まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -149ページ目

『具のない、焼きそば』

先日、泣きました。

この実話で。

とある亭主。

ご多聞に洩れず、普通のおじさん。

だんだん、給料も下がってきました・・・

出張も多く、普段は、家族とも、

あまり食卓を囲みません。

ある日、たまたま、出張が中止になって、

突然、家へ帰ってきた・・・・・

妻に、食事を依頼したら、

出てきたものは、『具のない、焼きそば』

亭主曰く、

『何だ、コリャ!!』

『こんなもん、食えるか!!』

妻曰く、

『あなたがいないとき、私たちは、こんなものしか、食べられないの・・・』

亭主、蒼然。

直ちに、自室に籠もり、ネットで、副業探し・・・

朝まで、徹夜で・・・・・

やっと、みつけた在宅副業で、

家族に、我慢させることも、なくなりました!!

ちゃん、ちゃん!!

そう、ただそれだけの話なんだけれど、・・・

文字では、・・・私の力量では、・・・伝わらないけれど、

この家族の、温かさ、熱さ!

ちょっと、いないね、周りには。

目頭が、熱くなりました。

旦那も奥様も、偉い!!

神様も、よく、見落とさずに・・・

偉いもんだ (*^-^*)

初めて部下を持った時に、言う言葉

それは、もちろん、あなたが、

その組織で、その仕事を始めたときに、

言われたら、嬉しい言葉に決まっています!!

ある、創業者が、言いました。

この仕事を、あなたの子供が『誇れる』仕事にしてみせる。

27年前創業のアメリカの会社です。

今は、ニューヨーク証券取引所に上場しています。

私も、零細企業の社長を15年やっていますが、

はたして、どうでしょう、どうだったでしょう。

こんな言葉を、かけただろうか。部下に。

この創業者の会社で、仕事がしたい!!

と、真剣に、思いました・・・・・

贅沢

日ごろ、役に立たない機能を

『常備』していることを以って

贅沢~~~~って、感じます。

雄の孔雀の尾羽。

趣味の楽器演奏。

日本から出ない、仕事でも使わない人の英会話。

小さい子供のいる5人家族の2シーターオープンカー(笑)

5ナンバーでも、『ケイ』でも、ぜいたっくぅ~(*^-^*)

だって、役に立たないもん (笑)

一番になれる図太い根性が欲しいかぁ~~(*^-^*)

何かをやると、

100点の時もあれば、

80点の時もある。

たまには、

120点の時もあったりして、

(*≧m≦*)ププッ 

なのに、

90点『しか』取れないかもしれない・・・

と、ビビる・・・・・

それが、あなたの実力なんだから、

いいじゃん (*^-^*)

『たまたま、【100点だった】時の自分』を

『これが自分だ~~』と思って、

『過信』しているから、

人前で、『あがる』のよ!!

100点取れないときが、あるのよ!

あなたの実力じゃ!!

失敗のある、『90点の自分』が、『自分』!!

失敗のある、『90点のあなた』が、『あなた』!!

そして、

『それでも、ひた向きに、やり続けている』

という意味では、

その意味でだけは、

『誰にも負けない』

と、思えた時に、

たぶん、一番に、なっています。

そう、『た・ぶ・ん、金メダル』。

(笑)


『失敗』

『失敗』は、

『これは、うまく、いかない』

ということを発見・確認した、

立派な『成功』ですよねぇ~(*^-^*)

『失敗しない』ための

ただひとつの方法は、

『何もしない』こと・・・

でも、これだけは、

間違いなく・・・、

『失敗』よね!

(*≧m≦*)ププッ

日本の裁判員制度・・・



検察が、専門家として、

専門家である裁判官を、

専門用語で、

説得、納得させられるか否か。

だけだった日本の裁判。

被害者の目も国民の目も無視して

ただ、ひたすらに、裁判官を落とす・・・

裁判官が審議することは、

現行法体系上の違法性と過去判例との整合性。

専門用語を駆使して・・・

それだけ・・・

それでは、主権者たる国民の理解を得られなくなってきたから、

素人の主権者を交えて・・・

って、大丈夫!?

陪審員制の成り立ちすら知らない人たちが、

うまく、使いこなせるかしら?

素人の主権者が、

わかっていないだけではないでしょ!?

法曹界の人も、たぶん、全然・・・

だって、司法試験に出てこないもの・・・(笑)

まず、今の日本の裁判は、

目指すものが、欧米とは違う・・・

まあ、これは、法曹界の人は、

わかっているでしょうね。

国民は、ちと、あやしい・・・(笑)

この点については、何日か前の

『日本の裁判・・・』を読んでくださると、

ありがたいです (*^-^*)

欧米の陪審員制は、

中世ヨーロッパの裁判制度に由来します。

案外、新しい!!??

中世ヨーロッパは、群雄割拠。

だから、領主ひとりひとりは、

強大な力を持っていなかった。

だから、領民の裁判にあたるにつき、

自分が前面に出ることを恐れたのね!

誤審による、暴動が、怖かったから。

でぇ~、編み出されたのが、

陪審員制度。

陪審員が結審して、

領主は、その判決を権威付けるだけ。

要するに、領主は、判決を言い渡し、

それを当該争議の法的な結論だ。

と、言うだけ。

判決が、間違っていても、

『俺のせいじゃない~~~~!!』

って、ことね (*^-^*)

陪審員は、

裁判当事者の近所の人や親戚が選ばれていました。

その大義名分としては、

当事者の『人となり』まで

よく知っているであろうから、

正しい判断ができるであろう、

というもの。

そして、公平、公正を保つため、

原告、被告とも、もし、判決に不服とあらば、

『陪審員に対して』、決闘を申し込むことができる。

と、なっていました。

陪審員も、命懸けだから、

不当な判決は出さないだろうという牽制。

すごい牽制方法ですね。

老人や障害者は、決闘を申し込まれた際には、

『代理』を立てることができたようですが、

その他は、ご本人。

衆前で、公開の決闘だったようです。

一方が、死ぬか、

『参った』と言って、

判決内容など、それぞれの出張を変更するまで、

決闘は、続きます。

もちろん、決闘の場で、

負けそうになったほうが、

『交渉』により、

相手の言い分を聞き入れて、

決闘が途中で終了する・・・

だそうですが。

でも、下手に変えれば、

今度は、相手方から、

決闘の申し込みも・・・・・

陪審員に対する、すごい、牽制。

要するに、欧米の裁判の目的は、

大の大人が、双方の争点について、

納得できる落とし処を見つける場所。

法的に正しいかどうかなんて、

関係ないんです。

大の大人が、命懸けで、動けば、

それは、それで、道は開ける・・・・・

自分の意志など持たず、

すぐに、周りとの調和・調和・調和

という民族にとっては、

ちょっと、すごいことだけれど、

これこそが欧米の社会のルールを形成している

個人の尊厳の根っこ。

大の大人が、本気なら、自分で責任取れるなら、

何をやっても、周りは、過干渉しない。

この文化、価値観の根源ですね。

そのかわり、全責任を自分でとることになります。

日本の裁判制度では、

法的正義の所在のみを追及するわけだし、

裁判員も中世の陪審員のような覚悟をしていないどころか、

陪審員制の成り立ちすら、知らない。

そんな中での裁判員制度、

機能しない・・・

でしょ!!

『やる』

一番難しいけれど、一番簡単。 

それは、『やる』こと。

『できる』じゃないから、

必ず、『できる』(笑)

それが、『やり続ける』となると、

妙に、難しくなっちゃうのが、

人間の、かわいいところ

(*≧m≦*)ププッ

夢の力

夢の力

幼にして学べば壮にして成す

壮にして学べば老して衰えず

老にして学べば死して朽ちず

と、申します。

学ぶことに、喜びがあれば、そこまで、いくでしょう。

学ぶことに、夢が重なれば、そこは、『すぐそこ』、です。

日本の裁判 世界を知らない、想像力の欠如した三流サラリーマン(その2-2)

前の記事の続き




アジャスターは、保険契約者と話をして、

*°☆。.:*::*:..:*:°:*:°☆*°☆。.:*::

保険を使わずに、『湿布代』の過失割合分を払って、

終わりにしませんか?

長引いても、誰も得しないから。

どうせ、保険を使うと、

次の保険料が上がってしまって、

損ですから、使わないでしょ?

この金額では。

また、それ以上、突っ込まれたら、

示談交渉代理人として、

あらためて、法的査定をしますから・・・

裁判をすると、今の日本では、

相手は、なにも、とれませんから、

相手にとっても、ここが、落とし処ですよ。

制裁金的損害賠償請求権は、

日本では、絶対に認められませんからね。

*°☆。.:*::*:..:*:°:*:°☆*°☆。.:*::

くらい、言えよ~~~♪

保険会社の熟練アジャスターさん!!

(笑)

日本の裁判 世界を知らない、想像力の欠如した三流サラリーマン(その2)

さてさて、昨日の続きです。

欧米の価値観を取り入れた民主主義を土台にした法治国家。

『世界の主流』ですね。

日本も、その端っこに、います。

母国ですから、『真ん中』、とか、

『真ん中辺』と、言いたいところですが、

こと、このことに関しては、

崖っぷち。

理由は、『真ん中の位置がずれてきている』のに、

100年以上『真ん中』に、胡坐をかいてしまったから。

『法』と『正義』の力関係が変わったからね。

この話も、また、そのうち・・・(*^-^*)

今回は、裁判所は、何をするところか・・・が、テーマ。

日本の裁判所は、

法に基づく『法的正義』の所在を明らかにして、

『法的に正しいもの』を決める場所。

法的に正しければ、それでよし。

加害者、被害者、そして世の中の

人の心に宿る正義感など、

ボロ雑巾以下の価値しかありません。

最近、混合医療の問題で、

少し、『正義』も意識し始めたかな(笑)

『世界の主流』の裁判所がやっていることは、

当事者双方が、納得できる『落とし処』を決めること。

『特別法は、一般法を駆逐する』わけですから、

当事者間で、納得できれば、

一般法や過去の判例は、二の次、三の次。

さっさと、判決が下り、

その決定こそが、『法的拘束力を持ち』ます。

法は、争点に決着をつけるための大切な基準ではありますが、

双方が、法的正義の落ち着き先と、

現実の落とし処は、別であっても

やむを得ないと考える場合は、

それもOKです。

日本じゃ、『違法性』や、

『過去の判例』との整合性を問われちゃう。

誰が? って、裁判所が (笑)

『世界の主流』の裁判所では、

法的に正しくても、

自己の主張する線を争うと、

証明に、時間と金が、かかりすぎる。

社会の目から不正義に見える。

結果、裁判後の社会の冷たい視線がマイナスに働く。

などと感じた場合、

とっとと、別の『落とし処』を模索します。

法的正義を貫いて、裁判に勝っても、

損をしては、なんにも、ならない。

ということと、

法的正義を貫いて、

社会の冷たい視線を浴びるということは

その法は、正義に照らし合わせてみると、

時に、『不正義な』状況に追い込まれている、

不備のある『法』だということ。

『法は、正義を守るもの』で、あって、

『今の正義に根差さない、古ぼけてしまった浮き草法』では、

人を裁けないということね (*^-^*)

もっとも、『今の正義』が、いっぱいあるから、

困っているのだけれど・・・

でもさ、

『生身の肘を、車にぶつけたので、湿布を買って、治療した。』

という主張で、

本当に、『事故』に起因する怪我ですか?

通院しなかったんですか?

じゃあ、あなたは、その湿布を購入した理由が、

本件事故に関わる怪我に起因するものであると

裁判所で証明してください・・・・・

そりゃ~、被告を守る法に関しては、

厳密に、厳密に、運用する日本の裁判所ですから、

厳格な証明責任を負わせられる被害者(原告)は、

その証明など、できるはずも、ありません。

だって、今の日本の交通事故のすべての判例は、

医者の診断書なしの『被害』を認知していないから。

そこを争った場合。

でも、裁判を起こすことはできるから、

『状況証拠』と損害額の観点から見て、

湿布薬で、本当に、裁判になったら、

保険会社だって、

反論書を書く手間賃のほうが高い。

書かなきゃ、保険会社が、負けます (笑)

また、

おおげさに、したくなかった。

という被害者の、偶然性に対する、いたわりの心。

踏みにじることにも、なりかねません。

『ギスギス』した世の中への特急券販売は、

やめたほうがいい。

文字数オーバーのため続く・・・