杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -38ページ目

ずいぶん前のことになりますが、

『PHPスペシャル』2014年4月号(PHP研究所)に、

「何もしない練習」というテーマで

原稿を書かせていただきました。

 

先日たまたま読み返して、

「へー、けっこういいこと書いてるやん」

と思ったのですが(笑)、

こうした過去の雑誌の原稿は

さかのぼって読まれる機会があまりありません。

 

というわけで今回、

ブログに転載させていただくことにしました。

 

ご快諾いただいたPHPスペシャル編集部さん、

ありがとうございますー!

 

4月号ということで、

春の「出会いの季節」を

ちょっとだけ意識しています。

 

4000字程度の長文ですので、

おヒマな方のみお読みくださいませ(笑)

 

 

PHP (ピーエイチピー) スペシャル 2014年 04月号 [雑誌]

 

 

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■「何もしない」練習

 

●忙しさの中で、大切な「間」をなくしていませんか?

 

「今日は何もせずにゆっくり過ごそう!」と思っても、つい「何か」をせずにはいられない。いつも「のんびりしたい!」と思っているのに、いざそういう時間が手に入ると、急に不安になったりする……。きっと身におぼえのある人も多いのではないでしょうか。

 

たしかに、日本人は外国の人々と比べても、常に時間に追われているイメージがあります。ところが意外なことに、ひと昔前まではこれが全く逆でした。幕末から明治初期の頃に日本を訪れた西洋人たちは、「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」とぼやいたといいます。それほど、私たちの大先輩たちはおおらかな時間の中で生活していたのです(橋本毅彦ほか編『遅刻の誕生』三元社より)。

 

人間の自然なリズムが求める「間(ま)」をキチンととらず、むやみに悩んだり急いだりすることで、判断を誤ったり、問題をこじらせてしまったりする。そんな様子を、かつての日本の人々は「間抜け(まぬけ)」と言って戒めました。ところが現代の私たちは、この「間」をとるのがずいぶん下手になってしまったようです。むしろ忙しさに追われるあまり、「間」をとることが「悪いこと」のようにさえ感じてはいないでしょうか。そこでここからは、健やかな日々を過ごすのに本当は欠かせない「間」を取り戻すために、「何もしない」練習を一緒に始めてみましょう。

 

●実践1 「考える」をやめてみよう!

 

ゆっくり横になって「何もしていない」つもりでも、いつのまにか頭の中はいろんな考え事でフル回転……なんてこと、ありませんか? そう、「何もしない」を実践するためには、この「つい考えてしまう」クセをなんとかするのがいちばんの近道です。

 

ところで、私たちはなぜ「つい考えてしまう」のでしょうか。その理由のひとつに、「何もしない時間=ムダな時間」という思い込みがあるような気がします。だから、せっかく体を休めている時でも、つい頭を動かそうとしてしまうのではないでしょうか。

 

ところが、頭の中が思考で埋め尽くされると、本当に大切な情報を脳が見つけられなくなってしまうのです。たとえば優れたデザイナーは、ポスターやウェブサイトの画面を、ひたすら情報で埋め尽くすようなことはしません。むしろ「空白」をうまくつくることで、最も大切な情報へと人々を導きます。実は私たちの脳も同じこと。よく、「トイレ、風呂、乗り物の中でいいアイデアが浮かぶ」という話を聞きますが、これらは「思考の空白が生まれやすい場所」だとも言えるでしょう。

 

このように、「何もしない時間」は決して「ムダな時間」ではありません。自分にとって本当に大切なことに気づいたり、新しい発想やひらめきを得ることができる、とっても重要な時間なのです。

 

とは言っても、「考えない」ことほど簡単そうでむずかしいこともありません。そこで、まずは頭の中に「真っ白なキャンバス」をイメージすることから始めてみましょう。考えていることに気づくたびに、何度もこれを繰り返すのです。「考えちゃダメだ!」と思わずに、「考えなくていいんだ♪」と思うのもコツ。なるべく楽チンな方向にもっていきましょう。あるいは、ただ自然をぼんやり眺めるのもいい方法です。この時も、「この自然を守り続けよう!」などと考えてはいけません。ひたすら自然と一体化する感覚を楽しんでください。

 

●実践2 「他人と比べる」をやめてみよう!

 

現代の競争社会では、自分と他人とを比較し、競い合うことを求められがちです。「自分が何もしていない間に、他の人たちはがんばっているかも……」と思うと、どうしても焦ってしまいます。このことが、「何もしない」をより一層むずかしいものにしていると言えるでしょう。

 

そこで、こんな発想の転換をしてみてはどうでしょうか。「他人」といえばふつうは「自分以外の人々」のこと。それを、「他人とは、いろんな自分のこと」だと思ってみるのです。ただひとくちに他人といっても、やさしい人、怒りっぽい人、真面目な人、ちょっといじわるな人など、当然いろんな人がいます。でも、その人たちが持っているやさしさも、怒りっぽさも、真面目さも、いじわるさも、程度の違いこそあれ、自分の中にもいくらかは存在するもの。それらを様々な割合で持っている「いろんな自分」が世の中にはたくさんいて、それが「他人」なんだと想像してみてください。これはぜひ街なかでやってみて欲しいのですが、不思議と赤の他人にも親近感が湧いてきます。これまでは「あんな人もいるんだなぁ」と思っていたのが、「あんな自分もいるんだなぁ」になると、世界は一変します。嫉妬の対象でしかなかったあの人も、「いろんな自分」の一人なんだと思えば、「私の代わりに、私にはできないことをやってくれているんだ!」と応援したくなってくるものです。他人という存在が、競い合う相手ではなく、補い合う相手へと変わるのです。そしてこういう発想をマスターすると、「何もしない」がグッと楽にできるようになります。「私はしばらくのんびりしてるけど、その間はみんなヨロシク!」ってなもんです(笑)。

 

●実践3 「矛盾」をまるごと受け入れてみよう!

 

ところで最近、私の周りでも「ヨガ」を始める女性が増えていますが、これは先ほどの「他人=いろんな自分」という発想と無関係ではありません。というのも、もともと「ヨガ(ヨーガ)」とは、サンスクリット語で「つながる」という意味。そして「他人=いろんな自分」という発想も、実は「自分と他人のつながり」を感じるためのものなのです。

 

さらに興味深いことに、現存する最古のヨガ経典『ヨーガ・スートラ』には、「ヨーガとは心の働きを止滅させること」と書かれているといいます。つまりヨガの本質とは、「心の働きを止滅させる(何もしない)ことによって、あらゆるものとつながること」だと言えるのです。ところが人間は思考が働いた瞬間に、自分と他人を別々のものとして分断せずにはいられません。だからこそ「心の働きを止滅させる」、つまり「何もしない」ことが求められるのでしょう。そしてこの思想の実践が「瞑想」なのです。

 

また仏教における「座禅」は、悟りを目指さず、ただ座るところに極意があるともいいます。たしかに何かを目指した瞬間に、それは「何もしない」ことではなくなってしまいます。なんだか矛盾しているようですが、そんな矛盾をもまるごと受け入れてしまうのが「何もしない」ことの深みだとも言えます。こうした「瞑想」や「座禅」を、「何もしない」練習に取り入れてみるのもオススメです。

 

●「何もしない」は、より人間的な成長を運んでくる

 

「何もしない」ことは、ともすれば「成長しない」ことのように感じられるかもしれません。しかしここまで見てきたように、それはあらゆるものとの「つながり」を感じるきっかけを与えてくれます。昔の人々が「間」を大切にしたのも、このつながりを大切にしていたからではないでしょうか。

 

毎日あわただしく目の前の問題に追われていると、それらをすべて自分の力だけで解決しなければならないような気持ちになってきます。しかし「何もしない」を大事にしながら心を穏やかに保っていると、次第に他人の力を借りられる余裕や環境も生まれてくるものです。こうして「つながり」の中で問題を解決できるようになることが、より人間的な成長だと言えるのではないでしょうか。

 

さて、これから出会いの季節がやってきます。そこでの新しいご縁をしっかりキャッチするためにも、「何もしない」練習をうまく活用しながら、心の中にじゅうぶんなゆとりをつくっておきたいですね。

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最近、北京大学医学部で勉強している友人、

浅井さんのことをよく思い出す。

 

そしてそれには理由がある。

 

 

 

 

Acai(アサイー)ドリンクを買ったからだ。

 

アサイードリンクを買ったことなど

人生において数えるほどしかないが、

今回買ったやつはひと味違う。

 

びっくりするくらいドロドロしているのだ。

 

でもそのせいか、体にいい気がする。

 

そしてアサイー(朝いい)だけに、

朝に飲むようにしている。

 

おかげで全く関係のないはずの

浅井さんのイメージまで

健康的なものになりつつある。

 

浅井さんが日本に帰ってきた際には

ぜひ振る舞ってあげたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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しみじみしました(笑)。

 

イラストがとってもやさしくて、

ページをめくるだけで

気持ちがまあるくなる感じ。

 

人間の弱さに寄り添ってくれる、

まさに近所のお地蔵さんのような一冊です。

 

イラストに添えられた言葉もよくて、

僕がグッときたのは、

 

「ハズカシイケイケンはあったほうがいい」

「背すじを伸ばさない生き方もある」

「みんなむかしばなしになる」

「おちつきのない自然体もある」

 

……などなど。

ほかにもいい言葉がたくさんありました。

ちょっと悩んでる友人がいたら、

何気なくプレゼントしてあげたい感じです。

 

 

しみじみ地蔵の道あんない

 

 

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いま東京で一番話題のスポットはどこでしょう?

 

そう、銀座6丁目……ではなく、

保谷町3丁目にあるクラフトビールの店、

「ヤギサワバル」です。

 

僕の友人の大谷氏が

オーナー&マスターを務めるこのお店、

実は昨年の12月18日からずっと

「プレオープン中」だったのです!

 

僕もすっかり忘れていました。

 

そして来る6月9日「ロックの日」、

ついにグランドオープンを迎えるとのこと。

 

そして6月9日〜11日は

オープンウィークということで、

19時半からライブが行われます。

 

6/9  (金)19:30- 永井サク

6/10(土)19:30- 杉原白秋
6/11(日)19:30- 闘狂テトラ

 

僕は10日に出演しますので、

 

「ウマいビール飲みながら

 ヘタな歌でも聞いてやるか」

 

と思った方はぜひ足を運んでくださいませ〜。

 

 

 

 

■営業日と営業時間

木・金・土・日(※不定休)

19:00〜22:00(ラストオーダー)

■アクセス

西武柳沢駅(西武新宿線)北口より徒歩4分

西東京市保谷町3-8-8

■予約・問い合わせ

yagisawabar@gmail.com

080-9425-6660

■ヤギサワバル Facebookページ

https://www.facebook.com/yagisawabar/

 

 

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ある町を歩いていて

たまたま見つけた風景。

 

 

 

 

僕はこの風景を見て、

 

「家を追い出されたオヤジが

 外で正座させられて

 ひたすら土下座しながら

 オカンに詫びている図」

 

が瞬間的に想起されたのだが、

みなさまはいかがだろうか。

 

おそらく干していた座布団が

下に落ちただけだと思うのだが、

これほどストーリーを想起させずにいない

構図というのは一体なんなのか。

 

ちょっと試しに座布団に

座ってみよっかなと思ったけれど、

さすがにそれはやめておいた。

 

 

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人間生きていれば誰でも、

 

「あー俺はなんて愚か者なんだー!」

 

と思うような選択を

してしまうこともあるだろう。

 

後悔先に立たず。

 

覆水盆に返らず。

 

自分の愚かさを悔いて

苦しむことは辛いものである。

 

だがそういう時、

そんな自分の「愚かさ」そのものが、

実は救いになったりもする。

 

完全なる悟りの境地に

達している人間などいるはずはなく

(その時点で人間を超越している)、

その意味で人間は

ひとり残らず「愚か者」なのだ。

 

そして、

「俺はなんて愚か者なんだー!」

と思っているのは、

その「愚かな」自分である。

 

だとすれば、

その選択が本当に「愚か」だったかどうかなど、

「愚か者」である人間ごときに

わかるはずがないのである。

 

「愚か者」が「愚か」だと思うことほど、

逆に「愚かではない」かもしれないではないか。

 

確かに「覆水盆に返らず」は真理かもしれないが、

「いや、むしろ水がこぼれてよかったかもよ?」

と思うことはできるだろう。

 

そして実際そうなのかもしれないのである。

 

……と、

こういう「愚かな」理論を唱えるのもまた、

愚かな人間の、愚かさ故なのであります。

 

 

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なんとなく歩いていたら目に入った文字。

 

「ジョイム東十条」か。

 

……通り過ぎかけて、

思わず立ち止まった。

 

よく見たら「ジョイム東十条」じゃなくて、

「ジョ仏東十条」じゃないのか?

 

「ジョイム」ではなく「ジョ仏(ボトケ)」。

 

まさかこんなところで

「仏を観る」ことになるとは思わなかった。

 

仏はあの世にいるのではない。

 

「ジョ」と「東十条」の間にいる。

 

 

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先日、友人の実家で収穫した梅を、

さっそく梅酒として仕込んでみた。

 

自家製梅酒を友人らに振る舞えると思うと

今から楽しみだ。

 

もしかしたらあまりの美味しさに、

商品化されてしまう可能性もあるだろう。

 

いまチョーヤは、

創業以来最大の危機を迎えている

といっても過言ではない。

 

 

 

 

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北区十条駅近くにある

喫茶「梅の木十条店」で、

台湾珈琲を紹介する

写真展が開催されています。

 

企画・写真はYasuhiro Iguchi氏。

 

台湾先住民のアミ族が

無農薬で育てた珈琲豆を使った、

“幻の珈琲”が飲める貴重な機会。

 

期間は6月1日〜21日まで。

 

Iguchi氏の視点で切り取った

彼らの農園の写真とともに、

ぜひ楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

 

準備中のようす

 

 

 

 

 

 

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少し前に書いた「田植え(補植)体験」と、

その時に一緒にやった梅の収穫の

写真が送られてきた。

 

 

もう時間は16時近くになっていたが、

まだまだ日差しは強かった。

 

 

苗が少なくなったので友人に投げてもらったが、

案の定手前に落ちて、泥を全身に浴びることに(笑)

 

 

初めての梅の収穫。もちろん家で梅酒にします。

 

 

帰りには、同じ田んぼで去年採れた

米をいただいて帰った。

 

筋肉痛が2日後にきたことは

言うまでもない。

 

 

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