杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -39ページ目

6月4日の日曜日、

ヤギサワバルで教育に関する

トークイベントがあるそうです。

 

貴重なトークが聞けるのに加え、

750円のクラフトビールとスナックが付いて

1200円はちょっと破格のお得さな気がします……!

 

下記はヤギサワバルFacebookページの案内文です。

 

興味のある方はぜひ

足を運んでみてはいかがでしょうか?

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

バルとお話の日を6月からまた実施していきます。6月は教育をテーマとして3部作のイベントを催します。まず初回のゲストは子どもアミーゴ西東京の小松さんです。子どもアミーゴ西東京では、学童クラブの運営をされています。

学校でもなく、家庭でもない、その間を繋ぐ「学童クラブ」という場で見る世界をお聞きしたく思っています。

小松さんが以前、バルに来てくださった時、明るい人がいるなぁ(笑)と思ったものでした。その時、私はアミーゴの活動をまだ目にしたことがなかったのですが、こういう楽しそうな大人の関わる学童クラブはハッピーな場なんだろうなと想像しました。

また小松さん自身も「母」でもあるのですが、お子さんが乳児の頃、異国のネパールで子育てをした奮闘記などもございます。(お聞きしているとネパールの話だけでも1冊の本になりそうだと思いました。)

親として、またNPOの職員として小松さんの視点の子どもの世界をお聞きしたく思っております。みなさんのご参加お待ちしています。お気軽にお越しください。

◎参考
特定非営利活動法人
子どもアミーゴ西東京

6/4(日)17:30〜
トーク:小松真弓さん
(特定非営利活動法人 子どもアミーゴ西東京事務局長)
参加費:1,200円(ワンドリンク、スナック付)

◆その後のゲスト予定(日程調整中)
所谷さん(児童養護施設職員)
禰津さん(きのくに子どもの村学園卒業生。現同校教員)

 

 

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友人の実家の田んぼで、

田植えをさせてもらった。

 

といってもすでに

ちゃんとした田植えは終わっていて、

僕らがやったのは、

ちゃんと植わってなかったりして

隙間が空いている場所に苗を植える、

「補植」と呼ばれる作業。

 

日差しが照りつける中の作業だったが、

つばの広いわらの帽子のおかげで

悠々と作業することができた。

 

この作業をやりながら思ったことは、

昔の人にとっての「田植え」という言葉には、

きっと僕らには想像し得ない、

生活のあれこれのイメージが

付随していたのだろうということ。

 

いま風の言葉で言えば、

「田植え」というコンテンツに、

どんな言葉がタグ付けされているか、

みたいなことだろうか。

 

僕ら都会で暮らす人間が

「田植え」と聞いて思い浮かべることと、

実際に「田植え」が暮らしの一部になっている人が

「田植え」と聞いて思い浮かべることは、

その内容の豊かさに雲泥の差があるだろう。

 

しかも同じ農民であったとしても、

平安時代の農民が「田植え」で思い浮かべることと、

現代の農民が「田植え」で思い浮かべることも、

やはりかなり違うだろう。

 

俳句なんかで、

 

「……田植えかな」

 

みたいに言ったときに、

そこに付随するイメージがそれぞれ違えば、

その俳句の内容自体が変わってしまう。

 

だから僕らはそれを読んだ人、

それが読まれた時代などを知り、

その思いを汲み取ろうとしたりする。

 

しかしそれを完璧に汲み取ることは

絶対にできないだろう。

 

でも、だからこそ、

それを汲み取ろうとすることは

とても尊いことなのだと思う。

 

僕も今回田植え(とはいえ「補植」)をして、

「……田植えかな」に込められた思いに

0.0001ミリでも近づけたなら、

これはとんでもなく価値のあることなのだ。

 

……などと言うことによって、

今回の自分の田植え体験の価値を

不当に高めようとするのが

今回のブログの目的である。

 

 

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本屋でたまたま目にした

『仕事のカタログ』。

 

別に表紙に書かれているように

「なりたい自分」を見つける必要はないが、

世の中にどんな仕事があるのか

知ることはなかなか面白い。

 

中には「修験者」の項目もあって、

「修行があるので体力が必要」

というようなことが

書かれていたりする(笑)

 

僕がかつてコピーライターになったのも、

本屋さんで『コピーライターになるには』

という本を見つけたことがきっかけだった。

 

人生はそんなちょっとした出会いで

変わっていくものである。

 

もちろんこの本を読んだからといって、

わざわざこの中から仕事を選ぶ必要はない。

 

本を開くことによって、

可能性を閉じてはいけない。

 

この中にはない仕事が、

これからいくらでも生まれてくるのだ。

 

 

 

 

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前から行こう行こうと思って

ずっと行けてなかった、十条の篠原演芸場。

 

午後の部に参加したが、ほぼ満員御礼。

 

まさかこれほどとは……。

 

そして若いお客さんもけっこう多い。

 

大人は1600円。

 

午後の部は18時からなのだが、

なんと終わるのは21時半!

 

3時間半の長丁場なのだ。

 

どうりでみんなおにぎりを食べたり、

お酒を飲んだりしながら

ゆったりしているわけだ。

 

僕はけっこう「しっかり観るぞ!」

モードで来ていたので、

「これじゃあ持たぬ」と

途中でゆったりモードに転換。

 

さっそく演芸場内の売店で

めんたいこおにぎりを買ったのだが、

これがびっくりするくらい激ウマ。

 

ここ10年で一番おいしい

おにぎりだったかもしれない。

 

なんせ作りたてであったかくて、具もホンモノ。

 

演芸場に行かれたらぜひこのおにぎりを

味わっていただきたい。

 

さて舞台の方ですが、結論から言うと、

……めっちゃよかったです!

 

特に第二幕の物語が素晴らしくて、

号泣するお客さん多数。

 

僕もこんなにグッとくる舞台を観たのは

もしかすると初めてかもしれない。

 

時代設定が江戸時代なので、

現代ではすっかり廃れてしまった

人情が描かれている。

 

そのせいか、物語は悲劇なのに、

あたたかいものがこみあげてくる。

 

人間関係が薄っぺらな現代では

こういう物語はもう描けないだろう。

 

後ろの席にいた常連っぽいおばちゃんたちが、

「今までで一番よかった!」

と言っていたので、

これまでの公演の中でも

特に秀逸だったのだろう。

 

そうだとしたら

1回目でそれに当たったのは

かなりラッキーだったのかもしれない。

 

残念ながら僕はその後に

予定を入れてしまっていたので

20時くらいまでしかいられなかったのだが、

それでも大満足だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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いま、メイソン・カリー著

『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』

という本を読んでいる。

 

この本の副題にもあるように、

クリエイティブな作品の多くは、

そのイメージとは反対に、

地味で規則正しい生活の中から

生み出されているらしい。

 

本書の中のどこかでも、

 

「規則正しい生活をするほど、

 より狂気に満ちた作品を作ることができる」

 

というようなことが書かれていた気がする。

 

これはもしかすると、

心理学でいう「安全基地」の考え方と

共通するものがあるのかもしれない。

 

「安全基地」とは、

アメリカの心理学者、

メアリー・エインスワースが

提唱した概念で、次にように説明される。

 

「子供は親との信頼関係によって育まれる

『心の安全基地』の存在によって外の世界を探索でき、

 戻ってきたときには喜んで迎えられると

 確信することで帰還することができる」

(ウィキペディアより)

 

自分が心から安心できる

場所や関係性を持っているほうが、

より積極的に冒険できる、

というような考え方である。

 

これは子どもだけでなく、

大人にも適用されるという。

 

そして作品づくりにおいては、

「規則正しい生活」というものが、

この「安全基地」の役割を

果たすのではないか。

 

クリエイティブな作品づくりには、

ある意味で「終わり」がない。

 

いいものを追求しようとすれば、

永遠に追求し続けられるだろうし、

その日の調子によっては、

いつまでたっても作業が進まない、

ということもあるだろう。

 

そんな不安定なプロセスの中に、

規則正しい生活は一定の秩序を与えてくれる。

 

どれだけ調子が悪くても、

「今日はここまで」

という一線を担保してくれる。

 

このことが作家の心に安心をもたらし、

より冒険的な作品への意欲を

生み出すのではないか。

 

……と、

こんなことを午前3時に書いている僕も、

安全基地を求めて直ちに

ベッドへ潜り込むこととしよう(笑)。

 

 

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ウチの観葉植物「オーガスタ」の葉が、

ものすごく巨大化している。

 

 

 

 

 

 

いちばん新しくできたこの葉は、

他の葉と比べてとんでもなくデカい。

 

なぜこうなったのか

いろいろ考えてみたら、

ひとつ思い当たるフシがある。

 

ウチには手作りの小さな神棚があって、

毎朝水をかえて供えている。

 

で、その水をかえる時に、

きのうのぶんの水を、

オーガスタの水やりに使っていたのだ。

 

ここから導き出される結論はひとつ。

 

「オーガスタの神木化」である。

 

ちなみに神棚に祀っているのは、

近所の富士塚にある冨士神社、

通称「お冨士さん」である。

 

つまりその「お冨士さん」の霊力が、

水をとおしてオーガスタを

神木化させているというわけだ。

 

「観葉植物の神木化」など

これまで聞いたこともないが、

「現実は小説よりも奇なり」という言葉もある。

 

目の前で起こっている事実を

否定することはできない。

 

ちなみに参拝はまだ受け付けていないので、

突然の訪問はご遠慮くださいませ。

 

しかしこのまま巨大化して

「神木」の噂が広まってしまったら、

さすがに「一人で独占」というわけにもいくまい。

 

近いうちにしめ縄でも買いに行くか……。

 

 

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ウチもついにおとといから、

ベランダにすだれを掛け始めた。

 

 

 

 

「日本文化いろは事典」によれば、

簾(すだれ)という言葉は

万葉集にも登場するという。

 

日光をいい具合に防ぎながら、

風はちゃんと通す。

 

それらを完全に遮断してしまうのではなく、

外とのつながりを保ちながら

快適な空間を作り出すところに、

日本の伝統的な知恵があるのだろう。

 

これは「自然保護」の考え方にも

通じるところがある。

 

たとえば哲学者の内山節氏は次のように述べている。

 

自然保護は世界中で議論されている課題なのに、このテーマの受け止め方はさまざまである。北米では原生的自然の保全がその中心になり、大陸ヨーロッパでは、人間の暮らす村々で野生生物が生存できるようにすることが、中心的な課題になっている。そして日本では、自然とともに暮らせる人間のあり方が議論の中心である。(内山節『「里」という思想』新潮選書、2005年、153頁)

 

だからアメリカなどで「自然保護」というと、

その場所を「立入禁止」にするなどして、

完全にその空間を囲い込み「保全する」。

 

つまり他の空間とのつながりを

「遮断する」というアプローチがとられる。

 

しかし日本の場合、

あくまで自然との関わりを保ちながら、

自然と人間が共存していく関係が模索される。

 

家の構造も同様で、

日本の伝統的な民家などは、

他人が自由に使ってよいスペースとしての

「縁側」に象徴されるように、

内と外の境界線が極めてあいまいである。

 

人間観にしても、

欧米では伝統的に「自分」と「他人」を

明確に分けてものごとを考えるが、

日本の伝統的な考え方では、

「自分」と「他人」の境界はあいまいである。

 

そして近年の科学的な見解は、

意外に日本の伝統的な考え方に近づいている。

 

生物学者の福岡伸一さんなどは、

 

「私が私であるということを担保している

 物質的な基盤は何もない」

 

とさえ言っている。

 

僕も、本質的にはおそらく万事

そういうものなのだろうという気がしている。

 

部屋を閉め切ってエアコンをつけるより、

すだれをかけて外とのつながりを感じるほうが

なんとなく気分がいいのは、

きっとそこに人間の生き方の本質が

あるからなのかもしれない。

 

 

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友人のお寺で

「御施餓鬼会」という法要があって、

その日はたくさんの檀家さんが寺を訪れる。

 

そこで駐車場の誘導係の

お手伝いをすることになった。

 

駐車スペースの壁のところを見ると、

何やら文字が書かれたプレートがある。

 

 

 

 

「ここの場所は

 前向き駐車

 してください」

 

 

なるほど。

 

「過去を振り返るな!」

 

というメッセージだ。

 

人生にはいろいろ

悩みや問題がつきものだが、

「駐車する時くらい前向きに行こうよ」

ということなのだろう。

 

僕は当然その意図を汲んで、

「前向き駐車」を促すことにした。

 

ちょっと憂鬱そうな顔のまま

駐車しようとしている人がいたら、

車を制止し、声をかける。

 

「大丈夫。きっとうまくいきます」

 

ネガティブな気分のまま駐車しても、

いいことなどなにひとつない。

 

「とてもいい仕事をした」

という充実感に満ち溢れた一日であった。

 

 

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ブログには「リブログ」という機能があるらしい。

 

他人や自分のブログの記事を、

自分の記事に張り付けて引用できる機能だという。

 

そこでさっそく使ってみた。

 

 

 

 

この記事を書いている浅井さんは、

いま中国で医者になる勉強をしている。

 

7月中旬に一時帰国する予定なのだが、

それまでの間、

二人ともブログを毎日更新し、

「更新できなかった方が飯をおごる!」

という勝負が展開されている(笑)

 

僕のブログは無意味なものが多いが、

彼のは実に深みがある。

 

特にいま人生の岐路に立っていたり、

やりたいことができずに躊躇している人は

読んでみるとよいと思う。

 

……という記事を書いて、

ブログ一日分更新完了!(笑)

 

「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」。

アイスクリームを食べる時のリスク。

 

それはアイスが溶けてきて、

手が汚れてベタベタすること。

 

僕はこれを回避するために、

「アイスはできるだけ早く食べる」

というのが習慣づいている。

 

ところが先日、

友人と一緒にアイスを食っていたら、

彼はおもむろにアイスを床に起きながら

携帯をいじっているではないか。

 

 

 

 

「どんなけメンタル強いねん!!」

 

彼は企業に就職することをせず、

3つの仕事を掛け持ちしながら、

そのうちの2つは自営である。

 

これが若手経営者のメンタルなのか。

 

「そんな風にアイス放置して、

 溶けそうで怖くないの?」

 

「ああ、外側のチョコが

 けっこう凍ってるから大丈夫だよ」

 

……モノが違う。

 

世界のベンチャーキャピタリストは、

「アイスをしばらく放置できるか」

という項目を、

チェックリストに入れておくべきだろう。