杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -12ページ目

コロナの影響もあり、在宅で仕事をする人が増えている。それによって「生産性が高まった」という人もいれば、「家だとどうしても怠けてしまって……」という人もいるだろう。

 

僕はどこにいても怠けているが、それが最大化するのはやっぱり家にいる時である。床に寝転がってスマホを見ていたら、いつの間にか1、2時間経っていたりする。それはそれでかまわないのだが、やはり「どうしてもやらなければならない仕事」というものがある。締め切りのある原稿などがそうだ。

 

でも、気が乗らない時は気が乗らないのだからしょうがない。そんな時はたいてい喫茶店に行くけれど、最近は自粛ムードでちょっと足が重いところもある。だからといって家にいると、どうしてもダラダラしてしまう。

 

そんな時、自分を鼓舞するマジックワードがある。

 

「5分だけやろう」

 

そう、書くことの何が大変かって、書き始めることが大変なのだ。書き始めてしまえばなんとかなる。だからとにかく手をつけるハードルを下げることが大事で、そのために有効なのが「5分だけやろう」である。

 

どんなに終わりの見えないような仕事でも、「とりあえず5分だけ」と思えば少しは体が動くようになる。そうして手をつけさえすればこっちのもの。これは書くこと以外にも言えることだろう。

 

こんなに素敵な「5分だけやろう」なのだが、僕はうかつにも、このマジックワードを自ら無効化してしまったのだ。

 

それはつい先日のことだった。

 

ある原稿を書かなければならず、ここぞとばかりに例のマジックワードを発動させた。

 

「5分だけやろう!」

 

今思えば、ちょっと気合いを入れすぎたのが悪かったのかもしれない。

 

「5分だけやろう!」が脳内で勝手に変換されて、「5分だけ野郎!」になってしまったのである。

 

「おい、また5分だけか?情けないヤツだな。この5分だけ野郎!

 

自分を鼓舞するために発した「5分だけやろう!」という言葉が、自分を罵倒する「5分だけ野郎!」という言葉として、瞬時に跳ね返ってきたのだ!

 

「う、うわあああぁぁぁ〜〜〜!!!」

 

諸刃の剣とはまさにこのこと。「5分だけやろう!」と鼓舞した瞬間、「5分だけ野郎!」と挫かれる。

 

それからというもの、「5分だけやろう!」という言葉が全く機能しなくなってしまった。

 

自分を鼓舞する「5分だけやろう!」と、自分を罵倒する「5分だけ野郎!」の狭間で、身動きがとれなくなってしまったのだ。

 

「くそ!ここから抜け出す方法はないのか……?」

 

そうして原稿が進まないまま、こんな文章を書いている。

 

俺は一体何をやっているのだろうか。

 

とりあえずテレビで「キングダム」が始まったので、今日はこのへんで。

 

 

 

 

 

朝早く目が覚めたので、公園へ散歩に出かけた。

 

昼間は親子連れなどで賑わっている公園だが、早朝はさすがに人も少ないだろう。

 

そう、僕は完全に油断していたのだ。

 

公園に着いてみると、なんと50人をくだらない人達がいたる所に散らばり、しかも一斉に同じ動きをしているではないか。何か変な音楽もかかっている。

 

「何の宗教行事やねん……!!」

 

一瞬ひるんだが、ここで足を止めたら負けのような気がした。早朝とはいえ、宗教団体が公園を占拠していいわけではない。ここは徹底抗戦の構えで行くしかない。それが「生きる」ということではないだろうか。

 

「教祖はどこだ」

 

一番手前にいる人に声をかけようとした瞬間、ようやく気付いた。

 

彼らの動きが「ラジオ体操第2」であることに。

 

もしそれが「第1」だったなら、さすがの僕もすぐに気付いただろう。

 

「まぎらわしいな!!」

 

それから僕も一緒になって「ラジオ体操第2」を完遂したことは言うまでもない。

 

体操が終わると、ほとんどの人たちは蜘蛛の子を散らすように去って行ったが、一部の人たちはそのまま残り、立ち話をしている。聞こえてくるのはこんな話だ。

 

「○○さんのご主人、背骨を痛めたらしいわよ」

 

「私この間、緑内障の手術を受けたから……」

 

見ればご高齢の方々で、結構深刻そうな内容が多いが、みんな笑いながら報告し合っている。

 

どんな問題を抱えていても、それを話せる相手がいるということは、それだけでずいぶん救いになるのだろう。もし報告する相手がいなかったら、辛いことは辛いことのままかもしれない。「咳をしてもひとり」である。

 

最初は謎の宗教団体と思っていたが、実は温かいご近所付き合いの集まりだった。……と見せかけるのが、ヤツらの常套手段なのかもしれない。どこまでも油断のならない連中だと思った。

 

 

 

コロナの自粛生活の中で、体調を崩しがちな方も多いはず。

 

そこでオススメしたいのが今日の一冊。

 

 

まんがでわかる 最高の体調

著:鈴木祐、まんが:ながみちながる『まんがでわかる 最高の体調』クロスメディア・パブリッシング、2020年。

 

 

「最高の体調!yo!yo!」とラップ風に言うのが正解です。(←不正解)

 

そしてこの本でまんがを担当されているのが、新進気鋭の漫画家、ながみちながるさん。

 

この絵柄、どこかで見たことがありませんか?

 

そう、実は、僕がアメブロやツイッターで使っている似顔絵のアイコンは、ながみちながるさんに描いてもらったものなのです!

 

ながみちながるさんとは、「西東京アニメ漫画研究会」というマニアックな会で知り合い、田無神社のイベントで似顔絵を描いていただきました。なお、実物より5割増しのさわやか男子に仕上げていただいております(笑)。

 

さて、本書のストーリーは、食品メーカーに勤める安藤すずが、敏腕コンサルタントの結城玲也と出会い、疲労や体調不良などの現代病を克服していくというもの。

 

現代に特有の病気や症状を「文明病」と捉え、それを「進化医学」によってクリアしてきます。

 

では、「進化医学」とは何か?

 

要するに、「人間の身体は原始的(パレオ)な環境に適応するようにできているため、現代の文明とミスマッチを起こしている。それを解消することによって、心身の不調も解消する!」という考え方です。

 

その理論の背景には膨大な研究データの蓄積があるのですが、この本を読めば、まんがを楽しみながら、そのエッセンスをしっかりゲットできるという、大変ラクチンかつ実用的な内容なのです。

 

スマホの扱い方やメールへの対処法から、未来への不安を解消して自分らしい生き方を発見していく方法まで、主人公と一緒に成長していける構成になっています。

 

体調不良や将来の不安に悩まされている方には、うってつけの一冊かもしれません。

 

よかったら読んでみてくださいませ〜!

 

 

 

最近、YouTubeを聞きながら散歩するのが日課のようになっていて、きのうは養老孟司さんの「脳から見た芸術」と題した講演を聞いた。

 

芸術についてお話されていたが、最終的に養老さんが言いたかったのは、次のことであったと思う。

 

「情報は変化する。自分は変化しない」とみんな思っている。だけど本当は逆で、「情報は変化しない。人間は常に変化している」。この当たり前のことが逆に認識されているので、世の中がおかしくなるのは当たり前。

 

僕の記憶なので正確ではないけれど、確かそんな話だったと思う。

 

ちなみにここでの「情報」には「芸術」も含まれている。養老さんの例えを紹介すれば、レオナルド・ダ・ヴィンチはもうこの世にいないけれど、「モナリザ」はまだ残っている。「万物は流転する」と言ったヘラクレイトスは、その言葉どおり生から死へと流転したけれど、「万物は流転する」という彼の言葉は、今も変わらず残っている、というわけだ。生と死に限らず、人間は日々変化しているのに、人間の意識だけが「自分は自分」と思っているのである。カフカの『変身』の主人公が、虫に変化してしまったことを認めることができないように。

 

「情報は変化しない。人間は変化する」。

 

これは「時間」についても言えるだろう。

 

朝起きた時に、「さて、今日の24時間をどう使おうか!」と言う時の「24時間」とは、数値化された「情報としての時間」である。だからそれを紙などに書いて「1日のスケジュール」なるものを作成することができる。そこでは、時間が情報として固定化されているから、それを文字や表に置き換えて、思いのままに操作することができるわけである。

 

しかし、僕たちが実際に経験する時間はどうだろう。1日が終わった時に、「あ〜、今日はあっという間だったな!」とか、「なんだかずいぶん長い1日だったな〜」と思ったことが誰にでもあると思う。それは人間の経験としての時間であり、ミンコフスキーの言い方で言えば「生きられた時間」ということになるだろう。

 

そのような「生きられた時間」は伸縮自在で常に変化する。決して僕らが数値として捉える「24時間」と同じではない。計画するときの時間は「情報としての時間」だが、それを実際に生きるときの時間は「体験としての時間」、あるいは「人間としての時間」である、とでも言えばいいだろうか。

 

人間はいつのまにか、変化しない「情報としての時間」の方を内面化し、そちらを生きることに汲々とするようになった。だが「体験としての時間」を置き去りにしたそのような時間は、人間にある種のむなしさを感じさせている。

 

そこに生まれているのは、「自分じゃなくてもいい」という感覚ではないだろうか。

 

「情報としての時間」は、数値化され、固定化されているがゆえに「交換可能」である。だから、そのような時間を生きるのであれば、それは決して「自分である必要はない」ということになる。これが現代人にむなしさを感じさせているような気がする。

 

それに対して「体験としての時間」は、替えがきかない「交換不可能」な時間である。「きのうこんなことがあってさ〜!!」と自身の驚きの経験を伝えようとしても、自分が感じたのと全く同じ感覚を他人と共有することはできない。でも、だからこそ、それが共有できたように感じられたとき、僕たちは大きな喜びを感じるのだけれど。

 

僕たちはどのようにして「人間としての時間」を取り戻すのか。

 

今回のコロナ騒動や、それに伴う自粛の動きが、そのひとつのきっかけになればいいなと思う今日このごろである。

 

……さて、今日のスケジュールはどうすっかな!!

 

 

 

誰もが知る有名女優に求婚された、夢を見た。

 

設定としては、僕と彼女は同じクラス(年齢は今のままなので、大学院か何かの専門学校か?)。だが会話を1回したかどうかくらいの間柄である。まあ夢の中なので、僕の状況も含めて完全フィクションであることは言うまでもない。というか、自分でもよくわからない。

 

しかしなぜか彼女がウチの親に会いたいということになり、実家に連れていった。家には母親と弟がいて、今後のことが話し合われた。僕はただとまどいながら流れに身を任せていたが、彼女が帰る時に、「駅まで送っていくわ」と言って、一緒に家を出た。何かを言わなければならないような気がしたのだ。だがどんな話をしたのかは覚えていない。

 

翌日、友人と遊ぶ約束をしていたので、そのことを相談した。その友人にはもう婚約者がいて、結婚の準備を進めているタイミングだった。友人は「そうやなあ……。いい人やと思うけどなあ……」という、ぼんやりとした反応だった。

 

実はその有名女優は、もともと有名俳優と結婚していて、その夫の不倫がとても話題になった人だった。その夢の中ではすでに離婚したか、離婚を決めているような様子だった。

 

僕は彼女の真面目さ、仕事に対するひたむきさやその才能をとても尊敬していたが、恋愛感情を抱いていたわけではなかった。だからずっと戸惑いがあるのだろう。彼女はとにかく有名だし、不倫のことも大きな騒動になったので、僕との結婚が知れたら、世間は放っておかないだろう。

 

でもそんなことより、大事なのは自分の気持ちだ。というか、なぜ彼女はほとんど話をしたこともない僕と結婚したいと思ったのだろう。よくよく彼女の気持ちを考えてみると、きっと僕のことが好きというよりは、今の状況を変えたい、今の状況から抜け出したいという気持ちが大きいのではないか。そんなふうに思うようになった。

 

僕は友人に「よし、決めた」と言って、彼女に連絡をすることにした。ラインやフェイスブックのメッセンジャーが速いが、最近はどこから情報が漏れるかわからない。こんな話はマスコミの大好物に違いない。そこで僕は手紙を書くことにした。

 

「少し時間を置いて、お互いの気持ちを冷静に見つめなおしてみましょう。それからでも遅くないと思いますし、そのほうがよいと思います」そんな内容だったと思う。どう見ても不釣り合いな話なので、時間が経てば思い直すだろう、そんなところだった気がする。

 

正直、有名女優と結婚できる機会を逸するのは惜しい気もしたが、こういうことについては、わかっていることを、わかっていないふりをするべきではない。

 

そんなことを思いながら目を覚ましたのだが、「あんなに一生懸命いろいろ考えたのに、夢やったんかい!!」という虚しさから、せめて記憶に残しておきたいと思い、これを書いた次第である。

 

……と、ここまで書いたところで、目が覚めた。(これはうそ)

 

 

 

エフエム西東京「ウィークエンドボイス」のワンコーナー「ひとコマラジオ」で、僕の送ったネタが採用されました!!

 

今年の流行語大賞の最有力候補となるであろう渾身のネタです。

 

下記の放送後記のページより音声を聴くことができますので、ぜひお聴きになって、時代を先取りしてください。

 

■5/16ウィークエンドボイス放送後記

 

ちなみに「ひとコマラジオ」への応募は、スマホなどで録音した音源を、下記メールアドレスに送るだけでOK。

 

流行語大賞への第一歩を、あなたも踏み出してみませんか?先に待ってます。

 

weekendvoice@842fm.com

 

コロナの収束のために、「行動変容」が必要だと言われる。

 

だが、これまでの人生の中で「行動変容」など考えたこともない。「行動、変よ?」とたしなめられたことなら何度もある。

 

「行動変容」とは、具体的に言えば手洗いの徹底、マスクの着用、咳エチケット、外出を控える、他者と間合いを取る、3密を避ける……といったことだろう。

 

一つひとつはわかるけれども、それを「行動変容」などと大層に言われると、「そんなことが、果たして俺にできるのか……?」という気がしてくる。

 

しかし最近、この「行動変容」がどういうことなのか、ちょっと理解できた出来事があった。

 

いま、我が家には小さな蜘蛛が住みついている。そしてこいつが妙に人懐っこいのだ。ぼんやりテレビを見ていたら足に乗っかってくるし、いちいち僕が行く先に待ち構えているかのように、しょっちゅう顔を出してくる。

 

僕もそのたびに「お前また出てきたんか?」「ヒマなんか?」と話しかけているので、向こうも友達か何かと思っているふしがある。

 

 

 

 

ちなみにコイツは巣を張るタイプの蜘蛛ではなく、持ち前の俊敏さで、コバエや蚊などの小さい虫を捕獲する。実に有能な同居人(同居蜘蛛)なのである。

 

僕はもともと蜘蛛とは仲が良くて、以前住んでいた家の蜘蛛から、夢の中で結婚報告を受けたこともある。その少し前から子蜘蛛をちらほら見かけていたので、「さもありなん」と思ったものである。

 

蜘蛛と仲良くなっておいて一番いいのは、もし僕が地獄に落ちた時に、糸を垂らして助けてくれるかもしれないことである。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』にも見られるように、地獄から助けてくれるのは蜘蛛だと相場が決まっている。絶対に粗末に扱ってはならない。

 

さて、4月も下旬に入ると気温も上がり、たまに部屋にコバエが現れるようになってきた。これまでなら「チッ!」とばかりに手でつぶすところだが、ある時ふと思ったのだ。

 

「俺がこのコバエをつぶすと、アイツ(蜘蛛)の仕事がなくなるじゃないか」

 

そう思って以来、コバエが飛んできても適当にやりすごすようになった。自ら殺生することもなくなり、地獄に落ちる確率も少しは下がりそうだ。

 

もしかするとこれが「蜘蛛の糸」ということなのかもしれない。蜘蛛のおかげで殺生せずにすんでいる。ありがたいことである。

 

そしてはっと気付いた。

 

「そうか、これが行動変容か!!」

 

蜘蛛のことを考えていたら、いつの間にか自分の行動が変化していた。きっと自分ひとりだけでは、このような変化は絶対に起こらなかっただろう。

 

お上に押し付けられる「行動変容」などまっぴらごめんだが、自分と共に生きる人や、動物や、自然のための「行動変容」ならば、どんどんやっていけばいい。

 

とはいえ、あまり勇み足になって独走すると、僕のように「行動、変よ?」とたしなめられるので注意が必要である。

 

 

三層構造マスク

 

ご報告が遅くなりましたが、4月25日、エフエム西東京「ウィークエンドボイス」の出演を無事に(?)終えることができました!聴いてくださったみなさん、ありがとうございましたー!

 

下記番組ブログで内容を振り返ってくださっているので、よければ覗いてみてくださいませ。素敵にまとめてくださっています!

 

■4/25ウィークエンドボイス放送後記

 

せっかくなので、このブログでも放送について振り返ってみたいと思いますー!

 

「ウィークエンドボイス」のパーソナリティは、中村麻美さん。西東京を代表するジャズシンガーで、僕も何度もライブで拝見してます!西東京の歌姫ですね。

 

 

 

 

そして麻美さんの旦那さんが、この番組のプロデューサーでもある中村晋也さん。デザイナーでありながら、ヤギサワベースという駄菓子屋の店主もしている地域の顔。『かがり火』の対談にも登場していただいたので、よかったら読んでみてください!

 

■「地域と共に生きる駄菓子屋」駄菓子屋店主/デザイナー・中村晋也さん

 

さて最初の話題は、僕が西東京市に通うようになったきっかけであるクラフトビールの店「ヤギサワバル」について。店主の大谷剛志氏が僕の友達で、彼が西東京の西武柳沢に店を出すということで、そのお手伝いをしているうちに、地域の方々と知り合うようになったのでした。ちなみに「ヤギサワバル」創業の理念に迫る電子書籍も出版されておりますので、よければぜひ読んでみてくださいませ!

 

 

 

 

その後は、僕が連載記事を担当している地域づくり情報誌『かがり火』について。これについては上記の「放送後記」で詳しく触れてくださっているので、そちらをどうぞ!

 

そこでも書いてくださっていますが、『かがり火』の創刊はバブルの頃。その時から地域づくりに注目していたわけで、これは本当にすごいことだと思います。「日本で最も地方を歩いた編集者」として知られる創刊者・菅原歓一さんの先見の明でしょう。

 

その『かがり火』のWEB版である「かがり火WEB」もご紹介いただきました。『かがり火』のバックナンバー記事を順次公開していますので、よかったら覗いてみてくださいませ。そして『かがり火』の年間講読のお申し込みもお待ちしておりますー!

 

■かがり火WEB

 

その次は、僕が世話人をつとめている「高等遊民会議」の話題。西東京ではヤギサワバルの大谷剛志氏もメンバーのひとり。そしてヤギサワバルの2階に住んでいる写真家・井口康弘氏は、高等遊民会議のエースです。

 

その井口氏が「紙マスク制作キット」というものを作っていて、西東京のアンテナショップ「まちテナ」でも販売されています。これがすごい人気だそうです。

 

 

 

 

 

 

この「紙マスク制作キット」については、僕も以前ブログに書きましたので、そちらもよければご覧ください。

 

■友人が「カミノマスク手づくりキット」の販売を始めました!

 

人気が出るのはいいのですが、それであんまり働きすぎると、高等遊民会議においてはどんどん肩身が狭くなっていきますので(笑)、そのへんはぜひ気をつけていただきたいと思います。

 

そしてここで曲紹介。僕が大学を中退してぷーたろーをしていた頃に作った曲「男のロマン」。当時「竹やぶに1億円落ちてた事件」というのがありまして、それにインスパイアされて作りました。よかったら聴いてみてください。

 

 

 

 

後半からは「杉原学のテレフォン人生相談」へ。僭越ながら、杉原がお悩みに答えるコーナーでした(笑)。

 

お悩みの内容を超はしょって書くと、「コロナの自粛生活で時間ができると、ついつい余計なことまで考えすぎてしまいます」というようなこと。きっとそういう方はたくさんいらっしゃると思います。簡単にまとめると、次のようなお話をさせていただきました。

 

「人生は速度よりも方向性の方が大事だと思うので、これを停滞と捉えるのではなく、よりいい方向を模索する機会にできたらいいのではないでしょうか。それは個人も社会も同じ。社会もコロナ以前の方向性で良かったのかと言えばそうではない。むしろ方向転換のよい機会にしていかなくてはならない。頭で考えると、どうしてもありきたりな方に行ったり、損得に縛られたりするし、魂の声が聞こえなくなる。一度頭で考えるのを止めて、魂の声、直観に耳を澄ませてみる。そうして気になること、ワクワクするようなことをどんどんやっていくといいんじゃないでしょーか。そのためにも、とりあえず生き延びましょう!」

 

という、いいかげんなことをお話させていただきました(笑)。リアルな相談の場では、僕はとにかく相手の話をひたすら聞くのですが、ラジオの限られた時間でそれはむずかしいので、一方的に話すような形になってしまいました。改めてご容赦いただければ幸いです。

 

実はこの時、僕の専門である時間論の視点からお話したいことがあったのですが、ちょっと込み入った内容になりそうだったので、スルーすることにしました。せっかくなので、それを少しだけ書いておこうと思います。

 

ベルクソンという、独自の時間論を展開した哲学者がいます。彼によれば、生物の進化には二つの頂点があって、そのひとつは人間で、もうひとつの頂点は昆虫だと言うのです。「何で昆虫と人間やねん!」と思いますよね。それについてはこう説明されています。

 

昆虫は、外的刺激、つまり環境変化に対して、素早く、躊躇なく反応します。それは条件反射的で、その意味で「あらかじめ行動が決定されている」と考えられるわけです。

 

それに対して人間は、環境変化に対してすぐに反応しない余地を持っています。端的に言えば「反応が遅い」。そのような「ためらい」は、ときに生存において不利に働くこともあります。しかしその「ためらい」すなわち「時間的遅延」によって、「以前とは異なる行動を取る可能性が開かれる」わけです。そこに人間の進化の方向性を見ることができる、と。そしてその「時間的遅延」によって発生したのが、人間の「心」だと言うのです。

 

つまり昆虫は「時間間隔を短く切り詰めたシステム」、人間は「時間間隔を延長(遅延)させるシステム」を発展させてきた。それはどちらが優れているというものではなく、生存戦略の違いである、というわけです。

(参考:平井靖史「時間の何が物語りえないのか」『時間学の構築Ⅱ 物語と時間』恒星社厚生閣、2017年)

 

そう考えると、ある物事を前に立ちすくみ、ためらう人間の姿は、人間の進化の結果であるとも言えるわけです。コロナ禍は、人間の経済活動を著しく停滞させていますが、それは人間の人間らしさを回復させているような気もするのです。

 

高度成長期に、短期間で経済発展を成し遂げることができたのは、人間の幸福の形を「経済的な豊かさ」に一元化して固定し、「ためらう余地をなくした」ことによってではないでしょうか。でもそれは、ここまで見てきた「人間の進化」に反するものです。むしろ高度成長は、人間の退化によって成し遂げられたと僕は考えます。

 

もちろんその中で「ためらい」が全くなかったわけではありません。公害などの環境汚染をはじめ、人間が機械のような労働に支配されていくことへの危機感などを表明する声もありました。しかし大きな流れとしては、まるで昆虫のように、条件反射的に「経済発展」を最優先させる社会と人間を作り上げていった、ということでしょう。その負の遺産がいま、この国の人々に重くのしかかっているわけです。

 

にもかかわらず、相変わらずの条件反射で「経済発展」の一本やりを続ける日本。そこに今回のコロナがやってきたわけです。もちろんできるだけ被害を出すことなく収束することを願っていますが、一方でこれを大きな方向転換の機会にしなければならないとも思います。ここで人間はもう一度、自分たちの進むべき方向を、ためらいながら模索した方がいいと思うのです。

 

その過程では、これまでに得てきたものよりも、失ってきたものに焦点を当てることになるに違いありません。ひとつ挙げるとすれば、たとえばコミュニティがそうでしょう。「自立した個人」がそのままで幸福になれるのだろうか。「共に生きる世界」なしに人間の豊かさは有り得るのだろうか。そういうことをリアルに考える必要があるのだと思います。僕たちは新しい可能性を開くことができるし、それは人間の「心」によって開かれるものだと思うのです 。

 

そんなことをぼんやり思っていたのですが、これはもはやラジオで話す内容ではございませんし、人生相談の回答というよりも、僕の個人的なぼやきですね(笑)。相談者のお役に立てたかはわかりませんが、ちょっとでも何かのきっかけになればいいなーと思いました。

 

そしてコーナーの最後には、伝説の名曲「腹筋20回」を流していただきました。放送後もこの曲への反応がけっこうあって、うれしかったです。よかったら聴いてみてください。そして躊躇なく腹筋20回!よろしくお願いします(笑)。

 

 

 

 

その後の別のコーナーでは、さらにもう1曲「たまごかけごはん讃歌」も流していただきました。1日の放送で3曲も流してもらえるなんて、僕はすでにミスチルを超えてしまっているのではないでしょうか?あらかじめ言っておくと、紅白はビデオ出演でしかお受けできませんのでよろしく。

 

 

 

 

そんなこんなの楽しい出演となりました。ウィークエンドボイスのみなさま、聴いてくださったみなさま、本当にありがとうございました!以上、長くなりましたがご報告でした!!

秩父の名産「豚肉の味噌漬け(とんみそ)」を友人からいただいた。めちゃくちゃ美味しかったので、気になる方はぜひ食べてみてくださいませ。

僕はそのお礼に、先日買った「梅の木」のドリップパックを友人に差し上げた。

その友人が、ドリップパックを職場の同僚と飲んでみたところ、「何これ美味しい!」と同僚が大絶賛。「今度私のぶんも買ってきて!」と頼まれて、先日「梅の木」に買いに行ったそうです。美味いっすよね!わかります(笑)。しかもオマケにマスクももらったとのこと。すごいっす。

僕も毎朝「梅の木」の豆を電動ミルで挽いて、ハンドドリップを楽しんでいる。やっぱり美味い。美味いけれど、お店で飲む珈琲の深みがなかなか出せない。

そこで、マスターに淹れ方を聞いてみた。

マスター曰く、「クレバードリッパーという抽出方式に近い感じ」とのこと。具体的なやり方も教えていただいて、改めてプロのすごさを実感。美味しい珈琲には、やっぱり手間ひまがかかっているのだ。

正直なところ、教えてもらった方法を家で完全に再現することはできない。しかしできる部分はマネしてみよう、というわけで、今朝さっそくやってみた。

「あ、これこれ」

 

と、思わず声が出てしまった(笑)。

これまでは香りで感じていた風味が、しっかり深みのある味わいとして感じられるように。……語彙が貧弱ですみません(笑)。

もちろんそれでもお店の味には及ばないが、「近い種類」くらいまではいけた気がする。

マスター、ありがとうございます!

もちろん普通に飲んでもめっちゃ美味しいので、ぜひみなさん試してみてください。僕はたまに「梅の木」の豆や粉をプレゼントするのだが、全員が「あの珈琲、めっちゃ美味しかったです」とわざわざ連絡してくれるのである。不思議だけれど、今のところ100%の確率で。気持ちはわかります(笑)。

「梅の木」の珈琲、ぜひ試してみてください。

 

梅の木十条店

http://umenoki.tokyo/

 





 

 

 

 

先週「1コマラジオ」のコーナーに参加させていただいた、エフエム西東京・ウィークエンドボイス。

なんと明日は、ゲストコーナーで「杉原学の人生相談」をやることになりました(笑)。しかも生放送!

僕だったらこんな危険なことは絶対にやりません。全ての責任はディレクターの中村さんにありますので、その点みなさんよろしくお願いします(笑)。

1回きりの企画ですが、もし好評だったら、深夜枠で続く可能性もあるとかないとか(ない)。

それでは明日、4/25(土)11:14のゲストコーナーにて。よければお聴きくださいませ〜。

●メッセージも募集しています!
 weekendvoice@842fm.com
 もしくはラジオアプリから!

【プロフィール】
杉原 学(すぎはら まなぶ)
1977年、大阪生まれ。文筆家。哲学専攻。研究テーマは「人間にとって時間とは何か」。単著に『考えない論』(アルマット/幻冬舎)、共著に内山節編著『半市場経済』(第三章「存在感のある時間を求めて」執筆、角川新書)。地域づくり情報誌『かがり火』にて対談「そんな生き方あったんや!」連載中。世界で最も非生産的な会議「高等遊民会議」世話人。かがり火WEB共同主宰。日本時間学会会員。日本たまごかけごはん楽会「総合」部門特別賞受賞。