その5では、建物(D)から東に向かいます。
建物(E)のある平坦地です。建物(D)から(E)までは道が見えませんでしたので適当に進みました。
建物の痕跡が至る所に見られます。
空中写真で示すと右下の辺りになります。
建物(E)から平坦地を西に進むと、コンクリートで囲われた方形の窪みが3つあります。見取図では(F)としました。
便槽と推測しました。
建物(E)の北側(山側)は壁になっています。
真ん中が凹んでいるので上がってみると円形窪地がありました。
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しばし彷徨ったのち、大日本麦酒のビール瓶を見つけました。
戦跡界隈ではお馴染みの大日本麦酒ですが、底面を見ると17☆2と刻まれています。
17☆2は昭和17年2月のことだと思いましたが確証がなかったのでXでポストしたところ、年月で間違いないだろうとのコメントを頂きました。このような当時を偲ぶ遺構が転がっていると、ここに陣地があったと言うことを実感できます。
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ビール瓶が転がっている所から北側(山側)を見ると塹壕のような道筋があり、その上に建物跡が見えました。
塹壕を上がっていきます。
到達。これが建物(G)です。建物基礎に階段が付いていますが落ちそうです。
上がって来た塹壕を見ていますが、排水の土管が顔を覗かせていますので塹壕ではなく排水溝かもしれませんね。
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建物(G)の北側には広い平坦地が広がっていますが激ヤブなので全体を見通すことはできませんので、平坦地西端の石垣を伝って進むことにします。
こんな感じで進みます。
まぁ石垣沿いもヤブっているんですけどね(^^;
ヤブを漕ぎつつ石垣沿いを進みます。
建物(H)です。
コンクリート床面なのでここだけヤブっていません。
建物(H)の北側には道路への出入口があります。石垣もここで終わっています。
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道路に出たので下って行きます。
道路から山側に上がる石段があります。
ココですね。
石段を上がると左手に石垣。
右手には建物(I)があります。
角度を変えて。ここもコンクリート床面なのでヤブっていません。
ちなみに1975年の空撮には(I)の場所に建物が写っています。
当時の建物をそのまま使っていたのか、戦後に新たに設けられたのか。
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道に戻って下ると、コンクリート構造物がありました。
建物跡か何かは分かりません。
これにて確認した付属施設の紹介が終わりました。次回はさらに東側に下って、聴音機掩体と思しき遺構があるピークを見に行きます。
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[参考資料]
「戦史叢書019巻 本土防空作戦」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)
「戦史叢書057巻 本土決戦準備<2>九州の防衛」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)
「第56軍国土決戦史資料 昭20.11」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)
「高射第4師団配備要図」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)
「北九州高射砲隊配備要図」(防衛研究所 戦史史料・戦史叢書検索)
「本土地上防空作戦記録:西部地区」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「写真週報(292)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「四式七糎半高射砲説明書」(Ref No.A03032144000 アジア歴史資料センター)
「高射砲陣地築設要領」(Ref No.A03032195600 アジア歴史資料センター) 「高射戦史」(下志津(高射学校)修親会) 「日本の大砲」(竹内昭/佐山二郎共著 出版協同社) 「日本陸軍の火砲 高射砲」(佐山二郎著 光人社NF文庫) 「福岡県の戦争遺跡」(福岡県教育委員会) 「DEFENSE OF JAPAN 1945」(Steven Zaloga) 「地図・空中写真閲覧サービス」(国土地理院) |