「あー、そのへんに100万円落ちてないかなー」
うまくいかない日々が続くと、ついつい、そんな妄想を抱いてしまったりすることはないでしょうか。
もちろん、そんなことは「ありえない」とわかっている。
もしも、それが現実に起こったら、あなたはきっとこう叫ぶのではないでしょうか。
「奇跡だー!!!」と。
でも、「自分の身に、そんな奇跡が起こるわけがない」。
確かにそうかもしれません。
しかし、「自分の身に」ではなく、「他人の身に」奇跡を起すことは、案外できなくはないのではないでしょうか。
たとえばさっきの、「あー、そのへんに100万円落ちてないかなー」。
確かにそのへんに100万円が落ちてることはないかもしれませんが、あなたが「そのへんに100万円を落としておくこと」はできるわけです。あなたが100万円を持っていて、「その気になれば」ですが(笑)。
「その気になるかーい!!」というツッコミが聞こえてきそうですが、最初に妄想していた「自分の身に起きる奇跡」に比べれば、こっちは自分が「その気になりさえすれば」実現するのですから、断然リアリティーがあります。
言わば「神様次第」から「自分次第」への転換。
そう、奇跡は起せるのです。「その気になりさえすれば」(笑)。
100万円を落としておく、というのは極端な例ですが、同じような考え方で、「小さな奇跡」を起すことはできるはずです。
道に迷ってそうな人がいたら、声をかけて助けてあげる。
重い荷物を持ってる人がいたら、お持ちしましょうかと言ってみる。
もし自分に漫画家の知り合いが多かったら、漫画家志望の人に紹介してあげられるかもしれない。
もし自分にWEBの知識があれば、その人が売りたい商品を販売するサイトを作ってあげられるかもしれない。
自分にとってはそれほど特別ではないことが、相手にとっては「奇跡だー!!!」と叫びたくなるようなことだったりする。
よくある訓話みたいなので、「ものすごく長い箸しかない食卓の話」がある。地獄では、みんな自分が食うことだけを考えるから、箸が長すぎて誰も食べることができない。しかし天国では、その長い箸を使ってお互いに食べさせ合うので、全員がおなかいっぱい食べることができる。
聞くたびに、「はいはい、その話ね」と聞き流してしまうけれど(笑)、「いや、確かにそういうところはあるよな」とも思う。
自分の身に起こる奇跡を待っていても、なかなか起こらないけれど、他人の身に奇跡を起す機会は、けっこうそこらじゅうにあるのだ。
そしてそういう奇跡を起こしまくっている人の身には、きっと自然に、たくさんの奇跡が起こるのではないだろうか。
さて、これを読んで、さっそく奇跡を起したくなってきたあなた。
僕がいつでもその奇跡、お受けいたします。
「あー、そのへんに100万円落ちてないかなー」