杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -18ページ目

この三連休の真ん中の日、知り合いに頼まれて十条を案内しました。

 

十条は僕の大好きな街で、いまも昭和の風情を残す人情味あふれる地域です。

 

しかしいま、この十条で4つの巨大な再開発計画が同時に進んでいて、ほとんどの住民が反対しているにもかかわらず、強引に計画が進められようとしています。

 

「再開発事業者を潤すだけの計画」として多くのメディアでも取り上げられていて、知り合いを案内した当日も、商店街のお店の壁に、再開発の問題性を指摘する貼り紙が出されていました。

 

いま、日本の各地で商店街のシャッター街化が進んでいて、「いかに商店街を活性化させるか」が大きな課題になっています。

 

そんな中、地元の人々で賑わい続け、東京都の3大商店街にも数えられているのがこの「十条銀座商店街」。

 

こんな希有な成功例であり、地域の貴重な財産でもある商店街を、北区や東京都が率先して破壊しようとしているのは、ちょっと信じ難い光景です。それも、一部の人間の金儲けのために。

 

下記は、この問題を取り上げた記事の一部です。関心を持たれた方は、ぜひ十条に実際に足を運んでみてくださいませ。

 

個人的には、昭和の雰囲気を残した喫茶店がまだ残っているところと、街の人々がいい意味で「油断している」感じが好きです(笑)。まったり志向の方はきっと肌が合う。それが十条なのです。

 

■商店街を破壊する道路計画、ゴリ押しで都が進める本当の理由は「超高層マンション建設」(日刊SPA!)

・70年前の道路計画が復活! 下町の商店街を破壊する

・250軒も強制的に立ち退かされる

・小池知事は就任以来、28の特定整備路線のどこも視察をしていない

 

■ドラマ『孤独のグルメ』でも描かれた十条銀座周辺が再開発で危機(MSN)

・十条銀座商店街は昭和初期から商店が集まり、自然と商店街になっていった歴史ある商店街

・70年前の忘れ去られた計画が突如復活

・有無を言わさず事業認可が降りてしまった

・認可の過程で生じた「改ざん疑惑」……十条駅西口再開発

・ほとんどの住民や商店主がメリットもなく、ましてや立ち退きすら迫られる

・再開発事業者を潤すだけの計画

カニの季節です。

 

いま一時的に旅行の仕事に関わっているのですが、そこにも「カニ食べ放題ツアー!!」のようなものがたくさん登場してきます。

 

旅行ツアーにもいろいろありますが、この「カニ」関連の広告はどうも「狂気じみている」と感じるのは僕だけでしょうか(笑)。

 

よくあるパターンが「カニ!カニ!カニ!」のような連呼。

 

そして必要以上にカニによって埋め尽くされたビジュアル。

 

不思議と「エビ」にはこういうトーンはなく、どちらかというと上品な感じのものが多い。

 

この違いは一体なんなのでしょうか?

 

そんなことを思いながら十条駅を歩いていたところに、デカデカとこのポスターが。

 

 

狂気を感じませんか?(笑)

 

「かに襲来」と書かれていますが、人類史上、カニが群れをなして人間を襲来したことなど多分ありませんし、きっとこれからもないでしょう。むしろカニに「襲来」しているのは人間の方です。カニが不憫でなりません。

 

しかしこれが「カニ広告」の典型的なトーンなのです。

 

この「カニの狂気」は一体どこから来るものなのか。

 

ぜひ文化人類学的視点から明らかにしていただきたいものです。

 

なお明らかになっても、僕への報告は特に必要ありません(笑)。

「あー、そのへんに100万円落ちてないかなー」

 

うまくいかない日々が続くと、ついつい、そんな妄想を抱いてしまったりすることはないでしょうか。

 

もちろん、そんなことは「ありえない」とわかっている。

 

もしも、それが現実に起こったら、あなたはきっとこう叫ぶのではないでしょうか。

 

「奇跡だー!!!」と。

 

でも、「自分の身に、そんな奇跡が起こるわけがない」。

 

確かにそうかもしれません。

 

しかし、「自分の身に」ではなく、「他人の身に」奇跡を起すことは、案外できなくはないのではないでしょうか。

 

たとえばさっきの、「あー、そのへんに100万円落ちてないかなー」。

 

確かにそのへんに100万円が落ちてることはないかもしれませんが、あなたが「そのへんに100万円を落としておくこと」はできるわけです。あなたが100万円を持っていて、「その気になれば」ですが(笑)。

 

「その気になるかーい!!」というツッコミが聞こえてきそうですが、最初に妄想していた「自分の身に起きる奇跡」に比べれば、こっちは自分が「その気になりさえすれば」実現するのですから、断然リアリティーがあります。

 

言わば「神様次第」から「自分次第」への転換。

 

そう、奇跡は起せるのです。「その気になりさえすれば」(笑)。

 

100万円を落としておく、というのは極端な例ですが、同じような考え方で、「小さな奇跡」を起すことはできるはずです。

 

道に迷ってそうな人がいたら、声をかけて助けてあげる。

重い荷物を持ってる人がいたら、お持ちしましょうかと言ってみる。

もし自分に漫画家の知り合いが多かったら、漫画家志望の人に紹介してあげられるかもしれない。

もし自分にWEBの知識があれば、その人が売りたい商品を販売するサイトを作ってあげられるかもしれない。

 

自分にとってはそれほど特別ではないことが、相手にとっては「奇跡だー!!!」と叫びたくなるようなことだったりする。

 

よくある訓話みたいなので、「ものすごく長い箸しかない食卓の話」がある。地獄では、みんな自分が食うことだけを考えるから、箸が長すぎて誰も食べることができない。しかし天国では、その長い箸を使ってお互いに食べさせ合うので、全員がおなかいっぱい食べることができる。

 

聞くたびに、「はいはい、その話ね」と聞き流してしまうけれど(笑)、「いや、確かにそういうところはあるよな」とも思う。

 

自分の身に起こる奇跡を待っていても、なかなか起こらないけれど、他人の身に奇跡を起す機会は、けっこうそこらじゅうにあるのだ。

 

そしてそういう奇跡を起こしまくっている人の身には、きっと自然に、たくさんの奇跡が起こるのではないだろうか。

 

さて、これを読んで、さっそく奇跡を起したくなってきたあなた。

 

僕がいつでもその奇跡、お受けいたします。

 

「あー、そのへんに100万円落ちてないかなー」

 

「自分らしい生き方シンポジウムin関東」が先日、無事に終了しました。

 

定員は150名で、僕は正直「そんなに集まるのかな?」と思っていたのですが(スミマセン)、ふたを開けてみれば、入場者数は200名以上。

 

そこに登壇者、ファシリテーター、スタッフ等を加えると250名ほどの参加者となり、むしろ会場のキャパオーバーを心配する状況だったそうです。僕も当日、人の多さにびっくりしてしまいました。

 

それでも大きな混乱なく会を終えられたのは、準備から当日の運営まで細やかに気配りしてくださったスタッフのみなさまのおかげ。本当に頭が下がります。

 

会場はいくつかに分かれていたのですが、どの会場もとても盛り上がっていたようです。全部を紹介することはできないのですが、たとえば分科会A「自分スタイルに逢えるセッション」。

 

ライフ・スタイリストの河面乃浬子(かわものりこ)さんが、参加者一人ひとりをスタイリング。ファッションを通して自分らしさを発見するお手伝いをしていました。

 

その中にはひきこもりの子を持つ親御さんもいらっしゃったのですが、河面さんいわく、親御さんが自分らしく生きることで、子ども自身も変わっていくことがあるとのこと。

 

会場には、オシャレに変身した若者からご年配の方々が、ちょっとはにかみながらも颯爽と歩いている姿があって、なんだか見ているこっちまで心がウキウキしてしまいました。

 

自己表現スペースでは、僕の友人の井口康弘氏の写真も展示されていました。しかし彼はピースボートにゲストとして乗船中だったため、僕が代打で写真の説明をすることに。

 

たぶん間違いだらけの説明だったと思いますが、まあ、いいでしょう(笑)。写真はとても好評で、「他の写真はどこで見られるんですか?」「これ、すごくいいです!」など、うれしい感想をたくさんいただきました。

 

メイン会場では、11人の登壇者が2部に分かれて、それぞれ自分の生き方や、人生が変わったきっかけなどについて話しました。どの方の話も本当に面白くて、僕自身とても学びの多い時間になりました。まさに「我以外、皆我が師」というのを実感した1日でした。

 

面白かった話を報告するときりがないのですが、たとえば何かを決断する時に、「それを選んで後悔してもいいと思う方を選ぶ」という言葉がありました。「後悔しない方を選ぶ」のではなく、「後悔してもいい方を選ぶ」。ちょっとした違いのようにも思いますが、案外そこに大きなヒントがあるような気がしました。

 

そして、ちょっと苦手な相手とつきあわないといけない時などは、あえて「あの人と会うのが楽しみだ!」と口に出して唱えると、不思議と自分も相手も変わって、本当に楽しくなっていくという経験談も面白かったです。

 

実は僕もこの会の後半で登壇したのですが、さすがにちょっと緊張していたので、ここぞとばかりに「みんなの前でしゃべるのがすごく楽しみだ!」と唱えてみたのです。そうすると本当にずいぶん気が楽になって、楽しく話すことができました。素敵な技(?)を教えていただいて本当にありがとうございます!これからも活用します(笑)。

 

他にも面白い言葉がたくさんあったのですが、ここでは紹介しきれませんし、解釈が間違ってる可能性もあるので(笑)、せめて自分が話した内容を少しだけ書いておこうと思います。

 

僕が話す前に「幸せ」についての話題があったので、僕が去年経験した、幸福観の変化について話させていただきました。

 

僕の大好きな場所に島根県の奥出雲町という場所があります。何が好きかって、とにかく食べ物が美味い!「仁多米」はすでに有名ですが、とにかくそこで育つものは何でも美味しいのです。

 

それが何故なのか地元の方に聞いたことがあるのですが、まず最初に言っていたのが「水がきれいなこと」。そして第二に、「寒暖差の大きさ」。

 

奥出雲町は標高400メートルほどの場所にあって、冬場は豪雪地帯。それでも夏はしっかり暑い。この寒暖差が、あらゆる作物を成熟させ、僕たちに恵みを与えてくれているというわけです。

 

「寒暖差が作物を成熟させる」。

 

このことを人間に置き換えて考えてみたとしたら、ここでの「寒暖差」とは一体何でしょうか。僕はそれが「幸・不幸」なのではないかと思ったのです。つまりその人が経験する「幸福」と「不幸」の振り幅の大きさが、その人の人間的な成熟を促すのではないか、と。

 

考えてみれば仏陀も、釈迦族の王子としての恵まれた生活と、その後のたゆまぬ苦行との振り幅によって、悟りを得たのかもしれません。もちろん、僕らがその領域まで行く必要はないのですが(笑)。

 

そして面白いのは、この考えでいけば、「幸福は必ずしも目的ではない」ということです。それは人間的成熟のための手段のひとつにすぎません。そして「不幸」もまた、単にネガティブなものではなく、やはり人間的成熟を促してくれる重要な要素だというわけです。

 

自分で言うのもなんですが、この考え方が正しいかどうかなんてことは、どうでもいいのです(笑)。そういう視点で「幸福」や「不幸」を捉えることによって、生きる力がもりもりと湧いてくれば、それでもう十分なわけです。

 

「幸福にならなければならない」という圧力に苦しんでいる人は、僕も含めてけっこういるような気がします。ここで紹介させていただいたモノの見方は安易な思いつきにすぎないのですが(笑)、僕にとってはなかなかいい方法だったので、みなさんとシェアさせていただきました。

 

ちなみに去年、こういう「弱い自分がなんとか生きていく考え方」のいくつかを、電子書籍にまとめてみました。幸福観と寒暖差の話もこの中で書きましたので、よかったら読んでやってくださいませ(笑)。

 

杉原白秋『疾走しない思想「人間は、弱い生き物なのだ」と仮定する。』2018年。

 

さて、このシンポジウムは「K H J全国ひきこもり家族会連合会」が主催していることからもわかるように、背景にはひきこもりというテーマがあります。しかし今回、少なくともメイン会場では、「ひきこもり」という言葉が本当に数えるほどしか出てこなかった気がします。

 

これは僕の個人的な気持ちですが、いまの学校や社会に適応できずに、あるいは適応することを拒否して、登校拒否したり、ひきこもったりすることは、実にまっとうな精神の表れ方だという気がします。もちろん、その中でうまく折り合いをつけたり、楽しむことができたり、楽しくないけどなんとかついていったり、何も感じることなくやっていける人もたくさんいます。

 

しかし、その中でやっていけるにしても、いけないにしても、感受性が豊かであればあるほど、苦しむのではないでしょうか。

 

でもその苦しみは、先ほどの考え方でいけば、人間的な成熟を大きく促してもくれるはずです。いや、別に僕は人間的な成熟をみんなが目指す必要もないと思っていますし、できればひとつも苦しむことなく生きていきたいと思っています。

 

そう思っていても、「幸・不幸」という経験は否応なく訪れます。これはすごいことです。こちらが望んでいなくても、何度でも与えられる。こういうのを「ギフト」というのではないでしょうか。

 

もちろん辛いギフトなんて受け取りたくないですが(笑)、見た目に反して、箱を開けてみたら中身は実はうれしいギフトだった、ということもあります。しかもものすごい時間差でそれがわかったりして。

 

思いがけない不幸がときどき起こるように、思いがけない幸福もときどきやってきます。それを享受しているうちに、僕らはいつのまにか「いい味」をかもし出せるようになるのかもしれません。それは「成長」とはちょっと違うような気がします。「深み」というか、「うまみ」というか……(笑)。

 

シンポジウムに参加して思ったのは、本当にみんなそれぞれが、それぞれの「いい味わい」を持っているということ。その「味わい」を互いに引き立たせるような関係性を模索しながら、共に生きていくこと。そんな感じでいければいいなあと思った、とっても楽しくてあたたかいシンポジウムでした。

今年も6日が過ぎようとしておりますが、ここらで去年の思い出話をひとつ。

 

去年は、友人がやっているクラフトビールの店「ヤギサワバル」の、イベント出店を何度かお手伝いしました。

 

そこで、ある女性と一緒にお手伝いした時のことが、とても印象に残っています。

 

その女性は、あの有名レシピサイト「クックパッド」に、たくさんの魅力的な料理を投稿し、大人気を博している「カリスマ主婦」なのです。

 

さて、ヤギサワバルの主力はもちろんクラフトビールなのですが、当日は一緒に鹿肉サンドも販売していました。その女性は、この鹿肉サンドの販売を担当してくれました。

 

 

お昼になるとお客さんが殺到するので、その前に僕はぷらりと会場を散策。ついでに、みんなのぶんの焼きそばも買って戻りました。

 

おなかが空いていた僕はすぐにその焼きそばを平らげたのですが、そのカリスマ主婦はずっとその焼きそばを置いたまま。

 

「どうぞ、お手すきの時に食べてくださいね」

 

「あ、ありがとうございます〜。後でいただきますね」

 

そして忙しさのピークが過ぎて、

 

「いやー、お疲れさんでしたー」

 

などと言っていると、そのカリスマ主婦が、

 

「こんなの作ってみましたので、よかったら食べてください〜」

 

とのこと。

 

ふと脇のテーブルを見てみると、なんと!

 

 

 

「天才かよ!!!!」

 

鹿肉サンドに使っていたパンと、僕が買ってきた焼きそばをミックスさせて、焼きそばパンを完成させていたのです!

 

いやー、やっぱりカリスマはダテじゃない。これがセンスというやつでしょうか。

 

この時は本当に感動して、いろんな人にこのエピソードを話した気がします。

 

今年もこんな感動に何度か出会えたらいいなあと思う、2019年の6日目でした。

 

「スクールゾーン」の標識が

「誘拐注意」の標識に見えてしまうのは、

ここが東京だからでしょうか(笑)。

 

でも、女の子もちょっと逃げ腰になってるし、

微妙に不安を煽るデザインになってる気がします。

 

もしかすると、

「ここはスクールゾーンだから誘拐に注意」

というダブルミーニングを狙ったのか?

 

そう考えると、

微妙だと思っていたこのデザインが、

これ以上ないほど秀逸なものに

思えてくるではありませんか。

 

このように、

「コレはイマイチだな」と思っていても、

実は単に「自分の見方がイマイチだった」

という可能性もあるわけです。

 

なんだかいろいろ反省させられます。

 

ところでこういう標識のデザインって

誰が考えてるのでしょうか。

 

デザイナーにとっては

垂涎の仕事のような気がします。

前回のブログでおみくじについて書いたが、

元日におみくじを引いたときにも、

ちょっと「えっ」と思うことがあった。

 

僕が行った地元の神社は、

毎年初詣の行列ができる。

 

僕も30分ほど並んで参拝を終え、

巫女さんからお神酒をいただき、

満を持しておみくじを引きにいった。

 

その神社のおみくじは、

ガラガラと木の箱を振って小さい穴から棒を取り出し、

そこに書かれた番号を巫女さんに伝えて、

巫女さんからおみくじを受け取るという、

みなさんおなじみの仕組みである。

 

僕が番号を伝えると、

巫女さんは手際よくその番号のおみくじを取り出し、

僕に手渡そうとした瞬間……

 

「あっ」

 

そのおみくじは僕と巫女さんの手をすり抜けて、

受付の台の上にひらひらと落下した。

 

僕と巫女さんの脳裏に、

 

「縁起が悪い!」

 

という言葉が同時によぎったのを感じた。

 

巫女さんは少し動揺した様子で、

「あっ、す、すいません!」

とすぐにおみくじをひろって手渡してくれた。

 

もちろん僕は、

「あ、全然大丈夫です。

 ありがとうございます」

とジェントルマン・モード。

 

そして結果はご存知の通り「半吉」であった。

 

その翌日にはこんなことがあった。

 

両親と弟と外食をして、

せっかくの機会なので僕が会計をした。

 

「カードでお願いします」

 

とクレジットカードを手渡すと、

店員の女性は手際よく会計を処理し、

僕にカードを返そうとした瞬間……

 

「あっ」

 

そのカードは僕と店員さんの手をすり抜けて、

会計のカウンターの上に落下した。

 

「あ、失礼しました」

 

と、店員さんはすぐに

カードを拾って手渡してくれた。

 

元日、2日と立て続けに「落とす」が続くと、

「今年は落とす年なのかな?」

という気がしてくる。

 

そう聞くとみなさん

ネガティブな想像をされるかもしれないが、

案外そうとも限らない。

 

実は僕は今年「後厄」なのである。

そう、「厄が落ちる」と考えることもできるのだ!

 

去年は「命拾い」で、今年は「厄落とし」。

 

こんなふうに都合よく考えておけば、

たとえ災厄が起こったとしても、

それに気づかずに済むのではなかろうか。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

昨年末はなんとなく気忙しい日々が続き、

ブログの更新が滞っておりましたが、

今年も何かしら書いていこうと思っておりますので、

引き続きおつきあいいただけると幸いです。

 

さて、新年といえば初詣。

あなたはもう行かれましたか?

 

僕はさきほど行ってきたのですが、

びっくりしたのは初詣に行く前。

 

「そういえば、去年のおみくじってどんなんやったかな?」

 

と思って、

財布からおみくじを取り出してみました。

 

それがコレ。

 

 

 

殺されかけてるやん!

絶対絶命やん!!

 

っていうか、

おみくじの絵で

 

「斬りつけられて殺される直前」

 

ってある?

 

しかも書かれている言葉もひどい。

 

■他人の取るをふせがんとすれど 弓あれど矢なしとなり

■うしろに おとしあな しんたいきわまりて いかんともなし難きなり

 

「去年の俺、よく生き延びたな!!!」

 

と自分で自分を褒めたのでした。

 

これで「半吉」なんだから、

「凶」のおみくじには

どんな凄惨な場面が描かれていることか。

 

想像するだけで鳥肌が立ちます。

 

ちなみに今年のおみくじは、

去年と同じく「半吉」(笑)。

 

しかし別の神社のおみくじだったので、

恐ろしい絵は描かれていませんでした。

よかったー。

 

せっかく去年は命拾いしたので、

今年はちょっと得した気分で

一年を過ごそうと思っています。

 

なにはともあれ、

今年もよろしくお願いいたします。

 

2019年1月14日(月・祝)に、「自分らしい生き方シンポジウムin関東」が池袋で開催されます。

 

主催は、日本で唯一の全国組織の家族会(当事者団体)である「特定非営利活動法人KHJ全国ひきこもり家族会連合会」

 

そのような団体があることさえ知らなかったのですが、今回知り合いの紹介で、なぜか僕もこのイベントに参加することになりました。

 

何を話せばよいのか未だによくわからないのですが(笑)、僕はともかく他に面白い方々がたくさん登場されるので、きっといろんな生き方・働き方が発見できる会になるのではないかと思います。

 

年明け早々で恐縮ですが、もし関心がある方がおられましたら、お誘い合わせのうえ足を運んでいただければ幸いです。

 

詳細、お申し込みは下記ホームページをご覧くださいませ。

 

■1月14日(月・祝)に東京で自分らしい生き方シンポジウムin関東を開催します(申し込みフォームあり)

https://www.khj-h.com/event/symposium/1953/

 

最近、チラシなどで「平成最後の……!」という文字を見るようになった。

 

最初はなんとなく見過ごしていたのだが、実はこれ、なかなかレアなことなのである。

 

江戸時代には、大地震などによる大災害を契機に年号が変わったりしていたが、ご存知の通り、明治以降、元号が変わるのは「天皇が崩御した時」となった。

 

だから「平成最後の……!」なんてことは言えなかったし、もし言ったとしたらものすごく不謹慎なことだった。

 

それが今回の生前退位によって、「平成最後の……!」という煽り文句が可能になり、みんなここぞとばかりに使っているわけだ。

 

平成の最後に何かをすることにどれほどの意味があるのかよくからないが(笑)、この文言を見つけたら、そんなレア感を感じてみるのもまたオツなものかもしれない。