アイカイブ劇場 | サズ奏者 FUJIのブログ

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音楽とわたし  


30歳になったばかりの正月、元日からインドのある街で寝こんでいた。それでも遠くから楽隊がやってくるのが聞こえると、ベッドから飛び降りて音のする方にふらふらとかけて行くのをやめられなかった。そのころ向かいの空き地に住む蛇使いと踊り子がわたしの安宿に時々やってきたが、蛇使いの笛の音は体中のあらゆる痛みと熱と悪寒を瞬時に忘れさせた。音楽には何か特別の力がある。病の癒えたわたしは、露店で50円ほどで笛を買い、安宿のバックパッカーたちのために演奏することが日課となった。たいていは耳で覚えた民謡や当時の流行のポピュラー音楽である。一番喜んでいたのは宿の主人夫婦だった。
 後年、音楽を生業とするようになったわたしが今にして思うのは、ジャイサルメールのレストランで演奏していたサーランギ奏者のことである。ほとんど音楽を聞くこともなく騒ぎつづけていた白人の一団が、帰り際にチップを渡したとき、その男はそれまでの静かな表情を一変させ、すさまじい目をしてにらんだのだった。金をつかんで投げつけんばかりの形相を忘れることが出来ない。あるいは、イスタンブールの深夜の街角で、演奏を終えて帰宅する年老いたバイオリン奏者の、孤独と疲労のにじんだ、それでいて孤高の誇りさえ感じさせる後姿をみかけたときに体の中を走った予感のようなもの。カイロの結婚式でみかけたキーボード奏者が演奏の合間にかいま見せたうつろな表情。あれはなんだったのか。時代の成功者とは縁のない、職人の誇りに生きる伝統芸能者たち。

過去にみかけたいくつかの印象的な場面がいつまでも脳裏に焼きついたまま、くり返し記憶に立ち昇ってくる。それらはいつしか人生をある方向に導いていく。そんな風にして音楽を友とするようになった。
 音楽は魂の妙薬だと言う。だがわたし自身に魂の処方箋を出せる力などありはしない。自分自身が苦悩する患者のひとりであり、解放と自由への出口を求めて何十年もあがきつづけているのだから。いやむしろ、音楽によってかろうじて人間らしい矜持を保っている、といったほうがふさわしかろう。もとより時代の闇は深く、偽善とおためごかしとインスタントな快楽ばかりが氾濫する時代の空気は、着実に日々人を衰弱させていくようである。しかし異国の重病人を走らせるほどの力がもし音楽にあるのなら、やがてはこの時代に一矢報いることも不可能ではないだろう。