市の蔵慎一郎の 『いかがなものか』 | サズ奏者 FUJIのブログ

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ドキドキ 俺は育ちのせいもあるだろうが、実に悲観的だ。これから先、日本人といわれる民族が、ひとつのまとまりとして存在していけるのかどうかさえ、疑わしいし、内部から腐っていくにまかせたような世相にも、このままではいけない、何とかしなくては、という殊勝な気概さえ起こってこない。




 ドキドキなにを馬鹿のことを、といわれるかも知れねえが、じゃあ、あんた、戦争を生き残ったあの横井さんや小野田さんみたいな人が今、東南アジアの密林から立ち現れて、この日本を見たら、何を感じるだろうか。少なくとも、想像を絶する変貌ぶりに言葉を失うはずだ。技術の進歩は恐るべきもので、それに伴って人間の内面も変わったな。早い話、携帯の文字予測ってやつだ。あんたがぴこぴこ、メールを打つときに、下に変換文字がばあっとでるだろ?あれは脳細胞を腐らすぜ。あんたは変換文字を見なければ何もかけなくなる。また、あんたの思考はすべて変換文字の範囲に限定される。つまり、あんたの脳みそは携帯によってかせがはめれれてるってことだ。ジョージオウウェルの「1984年」を想像させる話だな。




ドキドキ だがまあ、そんなことはどうでもいい。民族が少なくとも、その存在を主張するからには、彼らが1+1は2、くらいの道理はわかってることが前提だろう。あるいは、雨が降りそうだからきょうは洗濯物を干さないでおこうとか、さっき食事をしたから、今は食べないで、お茶だけにしようとか、ことさらに判断というほどもない判断力くらいは備えている、とみるのが自然じゃあないか。




 ドキドキで、クライマックスシリーズだ。前にも行ったことだが、なんで、リーグ優勝したチームと2位3位のチームが短期決戦をやって日本シリーズ出場チームを決めねばならないのか。最悪、3位同士の日本シリーズだってありうるわけだぜ。

 ドキドキこのばかげた制度になんらかの道理があるのか、制度を導入したやつらとそれを黙認してるやつらに伺いたいものだ。いや、そもそもこんな制度を決めるにいたっては形だけの会議くらいやってるだろう。きれいに磨かれた円卓と居心地のよいいすに腰掛けて、やつらはどんな議論をしたのか。ぜひ議事録を実名で公開していただきたい。、何事も曖昧模糊がお好きな方々も、これ以上日本人が馬鹿にされないためにも(な、馬鹿にされるの、やだろ?あんたも)この意味不明な制度をわれわれ自身の手で、一刻も早く葬り去るべきだろう。

(おれは、たとえばまあそんなことはありえなかろうが、アメリカが『日本シリーズ出場権をめぐって数年前から導入された日本の制度は、リーグ優勝の栄誉に泥を塗るまことにおろかな制度だ』と一声発すれば、コミッショナーが「やめますやめます」と言い出すに違いない、とにらんでいる)




 ドキドキそれができないならば、われわれの民族としての資質は限りなく絶望に近いといわれても反論の仕様がない。。




  ドキドキおれは、これは国会でとりあげるべき大問題だとさえ思っている。繰り返すが、これはなんらイデオロギーとは関係ない。右翼も左翼も、原理主義者も政治嫌いも関係ない。雨が降っているから濡れないようにかさをさそう、といったレベルの、あるいは放射能で汚染された食べ物は子供に食べさせるのはやめよう、といった類の、人間としての最低限の知的能力があるのかないのか、という話なのだ。