長崎県平戸市の「高島」は、平戸島南西端の宮ノ浦集落の0.3km沖合に浮かぶ有人離島である。周囲3㎞の島に20人(令和6年11月現在)が暮らしているが、大東亜戦時中には海軍の「佐世保防備隊」の部隊が駐屯していた。

 

九州には海軍鎮守府の置かれた佐世保軍港があったが、軍港を守る部隊として「佐世保防備隊」と「佐世保警備隊」が編成された。

「警備隊」が来襲敵機の警戒・撃退を担う防空部隊だったのに対し、「防備隊」は敵艦船の侵入を阻止する海面防備を担当した。

 

「防備隊」は、佐世保軍港及び長崎港外の防備を中心とした九州北西岸海面の警戒監視、海上交通保護が任務だったが、主に敵潜水艦の侵入防止に努めた。

具体的な対策は、海中への機雷敷設、潜水艦探知を行う防備衛所の設置、艦艇での哨戒、海面砲台による撃退となっていたが、昭和16年(1941)12月の大東亜戦争開戦時における陸上部隊の配置は以下の通りである。

 

 

平戸島と五島列島北端の宇久島の間の海域は佐世保軍港への北の出入口であったため、宇久島と平戸島南西端に位置する高島に防備衛所が置かれ、加えて高島には海面砲台が築かれた。

 

高島における部隊配置は以下の通り。

 

島内最高峰の55mピークに「防備衛所」、南西部に「海面砲台」が設置されていた。なお、防備衛所の場所は今回の探索で未訪のため推定だが、先行探索者によって遺構は確認されている。

 

「高島防備衛所」は水中聴音機4基を用いて侵入せんとする敵潜水艦の警戒に当たった。

(アジア歴史資料センター Ref No.C08030370700「佐世保防備戦隊戦時日誌」より抜粋・引用)

 

【参考】防備衛所の説明記事

 

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本記事では「高島海面砲台」の遺構を紹介する。

 

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高島海面砲台  全3編:[概略][砲台][][]

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「海面砲台」は敵艦船攻撃用の砲台である。「平射砲台」とも呼ばれ、敵機に対する防空用の「高角砲台」と区別された。

「海面砲台」は陸軍が擁する要塞の沿岸砲台と用途は同じだが、陸軍の砲台が新鋭の火砲に随時更新されていたのに対して、海軍の砲台は軍艦の旧式砲を転用した。

明治期や大正期の駆逐艦・巡洋艦の主砲や戦艦の副砲は旧式化に伴い換装が行われたが、この時に取り外された火砲が砲台に設置された。砲種は八糎、十二糎、十四糎、十五糎があったが、大正期の軍縮会議に伴い廃艦になった戦艦の主砲塔(二十糎~四十糎)は、保管転換海軍砲として陸軍の要塞砲台に転用された。

 

なお、「海面砲台」は元々上空より曝露した露天砲台だったが、大東亜戦争末期になると、本土決戦用に横穴隠蔽式の砲台(穹窖砲台)が建設された。

 

宿毛市の鵜来島に残る十五糎砲が配備された露天式の海面砲台。

 

平戸市の生月島に残る十四糎砲が配備された横穴隠蔽式の海面砲台。

 

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高島海面砲台に関する史料は非常に少ないが、昭和16年12月の大東亜戦争前より建設が開始されたものの開戦時はまだ工事中だったようだ。昭和17年3月の「佐世保防備隊戦時日誌」に掲載の編成表では正式に名を連ねているので、この時期に完成したと思われる。

配備された火砲は「十二糎砲」4門だったが、昭和17年12月には「佐世保防備隊の海面砲台全5ヶ所に当分の間配員を置かず」とされ、翌昭和18年4月に編成から名前が消えてしまう。海面砲台の火砲を南方の各飛行隊に転用するために撤去されたことが理由だが、これにより高島の砲台は竣工から1年足らずで運用を終えることになった。

なお、海面砲台が廃止された後に別用途として使用されたかどうかについては、その後の各種戦時日誌や戦後の引渡目録では一切触れられていないことから、使用されずに施設だけ残置されたと思われる。

 

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国土地理院の空中写真から高島南西部分を見てみる。

 

まずは1948年に米軍によって撮影された空中写真。砲座と思しき4つの影と複数の建物が写っている。

 

続いて1977年。

 

探索と空撮に基づき、高島砲台の配置図を描いてみた。

 

島の北西端に「砲台」があり、4つの砲座が西側の外洋に向けて配置された。砲座の後方には「四階建て」と呼ばれる高層建物と、2つの同型の建物が築かれている。

「砲台」の後方には、燈台の吏員退息所を包括する形で海軍用地が設定されており、その中に「兵舎」があったようだが、今回の探索では確認していない。

なお、「砲台」北東のやや離れた位置に「発電所」と推測される遺構が残っているが、砲台域内は藪が濃かったため十分確認ができず、時間も足りなかった。見逃しも多いと思われるので再訪して確認したい。

 

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それでは高島に向かう。

島に渡る定期船はないが、宮ノ浦漁港の釣センターに連絡をすれば船を出してもらえる。今回は丸銀釣センターの船で渡島した。

 

宮ノ浦漁港を出港。なお平戸市街地からは車で1時間ほどかかる僻地にある。

 

前方に高島が見えてきた。「四階建て」も見える。左の小島は灯台の置かれた尾上島。

 

「四階建て」

 

地元の人たちはこの高層建物を「四階建て」と呼んでいる。建設年や用途など全くの不明だが、建物は内海側に設けられており、外洋から隠れる形で建設されたように見える。

 

5分程度で高島に到着。

 

廃校となった野子小中学校高島分校の先に集落がある。

 

集落から防備衛所の置かれた「遠見山」を眺める。今回は時間が足りず探索できなかったので、今冬には再訪したいところだ。

 

砲台の置かれた島南西部に向かう。コンクリート舗装路があるので歩きやすい。

 

島には猫が付きもの。

 

集落から歩いて10分足らずで「四階建て」が見えてきた。

 

「四階建て」の真上に灯台が重なって見えるが、実際の尾上島灯台は高島から離れた急峻な小島にある。

 

 

小さな離島に異彩を放っている。

 

 

以上で概略を終える。次回は「砲台」を探索する。

 

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[参考文献]

「海軍予備学生よもやま物語」(著者 石倉豊 著 出版者 光人社、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「海軍学徒士官よもやま物語」(著者 石倉豊 著 出版者 光人社、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「竹やぶの小道を抜けて遠見に登ろう」(著者 朝長重信著 出版者 近代文芸社 、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「灯台局年報 第7回」(著者 灯台局 編 出版者 灯台局、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「灯台局年報 第8回」(著者 灯台局 編 出版者 灯台局、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本燈台史 : 100年の歩み」(著者 海上保安庁灯台部 編 出版者 灯光会、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「海軍思い出の記」(出版者泊会、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「平戸市史」(著者 平戸市 編纂 出版者 大和学芸図書、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「掌砲必携図解 第1編」(著者 海軍砲術練習所 編 出版者 軍港堂、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「戦友 (189)」(出版者軍人會館出版部、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「佐世保鎮守府戦時日誌」(Ref No.C08030332500~C08030352900、アジア歴史資料センター)

「佐世保防備戦隊戦時日誌」(Ref No.C08030370700~C08030374400、アジア歴史資料センター)

「佐世保防備隊戦時日誌」(Ref No.C08030432000~C08030547800、アジア歴史資料センター)

「兵器還納目録 佐世保防備隊」(Ref No.C08010924900、アジア歴史資料センター)

「各地設営隊綴 (2)」(Ref No.C08011295300、アジア歴史資料センター)

「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」