マチカの道(黒海地方民謡)
おお、マチカの道は石こるだらけ
金髪の娘がやってくる
どうしたのか恋人よ
目にこんなになみだをためて
上へ行こう 上へ
大きな川のたもと
人には言いたいことを言わせておけ
僕は何があっても
君との約束を守るだけ
マチカの道(黒海地方民謡)
おお、マチカの道は石こるだらけ
金髪の娘がやってくる
どうしたのか恋人よ
目にこんなになみだをためて
上へ行こう 上へ
大きな川のたもと
人には言いたいことを言わせておけ
僕は何があっても
君との約束を守るだけ
俺は育ちのせいもあるだろうが、実に悲観的だ。これから先、日本人といわれる民族が、ひとつのまとまりとして存在していけるのかどうかさえ、疑わしいし、内部から腐っていくにまかせたような世相にも、このままではいけない、何とかしなくては、という殊勝な気概さえ起こってこない。
なにを馬鹿のことを、といわれるかも知れねえが、じゃあ、あんた、戦争を生き残ったあの横井さんや小野田さんみたいな人が今、東南アジアの密林から立ち現れて、この日本を見たら、何を感じるだろうか。少なくとも、想像を絶する変貌ぶりに言葉を失うはずだ。技術の進歩は恐るべきもので、それに伴って人間の内面も変わったな。早い話、携帯の文字予測ってやつだ。あんたがぴこぴこ、メールを打つときに、下に変換文字がばあっとでるだろ?あれは脳細胞を腐らすぜ。あんたは変換文字を見なければ何もかけなくなる。また、あんたの思考はすべて変換文字の範囲に限定される。つまり、あんたの脳みそは携帯によってかせがはめれれてるってことだ。ジョージオウウェルの「1984年」を想像させる話だな。
だがまあ、そんなことはどうでもいい。民族が少なくとも、その存在を主張するからには、彼らが1+1は2、くらいの道理はわかってることが前提だろう。あるいは、雨が降りそうだからきょうは洗濯物を干さないでおこうとか、さっき食事をしたから、今は食べないで、お茶だけにしようとか、ことさらに判断というほどもない判断力くらいは備えている、とみるのが自然じゃあないか。
で、クライマックスシリーズだ。前にも行ったことだが、なんで、リーグ優勝したチームと2位3位のチームが短期決戦をやって日本シリーズ出場チームを決めねばならないのか。最悪、3位同士の日本シリーズだってありうるわけだぜ。
このばかげた制度になんらかの道理があるのか、制度を導入したやつらとそれを黙認してるやつらに伺いたいものだ。いや、そもそもこんな制度を決めるにいたっては形だけの会議くらいやってるだろう。きれいに磨かれた円卓と居心地のよいいすに腰掛けて、やつらはどんな議論をしたのか。ぜひ議事録を実名で公開していただきたい。、何事も曖昧模糊がお好きな方々も、これ以上日本人が馬鹿にされないためにも(な、馬鹿にされるの、やだろ?あんたも)この意味不明な制度をわれわれ自身の手で、一刻も早く葬り去るべきだろう。
(おれは、たとえばまあそんなことはありえなかろうが、アメリカが『日本シリーズ出場権をめぐって数年前から導入された日本の制度は、リーグ優勝の栄誉に泥を塗るまことにおろかな制度だ』と一声発すれば、コミッショナーが「やめますやめます」と言い出すに違いない、とにらんでいる)
それができないならば、われわれの民族としての資質は限りなく絶望に近いといわれても反論の仕様がない。。
おれは、これは国会でとりあげるべき大問題だとさえ思っている。繰り返すが、これはなんらイデオロギーとは関係ない。右翼も左翼も、原理主義者も政治嫌いも関係ない。雨が降っているから濡れないようにかさをさそう、といったレベルの、あるいは放射能で汚染された食べ物は子供に食べさせるのはやめよう、といった類の、人間としての最低限の知的能力があるのかないのか、という話なのだ。
だいぶ寒くなってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。サズ演奏者の藤井です。11月のサズライブ案内をお送りさせていただきます。
10月31日(月)人生処方音曲集 花を飾るか 石を投げるか
FUJI(サズ) ゲスト 星衛(チェロ)
19時半 開演
名曲喫茶ヴィオロン 03-3336-6414
杉並区阿佐谷北2-9-5
JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩7分
1000円(1ドリンクつき)
http://www.geocities.jp/violon_plikkkeenoo/
11月1日(火)トルコ大使館を訪ねて
NHK文化センター郡山主催のメンバー限定イベントです。
11月4日(金)トルコ、草原の律動を聞け
古のアーシュクが物語る
18時半開場 19時半開演
2300円(オーダードリンク別)
ネパール料理&ライブハウス 音や金時
杉並区西荻北2-2-14 喜志コーポB1
03-5382-2020
予約は受け付けておりません。直接おいでください。
JR中央線総武線・地下鉄東西線西荻窪駅北口徒歩3分
11月9日(水)果樹園の戯れ
オリーブの夜には危ない橋を渡りましょう
アイーダ(アルミスタルミス ベリーダンス)
FUJI(サズ)立岩潤三(パーカッション)
開場18時半 開演19時半 20時45分 22時 3ステージ
ノチェーロセット2600円(おつまみ一品+チャージ) ディナーセット
3300円(料理一品+チャージ)
ラテンの店ノチェーロ
港区六本木6-7-9川本ビルB1
地下鉄六本木駅徒歩3分
予約要 03-3401-6801 yo@nochero.com
11月13日(日)Karşımusika カルシュムジカ
古今東西アラビキナオトトオドリノ夜
関根ゆみ(ベリーダンス) サクヤマチヅル(ベリーダンス)
ARABIKI-BEAT鈴木晃一郎(ディジュリドゥ)宮澤夏起(ダルブッカ)
FUJI(サズ)
DJ Kekke
17時半開場 開演19時
2000円(1ドリンクつき)
the Pink Cow
渋谷駅表参道駅より徒歩10分
03-3406-5597
渋谷区渋谷1-3-18ビラモデルナB1
ご予約&お問い合わせ
http://www.sunrise10000v.com/1113
テーブル席をご希望のお客様はお早めの予約をお勧めいたします
11月18日(金)オルキヨの妄想世界旅行
番外編~ヨシゾウと一緒~
オルソブルーノ
テディ熊谷(サクセロ、フルート)檜山学(アコーディオン)
ヨシゾウ
藤井良行(サズ)立岩潤三(パーカッション)
ベリーダンス
KIYOKO
開演 20時 21時の2ステージ
2500円
大塚Shisui Deox
豊島区南大塚1-60-20天翔大塚駅前ビルB1
03-3945-9136
JR山手線大塚駅南口徒歩1分
セブンイレブンのあるビルの地下一階
11月19日(土)開業 荻野クリニック
みなさまひとりひとりの心と体に寄り添いたい
当病院のモットーは「つつしみの愛」
どんな病にも積極対応、古代エジプト、メソポタミアの昔から伝わるアラブマカーム療法、中央アジアのリハビリメソッドを取り入れたトルコスーフィーケアで次世代型サービスを。
荻野仁子(院長 主治医)ウード療法
藤井良行(看護師)サズ療法
今回の患者さん アブダッラーさん(ダルブッカ科)
受付開始時間19時
診療開始時間19時半
初診料 2000円+1ドリンク(健康増進飲料)オーダー
診察室 Yellow Vision
03-6794-8814
中央線阿佐ヶ谷駅北口を左、徒歩1分
レンタルビデオ店ピープルの隣ビルB
杉並区阿佐谷北2-2-2阿佐谷北二丁目ビルB1
11月20日(日)
木乃久兵衛:キノ・キュッヘ応援企画
木乃久兵衛の19周年パーティ
pm3:00~開場
料金:¥3000(飲み食べ放題、ライブ見放題、出入り自由、飲食
持ち込み、差し入れ大歓迎)
ライブ出演者:スイング・ドゥ・ヤボ:ジプシー・スイング
(佐々木清香vi&vo、上村遼gu、坂野うぶき gu、松本元明gu、)
FUJI(藤井良行、サズ奏者、トルコ音楽)
Tomi(富岡ゆう子、vo&gu、ボサノバ&サンバ)
Taku(高柳卓也、vo&gu、ファド)
会場:キノ・キュッヘ(木乃久兵衛)
186ー0005 東京都国立市西2-11-32 B1(JR中央線国立駅南口徒歩15分)
国立駅南口富士見どおり(駅から左斜めの道を直進音大付属高校向かい、または立川バスで「音高前」下車20mもどる)
TEL.問合せ 042-577-5971
主催:木乃久兵衛を応援する賛同者一同
http://www1.pbc.ne.jp/users/kino9/
E-mail para_kino9@m2.pbc.ne.jp
11月23日(水)ギタリスト吉久昌樹さんとのジョイント
19時半開演
吉久昌樹(ギター)FUJI(サズ)
1000円(1ドリンクつき)
名曲喫茶ヴィオロン
03-3336-6414
杉並区阿佐谷北2-9-5
JR中央線阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分
スターロード荻窪方向最先端
11月25日(金)立川の夜、それはもう、、凄いんだから
毎月最終金曜日のお約束
E-chan(ベリーダンス)
テディ熊谷(サクセロ、フルート)FUJI(サズ)アブダッラー(パーカッション)
19時半 21時の2ステージ
チャージなし ゆっくりインド料理をお楽しみください
インド料理 マユール
立川市曙町2-14-11ダイヤビル1F
JR中央線立川駅北口徒歩3分
よい席を確保されるため、ご予約をお勧めします。
042-523-0410
11月28日(月)しみじみとした晩には
こんな音楽があってもいい 夜風にしみこんでゆくような音楽が
FUJI(サズ)
1000円(1ドリンクつき)
名曲喫茶ヴィオロン
杉並区阿佐ヶ谷北2-9-5
JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分
03-3336-6414
http://www.geocities.jp/violon_plikkkeenoo/
わたしは細く長い道の上にいる
アーシュクヴェイセル Aşık Veyser(1894~1975)
わたしがいるのは細く長い道の上
わたしは行く 昼も夜も
わたしは知らない どのような事態にあるのかを
わたしは行く 昼も夜も
この世に生まれたそのときから
私は歩きはじめた
世界は
二つの扉のある一軒の宿屋
私は行く 昼も夜も
私は行く 眠りながら
とどまる理由もない 暗くても明るくても
私は見る 道を行く旅人たちを
私は行く 昼も夜も
49年が過ぎた この道で
砂の野原で 山の上で
見知らぬ土地をわが道として
私は行く 昼も夜も
時には終わりのない道に思え
目的地ははるかに遠い
一秒で旅は終わるのか
わたしは行く 昼も夜も
戸惑うヴェイセル 状況はそんなもの
時に笑い時に泣き
目的地に着くために
私は行く 昼も夜も
人生に必要なことは、みんな国立の路上で学んだ
と昔の人はいいました
古い店が次々と消えてゆき、
そこに何があったのかさえ、すぐに忘れてしまう
忘れっぽい私の脳
開発金物店の放火事件は、どうなりましたか
三小通りの引ったくり魔は捕まりましたか
池田豆腐店ではおからを売ってくれますか
アーリヤギャラリーはなんで店じまいしたのですか
どこかにトルココーヒーを飲ませる喫茶店はありませんか
わたしのような人間には
喫茶店めぐりだけがささやかな楽しみというもの
谷川書店の一山20円の本を買って読むための
居心地のよい場所を探しています
どこかにトルココーヒーを淹れてくれる店はありませんか
この町に住んで9年になる
人はみな老いる
時間も老いる
変わらぬ時間にひたるとき、
とりまく世界の変化を知る
わたしはかつてそこにいたが、
今はここにいる
それを知ることは難しい
かつてのわたしが
今の私を見たら
雨が降っています
誰の心にも平等に
雨は降るのです
いずれにせよ、とんでもない時代には違いない。世界的な規模で、とてつもない変動が生じている。原発事故も、タイの洪水も、カダフィの死さえも、この破滅に向かう地球の終幕を飾るひとコマに過ぎない。むろん、こうした考えは証明できるものではない。だが、この、あまりに急速な変化の行く末に、何らかの見通しを持って予測を立てられる人など、どこにもいないのではないか。まさに一寸先は闇。
だが、わたしは格別悲観してはいない。人間が永遠に存続しなければならないいわれなどない。地球的な観点から見れば、、人間の滅亡は、自然のシナリオどおりなのではあるまいか。地球にとって、もはや人間のこれ以上の存続が害でしかないならば、おそらくは少しづつ、、人間は滅びに向かうのだろう。
こんな時代に、音楽に何ができるのだろう、なんて、これっぽっちも考えてはいない。何度もいうが、俺にはボランティア精神のかけらもない。困っている人のために、なんてこれっぽっちも思ってはいない。つくづく、自分勝手な人間だとは思うが、それを恥じる感性も持ち合わせていない。
おれにとって、音楽は空気や食物みたいなものだから、自分が生きながらえるためにやってるだけなのだ。そこに、なんの公的な使命はない。
だが、俺は言う。この後に及んでまだ戦争という愚劣なやりかたにしがみつくほかない人間には、なんの未来もない。カダフィの肩を持つわけではない。だが、植民地化願望丸出しの民主化茶番劇など、誰が額面どおりに信じるか。フセインのイラクを破壊したのとまったく同じ勢力がはじいたそろばんの重みが、リビア人にのしかかるのも遠い日のことではないし、そのときになればカダフィを殺した勢力の正体も暴露されるだろう。
愛という名の棺おけ職人 磯村浩太郎がおくる
あんたかてあほやろ
うちかてあほやっ
乾杯、地球にやさしい戦争 劣化ウラン弾とクラスター爆弾はしっかり分別して使ったかいリチャード
ところで、トルコがイラクのような目にあわないのは、トルコがアメリカの同盟国と認定されているからにすぎない。トルコにだってヤバイ部分はいっぱいあるからな。おれはなんてったって、トルコ音楽演奏家だからな、そのあたりの事情は、一般の日本人よりは少しは知ってるぜ。そもそもどこの国にだって問題はあるだろ。日本にアメリカが空爆の口実に使うような、ダーティーなネタがまったくないなんて平和ボケかまさないでくれよな。フジモリ元大統領いこーるオサマビンラディンじゃないのかい。身柄引渡しを要求しているペルー政府をアメリカに置き換えて見りゃわかるだろ。ま、つまり話を元に戻すと、イスタンブルとバクダッドの運命を分けているのはラムズフェルドのおつむの働き次第なんだ。そりゃあちと言い過ぎかって。いや、ほんと、そんな程度のもんなんだぜ。いいかい、大方の人間は圧倒的な暴力を見せつけられれば、暴力の正当性なんかどうでもよくなる。大量破壊兵器なんかありゃあしないのさ。ないほうがいいんだ。わかるかい、イラクにはなかった、きっとシリアに持ち出されたに違いない、シリア爆撃だ、おかしいな、ここにもないぞ、イランだ、イランに、、、てな具合に次々とことを進められるからな。フセインだって、生死不明なほうが都合がいいに決まってる。すべてはゆすりのねたなんだ。他の人間はどうだか知らないが、おれはアメリカという国家をまったく信用していない。だから、こんな猿芝居、奴らが考えそうなことだろ。傑作なのは、命令を下す奴はこれが猿芝居だってことをわかってやってるんだろうが、民衆とやらは信じちまうんだ。さて、ここからが重要な点だ。ターゲットはいずれもイスラム教徒の多く住んでいる国ばかりだ。少なくとも白人支配層にとってイスラムは理解不能の怪物なんだ。これは戦略上化け物に仕立て上げる必要があるからだが、同時にやつら、本気でイスラムを悪魔と思ってるんじゃないのか。つまり、人間として少しおかしい奴らなのさ。そりゃそうだろう?自分が理解できないからと言って同じ人間という感覚をあっさり捨てられるやつが、まともの育ったおとなといえるかい。アフガニスタンでは無人の爆撃機がきょうも村人を誤爆してるそうだしな。やつらにとっちゃあ、イスラムは21世紀のインディアンだ。おれは確信を持ってそう言うぜ。
結論からいやあ、イスラエルを盟主に、アラブ弱小国家が、植民地のように労働力と石油をイスラエルに提供するシステムの恒久化、これが奴らのねらいだろ。胸が悪くなるような話だ。だが、なんだってそんなにイスラエルがすばらしいものなのかねえ。戦車とブルドーザーで追い出したパレスチナ人がここの難民キャンプでもいいからここを自分たちの国にしてくれという屈辱的な要求さえ踏み潰してまで守らなきゃならないシオニズムたあいったいなんなんだ?これはヨーロッパも含めた西洋の連中の致命的な偽善を暴露することになりはしないか、とおれは心配している、なんてうそさ、おおいに暴露されればいいんだよ。
民主主義たあ結構な話だ。だが、民主主義の国になれば国民はみんなブッシュを神と崇めるようになる、というやつらの奇怪な自信の源泉はほかでもない、この俺たちさ。俺たちは鬼畜米英をさけんで自爆したかと思うと、負けたとたんに英会話だ。俺たちはみんな心の底でアメリカが大好きなんだ。だが期待を裏切るようで申し訳ないが、俺は違うぜ、おれはマクドや東京デズニイランドやハリウッド映画や大リーグなんぞに、何の関心もないのさ。いったい日本人てのは、どういう存在なんだ。菊の御紋章のついたパスポートをみながら、それを考えてるところだ。日本人よ、おまえは名誉白人の切符を手にして、そんなに嬉しいか?とな。
ヤスミンさんの報告を読んだ。想像以上に、なんてのはうそっぱちで、もうすっかり忘れていたのさ。アメリカによる無差別大量破壊行為があったこともな。だが、まったくひでえもんだぜ。だいたい占領軍が占領してる国の人間を人間扱いするわけがないのさ。いまはアメリカという国家の正体をしっかり見極めるときだぜ。だいたい空から放射能ばらまかれてガキが次々死んで行き、略奪暴行が横行し、したいを処理する業者もいねえ。要するにすべての役所がぶっ壊されたんだ。いいかい、アメリカ大好きな君、イシハラ慎太郎が大嫌いだからといって(おれのことだが)都庁を丸ごとぶっ壊したらどうなるんだ?イシハラ慎太郎の民族差別発言が許せないからといって、上空から劣化うらんだんばら撒かれ、親も恋人も死んで行く。それでイシハラがいなくなったところで、あんた、うれしいかい、ああ、あの好戦的な男がいなくなって日本も民主主義になったなあ、とよろこぶのかあんた。(別にイシハラでなくてもいい、小泉でも共産党の志位でも、だれでもいい)
ああーーあ、つかれたぜ。悪いけどつかれたぜ、しかも酔っている。んで、まあろくな事書かないかもしれないが
ご勘弁。松浦さん、あんたはえらい!こういう人がいるから、この国もまだ死んじゃあいねえ、と思えるのさ。しかし、なんでまた日本の女はこんなに勇気が在るんだい?なんでまた、こんな風に即行動に移れるんだい?詳しい話はまたゆっくりするとしてだ、『クルディスタンを訪ねて』(新泉社)一読お勧めするぜ。じゃあな。
原文のママ
SAZ 神秘なる野性 憑依したる反逆 猥雑な理性
SAZ それは特定の楽器の名ではなく ある種のどうしようもない生きかたのことである
生ハムの詩
というわけで アエロフロートの機内食はいい。特にこの、この生ハムのうまさはなんだ。ルーマニア空港の売店で売っていたあの味を思い出す。あの頃は私も若かった。待ち合わせの時間にイスラエル人と一緒になり、そいつらがアラブ人と同じ顔をしていた。そんなことにも感動していた。空港の窓口に犬がいた。滑走路を犬が走り回っていた。空港の中は節電のため暗く、一ヶ所だけ灯りがついていて、その食堂でたったひとつのメニュー、ハムパンを、私は買ったのだった。
マグロのステーキ、かぼちゃとにんじんとがんもどきの煮物、海老とポテトのサラダ、黒パン、すし、菓子や果物もついている。これが、最初に食ったアエロフロートの機内食だ。うそじゃないぞ。私は常に真実を書いている。ただ性分でちょっとばかり大げさに表現してしまうことはたまにあるが。
機内食は平等に誰にでも配給される。ファーストクラスの連中は違うものを食ってるんだろうが。とりあえず、金が有り余って第三世界で札びらの大盤振る舞いをしたいじじいも、ノートパソコンで売上の計算をしている仕事中毒も、体を売りに行く娘も、同じように機内食を食っている。
深夜の楽師
夜もふけた路地裏を バイオリンを持った老人が歩いている。
山よ 山よ
手塩にかけて育てた花を 無慈悲にもおまえは むしりとって行った
山よ 山よ わたしの花が消えて行ったあの道の方角から
悪い知らせがあった
山にかすみがかかる 鳥は飛ばず バラの花は色あせてしまった
山よ わたしはわが身を犠牲にしよう 私の花を一目見るために
最後の旅に 出るのだ
「チャイ?コーヒー?どっちなんだいあんた!」
砂漠に埋もれたパスポート
まどろみの午後、わたしはいつもの砂漠にいる。あのとき、確かに存在したはずのやぎの乳は、
月の光とともに消えてしまった。
わたしは望んだのではなかったのか。この村に住み、遊牧民の娘と結婚して、毎朝吐き気を催すようなやぎの乳を飲むことを、決意したのではなかったのか。
市役所の日々は、安スナックの女たちの嬌声とともに潰え去り、代わって現れたのは奇怪な浮遊生活の幻影だった。幻影?ではあの、生暖かいストーブに包まれた役人の平和な時間を何ゆえ脱け出したのか?どこに行こうと思って?
疲れたとき、心は砂漠を求め、青白い光に照らされたオレンジの果汁をすすっている。ロバにかじられた腕の痛みなど緩やかに老いて行く精神の自殺に比べれば、苦しみのかけらでさえなかった。
殺されて行く、焼かれて行く、刺し貫かれて行く、突き落とされて行く無数の男、女、子ども、老人、重なり合う人々の死骸。舌を溶かす絶望のジュース。3時だ。寝よう。
逃げ場はない
旅はからだのどこかに刻印されている。だがふだん意識に登ることはない。地球上のどこへ逃げようと、自分から自由になることはできない。悩みは消えず、残された課題も元のままだ。何一つ消えてなくなることはない。旅で得たのはいくつかの違った習慣の束。トイレでは紙でなく水を使う、といった類の即物的な生活の知恵と、にこやかに挨拶する演じられた社交性。あとは計算が少し速くなったことぐらいだろうか。
夜光珠のおんな
ひとつかみの夜をしのばせてわたしは女に逢いに行った。そこは色とりどりの石がちりばめられた広い海の波打ち際で、わたしはいつものように女の指先をみていた。「死んでしまったのよ、夜が」おんなははらりと髪をといた。髪の間から緑色の珠が零れ落ちた。そんなはずはない、たしかにここには夜が。わたしはポケットをまさぐった。するとそこにはひからびた魚が目を開けたまま眠っているだけだった。女の髪は真砂のように光に反射した。「どの色がお好き?」おんなはてあたりしだいに色を取り出してはわたしの体にふりかけた。遠ざかる汽笛の音を聴きながらわたしは、おんなの秘密の通路を探していた。きがつくとそこは鉄板の上で、わたしの上に何か熱いものが流し込まれると、すぐ近くで聴いたことのない外国の言葉が聞こえた。わたしは家を出てくるときにガスストーブのスウィッチを切ったかどうか急に気になり始めた。
学生の頃論理学にこったことがあり、一般意味論に興味を持った。これは要するに部分と全体を混同してはいけない、部分は部分で、それを一般化することは論理的に誤りである、という当たり前のことを述べているに過ぎない。ところが、現実世界、特にマスコミの傾向を眺めてみるに、部分と全体をいっしょくたにした「報道」の氾濫は目をおおうばかりというところだ。例えば、ご存知北朝鮮。ミサイルを数発、日本とロシアからほど近い領海内に打ちこんだ、というのがかりに報道のとおり、事実であるとする。そしてそれがある種の分析のとおり、アメリカや中国やインドが行っているような単なる「実験」ではなく、日本を侵略攻撃するという意志表示あるいは警告の類であると仮定したとする。それをもって北朝鮮の領土内に住んでいる金さんや李さんその他2000万人の人間全員がひとり残らず日本を激しく憎み、日本を侵略して日本人を殺戮したいと願っている、と主張するにたる「根拠」はあるのだろうか。政治をつかさどるごく一部の権力者と大多数の民衆とが同じ存在ではないだろう。北朝鮮の民衆のなかには良い人も悪い人もいる、日本人の中に良い日本人と悪い日本人がいるのと全く同じように。いや権力中枢の中にもさまざまな考えの持ち主がいるはずであり、北朝鮮が国家の方針として何を求めているかについて断言できる根拠はまったくない。とわたしが主張したとして、これを偏向した考え方だと、もしあなたがお感じになるとするならば、ぜひ一般意味論の入門書をひもといてみられることをお勧めする。それはたぶん小学生でも理解できる内容であろう。戦争は最大の非論理的な行動である。なぜなら戦争は一国に属するすべての人間をその国籍のゆえに自分の敵とみなす、という証明不可能な前提をあらゆるプロパガンダによって信じこませることでしか遂行できないからである。ついでにいえば、恐怖は無知から生まれる。日本人は北朝鮮を祖国と仰ぐ人々との対話によって彼らの立場や世界観を知る必要がある。