※本記事は2023年10月30日に書きましたが、その4日後の探索にて第一号標石を発見しましたので、記事や図の書換を行いました

 

北九州市門司区の風師山(標高362m、かざしやま)は、風師岩頭(かざしがしら、風頭とも呼ばれる)、風師山、風師南峰の3つが連なっていますが、中でも風師岩頭は、関門海峡を見渡せる絶景スポットとなっています。

前回の戸ノ上山と同じく企救自然歩道沿いにありますので登山者が多い山ですが、明治期の陸軍はこの地に風師山框舎建設する計画を立てていました。

框舎(きょうしゃ)とは、少数の機関砲をもって防御を行う堡塁よりも小規模な陣地ですが、明治34年(1901)に経費の関係で建設中止となりました。

中止になったとは言え、框舎は要塞地帯を形成する防御営造物の1つですので、風師山の周囲には第一区地帯の区割線が設けられていました。

 

参考記事:下関要塞探訪123 ~要塞地帯法と下関要塞地帯標の探索

 

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明治43年(1910)の要塞地帯図から風師山及び矢筈山の区割線を掲載します。

 

北側に位置するのが風師山框舎建設予定地の第一区地帯です。南側には矢筈山堡塁の第一区地帯がありますが、こちらは次回取り上げます。

 

続いて古地図で第一区地帯を示します。

(時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」より作成)

 

明治43年の要塞地帯図ではインクが滲んで通し番号が判読できませんが、おそらく4本の標石が植設されていたと思われます。なお4本中2本の現存を確認しました。

 

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では現地に赴きます。

風師山には車で上がることができ、駐車場から15分程度で絶景が拝める風師岩頭に行くことができます。もちろん登山道も設けられており、様々な方面から登ることができます。

 

駐車場手前に関門橋が見通せる展望台がありますが、そこはスルーして駐車場に到着。歩いて遊歩道を南下していきます。

 

遊歩道。

 

10分程度で第二号標石が現れます。遊歩道沿いの電波アンテナの横に立っています。

 

表面の“S.M. 1st Z 下關要塞第一地帯標”です。

 

文字に白い塗料が見られますが、おそらく後世に入れられたのでしょう。門司界隈に残る人目に触れる所に立つ標石はそんな感じの物ばかりです。なお本来は下地に白色を塗って上から黒い墨でなぞっていたのではないかと思われます。

 

右面の“第二号”です。

 

裏面の“陸軍省”。撮った季節が異なるので色合いも異なります(^^;

 

左面の“明治三十二年九月一日”

 

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続いて第一号標石を探索します。

風師山の山頂→南峰を経て推定場所に行くと予想通りの位置にありました。ピタリ当たるのは嬉しいことです(・∀・)

 

表面の“S.M. 1st Z 下關要塞第一地帯標”です。

登山道から外れた位置にあるので1号のように色は入れられていません。

 

右面の“第一号”です。

 

第一号と第二号の発見によって第一区地帯を囲んでいた標石の番号は逆時計回りの配置であることが分かりました。(要塞地帯図では滲んで読めないので)

時計回りの番号配置が多いのですがココは逆。どちらかで統一すると言う規則はなかったようですね。

 

左面の“明治三十二年九月一日”と裏面の“陸軍省”

 

この後第3号と第4号の推定場所を探索しましたが見つけることができませんでした。2本残っているのだから後2本も発見できると思ったんですけどね。予想した位置が大きくずれている可能性もありますので、見直してまた探しにいくつもりです。

 

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それでは絶景が拝める風師岩頭からの景色を眺めに行きます。

 

地帯標から3分で風師岩頭に到着。

 

関門海峡が一望できます(・∀・)ナイスビュー!

 

対岸は下関市。手前の小島は巌流島です。対岸の向こう側の海は響灘。左に見える陸地は北九州市の小倉北区と若松区あたりとなります。

 

カメラを左に振ると眼下には門司区の大里周辺です。

 

右に振ると関門橋が見えます。その向こうは周防灘です。

 

何度も訪れていますがココの景色は最高です。関門LOVE♪

 

以上、風師山框舎建設予定地の第一区要塞地帯でした。