愚か者による「愚かな」選択 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

人間生きていれば誰でも、

 

「あー俺はなんて愚か者なんだー!」

 

と思うような選択を

してしまうこともあるだろう。

 

後悔先に立たず。

 

覆水盆に返らず。

 

自分の愚かさを悔いて

苦しむことは辛いものである。

 

だがそういう時、

そんな自分の「愚かさ」そのものが、

実は救いになったりもする。

 

完全なる悟りの境地に

達している人間などいるはずはなく

(その時点で人間を超越している)、

その意味で人間は

ひとり残らず「愚か者」なのだ。

 

そして、

「俺はなんて愚か者なんだー!」

と思っているのは、

その「愚かな」自分である。

 

だとすれば、

その選択が本当に「愚か」だったかどうかなど、

「愚か者」である人間ごときに

わかるはずがないのである。

 

「愚か者」が「愚か」だと思うことほど、

逆に「愚かではない」かもしれないではないか。

 

確かに「覆水盆に返らず」は真理かもしれないが、

「いや、むしろ水がこぼれてよかったかもよ?」

と思うことはできるだろう。

 

そして実際そうなのかもしれないのである。

 

……と、

こういう「愚かな」理論を唱えるのもまた、

愚かな人間の、愚かさ故なのであります。

 

 

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