営業の魔法 中村信仁と永業塾の仲間たち -7ページ目

永業人生満30周年記念講演 in 福岡

先週土曜日(9月6日)、福岡にて講演してきました。私の永業人生満30周年を記念して仲間たちが主催してくれました。
7月の仙台を皮切りに全国にて満30周年記念講演会を来年3月開催の札幌まで、可能な限り全国各地にて行う予定でいます。

次は11月の大阪。
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関西地区の皆様是非お越し下さいませ。

深く生きるには

登った山は降りなければいけない。そして、山に登ったと人に語るためには、山から降りるという逆説を歩かねばならない。
このように、二つの相反する行為を成し遂げなければならない。ひとつは登ること。もうひとつは降りること。この相対を合わせて登ったという事実が完成する。
ユングが中年の危機という理論をこのように説いている。

四十を過ぎたら、人生を折り返さなければならず、それは折り返す前より大変なことで、何十倍もしっかり歩まなければ怪我をするらしい。人生で失敗するのは、この折り返しにあるとユングは言っています。

中村信仁48歳。なるほどと唸ってしまう年齢となりました。




中村信仁

朝日新聞よ、もう悪あがきはやめて下さい。

ヒーローが一転「逃げ出す作業員」「恥ずべき物語」に 朝日報道、各国で引用
2014.8.18 15:32 産経ニュースより

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140818/dst14081816020012-n1.htm


 外国の有力メディアは、「吉田調書」に関する朝日新聞の記事を引用し、相次いで報道した。韓国のセウォル号事故と同一視する報道もあり、「有事に逃げ出した作業員」という印象が植え付けられている。

 米紙ニューヨーク・タイムズ(いずれも電子版)は5月20日、「パニックになった作業員が福島第1原発から逃げ出した」と報じた。「朝日新聞によると」という形で、記事では第1原発所員の第2原発への退避を「命令違反」だと報じている。

 英紙ガーディアンは5月21日付で「『フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)』と呼ばれたわずかな“戦闘員”が原発に残り、ヒーローとして称えられた。しかし、朝日新聞が明らかにしたように650人が別の原発に逃げたのだ」と記した。

 オーストラリアの有力紙オーストラリアンも「福島のヒーローは、実は怖くて逃げた」と見出しにした上で、「事故に対して自らを犠牲にし果敢に闘った『フクシマ・フィフティーズ』として有名になったが、全く異なる恥ずべき物語が明らかになった」と報じた。

 韓国紙・国民日報は「現場責任者の命令を破って脱出したという主張が提起されて、日本版の“セウォル号事件”として注目されている」と報道。韓国で4月に起きた旅客船沈没事故で、船長が真っ先に逃げたことと同一視している。



朝日新聞に辟易する。

慰安婦の記事を今頃になってやっと訂正したかと思ったら、今度は福島について……。


一体、この新聞社の人間たちは、日本人から購読料や広告費をもらい、日本人をどうしたいのだろう。


それを読み続ける、大多数の教員組合組織の人間たちは、自分たちをどこへ向かわせたいのか。


正常な感覚では全く理解できない。

しかし、その新聞報道の内容だけは、確実に一人歩きしてしまう現実に、私は恐怖を感じると同時に怒りをおぼえる。




中村信仁


子供とお年寄りと大人と若者

久々に路線バスに乗っている。理由は今夜飲む予定になったので、車を家に置いてきたからです。

しばらくして、夏休みだからか小学生(低学年だろう)を連れた父子がバスに乗ってきた。座席は一杯で二人して立っていると、そばの席に座るおばあちゃんが、小さいのに可哀想だと席をゆずった。

これは日本でよく見かけます。子供が可哀想だと大人が子供をかばう行為。

子供が断るか、親が遠慮するものと思いきや、当たり前に譲られた席に子供は座り、父親も、良かったね、などと言っている。

すると、席を譲ったおばあちゃんに、中年の男性が、自分の席を譲った。「どうぞ」と。するとその男性に青年が席を譲った。「僕の方が若いので」と。その青年に中学生が席を譲った。「自分の方がもっと若いので」と。

すると、その中学生に、最初の小学生が椅子から立ち上がり言った。「どう考えたって、僕の方が若い。ゆっくり座っていられない。どうぞ」と。

これで全て丸く収まった。席替えをしただけで、全員違う席に再び座ることとなり、父子が立っている。

子供は元気だ。立っていたって疲れない。それなのに、なにが可哀想なのか。いつも子供は立っていていい。バスの中で危ないというが、世の中の危険な箇所、危険なこと、色々な仕組み、ルールやマナー、順番やバランスなど、そうやって覚えて行くものだ。

昔は親を座らせ子供が立つ姿を見て、親孝行なよくできた子供だと評価したものだ。

残念なことに現実のバスの中では、このような席替えは行われず、降りる停留所が来るまで、のうのうと子供が座ったままでいたのですが……。





中村信仁

男を磨く

伝統的英国ファッションに極端にこだわる男、木場紳匠郎(こば しんいちろう)氏と出会った。ジェントルマンズスタイルとも云われる形のスーツを神楽坂のアトリエで作り続けている。

紹介してくれたのは福岡の友人、大浦賢太郎氏。福岡の男が、北海道の男に、東京神楽坂の男を紹介してくる妙が自分の人生において面白い。

若い時はどんなにヤンチャなファッションをしていても誰も何も言わない。それが若さの許容範囲だからだ。でも、ある程度の年齢になるとそうもいかなくなる。個性を通すなんていう屁の突っ張りは個性ではなく孤性への意固地に他ならない。

五十才を目前にした今、改めて男を磨くステージが来ているように思う。せめて着るものくらい……、身につけるものくらい……、持ち物くらい……、ちゃんとしたものをそろそろ揃えなければ、と思う。

男を磨かなければ。
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中村信仁


2014.6.27 STVラジオ「中村信仁 勇気の言葉」

勇気の言葉 2014.06.27(金)放送 (STVラジオ)


「人の価値は過去に何をしてきたかではない。今現在、何に向かって歩いているかだ」


これは、私が中学校を卒業する時にある先生から頂いたことばです。卒業生全員に1枚のプリントが配られました。それはすべての先生たちからの一言メッセージを集めたプリント。その中にあった下級生の学年を受け持つ先生からのメッセージにこの言葉がありました。


「人の価値は過去に何をしてきたかではない。今現在、何に向かって歩いているかだ」


何十人の先生たちからのメッセージ、何十個というメッセージ。しかし、この一文だけが、妙に自分の心に響いた。このメッセージを読んで高校生になった自分は、


「大人になり、例え成功したとしても、そこに奢ることなく、新たな目標を掲げ常に挑戦すること」くらいに考えていた。


そして社会人になったとき、この言葉の真の重さに何度となく助けられた。


「過去に何をしてきたかではない」ということばの意味は、過去にどれほど成功しようとも……という戒(いまし)めではなく、「何度失敗しても」という励ましのことばであったことに。


何度となく挫折し、何度となくしくじり、何度となく打ちひしがれるたびに、自分を救ってくれたのが、この言葉。


「人の価値は過去に何をしてきたかではない。今現在、何に向かって歩いているかだ」


2014.7.4 STVラジオ「中村信仁 勇気の言葉」

勇気の言葉 2014.07.04(金)放送(STVラジオ)


「不満はあと、感謝が先」

作家、三浦綾子さんのことば


三浦さんの人生は難病の連続だった。24歳で突然高熱に倒れたのが発端である。それがその後、13年に及ぶ肺結核との闘病の始まりだった。


当時、肺結核は死に至る病で、入退院の繰り返しの中、三浦さんは自殺未遂も起こしている。そして、さらに悲惨が重なる。脊椎カリエスを併発。ギプスベッドに固定され、動かせるのは首だけで寝返りもできず、来る日も来る日も天井を目にするのみ。排泄も一人ではできず、すべての世話はお母さんがした。


そんな生活が4年も続いたとは想像を超える。そこに1人の男性が現れて結婚を申し込む。光世(みつよ)さんである。その日から薄紙を剥ぐように快方に向かい、二人は結婚する。綾子さん37歳、光世さん35歳だった。


そして綾子さんの書いた小説『氷点』が新聞社の懸賞小説に当選、作家への道が開ける。しかし、その後も病魔はこの人を襲い続けた。紫斑病(しはんびょう)、喉頭がん、三大痛い病といわれる帯状疱疹(たいじょう ほうしん)が顔に斜めに発症し鼻がつぶれる。

それが治ったと思ったら大腸がん、そしてパーキンソン病。次々と襲いかかる難病。それだけで絶望し、人生を呪っても不思議はない。だが三浦さんは常に明るく、ユーモアに溢れていた。


「これだけ難病に押しかけられたら、普通の人なら精神的に参ってしまいますね」


という質問に三浦さんは笑顔で答えた。


「神様が何か思し召しがあって 私を病気にしたんだと思っています。神様にひいきにされていると思うこともあります。特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと……。いい気なもんですねぇ(笑)」


誰の人生にも絶望的な状況はある。だが、心が受け入れない限り、絶望はない。同様に、誰の人生にも不幸な状況はある。しかし、心が受け入れない限り、不幸はない。三浦さんの生き方は そのことを教えてくれているように思う。

その三浦さんがこんな言葉を残している。


「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句をいいつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう」


※ 参考文献 / 心に響く小さな5つの物語Ⅱ(藤尾秀昭・著)より

2014.7.10 STVラジオ「今朝の一冊」

書名/おもかげ復元師の震災絵日記
著者/笹原留似子
出版/ポプラ社
価格/1,200円+税


1972年 北海道札幌市生れ。(42才)
現在、岩手県北上市にて復元納棺師として株式会社桜を経営。東日本大震災では、発生後まもなく沿岸地域に入り、津波や火災で大きな損傷を受けた遺体を生前の姿に戻す「復元ボランティア」に献身しました。


平成23(2011)年3月11日午後2時46分 東日本大震災発生。
あの時、私たちは、この日付を、この時間を、決して忘れるものかと誰もが心に刻みました。


私自身、地震発生の3日後の3月14日に福島へ出張の予定があり、現地スタッフとメールで何度も打ち合わせを繰り返していた時でした。札幌の事務所でパソコンの前に座っていた時、大震災発生。随分長い時間揺れ続くことにただならぬ不安を覚えたものです。


多分誰もがそうだったことでしょうが、あの瞬間、これほど大きな惨事となることは想像すらしなかったはずです。


著者である笹原さんは、大震災から9日後の3月20日、岩手県陸前高田市に立ち、ご遺体安置所を廻り300人以上の被災されたご遺体の復元に尽力しました。その時出会った、ひとりひとりを、決して忘れないとの決意から、スケッチブックに描いた絵と言葉をそのまま本にしたのがこの一冊です。


あの時は衝撃が強すぎて、しばらく正対できなかった。

まだ三年……、もう三年。

少しだけ見つめる勇気を、日本人として全員が持ったはずです。


忘れはしない。
逆に時間が過ぎるほど深くなる。

悲しくないわけがない。
ただ、それを飲み込むコツを身に付けただけ。


毎日毎日、安置所を何カ所も走り回って……。
親を、子供を、孫を、兄弟を……探しまわる親族。
どんな気持ちだったんだろう。
どんな哀しさだったんだろう。
もしかしたら、ってのぞみも、必死に抱いていたはずです。


波に飲まれる父親を救おうと……、その時、「来るな!」と娘に叫んだお父さん。安置所で再会した娘さんは泣き崩れました。


17歳の女の子に「守れなくてごめんな」とお父さんが泣いた。


「パパ、さよなら」と言う小さな娘さんに「サヨナラはさみし過ぎる……、またね、にしよう」とママが言った。「パパ……またね……」小さな娘さんの言葉に……みんなが泣いた。


町の人の命を守るため、最後まで消防団の鐘を鳴らし続けた。
「逃げろ!逃げろ!」鐘を鳴らし続けて叫んだ。町の英雄。
お母さんは、自慢の息子なんですと泣いた。


今なら正対できる心の準備ができたことと思います。お孫さんと一緒に、生かされていることの素晴らしさを、お子さんと一緒に親子の絆の深さを、ご夫婦で縁の導きを……、この一冊を通して話し合ってみて下さい。


逝った方、残された方、ひとり一人の別れを見つめ心に刻み、生かされていることに深く感謝し、亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。




中村信仁

2014.7.3 STVラジオ「今朝の一冊」

書名/面倒だから、しよう
著者/渡辺和子
出版/幻冬舎
価格/952円+税


1927年2月生れ。( 87才)
現在、ノートルダム清心学園理事長。修道者


 「面倒だから、しよう」は、おかしな日本語かもしれません。

 「面倒だから、よそう」があたりまえでしょう。これは、面倒くさがり屋の私が自分にいい聞かせている言葉であり、学生たちとも、一緒に使っている言葉なのです。

 学生たちには、「この世の中には、お金で買えないものがあり、その一つが心の美しさなのだ」「しようか、どうしようかと迷ってもいい。でも、そこで、自分の怠け心と闘った時に、初めて、本当の美しさ、自分らしさが生まれてくるのだと思う」といっています。「きれいな人」と「美しい人」とは、混同して使われるケースも多いのですが、必ずしも同じではありません。

 マザー・テレサが来日された時、「私が一番びっくりしたのは、日本のきれいさだ。街路、服装、自動車、何もかもきれい。しかし、もし、あのきれいな建物、家屋の中で親子の間の笑顔、夫婦間の思いやりがないとしたら、インドの貧しいながら、ぬくもりのある家族の方が幸せだ、と思う」といわれました。


 「きれい」は、お金を必要とします。「美しさ」に必要なのは、心の輝きなのです。今のように、手間ひまをかけないですむものが溢れている時こそ、自分の心の中の小さな闘いが必要であり、その結果としての美しさが世の中を明るくするのではないでしょうか。……「はじめに」より


 著者のメッセージは一貫して「許す」ことにあり、それができる人を自由に生きられる人といい、そのように自由な生き方を「美しい」と説いています。つまり、人の美しさとは「許す」心にあるというのです。


 著者の父親、渡辺錠太郎氏は教育総監(きょういくそうかん)でした。
 著者が9歳の時でした。二人で寝室に寝ていた朝の6時前、三十数名の青年将校と兵士がトラックで家に乗り付け、錠太郎氏を射殺します。あの二・二六事件です。
 咄嗟に父親が機転を利かせ座卓の影に著者を隠してくれたそうですが、目の前1メートルのところで父親は惨殺されたそうです。
 父親を殺した人たちを恨んでいないつもりでいたのに、あることをきっかけに恨みが心の奥に残っていたという話も出てきます。この話については、次のようなフレーズを書いています。

「許さない間は相手の支配下にある。自由になるために思いを断ち切ることが大切」


「頭で許しても体がついていかないことがある……せめて、相手の不幸を願わないことを心に留めて生きたい」



 渡辺さんの経験した悲しみ、苦しみ、恨み、妬みなどや、喜び、感動したことなどをもとに導き出した言葉の数々はとても貴重です。

 きれいごとばかりでなく、許せなかった経験やうつ病になったことなども淡々と書いてあり、素直に受け止めることができます。

 自分には耳の痛いこともいろいろ書かれていますが、不思議と心が洗われたような、穏やかな気持ちになります。


 日々の生活に隠れた、小さな幸せを見つけるための知恵が詰まっているように感じました。


 速いことはよいことだ、という価値観が世の中を席巻し「何でもアリ」といった服装、言葉づかい、マナーがまかり通っている世の中に生きていると、知らず知らずのうちに、私たちまで、心を込めて字を書き、人と接し、ことにあたることを忘れてきています。


「自由というのは、何でもしたいことをすることではありません。自分が本当にすべきことをできる人、してはいけないことをしないですむ人が、本当に自由な人です」


 つまずくのはあたりまえ。つまずいたおかげで気付くものがある。
 何もしなかったら、つまずきません。何かをやってみたからこそ「つまずく」のです。この世の中は、やってみないと分からないことだらけなのです。やってみて、すぐにできてしまうようなことは、なかなか記憶に残りません。でも、つまずいたことは心に強く刻まれます。その気持ちを持ち続けることができたら、「面倒だ」なんて思うことはありません。


ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが、相手にとっては非常な価値を持つものだ。ほほえまれたものを、豊かにしながらも、ほほえんだ人は何も失わない。



中村信仁

日帰り名古屋講演

わずか3時間半の名古屋滞在で北海道へ戻りました。

今朝は2時55分に起床し、4時に局に入り5時半からの本番準備。北海道地元のSTVラジオにて、オハヨー!ほっかいどうのレギュラー番組3時間半生放送(毎週木曜日、金曜日)を終えて名古屋へ。

毎週末はだいたい何処かここかへ旅に出ているので、珍しいことではないのですが、今週は名古屋一本でしたので、強行スケジュールにして日帰りにしました。

明日、明後日と久しぶりに土日を北海道にて過ごします。二連休…それも人並みに土曜日曜なんて、何ヶ月ぶりになることか自分でも分かりません。

来週末は京都、そして再来週は全国から仲間たちが北海道へやって来ます。今月は、違った楽しみ満載の一ヶ月です。

さて、原稿も書かなければ。


中村信仁