SAZ 神秘なる野性 憑依したる反逆 猥雑な理性
SAZ それは特定の楽器の名ではなく ある種のどうしようもない生きかたのことである
生ハムの詩
というわけで アエロフロートの機内食はいい。特にこの、この生ハムのうまさはなんだ。ルーマニア空港の売店で売っていたあの味を思い出す。あの頃は私も若かった。待ち合わせの時間にイスラエル人と一緒になり、そいつらがアラブ人と同じ顔をしていた。そんなことにも感動していた。空港の窓口に犬がいた。滑走路を犬が走り回っていた。空港の中は節電のため暗く、一ヶ所だけ灯りがついていて、その食堂でたったひとつのメニュー、ハムパンを、私は買ったのだった。
マグロのステーキ、かぼちゃとにんじんとがんもどきの煮物、海老とポテトのサラダ、黒パン、すし、菓子や果物もついている。これが、最初に食ったアエロフロートの機内食だ。うそじゃないぞ。私は常に真実を書いている。ただ性分でちょっとばかり大げさに表現してしまうことはたまにあるが。
機内食は平等に誰にでも配給される。ファーストクラスの連中は違うものを食ってるんだろうが。とりあえず、金が有り余って第三世界で札びらの大盤振る舞いをしたいじじいも、ノートパソコンで売上の計算をしている仕事中毒も、体を売りに行く娘も、同じように機内食を食っている。
深夜の楽師
夜もふけた路地裏を バイオリンを持った老人が歩いている。
山よ 山よ
手塩にかけて育てた花を 無慈悲にもおまえは むしりとって行った
山よ 山よ わたしの花が消えて行ったあの道の方角から
悪い知らせがあった
山にかすみがかかる 鳥は飛ばず バラの花は色あせてしまった
山よ わたしはわが身を犠牲にしよう 私の花を一目見るために
最後の旅に 出るのだ
「チャイ?コーヒー?どっちなんだいあんた!」
砂漠に埋もれたパスポート
まどろみの午後、わたしはいつもの砂漠にいる。あのとき、確かに存在したはずのやぎの乳は、
月の光とともに消えてしまった。
わたしは望んだのではなかったのか。この村に住み、遊牧民の娘と結婚して、毎朝吐き気を催すようなやぎの乳を飲むことを、決意したのではなかったのか。
市役所の日々は、安スナックの女たちの嬌声とともに潰え去り、代わって現れたのは奇怪な浮遊生活の幻影だった。幻影?ではあの、生暖かいストーブに包まれた役人の平和な時間を何ゆえ脱け出したのか?どこに行こうと思って?
疲れたとき、心は砂漠を求め、青白い光に照らされたオレンジの果汁をすすっている。ロバにかじられた腕の痛みなど緩やかに老いて行く精神の自殺に比べれば、苦しみのかけらでさえなかった。
殺されて行く、焼かれて行く、刺し貫かれて行く、突き落とされて行く無数の男、女、子ども、老人、重なり合う人々の死骸。舌を溶かす絶望のジュース。3時だ。寝よう。
逃げ場はない
旅はからだのどこかに刻印されている。だがふだん意識に登ることはない。地球上のどこへ逃げようと、自分から自由になることはできない。悩みは消えず、残された課題も元のままだ。何一つ消えてなくなることはない。旅で得たのはいくつかの違った習慣の束。トイレでは紙でなく水を使う、といった類の即物的な生活の知恵と、にこやかに挨拶する演じられた社交性。あとは計算が少し速くなったことぐらいだろうか。
