「教祖はどこだ」 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

朝早く目が覚めたので、公園へ散歩に出かけた。

 

昼間は親子連れなどで賑わっている公園だが、早朝はさすがに人も少ないだろう。

 

そう、僕は完全に油断していたのだ。

 

公園に着いてみると、なんと50人をくだらない人達がいたる所に散らばり、しかも一斉に同じ動きをしているではないか。何か変な音楽もかかっている。

 

「何の宗教行事やねん……!!」

 

一瞬ひるんだが、ここで足を止めたら負けのような気がした。早朝とはいえ、宗教団体が公園を占拠していいわけではない。ここは徹底抗戦の構えで行くしかない。それが「生きる」ということではないだろうか。

 

「教祖はどこだ」

 

一番手前にいる人に声をかけようとした瞬間、ようやく気付いた。

 

彼らの動きが「ラジオ体操第2」であることに。

 

もしそれが「第1」だったなら、さすがの僕もすぐに気付いただろう。

 

「まぎらわしいな!!」

 

それから僕も一緒になって「ラジオ体操第2」を完遂したことは言うまでもない。

 

体操が終わると、ほとんどの人たちは蜘蛛の子を散らすように去って行ったが、一部の人たちはそのまま残り、立ち話をしている。聞こえてくるのはこんな話だ。

 

「○○さんのご主人、背骨を痛めたらしいわよ」

 

「私この間、緑内障の手術を受けたから……」

 

見ればご高齢の方々で、結構深刻そうな内容が多いが、みんな笑いながら報告し合っている。

 

どんな問題を抱えていても、それを話せる相手がいるということは、それだけでずいぶん救いになるのだろう。もし報告する相手がいなかったら、辛いことは辛いことのままかもしれない。「咳をしてもひとり」である。

 

最初は謎の宗教団体と思っていたが、実は温かいご近所付き合いの集まりだった。……と見せかけるのが、ヤツらの常套手段なのかもしれない。どこまでも油断のならない連中だと思った。