三池先生のあとがきより・・・
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あとがき ー 大人たちの教育が、子どもの脳を蝕む
・大人たちの無意識の虐待
不登校の歴史のなかで学校は、
1 行かなければならないが行けない時代、から
2 行きたいが行けない時代に変わり、もっとも最近では
3 行きたくないから行かない時代、となった。
と評論されている。
これまで科学的なデータをもとに話をしてきたが、
子どもたちの脳は疲れはてており、あるいはうまく育ってさえいないことに
一社会人として子どもたちへの申し訳なさを感じる。
子どもたちがおかれている生活環境の劣悪化に、自らがなにも関与していないと知らぬふりを決めこんで、結果的には子どもたちを虐待してしまっている日本の大人たち(もちろん私を含めてであるが)に私は心底から腹を立てている。
日本の大人たちは、たとえば学校に行けなくなってしまった子どもたちが大勢出現しており、その背景には何倍もの生きていく自信をなくした子どもたちがいることを知らなければならない。・・・
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いい学校に送り込むことが唯一無二の価値観であるかのごとく親子を洗脳し、朝早くから夜遅くまで勉強を詰めこみ、そのシステムのなかで命を削り、疲れ果てて脱落せざるを得ない生徒たちを量産しているという罪の意識もなく、逆に彼らを怠け者扱いする大人たちに教育者などと名乗る資格はないのである。
私は、私たちが学力と称しているものが、じつはロボットやコンピューター脳の機能であって、真の学力やこころとはかけ離れていることを述べてきた。
このような、人としてのこころに欠ける学校社会のなかでは、しばらくの間、子どもたちは自分の顔に仮面をつけたまま生きていかざるを得ない。
仮面の生活は、当然、自分自身が生きているという感覚には乏しいが、孤独で支援のない村八分的な生活はさけられる。
よい子を演じて、大人社会の評価を得ていくしか道はない。
被虐待児は成人したあと、自らの子育てのなかで、無意識に子どもを虐待し始めることが多い。
仮面をかぶりつづける現在の若者たちも、また将来、同様の子育てのなかで、違和感なく同じような対応をしていくだろう。
・仮面を脱ぐ子どもたち
いっぽう、最近の流れから、子どもたちが
「おかしいものはおかしい、嫌なものは嫌」といえる下地がつくられつつあると感じている。
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・本当のコミュニケーションとは
慢性疲労症候群は確実に増え続けている。
この状態では引きこもりが目立つ。
もちろん、持続して支援してくれる友人がある場合はまだしも、
当初からあまり社交的ではない人の場合は、ほとんど家から出ることができなくなってしまう。
慢性疲労症候群においては、前頭葉にある自律神経調節や情動にかかわる場所と、意欲やコミュニケーションにかかわる場所の血流が低下し、働きが落ちることがわかっている。
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・生きる力と学力
最近の報道によれば、文部科学省には二つの概念が同居しているらしい。
それは「生きる力派」と「確かな学力派」だという。
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しかし、先に述べてきたが、子どもたちに生きる力がなければ学習など手につくはずがない。
生きる力と学力は同一線上にあり、密接に関連しているのである。
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私は子どもたちの生きる力は、自己肯定のなかから生まれることを強調してきたが、この点についてまず徹底した検討がなされる必要がある。
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・魅力のない日本の大人たち
ニュージーランド、ワカタネ市で宮下千賀子氏は、
「日本・ニュージーランド教育交流会」という営利を目的としない財団法人を設立した。
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「なぜ、日本の子どもたちが、ニュージーランドでは元気に活動できるのに、
日本では疲れはててしまうのだろうか?」
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答えは・・・
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彼らの結論に、私の心は痛んだ。
・講義のない授業
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・好奇心は学ぶ意欲と学力を生む
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私は本書のなかで、知識量を学力と考える発想からは、真の学力への進展や展開は望めないことを述べた。
興味を感じ、その知的好奇心を展開していくところに、真の生きる力や学ぶ力が生まれる。
教科書に書かれている基本的な知識から、子どもの興味を持たせる「先生」を育てなければ、慢性疲労症候群の子どもは、まだまだ増えるであろう。
「学校を捨てれば、子どもたちは救われる」という状態が、一刻もはやく解消されることを、私は望んでいる。
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本当に・・・
三池先生の言葉に、身につまされる思いがします。
ぴょん太が倒れてしまう前の生活を思い起こすと、
そりゃ体壊すやろう・・・
と今では思う、ハードな生活でした。
小学生のときは、学校が終わってすぐ、おやつをさっと食べ、
習い事を3つ、はしごする日もありました(-_-;)
一重に、私のエゴでした(T_T)
お友達は、私学を目指して、遊びも我慢して、もっともっと頑張ってる・・・
将来のために、これくらい頑張らないと・・・
今思えば、ぴょん太の将来というよりも、自分が認められたい、もしくは、劣っていると思われたくない、恥ずかしい思いをしたくない・・・という高慢と恐れでした。
親として、当然であるはずの、我が子の心身の健康を最優先に生活するということができていなかったのです。
結局、ぴょん太に、自分を大切にすることよりも、世の中に合わせて生きていくことを、強要していたのです(T_T)
本当に、謝っても謝りきれない思いでいます。
ぴょん太は、本当に大切なことを、身を削って、私に教えてくれました。
ぴょん太は、今、自分で自分の人生を歩みだしています。
まだまだ親の助けが必要な部分はありますが、
明らかに、ぴょん太は『仮面を脱ぎ捨てた』のだと感じています。
私の言うことなど、よっぽど納得しなければ聞きません^^;
しっかりCCFSの概念に基づいた対処を行い、心身に栄養が蓄えられ(デトックスもされ)、眠れるようになれば、子どもたちは元気を取り戻し、自分の道を模索し始めます。
何かしらの間違いに気づいた時、親は・・・
自らを深く反省したならば、同じ過ちを繰り返さないよう、決して世間に惑わされないよう、心を落ち着けて、我が子を愛し、日々自分たちの幸せを築いていけばいいのではないかなぁ・・・と思います。
もちろん、私は、まだまだ過干渉グセが抜けず、
ぴょん太に、「あっち行って。」とか、
「まったく、お母さんがストレスなんやんか!」とか、
言われることもしばしばあるのですが(-_-;)
トライアル・アンド・エラー・・・
できるだけ口を出さず見守ろう!と、毎日毎日自分に言い聞かせています^^;
(2024.8.29)