ぴょん太、先日無事に卒業式を終えることができました。
念願のバイクも手に入れ、初ツーリングは丹波篠山まで行ったようです。
この日のために数々の試練を乗り越えてきたぴょん太。
長年の夢が叶えられ、とても幸せそうです☆
けれども・・・卒業式当日の朝は、また葛藤が見受けられました。
年末に「卒業式までもう来ません。」と宣言してきてからこの3ヶ月、
ほぼ9時過ぎに起きる生活をしていたので当然と言えば当然なのですが、
(また、手術後ということで、エネルギーが消耗されていたこともあるかもしれません)
前日、「一応、起こして。」と言われたので、7時過ぎに起こしに行くと、
ピクリともせず(-_-;)
そして、7時半・・・反応あり・・・
「どうする?」
「めんどくさい・・・ちょっと寝る・・・」
・・・もう、生徒の集合時間には間に合わんね^^; ・・・
8時・・・
「どうする?遅刻して行くか、お母さんと一緒に保護者時間に行くか、
もう卒業式欠席で、午後から挨拶だけしに行くか・・・」
「うーん・・・考える・・・」
・・・このやりとり、状況・・・久しぶりに学校行くってときは、毎回でしたね^^;
やっぱりまだトラウマが残ってるのかなぁ・・・と感じました。
けれども、私が下に降りると、しばらくして起きてきました。
予行には遅刻しましたが、式には十分間に合いました。
とても良い式でした。ぴょん太も頑張って行って良かったみたいです。
良い思い出になりました。
卒業式についてはまた改めて書きたいと思いますが、
このPTSD症状、回を重ねる毎に薄らいできている気はするのですが、
いつか消え去る日は来るのか、認知行動療法、カウンセリングを受ける必要があるのか、悩み中です。
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~ 不登校とPTSD ~
不登校状態とは生命の脳の疲労困憊を伴う、中枢神経の機能低下であることを述べた。
これは持続時間はさまざまであるが、生命の危機を経験したことに等しい。
地下鉄サリン事件における人々の反応を思い出していただきたいのであるが、
彼らのなかには、いまだに地下鉄に乗ることができない人があるといわれている。
理性では二度とサリン事件などあるはずもないと感じている。
しかし防衛本能が地下鉄に乗ることを抑止するのである。
不登校状態でも、生命力の低下を経験するので同じ反応がおこってしまうと考えられる。
肉体的疲労は回復し精神的にも元気を取り戻したように感じていても、
いざ学校に戻ろうとすると体が反応してしまうのである。
これをPTSD(心的外傷後ストレス障害)という。
三池輝久著『「学校」が生きる力を奪う』より
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ぴょん太に生命の危機を感じるほどの状況に陥らせてしまったこと、
おそらく、初期の段階ではPTSDまでにはならないと思うのですが、
極期を回避できなかったことを本当に申し訳なく思っています。
十分に回復できないままに再登校させてしまったことも、とても後悔しています。
今の通信高校は、ぴょん太にとってそれほどストレスではないはずなのですが、
中学の時に再登校したときの過酷さが学校へのトラウマになっていると感じています。
(十分に回復できていないままでの、テスト勉強、炎天下での体育、柔道部復帰など・・・)
精神的肉体的にどれほど過酷であったかと・・・(T_T)
子どもたちの幸せのためにあるはずの学校が、
なぜ、生命の危機を感じさせる場所になってしまっているのか・・・
お子さんが通っている学校は、
お子さんにとって、本当に幸せな場所ですか?
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~ 登校してもよい条件 ~
登校刺激は本人も学校復帰を望み、身体的にも健康状態を取り戻したときにおいては差し支えない。
ただし、登校刺激を可能とするには次のような条件が必要である。
①日常生活のリズムが戻っており一日を過ごすエネルギーがある
②授業に参加できる学力が備わっている
③対人関係に自信がもてる状態となっている
医学的には深部体温の調節機能が正常化していることがたしかめられる。
深部体温調節機能が十分に回復していない場合は、いったん登校が可能になったとしても、再発を覚悟しておかなければならない。
この状態を十分に評価せずに学校社会に戻ることのみを優先していると再発が繰り返され、最終的には引きこもり状態となってしまう。
引きこもりとは生活エネルギーの枯渇そのものである。
三池輝久著『「学校」が生きる力を奪う』より
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2024.3.11