説明は以下の記事にて。

 

大正5年頃の部隊配置を示す。

 

********************************

第十二師団正門から南の鉄門跡の石段を下ると松の丸跡に入る。

 

松の丸。

 

旧第十二旅団本部の正門が残っている。

 

説明書き

 

歩兵第十二旅団本部(のち司令部)の正門としているが、門柱の施工状態から、大正14年に第十二旅団司令部庁舎に移転した野戦重砲兵第二旅団司令部の時代に作られたのかもしれない...と説明書きで指摘している。

 

 

 

================

正門の後方に「歩兵第十二旅團司令部跡 小倉聯隊区司令部跡」の記念碑がある。

 

歩兵第十二旅団は、明治18年5月5日に創設され、歩兵第十四連隊の営所に本部が置かれた。明治21年に本部から司令部と改称。明治31年に創設された第十二師団の根幹旅団として日露戦争などを戦ったが、大正14年、第十二師団の久留米移駐に伴い福岡に移った。なお、福岡には第三十五旅団があったが、これを改称して十二旅団を存続する形を取った。

 

明治18年/創設、熊本鎮台隷下、指揮下:歩14(小倉)と歩24(福岡)

明治21年/第六師団隷下、本部から司令部に改称

明治29年/第十二師団隷下、指揮下:歩14と歩47(小倉)

明治40年/指揮下:歩47と歩72(大分)

大正14年/福岡に移駐、指揮下:歩14と歩24

昭和15年/消滅

 

大隊区(連隊区)司令部は、管轄区域の徴兵や動員の事務、在郷軍人や補充兵の管理を行う組織を言う。

小倉大隊区司令部は、明治21年6月9日に小倉城内に開設され、福岡県東部・大分県・山口県の一部を徴兵区域として管轄した。明治29年に大隊区から連隊区に改称。司令部を城内の小倉偕行社に移転したが、明治31年には第十二旅団司令部庁舎に同居した。明治40年に中津連隊区が創設されると中津に移ったが、大正14年に中津連隊区は廃止されると、昭和3年に小倉城内の旧題十二師団司令部庁舎に入った。昭和16年、小倉連隊区廃止。

 

と言うわけで、記念碑に名前が併記されているのは、明治31年に十二旅団と連隊区司令部が庁舎に同居したからだろう。

 

司令部庁舎。