杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -4ページ目

小説の「作法」以前に、「小説とは何か」を問う。その問い自体が、小説を書くプロセスには欠かせないのだ、と著者は言う。

小説を書くことは人生そのものであり、彼にとっての小説観は、彼自身の人生観と不可分である。その意味で、彼の小説論を教科書的に一般化することはできないし、するべきでもない。保坂さん自身が「この本を鵜呑みにするな」と注意を促す所以であろう。けれども、ぼく自身は彼の小説論はとても「まっとう」だと思った。

面白い点を上げればきりがないけれど、ここでは思わず考えさえられた次の文章を取り上げてみたい。

「小説の次の行に書くべきことは、事前に用意されたものではなく、小説の〝運動〟によって決まるーーこの、書く人間と書かれつつある作品の力関係の一種の逆転は、小説を書くときに絶対に忘れてはいけない」

この「小説の〝運動〟」は、「人生の〝運動〟」と言ってもそのまま通じるだろう。けれども同時に、「これは疎外の構造ではないのか?」とも思った。

「疎外」はいろんな意味で使われるが、哲学的な用語としては、「人間が作り出したものによって、逆に人間が支配される」という、転倒した構造を指すことが多い。だから「貨幣の疎外」と言えば、「人間が作り出した貨幣によって、逆に人間が支配される」ことだし、「宗教の疎外」は、「人間が生み出した宗教によって、逆に人間が支配される」ことである。ちなみに「貨幣の疎外」は社会主義者であるモーゼス・ヘスが主張し、「宗教の疎外」はフォイエルバッハという哲学者が主張したことで知られる。

数ある疎外論のなかでも有名なのは、マルクスが展開した「労働の疎外=労働疎外論」だろう。資本主義社会においては、労働者が労働によって作り出した商品が労働者のものにならず、資本家の資本に転じる。その資本によって、労働者が逆に支配されてしまう。さらには、労働の内容自体も労働者にとって疎遠なものとなり、人間は人間性を喪失してしまう、とマルクスは主張する。

さて、ここで保坂さんの小説論に立ち返ってみる。

彼によれば、「小説の次の行に書くべきことは、事前に用意されたものではなく、小説の〝運動〟によって決まる」。そしてそれを、「書く人間と書かれつつある作品の力関係の一種の逆転」と表現している。これは一面において、「作家によって書かれつつある作品によって、作家が支配される」という疎外の構造として見ることもできる。

ところが保坂さんは、小説を書くためにはぜひともこの運動が必要なのだ、と言うのである。ぼくもそう思う。文章が本当に面白くなるのは、書き手の事前の構想を超えて、文章自体が自己展開するときだと思う。そのとき、文章は〝生きもの〟としての生命力を獲得する。これを、ここでは仮に「小説の疎外」と呼んでおこう。

それに対して、ヘス、フォイエルバッハ、マルクスらが主張した「貨幣の疎外」「宗教の疎外」「労働の疎外」は、人間本来の生命力を喪失させるものとして展開する。この違いは一体何なのか。それがわかれば、現代人が縛られている「疎外の構造」を克服するヒントになるかもしれない。

これについてはいろんな分析ができると思うけれども、大きいのは、その対象が、人間の生命活動と具体的に結びついているかどうか、ということのような気がする。

保坂さんが言うような「小説の自己運動」を生み出すのは、書き手と世界との関係がその作品に反映される時であり、別の言い方をすれば、「小説の自己運動」とは書き手の生命活動の反映でもある。このとき、書き手と作品は相互に影響し合う、具体的関係の内にある。「小説の自己運動」は「作者の生命活動」と一体である。

それに対して「貨幣の疎外」では、貨幣は、人間同士の類的交流が外化したものである。それは市場経済の中で人間から疎遠なものになり、個人と貨幣との関係は抽象的なものへと変換されている。要するに、「人間同士の具体的な交流」が、「貨幣を介した抽象的な交流」に置き換えられてしまっている。言わば「交流なき交流」である。人間の生命活動の根源は他者との交流の中にある。とすれば、ここでは主体としての人間の生命活動が失われてしまっている。

「宗教の疎外」における宗教とはキリスト教のことだが、フォイエルバッハによれば、キリスト教の神は、人間の本質である「愛」が外化したものであり、人間が生み出したものである。ところが、この人間が生み出した神によって、人間の生き方が規定される。ここでは「神と自己との関係」こそが重要なのであって、「自己と他者(人間)との関係」は二次的なものにすぎない。しかし「神」が人間が作り出した「概念」である以上、神との関係は抽象的なものにならざるを得ない。ここでの主体は人間ではなく「神」なのである(とフォイエルバッハは言っているのだと思う)。

「労働の疎外」においては、労働者が生み出した商品は資本家の資本に転じ、労働者にとって疎遠なものとなる。それだけでなく、より商品を効率的に生産するために、労働は「分業」という形をとるようになる。それまでは、まさに作者と小説との関係のように、自身の生命活動の反映でもあったはずの労働が、生産活動の「一部分」だけに関わるようになり、労働自体が抽象的なものへと変えられてしまう。こうした労働をしているうちに、人間自身もまた自己を抽象的な存在として感じるようになる。それは人間の生命力の喪失につながる。

……ごちゃごちゃとわかりにくいことを書いてしまったが、要するにこういうことではないかと思う。

疎外とは、「人間が作り出したものによって人間が支配される」構造だが、「人間が作り出したもの」との具体的な相互関係がそこに維持されていれば、それは人間疎外を生み出すのではなく、むしろ人間の生命活動の発現を促す。それは疎外の運動のプロセスにおける「外化の程度」の問題なのかもしれない。その対象と「顔の見える関係」を結べている限り、その運動は人間から自立したものではなく、自己と対象との一体的運動として成立している。

しかし、いわゆる人間疎外を生み出す「疎外」では、人間が生み出した対象が人間と相互関係を結ばず、自立した自己運動を開始する。その自己運動は、もはや人間の生命活動を反映していない。人間から完全に外化・対象化し、システムとして固定化することによって、むしろ人間を振り回す。

保坂さんの小説論は、このような疎外、すなわち「自己の生命活動のシステム化」の罠に捉えられないための作法なのではないだろうか。保坂さんにとって小説は生きることそのものであり、生命活動そのものである。それがシステム化されてしまった時点で、もはや小説ではあり得ない。

保坂さんの言葉を借りれば、「事前に用意されたもの」に固執して小説を書くことこそが、本来的な意味での「小説の疎外」を生むのであって、そうなると小説と自己との関係は運動性を喪失し、閉じてしまう。そのような「閉じた小説」を書くことは、小説家にとって「閉じた人生」を生きることにほかならないはずである。

小説も、人生も、システム化された時点で、その醍醐味を失う。保坂さんの小説論は、この「システム化」への抵抗の論理なのだと思う。そう考えれば、保坂さんがいわゆる「プー太郎」に対して親近感を感じているもうなずける。保坂さんは別の著書で次のように書いている。

「規則正しく労働することに本質的に向いていない人が、世の中には必ずいるものなのだ。プー太郎まで労働に駆り出されるような社会は最悪の社会ではないか」(『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』草思社)

ぼくはこの言葉が大好きなのだが(笑)、要するにプー太郎とは、この資本主義社会のシステムに抗う存在なのである。もちろんほとんどの場合、当人にそんなつもりはないだろうけれども。

だから、本書は小説論としてだけでなく、人生論としても読むことができる。ほんの小さな出来事が、その人の人生を大きく変えてしまうことがあるように、小説も、主人公の小さな心の変化が、その後の展開に大きな影響を与える。

「小説は〝細部〟が全体を動かすという独特の力学を持っている表現形態なのだ」

彼の小説観は、人生のままならなさと同時に、希望のない人生などないのだ、ということも教えてくれているような気がする。

 

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

 

このブログでもご紹介していたイベント、「内山節先生の寺子屋 『土葬の村』高橋繁行さんを迎えて ー弔いとは何か、コロナ禍に問う死者とのつながりー」が、きのう10月16日に開催された。

 

第一部は、『土葬の村』の著者・高橋繁行先生のお話。自作の切り絵とともに、土葬の習俗を興味深いエピソードとともにお話してくださった。

 

土葬の習俗を描いた切り絵は本のカバーにも使われていて、とにかく味がある。しかし葬送儀礼には写真に残されていないものも多いはずで、「どうやって描いたんですか?」と質問してみた。

 

土葬の村 (講談社現代新書)

 

まず葬送に使われる道具などは、写真を撮っておけばかなり再現することができるそうだ。しかし、写真に撮れない道具や実際の葬送の様子は、「とにかく根掘り葉掘り聞きまくる」らしい(笑)。そうしてイメージの解像度を上げていくのだという。

 

文章表現だけならば、そこにあるものすべてを書き尽くす必要はない。しかし絵ではそうはいかない。高橋先生の場合、この「切り絵としての表現」が、研究者としての視点の精密さ=解像度を上げることにも役立っているのだろう。

 

高橋先生が紹介してくれた、土葬にこだわる森崎住職の言葉はとても印象的だった。

 

「九十歳で亡くなったおばあさんは、例えば二十歳で嫁入りしてきて、七十年間田んぼや畑を耕し村のつきあいをしてきたんです。葬儀会館のお葬式は、それをある日、一瞬で送るわけです。私はそれにどうしてもなじめません。みんなで〝ムダ〟をいっぱいして故人を送ることが供養になるのです」

 

ムダをいっぱいすることが供養になる。この考え方に、人間が他者と関係を結びながら生きることの意味が凝縮されているような気がした。

 

質疑応答の時間では、参加者から、「土葬は〝人間の地産地消〟という循環としても捉えられるのではないか」というようなコメントがあった。

 

高橋先生はそれに共感しながらも、一方で現代人は自然から切り離された存在でもあることを指摘し、むしろ地産地消を離れた「土に還りたい」という素朴な〝思い〟のようなものを中心に据えることの必要性を語った。

 

休憩をはさんで第二部では、高橋先生と哲学者・内山節先生によるトーク。

 

内山先生は、「かつては死だけでなく、生まれることもまた共同体と共にあった」と述べ、「雪隠参り」の風習を紹介。

 

「共同体で生まれ、共同体で生き、共同体で死んでいった」かつての人間が、現代では「個人として生まれ、個人として生き、個人として死んでいく」。それがさまざまな苦しさを生んでいると語った。

 

「いのちというのは、一体誰のものなのか?」という内山先生の問いかけは、弔いとは何かを考えるうえで本質的なものだと思った。

 

死に際して一番良くないのは、死者が「自分の死を了解できないこと」だと内山先生は言う。だから葬送は、死者に対して「あなたは死んだのです」と死を了解させ、「安心してあの世へ行ってください」と送り出す儀式でもあるという。

 

ほかにも、「〝魂が存在するから〟供養する」のではなく、「自分と故人との〝関係が魂を存在させている〟」という話もあり、参加者からは「これまでの人生の中でモヤモヤしていたものがスッキリした」というような声も聞かれた。

 

その後の質疑応答、参加者全員での分かち合いの時間も大いに盛り上がった。土葬という弔いを、単に民俗学的な知見として受け止めるのではなく、それぞれが自分の死、自分の大切な人の死と結びつけて、自分の問題として解釈しようとしていることが非常に印象的だった。

 

ここではとうてい語り尽くせない、充実した内容のイベントだった。弔いという重いテーマを扱いながらも、終了後はみんな晴れやかな顔で雑談し、笑顔で帰っていった。

 

というわけで、ひとまずご報告まで。参加されたみなさま、準備してくださったみなさま、そして高橋先生、内山先生、ありがとうございました&おつかれさまでした!

 

 

資本主義的生産様式を「生産ー労働過程」として捉える視点は、さまざまな問題を整理する上で非常に役立つものだと思った。

 

「生産過程」と「労働過程」の分離・二重化。そして「協業」から「分業」への移行。それは「具体的労働」から「抽象的労働」への変容であった。

 

時間の視点から見れば、「協業=具体的時間を本質とする労働」、「分業=抽象的時間を本質とする労働」と整理することもできるかもしれない。

 

『資本論』における労働時間論は、結局は「労働時間の短縮」と「自由時間の増加」を目指す方向に向かったが、植村邦彦『シュルツとマルクス』によれば、これはシュルツの労働時間論をほとんどそのまま採用したものらしい。

 

『経済学・哲学草稿』などを読んでいると、マルクスの労働時間論は抽象的労働、具体的労働という視点から深められていく可能性があった気がするが、そうならなかったのは少し不思議な気がする。当時の過酷な労働環境が、マルクスをより現実的な対応へと向かわせたのかもしれない。

 

『労働過程論ノート』を読んで、改めて「労働力商品」という概念を把握し直すことができた気がする。労働力商品とは、経済学という「モデル」を成立させるために、労働者の実存を抽象化し、概念化したものだと。

 

その結果、労働者はマルクス主義においては主体ではなくなってしまわざるをえなかった。そうではなく、具体的な実存としての労働者を主体とした資本制社会の把握が必要である、と本書は問題提起する。

 

私的所有という概念も、この労働力商品を成立させるためのものだったのか? なぜなら、「時間の私的所有」こそ、労働力商品の成立の前提にほかならないのだから。

 

やはりこれからの社会の課題は、具体的労働の回復、具体的時間の回復、つまり全体性と結びついた時間と労働の回復なのだろう。

 

再びマルクスが注目されているいま、この『労働過程論ノート』もぜひ読み直されて欲しい。

 

労働過程論ノート (内山節著作集)

 

 

「混迷の時代」とか、「先が見えない」と言われる時代。

 

新型コロナウイルスの登場で、これほど世界が一変してしまうことを、一体誰が想像し得ただろう。

 

もちろんそれ以前にも、東日本大震災や、それに伴う原発事故、巨大台風や豪雨災害など、これまでの人生の延長を許さない事態はたびたび起こってきた。

 

もっと小さなスケールで言えば、毎日乗っている車や電車、あるいは飛行機がいつ事故を起こし、自分や家族が巻き込まれるかわからない。人間関係のトラブルが命のやりとりにまで発展することだってないとは言いきれない。

 

「いつの時代だって、そうだったよ」

 

とクールに言い切ることだってできなくはないだろうが、ぼくの考えは少し違う。人類史の観点から見て、千年単位の大転換の時期にさしかかっているのではないか。

 

それは一言で言えば、近代という時代の行き詰まりであり、「自然は無限に存在する」という仮定のもとで推進されてきた資本主義経済の限界でもある。その断末魔の時代を、ぼくたちは生きている。

 

温暖化に象徴される気候変動は、ローカルな範囲にとどまらず、地球規模で大きな影響を及ぼす。誰もそこから逃れることはできない。

 

「これまでの延長線上に未来を描くことができない」

 

このことが、人々に不安を与えるのは当然のことだと思う。

 

ベルクソンは言う。

 

「未来のうちひとに予見できるのは、過去に似たものか、過去に似た要素から構成しなおせるものにかぎられている」(ベルクソン著、真方敬道訳『創造的進化』岩波書店)。

 

この「当然の不安」に対応するためには、より確固とした「当然」に目を向けるのがよいとぼくは思う。そこからものごとを考えていくことができれば、時代の不安を多少なりとも払拭することができるはずだ。

 

では、そのより確固とした「当然」とは何か。

 

それは、「人間は必ず死ぬ」ということである。

 

当然すぎて口をあんぐりしている方もいるかもしれないが、実はぼくたちが生きてきたのは、この「人間は必ず死ぬ」ということを覆い隠してきた時代でもある。

 

ひと昔前までは、ほとんどの人は自宅で死を迎えた。必然的に、多くの人がその死を目の当たりにし、さまざまな形で関わることになる。しかし現代では、死は病院に閉じ込められている。そこから葬儀を経て火葬場へ送られ墓に埋められるのも、いまやひとつの「パッケージ」として商品化されている。

 

ぼくたちは、本当の意味で「人間は必ず死ぬ」ということを知っているのだろうか?

 

ものごとを考えるとき、まずは「いちばん確かだと思われること」からスタートするのは大切なことだと思う。もちろんそれが最終的にひっくり返されてもかまわないのだけれど、不安定な土台の上に堅牢な城郭を築くことはできない。

 

とすれば、ぼくたちがいま抱えている不安は、この「土台」が極めて不安定な状態にあることを教えてくれているのではないだろうか。あるいは、ぼくたちが確かだと思っていた土台が、実はとても脆いものだったことを教えてくれているのではないだろうか。

 

この時代を覆う不安感、そして生きることの不安感は、「ぼくも、みんなも、必ず死ぬのだ」という、この最も確かな土台に立ち返ることを促しているように思えてならない。その「自己の死」、あるいは「大切な人の死」を通して世界を見たときにはじめて、人間の世界の小ささと、自然や他者に支えられて生きてきた自分を、本当の意味で感じることができるように思えてならない。

 

そこでふと頭に浮かぶのが、「昔の人たちは、死をどのように捉えてきたのだろう」という素朴な疑問である。まだ死が身近にあった時代、弔いということが生活の中にあった時代。それを知ることは、過去を知ることにとどらず、ぼくたちの生を支える営みでもあるはずだ。

 

ずいぶん前置きが長くなってしまったが、下記のイベントは実にタイムリーというか、これからの時代の生き方を考えるうえで本質的なテーマを扱っていると思う。Zoomで参加できるそうですので、よろしければ。ぼくもリアルで参加します。

 

 

高橋繁行さんが執筆された『土葬の村』の感想文も書いてみました。

 

 

最近メールの調子がおかしくて、一部の文章のフォントが勝手に大きくなっている、という事象が発生している。

 

文章を書いている時には同じ大きさなのだが、送信した後に見てみると、ある文章がものすごく大きな級数になっているのだ。

 

相手はそんなこと知らないので、当然ながら、僕が意図的にそこを強調しようとしているのだと思うだろう。

 

たとえば、

 

……何卒よろしくお願いいたします。

それにしても、今日は本当に暑いですね。

くれぐれも熱中症にお気をつけくださいね。

またお会いできるのを楽しみにしております。

 

とかなっていたら、

 

「え? むしろ私が熱中症になることを期待してる? 罠とかあるの? またお会いできることはもう二度とないフラグ?」

 

などと、何かしら意図を読み取ろうとしてしまうかもしれない。

 

「違う、そうじゃない」

 

文字を大きくしたいのはむしろココだ。

 

コミュニケーションはただでさえ難しいのに、こういう事象が起こると本当に困る。

 

これだけで人間関係が破壊されることはリアルにあると僕は思う。

 

まあ、それはそれと諦めるしかないか。

 

そういうわけですので、関係者各位にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

以上、業務連絡でした。

「杉原さん、トイレの水は流しましたか?」

まさか齢四十を過ぎて、こんなことを聞かれるとは思わなかった。

その日、ぼくはあるイベントに登壇することになり、早めに会場へ到着していた。知り合いが住職を務めるお寺である。

ことあるごとに公言していることだが、ぼくの座右の銘は「トイレは行けるときに行っておけ」。イベント前となればなおさらである。会がスタートする前に、小を済ませるべくトイレに入った。

立ちながら使う男性トイレ。目の前にあるボタンを押すと水が流れるタイプ。

手を洗ってトイレから出ると、齢八十に近い住職が待ち構えていた。

「杉原さん、トイレの水は流しましたか?」

なんだか小学生に戻ったような感覚に襲われ、急に気持ちが小さくなった。

「多分、流したと思いますけど……。ぼく、前に何かやらかしましたっけ?」

「いや、杉原さんだけに言ってるわけじゃないんですよ? ウチのトイレはボタンを押さないと流れないでしょう。今は自動で流れるトイレが多いから、みんな忘れるんですよ」

その言葉を聞いてちょっと安心したが、言われてみると、本当にちゃんと水を流したのか、自信がなくなってきた。

さて、ぼくの登壇は無事に終わり、休憩時間、ふたたびトイレへ行った。

「水を流す……水を流す……」

頭の中で繰り返し、最後にしっかりボタンを押し、水が流れるのを確認した。

「よし」

手を洗ってトイレから出ると、すでにイベントの続きが始まっていた。

急いで自分の椅子に座ったが、なんとなく違和感を感じ、ひざの上に置いていた資料をどけて、股間に目をやった。

……チャック全開である。

水を流すことばかりに意識が行って、チャックを閉めるのを完全に忘れていたようだ。

「おのれ住職……!」

と、すぐ他人のせいにするのは本当に悪いクセだ。

 

改めて、「人間は二つのことを同時に考えることができない」ということを思い知った。

集中力は大事だが、その間、他のことはお留守になりやすい。だから、さまざまなことに対応する必要のある日常生活では、むしろ集中しすぎず、意識を散漫にしておくことが大事なのだ。

いっぽうで、「人間は二つのことを同時に考えることができない」ということを活かす方法もある。たとえば、「うれしいことを考えている間は、悲しいことを考えることができない」。

 

これは、辛いことの多い人生を、少しでも楽しく生きていくための知恵である。ぼくはこのことを「金さん銀さん」から学んだ。そう、「うれしいような、悲しいような」で流行語大賞を取った、双子のおばあちゃんである。

流行語大賞を取ったときの会見で、記者は彼女らにこう質問した。

「うれしいですか?」

もちろん記者としては、「うれしいような、悲しいような」というコメントを期待したのだろう。しかし、彼女らはこう答えたのだ。

「うれしいです。うれしければ、悲しいこともありません」

テレビに映るその字幕を見て、ぼくははっとさせられた。そのとおりだと思った。

金さん銀さんは二人とも百歳を超えている。その間、悲しいことがないはずがない。けれども、うれしいことを考えている間は、悲しいことを考えずにすむ。彼女らの言葉は、まぎれもなく人生の金言だと思った。

それはさておき、チャック全開に気づいたぼくは、イベント終了後、住職にそのことを報告した。住職のせいで危うく大惨事になるところだった、と。住職は爆笑していた。

ただ開いているというだけで、人を愉快な気持ちにさせるズボンのチャック。場合によっては破滅的な事態を引き起こすこともあるが、そんなことで破滅するようなものはとっとと破滅したほうがよい。

「社会の窓」という別名は誰が付けたのか知らないが、ズボンのチャックから見える「社会」というものは確かにある。

シンプルなデザインが気に入っている、青いキッチンタイマー。埃がたまっていたので、ティッシュでサッと拭き取った。

 

「……めっちゃキレイやん」

 

このたった1秒の作業で、実に晴れやかな気持ちになった。表示窓の数字は見やすくなり、本体は渋い濃紺を取り戻した。

 

掃除をすると気分が良くなるのは当然だが、こんなたった1秒の作業で、そうした効能があることに改めて驚いた。

 

日々の生活の中で、キッチンタイマーに埃がたまっていくように、もしかすると僕らの心の中にも、少しずつ埃がたまっていくのかもしれない。

 

それはしばらく放っておいても、大きな問題にはならないだろう。けれど、たった1秒だけでも、その埃をサッと拭き取る時間を持てば、日々の生活はずいぶん清々しいものになるような気がする。

 

たとえば、自分の好きな音楽を聞くとか、好きな絵を見るとか、好きな人と話すとか、好きなものを食べるとか、好きな本を読むとか……。

 

そういう時間が、1日の中でたった1分、1秒でもあるのとないのとでは、日々の輝きはずいぶん変わってくるような気がする。

 

掃除をすることは、そのもの本来が持っている輝きを取り戻すことでもある。その輝きを妨げるものを取り除くこと、その輝きをより磨き上げること。それは人間が清々しく生きていく上で、けっこう大事なことなのかもしれない。

 

毎日掃除をしていれば、その1回の労力は最小限で済むが、何年もずっと掃除をしなければ、取れない汚れも出てくるだろう。人間の心も同じようなもので、日々の配慮がモノを言う。

 

けれども僕は、矛盾するようだけれども、「取れなくなった汚れ」にも、固有の美しさがあると思う。それが「深み」とか「味わい」と呼ばれるようになるのではないか。モノであれば「ヴィンテージ」といったところだろうか。

 

しかしいくらヴィンテージでも、そのまま放置しているだけではただの「汚れたもの」になりかねない。取れない汚れや経年劣化は受け入れながら、それでいて堂々とキレイにしてやれば、しっかりそれ自体の輝きを放つのだと僕は思う。

 

日々の生活の中で、心の埃をサッと拭き取る時間を持つ。けれども、それでもたまっていく汚れは、人生の味わいとして受け入れる。そんな感じでいけたらいいのかもしれない。

 

我が心に目をやれば、すでに取れない汚れ、経年劣化が激しいけれども(笑)、こうなったらとことんヴィンテージ路線を目指す手もある。

 

そのためにも、キレイになったキッチンタイマーを使って、毎日1分だけでも、心の埃をサッと拭き取る時間を確保してやろうと思う。

想像以上に整っていてびっくりした。

 

子どもの時から、練習時間の1時間前に行くために、親に嘘をついていたエピソードは笑った。

 

自分が正しいと思ったことを粛々とやることの大切さ。

 

当たり前のことを当たり前にやることの重要性。

 

サッカーを中心にした生活。

 

「マコト、人生は一度しかないんだよ。男なら思いきって挑戦するべきではないのか」

 

というおじいちゃんの言葉も響いた。

 

長谷部曰く、

 

「じいちゃんが観ていても恥ずかしくないような人間になろうと思った」

 

僕もそんなふうに生きたいものだと思った。

 

「遅刻というのは相手の時間を奪うことにつながる。20人で集まるとする。そこに僕が5分遅れたら、5分×20人で100分待たせることになる」

 

この部分は、『おれは鉄平』にも同じような話があって印象深かった。

 

しかしこの感覚を近代以前の人は理解できるだろうか?

 

俺に娘がいたら、ぜひ長谷部を婿にしたいと思わせる恐るべき一冊。

 

 

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 (幻冬舎文庫)

 

近所の猫には挨拶する。しかし近所の人には挨拶しない。都会ではありふれたことかもしれない。

 

「郷に入っては郷に従え」というけれど、僕の場合は「猫に会っては猫に従え」。猫に挨拶するときは、日本語ではなく猫語を使うようにしている。

 

われながらずいぶん上手になってきた気がするが、面倒なのは、どうも地域によって猫語も少し違うらしいことだ。人間でいう方言のようなものだろうか。

 

引っ越し先の近所の猫にご挨拶しても、完全にスルーされてしまう。しかしそこでしばらく暮らすうちに、猫語が通じるようになってくる。これは不思議なことである。

 

「親しくなる」ということは、「わかちあうこと」だと誰かが言っていた。それは体験であったり、目的であったり、時間であったり、いろいろだろう。こちらは特に意識しないけれども、近所で暮らすことによって、猫とも何かをわかちあっているのかもしれない。

 

考えてみれば「言葉」というものも、本来は「わかちあい」の道具だったのではないだろうか。だがその道具が、ただただ人を「わかつ」ための道具として使われている。それが現代という時代なのかもしれない。

 

近所の猫と仲良くなりたいけれども、お互いに心から分かり合えないことも知っている。にもかかわらず、人間と猫はお互いに仲良く暮らしていくことができる。

悟りとは何か。

 

僕はいまだによくわからない。一生わからないままで終わるような気がするし、それでいいとも思っている。けれども、「悟りとは何か」について考えるのは面白いことである。答えはその時々で変わってくる。その変遷自体が面白いし、あらゆる経験に意味を見出すきっかけにもなる。

 

「悟り」というものが、汚れなき清浄な心の状態だとすれば、産まれたばかりの赤ん坊こそが、最も悟った状態だということもできるかもしれない。だがそうではなく、「苦を知ってこその悟りだ」という考え方もある。赤ん坊のように何も知らない状態で清浄なのではなく、人生の苦を知った上での清浄な心、そこにこそ真の悟りがあるのだ、と。

 

この構図を、次のようなイメージで考えてみた。

 

一本の管があって、その下に心がつながっている。

 

管の上から清浄な水が注がれれば、心には清浄な水が貯まる。これが、赤ん坊の状態と考えればよい。

 

もし管の上から汚水を注げば、心には汚水が広がる。要するにこの汚水が「苦」である。

 

人間、この社会で生きていると、さまざまな汚水を心の中に注ぎ込まれることになる。しかしその汚水も時間が経てば、清浄な水と汚れた部分とに分離していくだろう。そして心は、その汚れた部分を淀みとして底に貯めることもできるが、それを加工し、管のほうへ移して、フィルターにすることもできるのではないだろうか。そして次に汚水が注がれた時には、そのフィルターが汚れを回収して、心には清浄な水だけが届くようになる。

 

このフィルターのことを、価値観と呼んでいいのではないかと思う。

 

赤ん坊は価値観を持っていない。汚水を注がれればすぐに心が汚水に染まってしまう。しかし物心ついて、自分なりのよき価値観を形成することができれば、汚水を注がれた時にも、そのフィルターによって清浄な心を保つことができる。これを人間的な成長と捉えることもできるだろう。もちろん、その価値観が誤ったものであれば、清浄なものをせき止め、汚水だけを心に貯めるフィルターになってしまう可能性もある。

 

「よきフィルター=価値観」を形成できれば、どのような状態にあっても清浄な心を保つことができる。

 

しかしそれを「悟り」と呼べるのだろうか。僕はそれは何となく浅い考え方のような気がする。

 

もし本当に「悟り」というようなものがあるとすれば、それは「よきフィルターを備えること」ではなく、「もはやフィルターをも必要としない状態」のことであるように思われるのだ。

 

フィルターがない状態で汚水を注がれれば、汚水がそのまま心に広がる。にもかかわらず、そのままで清浄である。そう、これは矛盾である。けれども、ひとつ言えることは、汚水のない世界は存在しない、ということである。そのような世界の中で、自分の心の中だけを世界と分離し、清浄さを保つ。それは悟りへのプロセスとして必要であったとしても、悟りそのものとは言えないような気がする。

 

汚水をも引き受ける。それでいて清浄である。世界の悲しみの全てを背負いながら、それでいて安心している。そこには世界と自分との区別がない。本当に悟りというものがあるとすれば、きっとそのようなものなのではないか。汚水であれ、清浄な水であれ、それを形成している元のものは同じである。それがさまざまな現象として、世界として姿を現している。不思議なことである。

 

冒頭に述べたように、答えなど知る由もないが、わからないことこそが、ありがたいことなのだという気もする。それが僕にとっては、面白いということなのである。