかしその分、これらの若い世代は「初めてベートーヴェンの楽譜を読む」という行為を離れてしまっているわけで初めから完成された人々の演奏を後追いしているわけです。一応「演奏史」という言葉を使えば聞こえはいいように思えますが。フルトヴェングラーはベートーヴェンの音楽を個々に「自分の眼で」徹底的に読み切り、故にあれほど曲ごとに演奏時間が違うという「結果」が生まれたわけです。そういう意味では最近の演奏は美しいですが、曲の根源的な迫力は失われたように思えます。

 

話がだいぶん横道にそれました。アンセルメにおいてはベートーヴェンの音楽において表現されている、思想の明晰さが、音楽の演奏そのものから伝わってきます。これは彼の持つ、極度にバランス良くオーケストラを鳴らす能力から、生み出されているように思えます

 

ベートーヴェンの演奏において「これしかない」というスタイルは存在しませんが、アンセルメの演奏はフルトヴェングラー流というものからは程遠く、鋭い進行と音型によって作られており整然とし、緊張感があります。その部分が生のベートーヴェンを感じさせます

 

トスカニーニはここに沸騰する感情が加味されますがアンセルメは見通しが良くクリアで爽やかです根源的な迫力もあり、それはこのアンセルメという指揮者が、自分の眼で楽譜を読んでいる証拠のように思われます。

 

 

クリュイタンスの指揮するベートーヴェン交響曲4番(1959)。FALP623。フランス・プレス。

 

 

 

ベートーヴェン、ピアノコンチェルト3番、指揮アンドレ・クリュイタンス、ピアノ、ガブリエリ・タッキーノ(1962)。SXLP20045。イギリス・プレス。

 

 

両盤ともクリュイタンスの指揮するベートーヴェンです。4番は名演です(モノラルだとは知らずに購入してしまいました。しかし音はすごく良いです)。ピアノ・コンチェルト3番もクリュイタンスは素晴らしくピアノのタッキーノ氏(存命、東京芸大の客員教授とのこと、プーランク唯一の弟子などといわれているそうです)がやや位負けしている感じが否めません。

 

クリュイタンスはブルーノ・ワルターに似ている気がしています当然音になって出てくるのもは全く違います。しかし、彼らは楽曲のことを良く把握しており、一体どこで力を抜いて良いのか、あるいは迫力を出さなければならないのか、良く分かっているように思えます(ワルターの残した、ステレオのマーラー「巨人」などは、その典型のように思えます)。

 

物事を良く把握しているせいで演奏に余裕が出るわけです。ただクリュイタンスは華やかで滑らか、ブルーノ・ワルターは純朴で優しさが溢れており、表面的に聴いていると全然違うもののように思えますけども。

 

クリュイタンスの演奏はエレガントで上品です。迫力もかなり出ています聴いていると心豊かになる演奏で、素晴らしいと思いました。