杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -7ページ目

この正月に、今後の生き方、働き方を考えた人も多いのではないだろうか。コロナが蔓延する中で、それはより切実な課題として人々の心に浮かび上がってきた気がする。

 

僕もふと、「自分はどんなことをやってきたんだろう」「どんなことをやっている時が楽しいんだろう」と、そんなことを考えた。そこには、次の4つのプロセスが共通しているような気がした。

 

①発見

②収集

③編集

④発表

 

たとえば、拙著『考えない論』の場合。

 

①日常の中で、考えないことの大切さに関する「発見」がある。

②その発見を記憶やメモなどで「収集」する。

③その収集したものを文章、あるいは本として「編集」する。

④その編集したものを「発表」する。

 

『考えない論』に限らず、ものを作るときは、だいたいこのプロセスを辿っている。粛々と運営している「かがり火WEB」も、ほとんど一文の得にもならないのになぜ続いているのかといえば、このプロセスが楽しいからだと思う。

 

これの場合、最初から記事が存在するので「発見」のプロセスはないけれど、そこから『かがり火』の過去の記事を収集し、WEBの形で編集し直し、それをアップして発表するという、このプロセスが楽しいのだろう。あえて言えば、ここで抜け落ちている「発見」のプロセスは「発掘」に置き換わっているのである。

 

このプロセスで仕事をしている代表的な人が、みうらじゅんさんだろう。「アウトドア般若心経」「いやげもの」「シンス」「LOVEスクラップ」など、まさに発見、収集、編集、発表のプロセス自体をなりわいにしている。

 

普通の人にとっては「どうでもいい」もの、たとえば縁日で売っているゴムヘビのようなものでも、それを大量に集められて、それぞれのゴムヘビのウンチクやゲットしたエピソードとともに編集し、大々的に発表されると、思わず「おお〜!!」となってしまう。そしてその「どうでもいいもの」への眼差しそのものが「発見」なのである。

 

この発見、収集、編集、発表のプロセスで特に注目したいのは、「発」と「集」である。そこを太字にすると次のようになる。

 

②収

③編

 

一連のプロセスの最初と最後に現れる「発」、その間にある「集」。この「発」と「集」というのは、実は生命の根源的な運動なのではないだろうか。

 

たとえば僕らが常に行っている「呼吸」。これも、息を吐くことで体内から空気を発し、息を吸うことで体内に空気を集めるという、「発」と「集」の繰り返しの運動である。

 

心臓の動きだってそうである。血液を心臓から全身に発し、それをまた心臓に集める。その繰り返し。

 

さらに言えば、宇宙そのものの運動だってそうである。ビッグバンの発生によって宇宙が生まれ、その宇宙はやがては収束するという。これもまた、あまりに巨大な「発」と「集」の運動である。

 

実は人間の意識も「発」と「集」の運動だと捉えることもできる。ふだん何も考えていないときは、意識が空間に漂っている状態、つまり意識が散漫になり、発散されている状態である。そして何かを意識する時には、それを集めて、文字通り「集中」するのである。

 

そして「時間」もまた、「発」と「集」の運動なのだと僕は思う。

 

現代の僕たちは、時間を直線的で等速な流れとして捉える。いわゆる「時計の時間」である。しかし日本の伝統的な考え方では、時間は「時(とき)」と「間(ま)」の繰り返しとして捉えられていたという。「時」というのは、「食事をする時」とか、「畑を耕す時」とか、「山田さんと会う時」とかの、いわば出来事のようなことである。そしてその出来事と出来事のあいだ、つまり「時」から「時」までのあいだが「間(ま)」である。

 

「間が悪い」とか「間抜け」という言葉があるが、それは「時」と「間」の繰り返しという原理に反することを諌めているのかもしれない。改めて考えるまでもなく、休憩なしに働き続ければ過労死するし、睡眠なしに生活すれば死んでしまうのである。

 

この「時」と「間」の繰り返しも、先ほどの「意識」の運動と同じように捉えられるだろう。出来事としての「時」は意識が集まる場、つまり「集」である。その時と時の「間(あいだ)」は、ある意味で意識されない時間であり、それは「発」の状態である。

 

この構造は、量子論による物質の捉え方を彷彿とさせる。物質は本質的に波と粒子が重なり合った状態として存在していて、人間がそれを観察した時には粒子となり、観察していない時には波として漂っているという、実に不思議な振る舞いである。だからこれも、物質の本質は「発」と「集」の繰り返しであることを表しているのかもしれない。

 

このように見てくると、「発見、収集、編集、発表」というプロセスは、宇宙の根源的な運動の模倣のようにも思われてくる。なんだかプラトンのイデア論が思い起こされるが、いずれにせよ、そう考えるとなんだか面白いではないか。

 

誰かが発表したものは、何らかの形で世界に広がり、影響を与える。これを「発」の状態だとすれば、そのような多数の「発」の影響を受けた誰かが、ふたたびそれらを「集」の状態へ移行させ、別の形で発表する。これを世界の全体から見れば、ひとつの生命活動とも言えるだろう。

 

「発」と「集」の繰り返し。この視点で世の中のいろんなものを眺めてみると、ちょっと面白いかもしれない。

 

あたらしい無職 (シリーズ3/4)

 

 

この本は、まだ無職を経験していない人が、「いまこの社会で無職になるって、どんな感じなんだろう?」と、穴から覗くようにして読むのがよいのではないか。いわゆるイメージトレーニングのような感じである。具体的な事例を自分と重ね合わせることで、「もう少し今の会社を続けてみようか」とか、「会社を辞めた時のために、こういう準備をしておこう」など、考えるきっかけを与えてくれるだろう。

 

裏表紙には、「非正規雇用、正社員、アルバイト、フリーランス。東京で無職で生きる日々の記録」とある。内容も体裁も日記調なので、「読者を想定して書かれたエッセイ」をイメージして買うとアテが外れるかもしれない。あと、内容の半分くらいは会社員として働いている時のエピソードなので、いわゆる完全無職ライフや、サバイバル術のようなものを求めている人にもオススメしない。

 

そうではなく、「非正規雇用、正社員、アルバイト、フリーランス」を柔軟に渡り歩き、所属と無所属の境界線を生きる。そこに「あたらしい無職」というタイトルの所以があるのかもしれない。それでも、無職だからこそ共感できる感情の機微が行間に漂っていて、まるで同僚を得たような気持ちになる人もいるはずだ。

 

このような日記的な記述は、今和次郎が提唱した「考現学」にとって貴重な資料にもなる気がする。一方で、同様の文章はブログなどにあふれている、と言われればそうかもしれない。しかし、そうしたネット上の言説は、何かしらのきっかけで全て消えてしまう可能性がある。もちろん書籍だって、空襲で全て灰になるようなこともあるが、それでも1000年以上残っている文献は存在する。それに対して、電子データ、ネット上のデータが1000年残るかと考えると、う〜ん、という感じである。

 

本書のように、自分の記録を書籍として形にしておくのはとてもいいことだと思う。年を経てブログを読み返す機会はあまりないと思うが、本にしておけば、ふと手に取ったり、人に渡して読んでもらったりする機会が生まれるかもしれない。そのどれもが唯一無二の人生の記録である。

 

 

いまではほとんど目にしなくなった旧暦(太陰太陽暦)を現在の暦(新暦)に活かし、相互の長所を活かした暦を作ろうという、意欲的な取り組みについて書かれた本である。

 

日本における暦の基礎知識がしっかり整理されていて、「暦の入門書」としても大変わかりやすい。

 

筆者自身の「太陽光発電の記録」から、その地方の「太陽の恵み」を可視化し、二十四節気との関わりを分析する手法は実に独創的。

 

ちなみに「ほんとうの暦」においては七十二候の記載が考えられているが、これを「地域ごとに異なるもの」として作成することが目指されている。その理由は次のように述べられている。

 

「七十二候の表現は地域による差が大きく、日本全体で共通化するのは困難である。同じ山口県内でも、花の開花が10日違うこともあり、5日毎に候が変化する七十二候を統一するのは無理がある」

 

「日本列島が南北にかなり長いので、季節感は地域によって大きく異なっており、「ほんとうの暦」とは、地域ごとの気候風土に合わせた暦であることが必要だと言える」

 

これは本当にその通りで、僕も以前、日本時間学会に掲載された論文「「ヴァナキュラーな暦」としての自然暦」の中で主張した内容である。ヴァナキュラーとは「風土的」「土着的」などと訳される概念である。そして地域ごとに異なる「自然暦」とは、本質的に土着の暦、すなわちヴァナキュラーな暦である。七十二候は自然の変化によって季節を表すが、それを日本全国で共通化した瞬間、それはヴァナキュラー(土着のもの)ではなくなり、自然暦の本質を失う。この「暦の均一化」は「人間の均一化」と結びついており、そのことが人間を交換可能な存在のように感じさせる一因になっていることを、この論文で指摘した。

 

暦とは本来、地域の生活と密接に結びついており、そうである以上、自然環境の異なる地域ごとに、それぞれの暦があってしかるべきなのである。それを「日本の暦」として一元化することは、近代国家を成立させるためのひとつの手段であったことを、私たちは知っておいてよい。

 

日本や世界という広範囲で共有される暦は便利だし、それを利用しない手はないが、それとは異なる「地域ごとの暦」があった方が、人々の生活は豊かなものになるのではないか。それはきっと、人間が人間らしく生きることを回復する重要な手掛かりになると思う。

 

 

ほんとうの暦 (教育文化ブックレット)

 

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

元日は朝から洗濯機を回して、氏神様へ初詣に行ってきた。

 

コロナ対策のせいか、手水舎の柄杓が回収されている。かわりに参拝所の前にアルコールスプレー。これもいわゆる「新しい生活様式」というやつだろう。しかし「初詣」という習わしがなくなることはきっとない。考えてみれば不思議なことである。

 

地元のローカルな神社なので人はまばら。賽銭箱に50円を滑り込ませ手を合わせる。

 

おみくじは中吉。近年の中ではかなりいいほうだと思う。子どもの頃はしょっちゅう大吉が出ていて、「そういうもの」だと思っていたのだが、大人になってからはめっきり出なくなった。煩悩の積み重ねにより、神の加護が薄れているのかもしれない。うーん、やむなし。

 

おみくじの中身を読み終えて顔を上げると、さっきまで閑散としていた参拝所前に行列が出来ていた。

 

小学生の時からずっと飾っていた七福神のミニフィギュア?みたいなものがあって、これの炊き上げが出来るか聞いてみると、問題ないという。炊き上げ料は「500円以上」と紙に書かれている。財布を覗くと小銭がなくて1000円札しかない。「お釣りください」とも言えず、結局1000円を支払った。内心「ぐぬぬぬ……」と思いつつ、これも神の采配と思ってあきらめた。来年は大吉だな。

 

去年はコロナな1年でしたが、ものごとには必ず裏表があるといいます。そのいい面を見つめつつ、対峙すべきものとは対峙しつつ、総じて愉快な1年になればいいなーと思います。みなさまにとって素敵な1年になりますように!

 

 

2020年も今日で終わりだそうです。みなさまおつかれさまでした。

 

今年はコロナ一色の1年でしたね。「世界が一変した」とも言えるし、「何も変わらなかった」とも言える。でもそんな中で、見えてきたこともある気がします。

 

コロナに対する危機感が全国的に共有されるようになった3月ごろ、僕自身のコロナへの向き合い方をブログに書きました。要するに「長い時間幅で捉えよう」ということでしたが、基本的な考え方は、その時から1ミリも変わっていません。

 

 

会社の経営判断においても、収束までの時間幅をどれぐらいの長さで想定するかによって、その対応は大きく変わってくるだろう。たとえば、すでにかなりの影響が出ている旅行業界だと、2、3ヵ月で収束すると想定するならば、「その間はなんとか堪えて、需要が回復するリバウンドの時期に備えよう」という判断もあり得るだろう。

しかし、この事態が1年以上続くと想定した場合はどうだろう。これはあくまで仮の話だけれども、多くの会社は体力が持たないのではないだろうか。そうなってくると、旅行業での売上が見込めない以上、コロナの影響を受けない市場への参入といった、経営の多角化も視野に入ってくるかもしれない。

 

上記のようなことも書きましたが、実際にHISなどは「影響は来年半ばまで続くだろう」(「JIJI.COM」2020.12.10)とし、経営の多角化にかじを切っています。コロナの収束に伴う旅行需要のリバウンドも視野に入れながら、ではありますが。このHISの姿勢でさえ、かなり楽観的だと個人的には思います。

 

 

まあ、コロナについて書くとキリがないのでこのへんにして、「そういや今年って、何してたっけ?」と、自分の2020年について適当に振り返ってみようと思います。

 

【両親とのハワイ旅行キャンセル】

「コロナについて書くとキリがないので……」などと言いつつ、さっそくコロナの影響を受けた話から(笑)。

 

両親が70歳を過ぎ、これまで親孝行らしいことを何一つしてこなかった僕は、「せめて一つくらい、思い出に残るようなことをしておきたいなあ」という気になりました。まあ、罪滅ぼしのような感じです。

 

それで兄弟3人で相談して、今年の4月に両親をハワイ旅行に連れて行く計画を立てました。僕らにすれば、一世一代のビッグイベントです。飛行機もホテルも予約して、あとはその日を待つだけ……と思ったら、まさかのコロナ。2月には「こりゃ無理だな」と判断して、キャンセル料がかからないうちに取りやめました。

 

個人的には、ハワイ旅行はあと数年は難しい気がしていますが(運良く旅行できるようになったとしても、リバウンド需要で価格が高騰するかもしれないので)、まあそのぶん、両親には長生きしていただきましょう。

 

【パステル画展「だいたい十条」の開催】

例年と一番違ったのは、やはりパステル画展の開催でしょう。これについてはパステル画展を疑似体験できる記事も作りましたので、よければ読んでやってください。

 

 

【「そんな生き方あったんや!」の連載】

地域づくり情報誌『かがり火』で連載させていただいている対談記事「そんな生き方あったんや!」。コロナで直接会うことが難しくなった中でも、Zoomを使ったりしながら、なんとか連載を続けることができました。

 

 

 

 

 

【かがり火WEBの運営】

2019年5月1日からスタートした「かがり火WEB」。今年の5月1日には、運営メンバーで1周年集会をしましたが、これもZoomで。今は雑誌『かがり火』の過去記事をアップしながら、その中の名言をピックアップしてTwitterFacebookで配信しています。よければフォローしていただけると幸いです。

 

 

【ほうれん草のプランター栽培】

プランターでほうれん草を栽培しました。固定種の種で。その中でいろいろ学ぶことがあり、いくつか記事も書きました。その第一回が下記です。よければご覧くださいませ。

 

 

【高等遊民会議の開催】

ほぼ月イチで開催している、世界で最も非生産的な会議「高等遊民会議」。適当なメンバーで、適当に集まり、適当に話すだけの、何の意味もない会です。いつの間にやら、通算で56回を数えるまでになりました。みんなヒマなんですね(笑)。

 

喫茶店などでやることが多いのですが、今年はさすがに途中からZoom開催となりました。直接会えるのがベストですが、Zoomだと遠方の人も参加しやすいというメリットもあります。全く誰とも会わないよりは、Zoomでもコミュニケーションをとれたほうが、精神衛生上はよいかもしれませんね。

 

【FM西東京「ウィークエンドボイス」出演】

なぜかラジオ番組にも出演させていただき、そこで謎の人生相談コーナーを担当させてもらいました。僕はてっきりレギュラー化すると思っていましたが、その1回だけで終わってしまいました。なぜだ!!内容などは下記の記事にかきましたので、よろしければ。

 

 

【サロンにて時間論の視点から見た自殺予防のお話】

2019年10月に、北海道の千歳市からの依頼で、自殺予防を時間論の視点から考える講演をしたのですが、その話を聞きたいということで、あるサロンで同じ話をさせてもらいました。

 

自殺予防は今後も社会的に重要なテーマになってくると思います。内容については、千歳民報の記者さんがうまくまとめてくださっているので、よければこちらをご覧下さい。

 

千歳民報

【『自由帳みせて!』(福音館書店)に自由帳を提供】

2021年1月15日に、すずきこうせい著『自由帳みせて!』(福音館書店)が出版されます。これは40人の小学生の自由帳を集めた本なのですが、ここに僕の小学生時代の自由帳も収録されています。なぜ僕に声がかかったのか、ちょと覚えていないのですが(笑)。

言うまでもなく「う○こ」だらけの自由帳なのですが、果たしてそれらは採用されているのでしょうか?よければその目で確かめていただけると幸いです。もし「う○こ」を発見できたら、運気アップ間違いなしです。

 

自由帳みせて! (福音館の単行本)

 

 

【見舞講を始める】

 

前から興味のあった「講」を、仲間と一緒に始めてみました。僕らが始めた「見舞講」は、「メンバーの誰かが入院したら、みんなが1万円ずつその人に払う」という、それだけの講です。これも記事に書きましたので、よろしければご一読ください。

 

 

【「立石BASE」立ち上げのお手伝い】

友人の井口雄太さんが、葛飾区立石にコミュニティスペースを作るためクラウドファンディングを立ち上げました。僕も少しだけお手伝いしています。まだまだ募集中ですので、よければご協力をお願いいたします!

 

 

【博士論文の執筆】

さて、実はこの博士論文こそが、僕にとって最も「やるべきこと」なのです。今年やってきたその他のことは、この博士論文執筆からの逃避行動と受け止めていただいてかまいません(笑)。いや、少しは進んだんですよ、ええ、少しは……。

 

論文のテーマは「<自分の時間>とは何か」。本当は今年中に第一稿を書き上げるはずだったのですが……。というわけで、来年2021年こそは、この論文を書き上げたいと思います。何か他のことをやっていたら、「あ、また現実から逃避してるな」と注意してやってください。もう少し、時間哲学の研究者であるという自覚を持とうと思います。

 

もしこの内容について聞きたいという方がおられましたら、お気軽にご連絡くださいませ。何かしらアウトプットする機会があると、自分の考えも整理されますので。

 

【まとめ】

と、そんな感じの1年でした。一番やるべきことの進捗が芳しくなかったという点ではイマイチでしたが、「人間は何かから逃げる時に最も力を発揮する」というのもひとつの真理だと僕は思うのです。この力をうまく利用する人のことを、僕は「斥力型人間」と呼んでいます。逆に目標を設定して、しっかりそこに突き進んでいく人のことを「引力型人間」と呼びます。

 

この「斥力型」と「引力型」は、もちろん同じ人が使い分けることもできますし、どちらのほうが優れているということもありません。「求める力」と「避ける力」、この両方をうまく使いこなせたら、けっこうたくさんのことができるような気がするのです。

 

僕は基本的に「斥力型人間」なので、もう少し「引力型」の生き方を身につけられるようになればいいなと思っています。なんだか全然まとめになりませんでしたが、それもまた一興、ということで。

 

長文におつきあいいただきありがとうございました。本年は大変お世話になりました。来年がみなさまにとってよい1年になりますように。

地域づくり情報誌『かがり火』で連載させてもらっている「そんな生き方あったんや!」。

 

今回は立石の米屋見習い・塔嶌麦太さんとお話しました。

 

やっぱり商店街っていいですね。

 

地域に主眼を置きながら、不穏な政治にも対峙する塔嶌さんの姿勢からたくさんの刺激を受けました!

 

よければご高覧ください!

 

 

松本哉さんによるアジテーションの書。松本さんは、既存のイメージに囚われない斬新な社会運動を立ち上げ、「素人の乱」というリサイクルショップの店主をしている自由人。

 

本書には、彼の運動にまつわる爆笑エピソードが満載。彼らが六本木で「クリスマス粉砕鍋集会!」を計画した時の話なんか最高だった。当日は、たくさんの私服警察が張り込みしていたという。

 

「「貧乏人大反乱集団」のことを刑事は「貧乏」と略して言うことが多かったので、たまたま通りかかった貧乏そうな人に向かって「おい、オマエ貧乏だろ!鍋でもやるんだろ?とっとと家に帰れよ!」とか怒鳴りつけて、大ショックを与えたりした。ちなみにこの人、本当にまったく知らない人。せっかく田舎から頑張って遊びに来たんだろうに……。警察はなんてヒドイことをするんだろう!」

 

いきなり見ず知らずの人にこんな暴言を吐かれたら、一生のトラウマになるかもしれない。「おい、オマエ貧乏だろ!」。さすがの僕でも傷心モノだ。

 

松本さんの運動は、哲学的・社会学的な視点から見ても刮目すべきものがあると思う。マルクスの共産主義の思想や、フーコーの指摘した「生政治」への抵抗として読み解くことだってできるだろう。もちろん本人に聞いたら、「いや、好き勝手やってるだけ」と言うだろうけれども。

 

彼らは、人間に不自由を強いる社会への不満を率直に表現し、「もっとのびのび生きようぜ!」と言う。彼らの活動が、ドイツなど海外の社会運動と響き合っているのも決して偶然ではない。そこには人間の根源的な欲求があるのだから。

 

「街中、見渡せば貧乏人だらけなのに、なんだか知らないが一人一人でウロウロしており、そのおかげでまんまとくだらないボッタクリ職場でコキ使われたり、中流階級のふりをして代官山あたりにムリヤリ遊びに行ったりしてきた」

 

ここには資本主義社会の構造が象徴的に現れている。コミュニティを失った「個人」は、近代的な「自由」とひきかえに、自分たちの社会を主体的に創造する力を失った。それを取り戻すための運動、それこそが『貧乏人の逆襲!』なのだと思う。

 

 

 

 

ずいぶん久々の報告になってしまったが、きのう、ついにほうれん草を収穫した。

 

種を蒔いたのが9月27日なので、3カ月近くかかったわけである。いやー、おつかれさまでした(笑)。

 

普通はだいたい40〜50日ぐらいで収穫できるそうなので、なんとなく「11月の上旬くらいには収穫できるのかな?」と思っていた。しかし屋内で窓が東西にしかないという悪条件のせいか、こんなに長い時間がかかってしまった。いや、もう少し早く収穫しようと思えばできたのだけれど(笑)。

 

 

 

 

 

 

でも時間と手間がかかったぶん、感慨深いものがある。屋外の日当りのいい場所で育てられれば、それほど手をかける必要もないだろう。しかしウチは窓が東西の二カ所。朝起きたらせっせとプランターを東側の窓際に運び、午後になったらまたせっせと西側の等際に運び、夜になったら照明の当たらない場所に運ぶ。いやあ、これが面倒くさいのなんの(笑)。しかもプランター3つですよ。途中でうんざりして、1つは実験的にそのまま放置することにした(笑)。

 

ときどきサボったり、忘れてたり、家を空けてたりで世話できない日もあったが、それでもほうれん草たちは文句も言わず(僕が聞こえてないだけかもしれないが)、無事に収穫できるまでに育ってくれた。ありがたいことである。

 

記念すべき最初の収穫は、ランチのパスタに生のまま放り込んだ。

 

 

 

 

 

まずはほうれん草だけを口に入れてみる。……スッキリした味わい。雑味がなくて、ものすごく食べやすい。以前友人に、自然栽培で育てたニンジンを食べさせてもらったことがあるが、その時の感覚に少し似ていた。ちょっとおかしな表現かもしれないが、「美味しい」というより「変な味がしない」。そして何より、体が喜んでいるというか、元気がみなぎる気がした。でもこれは多分に「自分で作った苦労が報われて欲しいバイアス」がかかった結果だと思う(笑)。

 

続いて夕食ではおひたしにしてみた。けっこうたくさんあるように見えたほうれん草も、茹でたらこれっぽっちになっちまったよ……。

 

 

 

 

文字通り「西へ東へ」「東奔西走」した日々が脳裏を駆け巡る。「やっぱりほうれん草は八百屋さんで買うに限るな!」という悟りの境地に至ったのであった(笑)。

 

というのは半分冗談で、庭があったり、窓が南向きだったら、育てる手間はたぶんそんなにかからないと思う。時間的・金銭的なコストとして「わりに合うか」と聞かれれば「八百屋で買ったほうがいいんじゃないっすか?」と思うけれども(笑)、やっぱり自分で育てた野菜を食べる喜びは他には替え難い。それに無農薬で固定種の野菜は、八百屋ではなかなか手に入らないだろう。そして自分で育ててこそ、ふだん八百屋で野菜が買えるありがたみもわかるというものである。

 

さて、ほうれん草栽培の後半で一番驚いたことは「トウ立ち」である。要するに花を咲かせようとすることだが、こうなると食用としてはダメになる。花を咲かせ種をつくるために、栄養素が葉からそちらへ移ってしまうそうだ。詳しいことは知らないけども。

 

 

 

 

もちろん、ほうれん草が花を咲かせるのは春。しかし、日が暮れてからも明るかったり、あったかい場所にずっと置いていたりすると、ほうれん草が「お、春かな?」と思ってトウ立ちしてしまうようなのだ。

 

ウチの場合、東西の窓の両方とも、屋外から街灯の明かりが入ってくる。だから窓際に放置していくわけにもいかず、夜になったら照明の当たらない場所に避難させなければならない。これがまた面倒なのだ(笑)。当然うっかり忘れる日もあるわけで、そのせいかほうれん草のいくつかはトウ立ちすることと相成ったわけである。うーん、やむなし。11月は特にあったかかったので、その影響もあるかもしれないが、実際のところはよくわからない。

 

いずれにせよ、都市の中で、しかも屋内で、自然と同じ環境を維持することは至難の業だ。だがそれをある程度維持しなければ、ほうれん草の育つメカニズムが誤作動を起こして(むしろ正しく作動した結果とも言えるが)、本来の自然の中とは異なる育ち方をしてしまうことになる。まだ春になっていないのに花を咲かそうとしたりする。

 

とすると、人間にも同じようなことが起こっているのだろう。ほうれん草の季節外れのトウ立ちを目の当たりにして、「これが人間にも起こっているのか……」と考えると少しゾッとする。日が暮れてからもずっと照明の中で活動していたら、何かしら調子が狂うのは当然のことだろう。日本で一般家庭に照明が普及して、まだ150年くらいじゃないだろうか。人間の身体のシステムは基本的に縄文時代の生活に適応するようにできているそうなので、都市での生活は身体に不調をもたらさずにはおかないはずである。

 

「いや、俺は超健康っすよ」という人もいるだろうが、縄文人からすれば「え、その体調で“健康”って言ってんの?めちゃくちゃ勘は鈍ってるし、見えても聞こえてもないやん。それで狩りに出たら瞬殺でっせ(笑)」という話かもしれない。

 

もちろん縄文人のことなど全然わからないが、一番違うのは「元気」じゃないかという気がする。たぶんだが、縄文人が現代の都会人を見たら、みんな「元気がない」ように見えるのではないか。もちろんそれは自然に沿わない生活環境だけでなく、社会構造の違いもあるはずだけれども、なにより人間が「個人」を中心に生きるようになったことが大きいように思う。

 

さっきの「トウ立ち」の話に戻るけれども、ほうれん草は春になれば花を咲かせて種を作り、その過程で自らの栄養素を次の世代へとバトンタッチするわけである。それは人間で言えば子どもを産み育てることに似ているかもしれないけれど、その人間の生命は、ほうれん草などの植物や動物などを食べることによって維持されている。そこにも栄養素のバトンタッチがあるわけで、その意味で僕らは「ほうれん草の子ども」でもある。

 

その人は、その人が食べたものによってできている。この当たり前のことを、僕たちはつい忘れてしまう。だから「元気がない」のかもしれない。そのことを本当の意味で知っていれば、世界は自分にとって決して疎遠なものにはならないだろう。世界と疎遠でなければ、人はきっと元気でいられるのではないか。

 

ここでの世界とは自然のことでもあるし、もっと言えば宇宙だけれども、そういう「世界」との結び合いを解消してきたのが近代の歴史なのだと思う。そこで失われてきた「元気」を取り戻すのに必要なのは、ロケットを作って宇宙に飛び出すこととは真逆の方向性だと僕は思う。

 

自分が立っている大地にふれること。その大地のメカニズムは、宇宙と同じくらい神秘に満ちていると思う。循環農法を実践している赤峰勝人さんによれば、不要な「雑草」というものは本来存在せず、「そこに必要な草しか生えてこない」のだという。

 

翻って、宇宙に不要な天体など存在するだろうか。「雑草」があるのだから「雑星」があってもおかしくないはずだが、そんな言葉は聞いたことがない。それは、人間の傲慢な決めつけが、まだ宇宙にまでは及んでいないからにすぎない。だがやがて人間が宇宙にまで進出し、「必要な星」と「不要な星」とを分けて、「雑星」が誕生する日が来るのかもしれない。

 

その「雑星」を排除するならば、宇宙全体のバランスに影響して、奇跡的なバランスの上に成立している地球の環境を脅かすに違いない。あらゆるものはつながっていて、そのつながり自体は目に見えないが、目に見えないことは存在しないことと同じではない。

 

僕らは神社やお寺や祠のようなものに、前近代的なイメージを抱くことがあるが、あれは一面において、「目に見えないもの、人間に理解できないものは存在するよ。そして本当はそれが世界の根本をつくっているんだよ」ということを忘れないための装置なのだと思う。それは極めて現実的で、ある意味では科学的な認識である。

 

ところが現代では、「それは科学的に証明されていないから存在しない」とか、「エビデンスがないから採用できない」などということが平気で言われるようになった。もちろん科学で明らかになったことはたくさんあるけれども、「にもかかわらずわからないものが存在する」ということもまた、科学が明らかにしてきたことだろう。それをさも「証明できないから、ない」とするのは、手段の目的化による倒錯である。その意味では、昔の人たちのほうがはるかに科学的な認識を持っていたのかもしれない。

 

それを便宜上「真の科学」と呼ぶならば、自然農法、有機農法、循環農法というのは、そうした「真の科学」を基盤に置いた農法なのだろう。それゆえに、まだまだわからないこともたくさんあるだろうし、たったひとつの正解があるわけでもない。でも、だから面白いし、やりがいもあるのだろう。

 

それらに比べれば、僕のプランター栽培はおままごとみたいなものだが(笑)、このプランターの小さな宇宙と、そこで育ったほうれん草は、僕にいろんなことを教えてくれたのだった。

 

(完)

 

先日幕を閉じたパステル画展でご購入いただいた「清水坂公園の空」。



この絵を購入者様にお渡しするために、生まれて初めて蕨駅に降り立ちました!

蕨は「アド街ック天国」か何かで見て、ずっと「行ってみたいな〜」と思っていた憧れの場所。なんとなく遠いイメージがあったのですが、思いのほか近くてびっくり。京浜東北線の東十条駅から蕨駅までおよそ11分。あまりにあっという間で拍子抜けしてしまうほどでした。

待ち合わせまで少し時間があったので、駅の東口と西口の周辺をぶらぶらと散策。思った通り、昔ながらの商店街の風情、穴場的雰囲気が漂っていました。

ご購入者様は最近蕨に引っ越されたばかり。あらかじめ「良さげな喫茶店があればぜひご案内ください!」とお願いしておきました。それで連れていってもらったのがここ、クラウン。



その方も実はまだ入ったことがないらしく、一緒にちょっと探検気分で入店してみたのでした。そしたらなんと……。「ここだけ昭和のまま時間が止まっているのか?」と思わずにはいられない、期待通り、いやそれ以上の素晴らしい喫茶店でした。

このご時世に、なんと全席喫煙可。でも店内が広いので、他の席で煙草を吸っていてもあまり気になりません。

メニューもかなり充実していて、しっかり昭和ポイントを押さえています。「プリンアラモード」とか、最近のオシャレカフェではほとんど見ないですからね(笑)。

僕はお腹がすいていたので、がっつり生姜焼きのセットを注文。そしてこの味がもう「そう、これ、これ!」の極み。脳内イメージを1ミリも裏切らない、極上の生姜焼き。いや、もはや「生姜焼き」ではなく「昭和焼き」と呼びたいほど。

続いてデザート。お約束的に「プリンアラモード」を彼が注文したのですが、プリンが品切れ。やはり人気なのでしょう。それで二人ともパフェにしてみました。

すると、こんなエッジの利いたフルーツパフェが出てきたのでした。

 



恐るべきスキルです(笑)。

 

ちなみに僕はバナナパフェ。この生クリームの味も脳内昭和イメージと完全に一致。

 



それから珈琲をおかわりしつつ、結局4時間近く長居してしまいました。

これだけ長居していると、たとえ他の席が空いていたとしても、なんとなく「そろそろ出ていった方がいいかな……」という空気を感じるものです。しかしこの店は、不思議とそういう圧力を全く感じさせません(もちろん席が埋まっていたら自らとっとと退散ですが)。そうしていつの間にか日が暮れていて、なんだか懐かしい感覚に包まれました。

「そういえば昭和の頃は、こういうのんびりした時間感覚の中で生きてたかも……」

自分では全く意識していませんでしたが、いつのまにかアクセクした時間感覚に支配されていたのかもしれません。

そして精算時のレジで発見した「50円ライター」。

 

 

これはもう「100円ライター」と呼んではいけないのでしょうか(笑)。なんだかいろいろ考えさせられてしまいました。

後で聞いたところによると、やはりこのクラウン、喫茶通の間では知られた存在だそう。下記のサイトでもその魅力が美しい写真とともに切り取られているので、ぜひ覗いてみてください。

 


令和の時間に嫌気がさしたら、この喫茶クラウンに来て、昭和の時間を取り戻してみてはいかがでしょうか。

 

2020年11月19日から12月9日まで、「梅の木十条店」で開催されたパステル画展「だいたい十条」。

多くの方に来ていただきましたが、「残念ながら行けなかった〜!」という声や、「絵の解説をゆっくり聞きたい〜!」というご意見などもうかがいました。

そこで!

パステル画展を疑似体験できる、【「だいたい十条」WEB鑑賞会】をご用意しました!絵の解説もじっくりさせていただきますよ〜!

 

たぶん動画のほうが疑似体験っぽいと思うのですが、そこは昭和生まれの限界、ということでご容赦いただきまして(笑)、さっそく開催したいと思います〜!!

(わ〜パチパチパチ〜!)

はい、ではみなさん集合してください〜!!
 

 

今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。個展を体験していただくための特別な時間を、みなさまのためにご用意いたしました。

 

会場は、十条銀座商店街にある老舗喫茶店「梅の木十条店」。マツキヨの2階にあります。

 

お、個展のポスターが出てますね!それではさっそく向かいましょう。

 

 

こちらの階段を登ってください。階段がしんどい方や、ベビーカーでお越しの方は、無理なさらず、奥のエレベーターをご利用くださいね。

 

 

お店の前の壁にもポスターを貼ってくださっています!ありがたいですね〜♪

 

 

入口のウェルカムボードも「だいたい十条」。ほとんどジャック状態です(笑)。ではいよいよ店内へ!

 

……と思ったら、おお、井口さんじゃないですか!

 

 

みなさん、彼はバスカーの井口雄太さんです(右)。いま週イチくらいで梅の木でアルバイトをされています。

 

彼はもともと、ピアノの弾き語りで世界を旅していたのですが、コロナの影響で日本に帰国中です。それで僕が「梅の木でピアノを弾かせてもらえないですかね?」と提案して、マスターにご紹介しました。そうしたら、マスターがいつの間にか彼をリクルートしていて(笑)、気づけば梅の木で働いていました。いやー、そんなことあるんですね〜(笑)。もちろん梅の木でピアノ演奏もされていますので、そのタイミングで来店された方はラッキーです♪

 

彼はいま、葛飾区立石でコミュニティスペースを作るため、クラウドファンディングを実施しています。僕も少しだけ手伝っていますので、よければご協力いただけたらうれしいです〜!

 

 

 

さて、お店に入って右側は、商店街に面したスペースです。十条銀座の人通りを眺めていると、いつまでたっても飽きません。なんとなくぼんやりしたい時は、この窓側の席がおすすめです。

 

でもみなさん!今日はあくまでパステル画展がメインですので、お店に入って左側のスペースに向かいます!

 

……はーいみなさ〜ん、商店街は後でゆっくり見れますので、こっち来てくださいね〜!

 

……さあ、こちらがパステル画展「だいたい十条」の会場です!

 

 

 

 

……めっちゃいいですよね(笑)。

 

今回の展示のアートディレクションは、友人のアーティスト・井口康弘氏にお願いしました!絵の額のセレクトも彼にお願いしたんですよ。いやあ、持つべきものはセンスのある友人ですね。

 

センスが求められる場面は全て、彼に全依存です。最近なにやら「全集中」とかいう言葉が流行っているらしいですが、「全集中」より「全依存」!合い言葉は「よろしくお願いします!!」(笑)。今度あらためて「全依存の呼吸」のワークショップもやりますので、よければご参加ください。

ではとりあえず珈琲をいただきましょうか。梅の木のブレンドは濃厚で美味しいですよ〜。ケーキセットとかもあるので、お好きなものを注文してくださいね。

 

 

モンブラン、いいですね〜。今日は誰も頼んでませんが、チーズケーキもおすすめですよ!

 

 

あ、季節のプリンじゃないですか。めっちゃ美味しそう〜!!僕はレギュラーの「濃厚プリンセット」がお気に入りです♪

 

 

僕はちょっとお腹がすいてるので、一人だけがっつりビーフシチューをいただきます(笑)。これがまた美味いんですよ……。

 

(もぐもぐタイム)

……ごちそうさまでした!いやー、美味しかったっすね!

ではぼちぼち展示を見ていきましょうか!というわけで、まずはプロフィールボードからご覧ください。

 

 

なんかこういうのを貼るだけで、グッと個展感が出ますよね。

 

だいたいみなさんこれを見て、「え、パステル画を始めたの、今年の9月?つい最近やん!!」とびっくりされます。そして僕も「え、ほんまや!」とびっくりします(笑)。ここに書いている通り、坂口恭平さんのパステル画教室に参加したのがきっかけなんですが、やっぱり彼の教え方が上手やったんやと思います。「躊躇しない、反省しない」。いいですよね〜。

ではいよいよ絵を見ていきましょう。左から、描いた順番に並べています。なので、右にいくほど上手になっていく……のかと思いきや、そうでもないんですよね(笑)。そのへんも気にしながら見ていただけると面白いかもしれません。では描いた順番に、左から見ていきましょう。

 

 

1枚目は「清水坂公園に架かる橋」です。毎朝散歩している公園にある橋なんですが、木造でいい味出してるんですよね〜。ちなみにこの絵だけ、100均のパステルを使って描いています。他のはファーバーカステルという、72本セットで4,000円くらいのやつで描いているんですが。パステル画を描き始める時に、Amazonで注文したファーバーカステルがなかなか届かなくて、それを待ちきれず、近所の100均のパステルを買って描いてしまったんです(笑)。でも、個人的にはけっこう気に入ってますし、なかなか評判もいいんですよ(笑)。

 

それでこれを描いた時点で、梅の木のマスターに「個展やらせてもらっていいですか?」とお願いしました。そうしたら、マスターはインスタグラムでこの絵を見てくださっていて、「あれ、いいですよね。ぜひやってください」とご快諾くださったんです。器が広いですよね!で、まず個展をやることが決まってから、他の作品をせっせと描き始めたわけです。だから他の作品も、個展までの2カ月の間に描き上げました。

 

 

2枚目は「清水坂公園の空」です。さっきの橋と同じ公園です。実はこの絵だけ、他のとはちょっと違うプロセスで完成してます。パステル画というのは、描き終わった後に、フィキサチーフというスプレーのりみたいなのを吹きかけるんです。そうやってパステルの粉を定着させないといけないんですね。ところが僕は、フィキサチーフを使うのが始めてだったもんで、大失敗してしまったんです(笑)。

 

本当は、絵から30cmくらい離してスプレーしないといけないんですけど、ついうっかり近くからスプレーしてしまいまして。そうしたら、雲の色が吹き飛んで、絵が台無しになってしまいました……。「これも勉強か……」と思いつつ、めっちゃ落ち込みました(笑)。それでずっと放置してたんですが、改めて「やっぱりあれを完成させたい!」と思って、雲の色を塗り直したんです。そうすると、フィキサチーフの上から塗ったせいか、思いがけず雲に立体感が出て、すごくいい感じに仕上がりました。この絵はとっても評判が良くて、人気作品のひとつとなりました。何でもあきらめずにやってみるもんですね!

 

で、キャプションボードに赤丸のシールが貼られますが、これはご購入いただいた証です。あのシールを貼る瞬間がまた最高なんですよ〜(笑)。この絵は、以前勤めていた会社の同僚が買ってくださいました。今も仲良くさせてもらってるんですけど、超仕事のできる人で、一緒に働いている時は助けてもらってばっかりでした。もちろんここでも「全依存の呼吸」です(笑)。彼は80年代の音楽シーンにも詳しくて、WEBに記事を連載されたりもしてます。

 

奥さんがまた面白い人で、あの世界で大人気の「どうぶつの森」というゲームで、10本の指に入る有名プレイヤーだそうです。すごくないですか!?それで任天堂から仕事の話が来たりするそうです。とんでもないですよね(笑)。芸大の油絵科のご出身で、絵に造詣が深いんですが、彼女が「杉原さんのパステル画は、油絵っぽいですよね。この雲の表現が素晴らしいです」と言ってくださいました。たまたまそのご夫婦が、お二人ともこの絵を気に入ってくださって、ご購入くださったというわけです。本当にありがたいですね!

 

 

3枚目は「箱根姥子の秀明館にて」です。秀明館は、箱根の姥子にある、知る人ぞ知る湯治場です。地域の共同浴場を起源とする歴史の古い温泉で、夏目漱石の小説にも登場してます。この一帯がいわゆる霊場のような場所なんですが、一時期、ここが開発業者の手に渡りそうになったことがあったそうです。それでレジャー施設になる計画があったそうですが、それを知ってこの場所を買い取り、湯治場として守り続けているのが今のオーナーです。ここは観光ではなく湯治を目的として行く場所なので、大々的には宣伝されていないのですが、疲れを癒しにぜひ少人数で行ってみてください。たぶんお湯を通して自然の力を存分に感じられると思います。

 

この絵の見所はやっぱり簾ではないでしょうか。光と風を通す簾の雰囲気を、どうやったら描けるのかさっぱりわかりませんでしたが、なんとなくなりゆきで描いてみたら、思いがけずうまくいったような気がしています(笑)。「僕らが見ているのは、物ではなく光である」というのは、パステル画を始めて得た、大きな気づきでした。

 

 

4枚目は「けん助のししとう」です。いろんな人から「写真かと思った!」と言われていい気になった作品です(笑)。「けん助」は十条にある焼き鳥屋さんですが、ここが尋常じゃなく美味いんです。雑誌での紹介依頼とかも全部断っているそうなので、僕があんまり宣伝するのもアレなんですが(笑)、本当に美味しい焼き鳥を食べたい方は足を運んでみてください。

 

この絵は最初から「けん助」さんにプレゼントしようと思って非売品にしてたんですが、会場に来てくださった大将が「どうしても」とご購入くださることに。非売品にもかかわらず赤丸シールがついているのには、そういう事情がございました。本物のししとうは緑が鮮やかで、食欲をそそるんですよ……。こうして描きたくなるのは、やっぱり大将の丁寧な仕事ゆえなのでしょう。

 

 

5枚目は「江戸川の夕暮れ」です。この絵を買ってくださったのは、今年10月に「日本一ちいさい書店」をオープンされたkamebooks(カメブックス)さん。初日に来てくださって、さっそくこの絵を買ってくださり、その後も続くいい流れを作ってくださいました!この場を借りて改めて御礼申し上げます!kamebooksさんとはもともと知り合いで、お店のプレオープン期間にお邪魔しました。この隠れ家的なお店は、ヤフーニュースにも取り上げられるほど注目を集めてるんですよ。

 

そのお店の近くに江戸川が流れていて、そこの風景を描きました。やっぱり川のある景色はいいですよね。左の奥に見えるのは東京スカイツリーなのですが、「あ、これスカイツリーですよね?」と気づく方が時々いらっしゃっるのには驚きました(笑)。個展の初日に、そのkamebooksさんと、平井の本棚の方が一緒に来てくださったんですが、この「平井の本棚」さんがまた素敵なんです!以前取材をさせていただいた記事があるので、ぜひ読んでいただきたいです。

 

 

ちなみに、この絵の赤丸シールを貼るところを、当日来てくださった友人が撮影してくれました。嬉しさを隠し切れない凡夫の姿が見事に切り取られています(笑)。

 

 

さて6枚目は「自家製のお汁粉」です。……というか、みなさんぼちぼち疲れてきたでしょうから、ちょっと休憩にしましょうか。伸びでもしてゆっくりしてください。ちなみにおかわり珈琲は半額の200円なので、よければ注文してくださいね。

 

あと、梅の木では中古本とかステンドグラスとかも販売しているので、そちらもよかったら見てみてください。梅の木にはいろんな文化人やアーティストが関わっていて、お客さんも一緒に、よってたかっていい店にしようとしてるのが素敵なところのひとつかもしれないですね〜。これもマスターの人徳でしょうか。スタッフのみなさんも気持ちのいい方ばかりで、ほんとここは十条のオアシスです。まあ、十条全体がオアシスみたいなもんですけど(笑)。

 

……さて、ぼちぼち絵の解説に戻りましょうか。このお汁粉は、小豆を自分で煮て作りました。1袋250gくらいのやつを全部一気に煮ちゃったもんで、消費するのにえらい苦労しました。その苦肉の策のひとつが、このお汁粉だったわけです。

 

たくさんの小豆を描くのが大変でしたが、思いのほかこの絵も評判がいいです。友人のお母さんも「この豆のみずみずしい感じがいいわね」とおっしゃってくださり、でもその直後に、「この白いのは何?え、お餅?……これはよくわからない」とけっこうはっきりディスられました(笑)。褒めるなら最後まで褒め切りましょう!!!大谷ママ!!!(笑)

 

 

ちょっと取り乱してしまいましたが、気を取り直して7枚目にいきましょう。こちらは「けん助のうずら」です。うずらの曲線をうまく描こうと何度も塗っている間に、本物よりちょっとまん丸なうずらの卵になってしまいました(笑)。おかげで、友人にこの絵を見せたら、「めちゃめちゃ上手じゃないですか!このお団子!」と賞賛されてしまいました(涙)。

 

けん助さんに買っていただいた「ししとう」の絵と一緒に、この「うずら」を差し上げようと思って店にお持ちしたら、なんとこの「うずら」まで買っていただくことに……!まるで僕が押し売りに行った形になってしまいました(笑)。この絵の売上は全て「けん助」さんの焼き鳥代に使います!こんな贅沢が他にあるでしょうか?もちろん有り得ません。なんだか絵を通してたくさんの人の温かさにふれられた気がします(俺いいこと言った顔)。

 

 

8枚目は「三分計るのが得意な砂時計」です。これは普通に100均で買った砂時計なんですが、なんとなく描きたくなって描きました。僕の研究テーマは時間論なので、砂時計というのはちょっと気になる存在です。一応三分計れるんですが、まあ砂時計なので、決して正確じゃないらしいんですよね。でもそこがいい、というか。

 

絵を描き終わった後に、なんとなくこの砂時計が得意げに見えて、「きっとこいつは三分計れることに誇りを持っているに違いない!」と思い、こういうタイトルにしました。何でもひとつ「俺はこれが得意!」というのがあると、けっこう楽しく生きられるような気がしますよね(俺いいこと言った顔)。

 

 

9枚目は「思い出の中のスヰング」です。スヰングは、昭和の雰囲気漂う素敵な喫茶店だったのですが、タイトルの通り今はなく、十条駅西口の再開発に伴い、2月24日に閉店しました。閉店した時はとても悲しかったですが、その後のコロナ騒動を考えると、いちばんいいタイミングで閉店したのかもしれないと思うようになりました。ちなみに絵の下のマッチは、閉店間際にママがわざわざくれたものです。この絵もできればママにプレゼントしようと非売品にしてるんですが、残念ながら連絡先を知らないんですよね。ご存知の方いらっしゃったらお伝えいただけるとうれしいです!

 

あと、これは梅の木のマスターに言いたいのですが、お客さんに「あの絵はどこの喫茶店?」と聞かれた時に、「スヰングっていう、少し前まであった喫茶店の絵だそうです。ウチじゃないんです」と、聞こえよがしに言うのはやめてください(笑)。いや、梅の木も描こうと思ったんですが、僕の今の技術では、この素敵さを表現するのはちょっと難しくてですね……。もう少しスキルアップしてから挑戦させてください!!(笑)

 

 

10枚目は「あの日のお富士さん」です。十条には富士塚があって、その頂上に「十条冨士神社」があります。この富士塚を10秒ほどかけて登れば、富士山に登ったのと同じだけのご利益があるという、大変ありがたい場所なのです。

 

毎年富士山の山開きに合わせて「お富士さん」と呼ばれる祭りがあるのですが(6月30日・7月1日)、その日は沿道に露天がズラッと並び、人で埋め尽くされ、100m移動するのに30分かかるほどの賑わいになります。今年はコロナのために中止になったので、せめて過去のお富士さんの絵を描いて、自分を慰めようと思った次第です。

 

実はこの富士塚、道路拡張工事のために改修工事中です。だから厳密な意味では、この絵と同じお富士山を見ることはもう二度とできません。その意味ではもしかすると貴重な絵になるかもしれません。……いや、多分ならないです。絵の価値を高めようとするあまり嘘をつきました。すみません(笑)。

 

 

11枚目は「青空と十条銀座」です。さあ、いよいよ残り2枚です。十条と言えば、やっぱり商店街ですよね。「都内最強の商店街」と紹介されることさえある十条銀座の賑わいは、みなさんも梅の木に来る途中で、すでに感じられたかもしれません。なんとか商店街の絵を描きたいと思い、入口の看板?を象徴的に描いてみました。空のスペースを大きくしているのは、実は最初からこれをポスターに使おうと思っていたからです。それで、こんな感じのポスターになりました。

 

 

いやあ、よくできてますよね……(笑)。僕はけっこうデザインが好きなので、このポスターも楽しく作らせていただきました。

 

 

ついに最後の12枚目!「青空と十条駅」です。せっかくなので「十条っぽいもの」を描こうと思い、安易に十条駅にしました。このなんとなくレトロ感の残った駅の感じ、なかなかいいですよね。帰りにこの駅を使う人も多いと思いますが、あまりじっくり見てあら探しをしないようにお願いします。すでに友人から「パース(遠近感)がおかしい」という指摘をいただいております。そうです、おかしいんです。「ああ、人間が描いたんだな!」ということがよくわかる仕様となっております(笑)。

 

絵のほうは以上となります。楽しんでいただけましたでしょうか?それではレジ横の物販コーナーへ向かいましょう♪

 

 

この最後に物販コーナーに連れていかれる流れが、怪しいツアーっぽくていいですよね!さあ、みなさん好きなだけご購入ください!

 

ポストカードは5枚入り500円。

 

「でも、疑似体験なので買えない(買わなくていい)ですよね?」と思っているあなた!!ご安心ください!!購入をご希望の方は、こちらから「ポストカード購入希望」とご連絡いただくか、僕のTwitterFacebookからメッセージ頂ければ郵送でお送りします!お支払い方法など改めてお伝え致しますので、お気軽にお声がけ下さいませ〜♩1セット5枚入り500円+送料84円、2セット以上でしたら全て送料94円で発送させていただきます!なので安心してご購入くださいね。

 

拙著『考えない論』は1000円で販売しております。すでに絶版になっているせいで、Amazonでは値段が高騰しておりますのでご注意ください。電子書籍でよければ幻冬舎からの復刻版が出ておりますので、そちらをどうぞ!

 

哲学者・内山節先生、細川あつしさん、梅田一見さんとの共著『半市場経済』は880円となります!これは僕がAmazonで定価で買ったのをそのまま定価で販売しているので、僕の利益は0円です(笑)。でも読んで欲しいので置いてます!ちなみに僕は第三章「存在感のある時間を求めて〜時間による支配から時間の創造へ〜」を執筆しました。ご一読いただければ幸いです!

 

よければ感想ノートも書いていってくださいね!悪口や誹謗中傷は瞬時に消去されますのでご注意ください。僕の絵の感想に限っては本心なんてどうでもいいですので、とりあえず大絶賛しておきましょう(笑)。

 

しかし感想ノートは置いていて本当によかったです。なんと自転車で5時間かけて来てくださった方もいて、そのことを感想ノートに書き残してくださいました。もしこれがなければ、5時間かけて来てくださったことを僕は知らなかった可能性があるわけで……(笑)。いやあ、本当によかったです。

 

ところでポストカードですが、なんと十条のセレクト雑貨のお店「ダイアログ」さんに置いていただけることになったんです!

 

 

 

 

 

こんなセンスのいい雑貨屋さんに、僕のポストカードを置いてもらっていいのでしょうか?(笑)心がウキウキする素敵な品揃えのお店です。お近くの方はぜひ足を運んでみてください〜!

 

 

「梅の木の珈琲、美味しかった〜!家でも飲めたらいいのにな〜!!」というあなた!ちゃんと持ち帰り用のドリップパックや珈琲豆もありますよ〜。最近ネット販売も始められたそうですので、そちらもぜひご利用ください!全国どこからでもご注文いただけます。

 

さあ、みなさん、お土産はじゅうぶん買われましたか?ポストカードをまだ買ってない人はいませんか?いや、別に強制じゃないんですが、やっぱり思い出って、モノがあった方が思い出すじゃないですか。いや、別にポストカードを買えって言ってるわけじゃないんですよ?ただ……。いやいや、そんな無理して買わなくても!え、いいんですか?いやあ、なんかすいません。まいどあざ〜す♪

 

さてさて、みなさん欲しいものをゲットできたところで、そろそろお店を出て商店街でも散歩しましょうか。梅の木のみなさま、今日は僕たちのためだけにありがとうございました〜!!めっちゃ楽しかったです〜!!

 

……さて、じゃあ十条銀座を少しぶらぶらしましょう。

 

みなさん楽しんでいただけましたか?……そうですか、それならよかったです!え?絵は続けないのかって?いやー、それよく聞かれるんですけど、僕の本分は一応文筆業でして、しばらくそちらに戻ろうかなと。まあ、時間ができたらまたパステル画を再開するのもいいかな〜とは思ってるんですけど……。

 

え?アレを見てみろって?何ですか、アレって。お前にちょうどいい看板がある?え、どれっすか?

 

 

オーマイガーーーーーーーーー!!!!!

 

(終劇)

 

……そんなこんなの【「だいたい十条」WEB鑑賞会】でした!楽しんでいただけましたでしょうか?また何かやる時は遊びに来てくださいね!気をつけてお帰りくださいませ!ご参加いただいたみなさん、今日は本当にありがとうございましたー!

 

ちなみに、パステル画展を終えての感想、パステル画を始めて気づいたことなども下記の記事で書きましたので、よかったら覗いてやってくださいませ!