心の埃をサッと拭き取る | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

シンプルなデザインが気に入っている、青いキッチンタイマー。埃がたまっていたので、ティッシュでサッと拭き取った。

 

「……めっちゃキレイやん」

 

このたった1秒の作業で、実に晴れやかな気持ちになった。表示窓の数字は見やすくなり、本体は渋い濃紺を取り戻した。

 

掃除をすると気分が良くなるのは当然だが、こんなたった1秒の作業で、そうした効能があることに改めて驚いた。

 

日々の生活の中で、キッチンタイマーに埃がたまっていくように、もしかすると僕らの心の中にも、少しずつ埃がたまっていくのかもしれない。

 

それはしばらく放っておいても、大きな問題にはならないだろう。けれど、たった1秒だけでも、その埃をサッと拭き取る時間を持てば、日々の生活はずいぶん清々しいものになるような気がする。

 

たとえば、自分の好きな音楽を聞くとか、好きな絵を見るとか、好きな人と話すとか、好きなものを食べるとか、好きな本を読むとか……。

 

そういう時間が、1日の中でたった1分、1秒でもあるのとないのとでは、日々の輝きはずいぶん変わってくるような気がする。

 

掃除をすることは、そのもの本来が持っている輝きを取り戻すことでもある。その輝きを妨げるものを取り除くこと、その輝きをより磨き上げること。それは人間が清々しく生きていく上で、けっこう大事なことなのかもしれない。

 

毎日掃除をしていれば、その1回の労力は最小限で済むが、何年もずっと掃除をしなければ、取れない汚れも出てくるだろう。人間の心も同じようなもので、日々の配慮がモノを言う。

 

けれども僕は、矛盾するようだけれども、「取れなくなった汚れ」にも、固有の美しさがあると思う。それが「深み」とか「味わい」と呼ばれるようになるのではないか。モノであれば「ヴィンテージ」といったところだろうか。

 

しかしいくらヴィンテージでも、そのまま放置しているだけではただの「汚れたもの」になりかねない。取れない汚れや経年劣化は受け入れながら、それでいて堂々とキレイにしてやれば、しっかりそれ自体の輝きを放つのだと僕は思う。

 

日々の生活の中で、心の埃をサッと拭き取る時間を持つ。けれども、それでもたまっていく汚れは、人生の味わいとして受け入れる。そんな感じでいけたらいいのかもしれない。

 

我が心に目をやれば、すでに取れない汚れ、経年劣化が激しいけれども(笑)、こうなったらとことんヴィンテージ路線を目指す手もある。

 

そのためにも、キレイになったキッチンタイマーを使って、毎日1分だけでも、心の埃をサッと拭き取る時間を確保してやろうと思う。