営業の魔法 中村信仁と永業塾の仲間たち -8ページ目

袋背負いの心

やられた。完全に打ちのめされました。

子供の頃、喧嘩をしてもどうしても勝てない相手がいて、勝てないのにいつも喧嘩をする。喧嘩をするというより気がつけば喧嘩になる。要はウマが合わなかったのでしょう。

しかし、学校という場所は一度級友になると一年間は一緒に過ごさなければなりません。ウマが合おうと合わなかろうと、毎日顔を合わせ口をきかなければならない。そんなに毎日一緒にいれば少しは仲良くなるかというと、合わないものは合わないので、決して仲良くなることはありませんでした。

それどころか、通っていた小学校は田舎の小さな学校だったので、一学年一クラスのみ。結局、そのウマの合わない級友とは六年間机を並べることになりました。

そして、今回やられたというのは、そんな子供の頃の喧嘩とか人間関係に関するゴタゴタではなく、一冊の本に打ちのめされたのです。

致知出版社から刊行された新釈古事記伝。まずはその第一集「袋背負いの心」
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この第一集の中心は、誰もが知っている稲羽の白兎と大国主命(おおくにぬしのみこと)の二本を中心に書かれていますが、それが圧巻なのです。この後もこんなペースで他集が進むならとんでもないことになります。なぜなら、なぜ大黒様が袋を背負い米俵の上に立つのか、なぜ、人は正しければ正しいほど妬まれるのか、なぜ、母親をお袋様と呼ぶのか、なぜ、困っている人を助ける時に逆に感謝すべきなのか、なぜ、なぜ、なぜ、への問いに対して確実な訓えと導きが古来から伝わってきたこの古事記の中にしっかり隠されるようにして伝えられていたなんて……。

日本人が世界から尊敬される民族である理由やその答えはやはり神話の中にしっかりあったのです。

誰が言っていたか定かではありませんが、神話を亡くした民族は、神話を持つ民族に必ず飲み込まれると。それは、考え方、生き方、の軸が神話を通して作り上げられるからなのだ、とこの本を読んで実感しました。

さあ、二冊目に入ります。これはもうこの全集を読み終わるまで、他のことが手につきそうにありません。




中村信仁

今朝の一冊

書名/禅とマネー
著者/生田一舟(いくた いっしゅう)
出版/アスペクト
価格/900円+税



者は昭和42年生まれの元銀行マン。
三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)入行。平成15年、働きながら座禅修行を積み、10年後の平成25年僧侶となった異色のお坊さん。


本著の「はじめに」にこう書かれている。
この世に思いわずらうことは、ただ二つしかない。健康でいられるか、病気になるかだ。もし君が健康でいられるなら、思いわずらうことは何もない。しかし、もし病気になってしまったら、思いわずらうことはふたつだ。良くなるか、死ぬかだ。もし癒えるようなら、心配することはなにもない。しかし、もし君が死ぬようなら、心配ごとはふたつだ。天国に行けるか、地獄に堕ちるかだ。そして、もし君が天国へ行けるのなら、思いわずらうことは何もない。しかし、もし地獄に堕ちるのなら、そこには大勢の友達がいて、「やあ君も来たか」とお互い握手するのに忙しく、思いわずらっている暇はないはずだ。


これはアメリカのとあるレストランのコースターに書かれていたそうです。銀行員時代、著者はこの言葉で自分の心の均衡(きんこう)を何とか維持していたそうです。そして座禅と出会い釈尊の教えに学び、経済学からみた「お金」ではなく、禅の道から説く「お金」を……、そして「お金を儲ける」ための知識ではなく「学校では教えてくれない、しかし人生を歩む際に無視できないお金に対する基礎知識を、分かりやすくつたえる僧侶」になることを決意します。


安定したエリート銀行マンの立場、地位を捨て、僧侶になるかどうかためらっていた時、お師匠さん言われたそうです。「なにをボヤボヤしとる。時間の殺生じゃ」


時間にも殺生があるのかと目から鱗が落ちるおもいの中、社会的地位も安定も収入も捨てる決意をしました。捨てる、生かす、これこそまさに仏教における人生の極意だと著者は書いています。

人生とは何か、という問いに対して、釈尊とプラトンが同じことをいっています。それは修行だと。人生とは、修行、と。そして二人とも、人間とは時空を進むエネルギーの集まりと説き、エネルギーが進むときの形は、決まって波形なのです。我々の人生そのものに山あり谷ありなのは、当たり前なのだということ。


お金を大事に生かして使うには、お金と交換に手に入れられるものの本当の価値を見抜くことも重要です。


お金の5段階活用
①正しく稼ぐ ②正しく使う ③正しく貯める ④正しい貸し借り ⑤正しい相続


著者は最後にこう言っています。
「借金をするほどお金は足りなくなるように仕組まれている」と。

豊かさを求めて、借金とはすればするほどお金が足りなくなるという矛盾。クレジットカードやローンを活用することで、人生が豊かになるという思い込み。使えば使うほど、実は貧しくなっているのです。

お金は無いよりあった方がいい。しかし、道具であるお金に振り回されている昨今、一度、お金って何なのかを冷静に見つめなおしてみる夜があってもいいのではないでしょうか。



中村信仁


秋山チエ子と倉本聰(くらもと そう)

その昔、秋山チエ子さんが「北の国から」の脚本家、倉本聰さんに戦前の小学校の修身の教科書の復刻版を送りつけた。


「読んでごらんなさい、あなたどう思う ? 軍国主義も天皇制教育も、4~5年生にならないとほとんど出てこないわよ。それ以前は基本的しつけの教科書よ。軍国主義的だって理由で修身そのものを廃止しちゃったけど、本当にこれで良いとあなた思う ? 」


倉本聰さんは読んでみて「まったくその通りだ」って思ったらしい。初歩的しつけというか、社会のルール、してはいけないこと、大いにすべきこと、そうした根本的人間の倫理を教えている。とても今の教科書や学校がそれらを教えているとは思えない。


獨白 2011年3月「北の国からノーツ」倉本聰 著より



この文書を読んで思い出したことがある。

海賊と呼ばれた男、出光佐三だ。


イギリスがイランの石油権利を主張し続けていたため、誰も手を出せなかったイランへ、出光は自社タンカーを派遣し石油の買い付けに成功した。面白くないのはイギリス。日本の裁判所に出光の買付け無効を訴えた。しかも、「出光は信頼できない。石油を不当に横流しするに違いない」と攻撃した。


それに対して出光は……

「この問題は国際紛争問題になっておる。でありますから、僕は日本国民のひとりとして、俯仰天地(ふぎょうてんち)に愧(は)じざる行動をもって、終始一貫することを裁判官に訴えます」と胸を張り、結局イギリスの主張はことごとく退けられた。 

※俯仰天地に愧じず/孟子。仰いで天に愧じず、俯して地に愧じずの意。天地に恥じることはなにひとつとして無い。


この姿勢こそ、修身の賜物のように思えてならない。日本国民として一切恥ずべきことはしていない、という誇り。自分は日本人なのだから、絶対だという自信。


修身を復活させたいと思う。

この大切さを訴えたい。

しかし、今の若い教師達に修身の指導ができるのだろうかという危惧が頭をよぎる……。




中村信仁

2014.06.19 STVラジオ「今朝の一冊」

書名/嫌われる勇気
著者/岸見一郎、古賀史健 著
出版/ダイヤモンド社
価格/1,500円+税


フロイトやユングと並び「心理学の三大巨頭」と称されるも、これまで日本であまり知られることがなかったアルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を、「青年と哲人の対話篇」という物語形式を用いてまとめた一冊です。

欧米で絶大な支持を誇るアドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な“答え”を提示します。


アドラーは一貫して目的論を主張しています。
例えば「ついカッとなって大声を出した」というのが原因論。これに対して目的論では「大声を出して相手を屈服させるために、怒りの感情をつくり出した」と考えます。あるいは、精神的に不安定で家に閉じこもっている人が「不安だから、外に出られない」というときにも、アドラーの目的論では「外に出たくない(そして他者と接触したくない)から、不安という感情をつくり出す」と考えるのです。原因があって結果がある、という因果律を根本からひっくり返しています。( ※ 原因と結果、因果応報の真逆にあります )


古くはギリシア哲学のプラトンらの思想も目的論ですから、アドラーの考えは時空を越えてこの時代にも受け継がれ、具体的な対人関係の解決に役立っているのです。

目的論の立場で考えると、「私は学歴が低いから成功できない」とか「私は複雑な家庭環境に育ったら幸せになれない(犯罪に走った)」といった話も通用しなくなります。前者の場合でいうと「成功するのに必要な努力をしたくないから、学歴の話を持ち出している」となり、アドラー心理学では「劣等コンプレックス」というそうです。


しかし、逆に考えると「過去にどんなことがあったとしても、これからどんな道を選ぶこともできるし、幸せになることもできる」というのです。人生に言い訳を許さない厳しさを持ちながら、同時に希望に溢れているのがアドラーの目的論です。


アドラーのことば……


「すべての悩みは対人関係の悩みである」

「人は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は(解説)にはなっても(解決)にはならない」

「やる気がなくなったのではない。やる気をなくすという決断を自分でしただけだ。変われないのではなく変わらないという決断を自分でしているだけだ」

「暗いのではなく優しいのだ。のろまではなく丁寧なのだ。失敗ばかりではなくたくさん挑戦しているのだ」




読後感談
アドラーのことばで印象深いものに「信用」するのではなく「信頼」するのだとあります。信用とは相手が条件を満たしている状態で関わることで、信頼とは無条件で相手を信じる行為。


今は人を疑うことが当たり前の社会となっていて「子供から電話があっても、振り込め詐欺かもしれないから気をつけましょう」と注意喚起されます。つまり人を疑うことを前提に、今の世の中は成り立っています。しかし、これまでのように信用で成り立つアメリカ型資本主義はリーマンショックで破綻し、この強欲なアメリカ型資本主義に代わる、新しい仕組みや新たな価値観はまだが顕在化されていません。

しかし、もしかすると……、次の方向性はアドラーが示していて、信用の社会から、信頼の社会へと、世の中は既にシフトし始めているのかもしれません。




中村信仁

ときふみ(時文)という文化の儚さといじらしさ

今朝、メールにてトキフミという言葉を教えてくれた人がいました。とおい昔、遊女たちが自分の中に隠している真心を伝えるためにしたためた手紙……。毎日、同じ時刻に書き送った手紙……、それをトキフミと呼び、漢字では時文と書いたそうだ。


遊女という職業だからこそ、信じてもらえない覚悟の下で、誰よりも真心を大切にしたのだと想像を巡らす。虚飾だらけの暮らしの中で、封印したはずの自分の中の真実を伝える手段……。


生きることへ白けてしまいそうになる自分。そうさせまいと必死にもがく自分、その葛藤の中で手紙を書いた。そして、毎日同じ時刻にそれをしたためることで、自分の暮らしの中に相手を思う日常が存在していることを、はかなずも伝えようとしていた。


今にして思うと、ある種、とてもロマンチックに感ずるが、白々と東の空が明るみかける頃、隣に眠る疑似恋愛の客を布団に残し、そっと文机に向かう、うら若き遊女の胸の中は、今の時代、誰においても想像の限界を超えるに違いない。


私に届いたメールにはこう書かれていました。「手紙を届ける本当の目的は、ただつながっていたい、そんな気持ちだったのでしょう」と。


時代は変わっても、人が人と関わりを持ち続けること、つながりを確認すること、そう思う気持ち、それらは何も変わっていないのかもしれない。





中村信仁

初めて自分の癖を知りました。

今、あることに気がついて驚きました。自分のある癖についてです。

お勤めの方は時間で仕事をするのが一般的ですから、時間になれば家に帰るわけですが、商売をしていると、時間で仕事をせずに仕事で仕事をします。ですから、仕事が終わらないと仕事をやめません。

そして、疲れてクタクタになると家に帰って休息を取ります。

つまり、私が家に帰る時は疲れ切った時なのです。夜中の2時、3時、という時もあれば、午前中に帰る時もあります。要は疲れたら帰るのです。

だから家にいる時はただひたすら寝ているのです。

なるほど、私は、外にいる時は元気で、疲れたら帰るということを、振り返ってみると二十歳の頃からひたすら繰り返しているのです。



中村信仁

お風呂掃除と玄関掃除

東京、名古屋、熊本、と三か所の旅を終えこれから北海道へ一旦戻りますが、熊本で興味深いお話を先ほど聞きました。


ある生命保険会社の熊本支店において、入社九ヶ月目でトップの成績を納めた営業人が、その九ヶ月間毎日し続けていたことについてです。


彼は、仕事を終えて家に帰ると、まず玄関掃除をし、トイレ掃除をし、それからお風呂に入り、入浴後、お風呂の掃除をし、風呂場の壁などに一滴の水も残さぬよう拭きあげていたそうです。


それを教えて下さった方が「信仁さん、彼は、だからトップになったのでしょうね」といいました。


きっと掃除の神さまが、営業の神さまに伝え、彼を導いたのだろう……と。多分そうなのかもしれません。でも、彼は毎日毎日働いて家に帰り、九ヶ月間、それをし続けた中において、家族の皆さまは、何も気がつかなかったのでしょうか。もしくは気がついていたが、彼が頑なにやり通したのでしょうか。


なんとなく、この話をきいて、悲しくなる自分がいました。素晴らしい行為なのでしょうが、なぜか悲しいのです。ストイックに生きているのでしょうが、なぜか悲しいのです。うまく表現できませんが、なんとも言えず悲しさが包んでくるのです。



中村信仁

ラジコによるラジオ全国区時代

スマートフォンやパソコンでラジオを聴ける時代になるのと同時に、ラジコがエリアフリーとなりまして、全国で好きな地域のラジオ番組を聴けるようになりました。

考えてみると、ニッポン放送も文化放送もそもそも地方局。つまりラジオは全てが地方局でしたがインターネットの普及とアプリケーションソフトの進化によって、ラジオのあらかたの局が全国区になりました。

テレビでいうキー局と並び、全国どこにいても、聴きたい番組を聴ける時代。

これからのラジオは番組作りが根本から変わるのかもしれません。もちろん変わらない番組、変えない放送局もあるはずです。地方色をさらに押し出すようにして……。

でも、私は全国へ向けた番組作りをしてみたいと夢見ています。ラジオで全国へ発信する。聴けば聴くほど生きる勇気と希望が湧き上がるような音、人生って楽しいんだなぁと感じるそんな音を届けてみたい、そう思います。




中村信仁

2014.6.5 STVラジオ「今朝の一冊」

書名/伊集院静の「贈る言葉」
著者/伊集院 静
出版/集英社
価格/850円+税



2000年から2012年までの1月と4月にサントリー新聞広告に掲載された新成人と新社会人ヘの23編のメッセージ集。


12年間、伊集院さんは生きる上の普遍の可能性を、1月に新成人たちへ、4月に新社会人たちへ贈り続けた。


その普遍の可能性とは、「覚悟をもって道を歩けば、誰だって夢を手に入れられる」ということだ、と説く。あきらめた瞬間から真の幸福は遠のくものだ、と……。


伊集院さんの言葉を読み続ける中で気がついたことがありました。
それは「真の幸福」とはそれを手に入れた状態ではなく、それを手に入れるために頑張っている生き方こそ、それを得るために努力しているその瞬間の連続こそ、私たちが望む「真の幸福」な状態なのかもしれないということ。

私たちは、いつも願うことがあります。それは今日より明日、今年より来年、と未来は今よりきっと良くなっているはずだという願い。そしてその願いを私たちは「希望」と呼んでいます。


その希望の灯火(ともしび)が心にある状態こそ真の幸福な時なのかもしれません。希望を絶やさないで生きること、希望を失わない生き方、希望に包まれている人生、その心持ちを大切に暮らしたいと、本書を読んでいて強く感じました。「私は、今、とても幸せ」なんだということを……。



中村信仁

「掃除をする」ということを考えてみる

汚れたから掃除をする……、のではなく、使わせていただいたので「ありがとう」という感謝の念をもって後始末をする、すなわち、それを掃除という。



先日、永業塾名古屋ステージでの「アウトプット」の場で教えていただきました。しかし、永業塾は、なぜ、こんなにも人間力の高い方たちが集まってくるのだろう……。


もっと、もっと、精進しなければ、どんどん背中が遠ざかってしまいます……。





中村信仁