近所の猫には挨拶する。しかし近所の人には挨拶しない。都会ではありふれたことかもしれない。
「郷に入っては郷に従え」というけれど、僕の場合は「猫に会っては猫に従え」。猫に挨拶するときは、日本語ではなく猫語を使うようにしている。
われながらずいぶん上手になってきた気がするが、面倒なのは、どうも地域によって猫語も少し違うらしいことだ。人間でいう方言のようなものだろうか。
引っ越し先の近所の猫にご挨拶しても、完全にスルーされてしまう。しかしそこでしばらく暮らすうちに、猫語が通じるようになってくる。これは不思議なことである。
「親しくなる」ということは、「わかちあうこと」だと誰かが言っていた。それは体験であったり、目的であったり、時間であったり、いろいろだろう。こちらは特に意識しないけれども、近所で暮らすことによって、猫とも何かをわかちあっているのかもしれない。
考えてみれば「言葉」というものも、本来は「わかちあい」の道具だったのではないだろうか。だがその道具が、ただただ人を「わかつ」ための道具として使われている。それが現代という時代なのかもしれない。
近所の猫と仲良くなりたいけれども、お互いに心から分かり合えないことも知っている。にもかかわらず、人間と猫はお互いに仲良く暮らしていくことができる。