ずいぶん前のことになりますが、
『PHPスペシャル』2014年4月号(PHP研究所)に、
「何もしない練習」というテーマで
原稿を書かせていただきました。
先日たまたま読み返して、
「へー、けっこういいこと書いてるやん」
と思ったのですが(笑)、
こうした過去の雑誌の原稿は
さかのぼって読まれる機会があまりありません。
というわけで今回、
ブログに転載させていただくことにしました。
ご快諾いただいたPHPスペシャル編集部さん、
ありがとうございますー!
4月号ということで、
春の「出会いの季節」を
ちょっとだけ意識しています。
4000字程度の長文ですので、
おヒマな方のみお読みくださいませ(笑)
PHP (ピーエイチピー) スペシャル 2014年 04月号 [雑誌]
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■「何もしない」練習
●忙しさの中で、大切な「間」をなくしていませんか?
「今日は何もせずにゆっくり過ごそう!」と思っても、つい「何か」をせずにはいられない。いつも「のんびりしたい!」と思っているのに、いざそういう時間が手に入ると、急に不安になったりする……。きっと身におぼえのある人も多いのではないでしょうか。
たしかに、日本人は外国の人々と比べても、常に時間に追われているイメージがあります。ところが意外なことに、ひと昔前まではこれが全く逆でした。幕末から明治初期の頃に日本を訪れた西洋人たちは、「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」とぼやいたといいます。それほど、私たちの大先輩たちはおおらかな時間の中で生活していたのです(橋本毅彦ほか編『遅刻の誕生』三元社より)。
人間の自然なリズムが求める「間(ま)」をキチンととらず、むやみに悩んだり急いだりすることで、判断を誤ったり、問題をこじらせてしまったりする。そんな様子を、かつての日本の人々は「間抜け(まぬけ)」と言って戒めました。ところが現代の私たちは、この「間」をとるのがずいぶん下手になってしまったようです。むしろ忙しさに追われるあまり、「間」をとることが「悪いこと」のようにさえ感じてはいないでしょうか。そこでここからは、健やかな日々を過ごすのに本当は欠かせない「間」を取り戻すために、「何もしない」練習を一緒に始めてみましょう。
●実践1 「考える」をやめてみよう!
ゆっくり横になって「何もしていない」つもりでも、いつのまにか頭の中はいろんな考え事でフル回転……なんてこと、ありませんか? そう、「何もしない」を実践するためには、この「つい考えてしまう」クセをなんとかするのがいちばんの近道です。
ところで、私たちはなぜ「つい考えてしまう」のでしょうか。その理由のひとつに、「何もしない時間=ムダな時間」という思い込みがあるような気がします。だから、せっかく体を休めている時でも、つい頭を動かそうとしてしまうのではないでしょうか。
ところが、頭の中が思考で埋め尽くされると、本当に大切な情報を脳が見つけられなくなってしまうのです。たとえば優れたデザイナーは、ポスターやウェブサイトの画面を、ひたすら情報で埋め尽くすようなことはしません。むしろ「空白」をうまくつくることで、最も大切な情報へと人々を導きます。実は私たちの脳も同じこと。よく、「トイレ、風呂、乗り物の中でいいアイデアが浮かぶ」という話を聞きますが、これらは「思考の空白が生まれやすい場所」だとも言えるでしょう。
このように、「何もしない時間」は決して「ムダな時間」ではありません。自分にとって本当に大切なことに気づいたり、新しい発想やひらめきを得ることができる、とっても重要な時間なのです。
とは言っても、「考えない」ことほど簡単そうでむずかしいこともありません。そこで、まずは頭の中に「真っ白なキャンバス」をイメージすることから始めてみましょう。考えていることに気づくたびに、何度もこれを繰り返すのです。「考えちゃダメだ!」と思わずに、「考えなくていいんだ♪」と思うのもコツ。なるべく楽チンな方向にもっていきましょう。あるいは、ただ自然をぼんやり眺めるのもいい方法です。この時も、「この自然を守り続けよう!」などと考えてはいけません。ひたすら自然と一体化する感覚を楽しんでください。
●実践2 「他人と比べる」をやめてみよう!
現代の競争社会では、自分と他人とを比較し、競い合うことを求められがちです。「自分が何もしていない間に、他の人たちはがんばっているかも……」と思うと、どうしても焦ってしまいます。このことが、「何もしない」をより一層むずかしいものにしていると言えるでしょう。
そこで、こんな発想の転換をしてみてはどうでしょうか。「他人」といえばふつうは「自分以外の人々」のこと。それを、「他人とは、いろんな自分のこと」だと思ってみるのです。ただひとくちに他人といっても、やさしい人、怒りっぽい人、真面目な人、ちょっといじわるな人など、当然いろんな人がいます。でも、その人たちが持っているやさしさも、怒りっぽさも、真面目さも、いじわるさも、程度の違いこそあれ、自分の中にもいくらかは存在するもの。それらを様々な割合で持っている「いろんな自分」が世の中にはたくさんいて、それが「他人」なんだと想像してみてください。これはぜひ街なかでやってみて欲しいのですが、不思議と赤の他人にも親近感が湧いてきます。これまでは「あんな人もいるんだなぁ」と思っていたのが、「あんな自分もいるんだなぁ」になると、世界は一変します。嫉妬の対象でしかなかったあの人も、「いろんな自分」の一人なんだと思えば、「私の代わりに、私にはできないことをやってくれているんだ!」と応援したくなってくるものです。他人という存在が、競い合う相手ではなく、補い合う相手へと変わるのです。そしてこういう発想をマスターすると、「何もしない」がグッと楽にできるようになります。「私はしばらくのんびりしてるけど、その間はみんなヨロシク!」ってなもんです(笑)。
●実践3 「矛盾」をまるごと受け入れてみよう!
ところで最近、私の周りでも「ヨガ」を始める女性が増えていますが、これは先ほどの「他人=いろんな自分」という発想と無関係ではありません。というのも、もともと「ヨガ(ヨーガ)」とは、サンスクリット語で「つながる」という意味。そして「他人=いろんな自分」という発想も、実は「自分と他人のつながり」を感じるためのものなのです。
さらに興味深いことに、現存する最古のヨガ経典『ヨーガ・スートラ』には、「ヨーガとは心の働きを止滅させること」と書かれているといいます。つまりヨガの本質とは、「心の働きを止滅させる(何もしない)ことによって、あらゆるものとつながること」だと言えるのです。ところが人間は思考が働いた瞬間に、自分と他人を別々のものとして分断せずにはいられません。だからこそ「心の働きを止滅させる」、つまり「何もしない」ことが求められるのでしょう。そしてこの思想の実践が「瞑想」なのです。
また仏教における「座禅」は、悟りを目指さず、ただ座るところに極意があるともいいます。たしかに何かを目指した瞬間に、それは「何もしない」ことではなくなってしまいます。なんだか矛盾しているようですが、そんな矛盾をもまるごと受け入れてしまうのが「何もしない」ことの深みだとも言えます。こうした「瞑想」や「座禅」を、「何もしない」練習に取り入れてみるのもオススメです。
●「何もしない」は、より人間的な成長を運んでくる
「何もしない」ことは、ともすれば「成長しない」ことのように感じられるかもしれません。しかしここまで見てきたように、それはあらゆるものとの「つながり」を感じるきっかけを与えてくれます。昔の人々が「間」を大切にしたのも、このつながりを大切にしていたからではないでしょうか。
毎日あわただしく目の前の問題に追われていると、それらをすべて自分の力だけで解決しなければならないような気持ちになってきます。しかし「何もしない」を大事にしながら心を穏やかに保っていると、次第に他人の力を借りられる余裕や環境も生まれてくるものです。こうして「つながり」の中で問題を解決できるようになることが、より人間的な成長だと言えるのではないでしょうか。
さて、これから出会いの季節がやってきます。そこでの新しいご縁をしっかりキャッチするためにも、「何もしない」練習をうまく活用しながら、心の中にじゅうぶんなゆとりをつくっておきたいですね。
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