北九州市門司区に聳える風師山(標高362m、かざしやま)は、風師岩頭(かざしがしら、風頭とも呼ばれる)、風師山、風師南峰の3つの峰からなり、中でも風師岩頭は関門海峡を見渡せる絶景スポットとなっていますが、昭和期の陸軍はこの山に高射砲陣地を置いていました。

 

昭和19年半ばの北九州の防空地図で場所を確認します。

 

風師山高射砲陣地は矢印の所にありました。(下関の火ノ山から撮影)

 

大東亜戦争開戦時、風師山には七糎高射砲を有する防空第23連隊第1大隊第1中隊の高射砲中隊と照空灯や空中聴音機を有する照空分隊が駐屯していました。

昭和19年(1944年)6月の西部高射砲集団の改編では、防空第23連隊は高射砲第133連隊に改称されましたが、風師山の高射砲中隊は終戦まで関門の防空を担いました。

なお昭和19年後半以降は、射撃管制レーダーである電波標定機(終戦時はタチ1号)を擁する電測小隊も置かれました。

 

部隊編成などの概略はこちらのリンクにて。

 

なお風師山高射砲陣地の記事は全6回となります。

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北九州の防空㊵ ~風師山高射砲陣地 その1(概略と陣地南側の探索)

北九州の防空㊶ ~風師山高射砲陣地 その2(電波標定機周辺)

北九州の防空㊷ ~風師山高射砲陣地 その3(砲座)

北九州の防空㊸ ~風師山高射砲陣地 その4(付属施設)

北九州の防空㊹ ~風師山高射砲陣地 その5(付属施設②)

北九州の防空㊺ ~風師山高射砲陣地 その6(聴音機掩体)

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1948年の空中写真には陣地跡が確認できますので色々書き込んでみました。

 

高射砲陣地は風師山北方の尾根を中心として構築されました。見ての通り南北に長く陣地が形成されています。

配備されたのは七糎高射砲6門で、標高270m地点に6つの砲座が築かれていました。その後方には関連する施設が点在し、砲座の左翼には電波標定機が置かれていたと思われますが、現在は電波塔が複数立っていますので痕跡は残っていません。

聴音機照空灯の位置も推測して記載しましたが、両者が離れ過ぎているのが気になりますので後ほど考察して修正するかも。

 

遺構についてですが、砲座、関連施設群、聴音機推定位置に建物基礎や窪地などの痕跡が残っています。ただ建物基礎と言っても間取りを確認できるほどしっかり残っておらず、基礎の一部だったり瓦礫だったりする物ばかりです。なのでまともな建物跡が残っているんだ~などど思ってもらっては困りますww

なお尾根上には他にも遺構らしき怪しい物もありますので、追って説明します。

 

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それでは現地に向かいます。

 

風師山は車で上がることができますのでアクセスは楽です。空中写真で“”現・駐車場”と書いた所に車を止めた後は、南西方向に登山道を歩くと風光明媚な風頭や風師山山頂に行くことができます。北東方向に道路を歩くと高射砲陣地跡に行けますが、遺構を見るためには道路から山に入らないといけません。荒れた山中を彷徨うことになりますのでご承知置きのほどを。

 

国道3号線から分岐してクネクネと車を走らせると、15分程度で駐車場に到着します。なお高射砲陣地跡付近で道路が二手に分かれますが、空中写真に写る道筋の外側に新たな道が戦後に設けられました。

 

分岐点。右側が戦後の道でこちらが駐車場への主道となります。

 

中央の盛土部分の右側奥が駐車場です。

 

盛土部分は空中写真にも写っていますので当時から存在した地形のようです。現在は一部削られて展望所となっていますが、当時の用途はなんだったのでしょうね?

 

盛土に上がると椅子が置かれています。

 

昔の三角点が埋設されています。

 

北東側の階段は丸太でしたが南西側は石段です。意外に当時物だったりして。

 

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駐車場から登山道を入ってすぐ、P304に「照空灯?」と書いた場所があります。

 

何の変哲もない平地ですが、両側が土塁のように盛り上がっています。

 

コンクリートの瓦礫も転がっています。

 

風師山の尾根一帯には戦後に電波施設が複数設けられましたので、高射砲陣地時代の当時物か戦後物か判断がつきにくい物がいくつもあります。

 

空中写真を拡大。この場所には円形の掩体があったように見えます。

 

これを照空灯もしくは空中聴音機の掩体だと推測、北東側に聴音機の掩体のような窪地があったのでこちらを照空灯掩体としたのですが、そうすると両者がちょっと離れ過ぎてるんですよね。これまで見てきた照空陣地では両者は近接しているのでどうかなと思うところですが、この件に関してはあらためて書くことにします。

 

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では空中写真の範囲から外れて南側の登山道を進んでみます。

 

登山道と言うか遊歩道ですね。

 

怪しいコンクリートの瓦礫が転がっています。

 

下關要塞第一地帯標が埋設されています。明治時代、風師山一帯は下関要塞地帯の第一区に区割りされていました。

 

参考記事

 

駐車場から10分ほど歩くと風師岩頭に到着します。

 

この場所から関門海峡が一望できます。とにかく絶景の一言ですので、景色を拝んで「その1」を終えたいと思います。

 

関門海峡を挟んで対岸の下関市を見ています。下関の向こう側の響灘に浮かぶ島々もよく見えますね。

 

カメラを右に振ると関門橋が見えます。右側の山の上に存在感たっぷりに電波塔が立っていますが、この周辺が風師山高射砲陣地でした。

 

カメラを左に振ると門司の大里地区越しに小倉市街地が見渡せます。

 

ここで「その1」はおしまい。次回に続きます。

 

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[参考資料]

「戦史叢書019巻 本土防空作戦」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)

「戦史叢書057巻 本土決戦準備<2>九州の防衛」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)

「第56軍国土決戦史資料 昭20.11」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)

「高射第4師団配備要図」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)

「北九州高射砲隊配備要図」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)

「本土地上防空作戦記録:西部地区」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「高射砲陣地築設要領」(Ref No.A03032195600 アジア歴史資料センター)

「高射戦史」(下志津(高射学校)修親会)

「福岡県の戦争遺跡」(福岡県教育委員会)

「DEFENSE OF JAPAN 1945」(Steven Zaloga)

「地図・空中写真閲覧サービス」(国土地理院)