学生の頃論理学にこったことがあり、一般意味論に興味を持った。これは要するに部分と全体を混同してはいけない、部分は部分で、それを一般化することは論理的に誤りである、という当たり前のことを述べているに過ぎない。ところが、現実世界、特にマスコミの傾向を眺めてみるに、部分と全体をいっしょくたにした「報道」の氾濫は目をおおうばかりというところだ。例えば、ご存知北朝鮮。ミサイルを数発、日本とロシアからほど近い領海内に打ちこんだ、というのがかりに報道のとおり、事実であるとする。そしてそれがある種の分析のとおり、アメリカや中国やインドが行っているような単なる「実験」ではなく、日本を侵略攻撃するという意志表示あるいは警告の類であると仮定したとする。それをもって北朝鮮の領土内に住んでいる金さんや李さんその他2000万人の人間全員がひとり残らず日本を激しく憎み、日本を侵略して日本人を殺戮したいと願っている、と主張するにたる「根拠」はあるのだろうか。政治をつかさどるごく一部の権力者と大多数の民衆とが同じ存在ではないだろう。北朝鮮の民衆のなかには良い人も悪い人もいる、日本人の中に良い日本人と悪い日本人がいるのと全く同じように。いや権力中枢の中にもさまざまな考えの持ち主がいるはずであり、北朝鮮が国家の方針として何を求めているかについて断言できる根拠はまったくない。とわたしが主張したとして、これを偏向した考え方だと、もしあなたがお感じになるとするならば、ぜひ一般意味論の入門書をひもといてみられることをお勧めする。それはたぶん小学生でも理解できる内容であろう。戦争は最大の非論理的な行動である。なぜなら戦争は一国に属するすべての人間をその国籍のゆえに自分の敵とみなす、という証明不可能な前提をあらゆるプロパガンダによって信じこませることでしか遂行できないからである。ついでにいえば、恐怖は無知から生まれる。日本人は北朝鮮を祖国と仰ぐ人々との対話によって彼らの立場や世界観を知る必要がある。