受験生は読まないでください | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

前回のブログでおみくじについて書いたが、

元日におみくじを引いたときにも、

ちょっと「えっ」と思うことがあった。

 

僕が行った地元の神社は、

毎年初詣の行列ができる。

 

僕も30分ほど並んで参拝を終え、

巫女さんからお神酒をいただき、

満を持しておみくじを引きにいった。

 

その神社のおみくじは、

ガラガラと木の箱を振って小さい穴から棒を取り出し、

そこに書かれた番号を巫女さんに伝えて、

巫女さんからおみくじを受け取るという、

みなさんおなじみの仕組みである。

 

僕が番号を伝えると、

巫女さんは手際よくその番号のおみくじを取り出し、

僕に手渡そうとした瞬間……

 

「あっ」

 

そのおみくじは僕と巫女さんの手をすり抜けて、

受付の台の上にひらひらと落下した。

 

僕と巫女さんの脳裏に、

 

「縁起が悪い!」

 

という言葉が同時によぎったのを感じた。

 

巫女さんは少し動揺した様子で、

「あっ、す、すいません!」

とすぐにおみくじをひろって手渡してくれた。

 

もちろん僕は、

「あ、全然大丈夫です。

 ありがとうございます」

とジェントルマン・モード。

 

そして結果はご存知の通り「半吉」であった。

 

その翌日にはこんなことがあった。

 

両親と弟と外食をして、

せっかくの機会なので僕が会計をした。

 

「カードでお願いします」

 

とクレジットカードを手渡すと、

店員の女性は手際よく会計を処理し、

僕にカードを返そうとした瞬間……

 

「あっ」

 

そのカードは僕と店員さんの手をすり抜けて、

会計のカウンターの上に落下した。

 

「あ、失礼しました」

 

と、店員さんはすぐに

カードを拾って手渡してくれた。

 

元日、2日と立て続けに「落とす」が続くと、

「今年は落とす年なのかな?」

という気がしてくる。

 

そう聞くとみなさん

ネガティブな想像をされるかもしれないが、

案外そうとも限らない。

 

実は僕は今年「後厄」なのである。

そう、「厄が落ちる」と考えることもできるのだ!

 

去年は「命拾い」で、今年は「厄落とし」。

 

こんなふうに都合よく考えておけば、

たとえ災厄が起こったとしても、

それに気づかずに済むのではなかろうか。