この世の真実は労せずして得られるものではないらしい | サズ奏者 FUJIのブログ

サズ奏者 FUJIのブログ

新ホームページができるまでの間、しばらくの間ここからライブ情報を発信します。

 いずれにせよ、とんでもない時代には違いない。世界的な規模で、とてつもない変動が生じている。原発事故も、タイの洪水も、カダフィの死さえも、この破滅に向かう地球の終幕を飾るひとコマに過ぎない。むろん、こうした考えは証明できるものではない。だが、この、あまりに急速な変化の行く末に、何らかの見通しを持って予測を立てられる人など、どこにもいないのではないか。まさに一寸先は闇。

 だが、わたしは格別悲観してはいない。人間が永遠に存続しなければならないいわれなどない。地球的な観点から見れば、、人間の滅亡は、自然のシナリオどおりなのではあるまいか。地球にとって、もはや人間のこれ以上の存続が害でしかないならば、おそらくは少しづつ、、人間は滅びに向かうのだろう。

 こんな時代に、音楽に何ができるのだろう、なんて、これっぽっちも考えてはいない。何度もいうが、俺にはボランティア精神のかけらもない。困っている人のために、なんてこれっぽっちも思ってはいない。つくづく、自分勝手な人間だとは思うが、それを恥じる感性も持ち合わせていない。

おれにとって、音楽は空気や食物みたいなものだから、自分が生きながらえるためにやってるだけなのだ。そこに、なんの公的な使命はない。

 だが、俺は言う。この後に及んでまだ戦争という愚劣なやりかたにしがみつくほかない人間には、なんの未来もない。カダフィの肩を持つわけではない。だが、植民地化願望丸出しの民主化茶番劇など、誰が額面どおりに信じるか。フセインのイラクを破壊したのとまったく同じ勢力がはじいたそろばんの重みが、リビア人にのしかかるのも遠い日のことではないし、そのときになればカダフィを殺した勢力の正体も暴露されるだろう。