皆さんへ


こんにちは。

今回は「確固たる真実は確かにある」と題して書きます。

ご存知の方も多いかと思いますが、以下の画像のとおり、日本のワクチン接種状況は絶望的なものになっており、国民の八割がワクチンを接種済みで、百人あたりの接種回数と追加接種した人の割合が世界一になり(若者の自殺率や食品添加物の認可数と含有量等に加えてまたしても不名誉なものが世界一に…)、一部の週刊誌等が言いよるように正にワクチン大国と化してしまいました。


画像引用元:
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/vaccine/
画像引用元:
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/vaccine/world_progress/

その度重なるワクチン接種の結果、こちら(アゴラ 言論プラットホーム)にあるとおり、日本の人口は予想どおり凄まじい勢いで減少しており、ワクチンが始まる前(太陽暦二千二十年二月~二千二十一年一月の期間)と接種開始後の太陽暦二千二十一年二月~二千二十二年十月を比べた超過死亡者数は二十万人を超えちょるという情報(Twitter)もあります。上記の「アゴラ」の記事にあったとおり、米国や英国、中東の偽イスラエル等の国では現在、追加接種する人は非常に少なくなっちょりますが、日本では未だに国民の大半がコロナ犯罪の矛盾に気付かず、自らワクチンを四回も五回も打ちに行って次々と死によるので底抜けに愚かです…。その一方で、こちら(毎日新聞)にあるとおり、日本の出生数が過去最小になる見通しだと報じられました。元々、日本の少子化は偽日本人が蔓延る日本政府の意図的な悪政等によって悪化し続けよりましたが、コロナ犯罪が始まってからは国民もそれに積極的に加担したため更に加速しました(不妊作用があるワクチンを自ら接種したことや、日本経済を自ら更に悪化させてますます結婚して子供を産み育てる余裕の無い社会にしたこと等による)。日本人の大半が今も変わらずコロナ犯罪の共犯者であり続けよるので、今後も死者数は加速度的に増加し続け、出生数は減少し続けると思います。こちら(読売新聞オンライン)にあるとおり、日本政府はようやくコロナの感染症法上の分類を現在の二類から五類に緩和する方針を表明しましたが、先述したとおり既に国民の八割(この情報も正しいか分かりませんが、マスク着用率が九割以上なのでそうであってもおかしくないと思う)がワクチンを接種してしまっちょるので、日本人が減っていくことに変わりはありません。ミカエル氏が「日本人の問題点 二」で仰っているように、そうして日本人が激減しよる中で、支那人をはじめとした外国人は日本の不動産を買収しまくり(日本人も金欲しさに後先考えずに売っている…)、移民も激増しよります。「日本人は激減しているが、反対に外国人は激増しており、土地や水源等も奪われ続けている」が日本の現状であり、国民が総出で抗議活動をする等して抵抗しなければ事態は悪化し続けるばかりです。もし、このまま何も改善されないのであれば、日本の行き着く先は滅亡です。

旧約聖書 申命記 申命記二十八章六十二節〜六十三節 (ミカエル氏訳。聖句引用元「真の聖書福音と預言」「日本人の問題点 一」)
また、あんた方はその内で僅かな男たちが残る。あんた方が空の星々のように大勢になったことに代わって。なぜなら、あんた方はあんた方の神、主の声に聞き従わへんかったからや。そして、主はあんた方に良くしはり、あんた方を増やすことを喜びはった。後で、主はあんた方を滅ぼし、一掃することを喜びはるということが起こるだろう。また、あんたがそこに入って所有する土地からあんた方は引き離される。

純日本人(支那人や朝鮮人等の外国人との混血が進んじょらん日本人)の祖先である古代イスラエル人が神と結んだ契約(神の律法、掟、戒めをすべて守ることを誓う契約)は現在も有効であるため、先祖がその契約違反の罰(外国人の侵略や飢饉、疫病等)を受けて大きく数を減らし、国を追われて散り散りになったのと同じく、現代の不信仰の日本人にもこの契約違反の罰が既に降りかかりよるのではないかと思います。日本人の一部が古代イスラエル人、古代ユダヤ人の末裔であることについてまだご存知ない方は、ミカエル氏の記事「日本は多民族国家、日本人の一部は古代イスラエル人」をお読みください。記事にあるとおり、古代イスラエルと日本には数多くの共通点(言語や服装、祭等)があり、その他の歴史的事実や遺伝子の点からも、日本人の一部が古代イスラエル人の末裔で日本こそが本当のイスラエルであるとはっきり分かります。下の画像はその記事から引用したものです。


日本の建国の経緯や、聖書との関連性、日本人の起源等、日本の本当の歴史、真実を知ることは大切です。なぜなら、「聖書は外国の書物だから日本人には何も関係ない」と勘違いしていると、今日本に起きよる数々の災いの本質が見えませんし、なぜ、欧米の白人の支配層がずっと前から日本人を特に敵視して執拗に迫害し続けよるかも分からず、西洋かぶれした現代日本人が捨て去ってしまった古き良き日本人らしさ(和服や大陰太陽暦、江戸時代まではあった日本人特有の道徳、清貧さ等。その道徳の基礎は仏教や儒教等ではない)が聖書由来の古代イスラエル人らしさであることにも気付けず、これまで戦争や災害等で何度も危機に陥ってきた日本が、どうしてその度に何度も復興(大東亜戦争後の奇跡的な復興や現憲法の存在等)して二千年以上も滅ぶことなく天皇制と共に存続し続けよるのかも分からず、ものの見方が大きくズレてしまうからです。主なる神は、御自分と契約を結んだイスラエルの民を決してお忘れになりません。故に、先の申命記二十八章六十三節 (ミカエル氏訳)に「主はあんた方に良くしはり、あんた方を増やすことを喜びはった。」とあるように、古代イスラエル人に対してもそうであったように、現代日本人に対してもそのように主なる神は数多くの恩寵を与え続けられましたが、それを想わずに神を忘れ、ご先祖様や仏様のおかげとか、自分たちの力で日本は繁栄した等と勘違いし、西洋かぶれして堕落し続けよる日本人(特にコロナ犯罪後は世界一愚かな民と化した)に対して遂に怒りを燃え上がらせられ、「後で、主はあんた方を滅ぼし、一掃することを喜びはるということが起こるだろう。」との聖句のとおりに現在されよるのではないかと思います。

日本が現代イスラエルであり、純日本人が古代イスラエル、古代ユダヤ人の末裔であることは支配層にとって不都合な真実であるため、支配層が牛耳る日本政府や教育機関、報道機関等はそのことに決して触れませんし、ネットでもその事実を否定する支配層側の人間と思しき人が居ます。下の画像の「まりなちゃん」もその一人です。

画像引用元:
https://mobile.twitter.com/FU4I1S8ydcQRBuE/status/1584307451049877504

上記の画像のとおり、ツイッターのフォロワー数が十一万人を超える大型口座(アカウント)である「まりなちゃん」の、「京都が支那の文化そのもの」という間違った投稿を指摘したところ、時間を空けぬ内に遮断(ブロック)されました。よほど、こちらの投稿の内容が不都合だったんでしょう。不都合でなければ遮断しませんし、某はしつこく絡んで迷惑をかけた訳でもないからです。その支那寄りの発言も含め、「まりなちゃん」は支配層側の工作員ではないかと思います。故に、どれだけフォロワー数が多くとも盲信してはいけません。
また、こうした日本の真実から、現在の中東に在るイスラエル(🇮🇱)とそこに住む白人たち(すべてが白人ではない)が、どちらも紛い物であることも分かります。悪魔崇拝者でもある支配層は、ユダヤ人を自称する偽ユダヤ人たちであり、あの偽イスラエルは彼らが暴力によって無理矢理建国したものであって聖書にあるイスラエルではありません。主イエスは、「あんたの行いと苦難と貧しさ(せやけど、あんたは豊かやで。)と、サタンの集いに属しとる者どもにも拘らず、自分たちがユダヤ人と主張する者どもの中傷を知っとる。」(黙示録二章九節 ミカエル氏訳。聖句引用元「真の聖書福音と預言」「動画三回目投稿 新しい契約」※記事内の動画の十九分三十秒)と、約二千年前から偽ユダヤ人の存在を啓示されちょりました。この事実も、「エゼキエル書三十八章、三十九章にあるゴグが露西亜で、終末の時代に他の国々と共に中東のイスラエルに攻め込むが神の介入によって滅ぼされ(俗に言う「エゼキエル戦争」)、その後一人の反キリストが現れて世界統一政府を築き、その反キリストが中東のイスラエルと七年間の平和条約を結んで大艱難時代が始まり、三年半後に反キリストが条約を破棄して~」というイエズス会による偽りの聖書解釈に惑わされないためにも知っておくべき重要なことです。このことについて詳しく知りたい方は、ミカエル氏の記事「現イスラエル国家は聖書のイスラエルではない」をお読みください。下の画像は、その記事から引用したものです。


記事の後半に書かれちょるとおり、高原剛一郎氏等、多くの偽り者が中東の偽イスラエルの建国を聖書預言の実現だと嘘を吹聴しよります。ツイッターで七万人以上のフォロワーを抱えるMitz氏も、こちら(MITZ Official Blog)にある動画(七分三十秒辺りから)で同じ嘘を言いよるので、彼についても盲信してはいけません。また、こちら(アメーバブログ)のTovという人は「神の律法は現在も有効ですべての人が守るべきもの」という正しい主張をしよりますが、現在の中東のイスラエルが偽物で、そこに住む白人たちが偽ユダヤ人であることは理解しておらず、更に悪いことにパウロは偽使徒ではないと考えちょる人です。何度かこの人とやり取りをしたことがありますが、考えを改めることはありませんでした。後でも少し触れますが、たとえ神の律法を擁護して守っちょったり、パウロが偽使徒だと理解しちょっても、何か一つでも不純物(世の間違った常識を信じているとか、神の律法で守れていないところがある等)があれば、必ずどこかに綻びが出て、ただ一つの真理から外れた言動や聖書解釈をしてしまいます。このTovという人も、神の律法の大切さに気付いて安息日や過越祭等を守りながらも、イスラエルやパウロのこと等で躓いてしまったので道を逸れ、頑なになったのではないかと思います。これは某も経験があるので大いに気を付けなければならないことです。主イエスが人間に対して要求されちょる基準は「一点の落ち度も無い完全な者」なので、すべての人がそこを目標にしなければなりません。故に、律法をまったく守らない不信仰者や異教徒(パウロ教信者も含む)はまるで話にならないため、その言動には当然嘘偽りが沢山混じっており、品性も悪いです。神の掟を守らない人に真理は無いと使徒ヨハネが言ったとおりです。(ヨハネ一 二章四節参照)

さて、日本の本当の歴史や日本人の起源等について興味を持つ人はそこそこ居るように思いますが、「まりなちゃん」のような工作員と思しき人でなくとも、その事実を頑なに否定する人も居ます。下の画像はその否定する人に関するものです。



画像引用元:
https://mobile.twitter.com/fuwafuwasiyuu/status/1590232526953799680

上記のツイッターの画像は、某と「Sri🌱」(以下、Sri氏)という人とのやり取りを纏めたものです。Sri氏はコロナ犯罪の欺瞞には気付いちょるものの、悪魔が存在することや支配層が悪魔を崇拝しよることを知らない、もしくは信じちょらんためか頭ごなしに「純日本人」も含めて悪魔の存在を否定し、それなのに「ヤハウェ」(主なる神の御名「יְהוָה」をこう読む人が多いですが、本当の読み方は分からないのでそのように読むべきではないし、書くべきでもない)について調べたら如何かと某に言ったことから、Sri氏は不信仰者で聖書を読んでおらず、自分が世に出回る偽りの歴史や学説等に深く洗脳されちょることにまだ気付いちょらんのが分かりましたが、それでもミカエル氏の記事「日本は多民族国家、日本人の一部は古代イスラエル人」を紹介したところ、Sri氏はそれを押し付けと看做して拒絶し、この会話の約二か月後に「山岡直樹」(以下、山岡氏)という同じくコロナ犯罪の矛盾には気付いちょる人がSri氏の呟きに賛同して、共にこちらを嘲りました。Sri氏は、「「本当の歴史」とか「実態」とか証明できない」と言いましたが、ミカエル氏の記事を素直な心で隅々まで読み(リンク先の記事や動画も確認する)、自分自身も日本人と古代イスラエルの関係等を調べる等して知る努力を重ねれば、日本こそが古代イスラエルを受け継いだ現代イスラエルであり、日本人の一部が古代イスラエル人、古代ユダヤ人の末裔であると必ず確信に至ります。なぜなら、否定しようがない程に証拠が揃った事実だからです。山岡氏も含め、彼らに共通しちょるのは真実をとことん追求する姿勢に欠けちょるところと(「思想はそれぞれ」というのも思考停止の表れですし、その違いを重んずるとその場では言いながら、「歴史の謎ときが趣味の暇人・変人ですw」と後に人を嘲笑って莫迦にするという…)、「自分は賢くて正しい」という高慢さです。Sri氏は「超上から目線もすごいですけれどw」と言いましたが、自分こそ無知であることを弁えずに思い上がって他人を見下しちょることに気付いちょりませんし、「大切なのは今、今を楽しみ生きるだけ。それだけでいいでしょう。暇人ほどこんな事に時間費やし人生を楽しむ事が出来ない。」と言った山岡氏も同じく、「今だけ、自分だけ」の酷い自己中で自分こそ無駄なことに時間を費やしよる暇人であることに気付いちょりません。この盲目ぶりと品性の悪さ、言ったことがことごとくブーメランになる様はパウロ教信者を思わせますし、コロナ教信者とそんなに変わらないように思います。これも不信仰が大きな原因です。彼らは、「あんたは、『我は裕福であり、豊かになったから何も不足は無い。』と誇っている。その上、あんたは知らなかった。あんたが不幸な者、みじめな者、貧しい者、目が見えない者、裸の者であることを。」(黙示録三章十七節 拙訳)と主イエスが仰った者のようであり、「「我は、自分が正しいと思っている人を招くためではなく、罪人を悔い改めに招くために来たからや。」」(マタイ九章十三節 ミカエル氏訳。聖句引用元「真の聖書福音と預言」「聖書と主イエスの教えは嘘ではなく、真理です」、「高慢な心を持つ者全員が主の嫌悪。何世代にも亘り、無罪を宣告されへん。」(箴言十六章五節 ミカエル氏訳)とあるとおり、神が嫌悪される高慢な人間であるため、そのままでは決して神から招かれることはありませんし、それ故滅びを免れません。Sri氏と山岡氏に限らず、コロナやその他世の欺瞞に気付いちょっても、こちらが掲示する真実に対して「w、😂、 🤣」等の文字、絵文字を使って嘲笑う人がちょくちょく居ます。そのような人たちは皆、「そちらの意見を吟味した結果、~だから自分は違うと思いました。以下がその根拠です」といったように、その否定する根拠を示すこと無く反射的に拒絶して莫迦にするので、繰り返しになりますが、思慮が浅くて感情的なパウロ教信者とそっくりです(パウロ教信者はより狂っちょりますが)。
コロナ教信者ではなくても、米国のトランプ前大統領や露西亜のプーチン大統領、ブラジルのボルソナロ前大統領等に希望を抱いちょったり、キャリー・マディ医師や中村篤史医師等の反ワクチン派の医師を盲信しちょったり、自民党の別動隊である参政党やれいわ新選組等の特定の政党を支持しちょったり、フォロワー数が何万人も居る大型口座の信者だったりと、他に熱烈に信じちょる対象(偶像)や不必要な間違った知識等が既に心と頭を埋め付くして居座っちょるために、たとえ真実を見聞きしてもそれらが邪魔して受け入れることが出来なかったり、先の黙示録三章十七節のように「自分には何も不足は無いし、誰かに教えてもらう必要も無い。何が正しいかは自分で決める」等と傲り高ぶっちょるのではないかと感じることが多いです。それら偶像やその偽りの教え(宗教)に完全に心を奪われちょる人だけでなく、他に信用出来そうな人が居ないからとか、「この人なら大衆を味方につけて今の世の中を変えてくれるかもしれない。そう思いたい…」という淡い期待を抱きながらも確信が持てず、迷っちょる人も中には居るのかもしれません。コロナ犯罪から世の悪に気付いた人は多いですが、その殆どが聖書を読んで実践すること無く三年間ずっと世のことばかりに囚われたままやったり、たとえ聖書に辿り着いたとしてもパウロ教信者になって地獄の子と化しちょるのは残念です。ミカエル氏が記事「自己紹介(Introduction)」にて、『聖書は、鳩のように無邪気で蛇のように賢くなければ(マタイ十章十六節参照)、その真理を悟ることはできません。最初から何処かで聞いた話や教義を前提にしてると、それらが正しい信仰の前に立ちはだかる障壁になるさかい。コンピュータで例えれば、様々な情報処理集合体(ソフトウエア)を設置(インストール)したものを使い始めるのではなく、新品で何も設置されてへん状態にし、そこから正しい知識や信仰や経験等を積み上げて行くべきや。要するに、間違うた世の偏見や学校や報道機関等による偽りの情報を全部捨てて、初めから何も無い状態から正しいものを積み上げて行くということです。』(原文のまま引用。文字の色は変えちょります) と書かれちょるのは本当にそのとおりです。また、コロナ犯罪の矛盾に気付いたと一口に言ってもその程度も人それぞれで、「コロナ自体存在しないし、そもそも感染症を引き起こすウイルスというものが存在しない。ワクチンはすべて有害無益な物」という正しい認識の人も居れば、「コロナは存在するが、風邪と同程度の症状しか引き起こさないとても弱いウイルスだ。だから、今の過剰な感染症対策はおかしい」、「コロナワクチンは危険だが、すべてのワクチンが危険という訳ではない」等の中途半端な認識であったりと様々です。「コロナワクチンにmRNAは含まれていない」とか、「ワクチン接種者からの伝播(シェディング)なんて無い」と言う人も居ますし、「そういう細かいことを突き詰めなくたって良いじゃないか。コロナが存在するかしないかとか、大地が球体か平面かなんて」と言う人も居ます。この各人の見解の違い、認識の差というのは、先述したように真実をどこまでも追い求める気持ちの差によるものが大きいのではないかと思います。単なる知識欲ではなく、「自分はなぜこの世に生まれてきたんだろう。自分の生きる意味やこの世界の本質を知りたい」といった魂から求めるものです。この気持ちはとても大切です。なぜなら、「乞い求めなさい。そうすれば、あんた方に与えられるだろう。懸命に探しなさい。そうすれば、あんた方は見出だすだろう。(戸を)叩きなさい。そうすれば、あんた方に開かれるだろう。確かに、誰でも、乞い求める者は受け、懸命に探す者は見出だし、(戸を)叩く者に開かれるだろう。」(マタイ七章七節~八節 拙訳。「受ける」の原語λαμβάνωには「驚愕する、到達する、成し遂げる」の意味もある)と主イエスが仰ったとおり、心の底から真実や救いを願い求める人や懸命に探す人にこそ、完全で聖なる御方である父なる神は御自分を現して良いものをお与えになるからです。つまり、真実を追い求める気持ちが無い人は神を見出だすことが出来ないということです。受動的ではいけません。神を求めず、聖書も読まない人は、「別に神なんて必要ないし、真実なんてある程度知っておけば十分。ワクチン等の危険な物を避けていたらそれで良いだろう。真実を探求することに時間を使うなんて勿体ない。そんな暇があるならもっとこの世を楽しまないと損だし、家族や仕事のことで自分は忙しいんだ。そもそも、神が本当に存在するなら世の中がこんなに悪い訳がないし、この時点で神なんて人間が作り出した都合の良い想像の産物だと分かる。この世がすべてだし、天の王国とかとこしえの平和とかそんな物に興味ない」という考えではないかと思いますが、こういう人は神ではなく、この世の神である悪魔に属しちょるのが明らかです。神に属する人なら世に強い虚しさを感じるため、世を愛して留まることなく、魂の飢え渇きを満たしてくれる存在を必死に探し続けるからです。悪魔に属する人は世を愛して熱心に求めるからこそ主なる神はその願いを叶えられ、その飢え渇きが神以外のもの(パウロ教等の各宗教や世俗的な楽しみ、支配層の系図等の不要な知識等)、悪いパン種が混じったパンを与えられてそれに既に満足してしまっちょるのだと思いますが、「満たされている者たち、あんた方は不幸である。あんた方は飢えるだろうからだ。今、(声を立てて)笑っている者たち、あんた方は不幸である。あんた方は嘆き悲しみ、声をあげて泣くだろうからだ。」(ルカ六章二十五節 拙訳)と主イエスが仰ったように、そのような人たちは必ず最期に激しく後悔しながら滅ぶことになるので不幸です。故に、真実を拒絶したり、もう日本が滅びようとしよるのに笑いながら「今と人生を楽しもう」と考えるSri氏と山岡氏のような人になってはいけませんし、仲間になってもいけません。勿論、パウロ教信者にも。ただ、今の日本の大半が「今日も日本は平和だ」と言う、世の悪や現状にまったく気付いちょらん非常に心が鈍い狂った人で、その他の日本が危ういことに気付いちょる人も先述したように既に何らかの宗教に入信しちょったり、「何とか日本が良い方向に向かってくれたらなと思う」、「どうせ何をやったって世の中何も変わらないし、半分諦めています」等、人間の唯一の救い主であられる主イエスを求めず、何も具体的な行動(ミカエル氏が仰っているように、何万人単位の政府への大規模な抗議活動や訴訟等)をすることなく現実逃避しちょる人が多いので、一体今の日本にどのくらいまだ世に毒され切っていない素直な人が居るんだろうと思うことがあります。こうした現状から、「あんた方の中の誰がこのことに耳を貸すだろうか。(あんた方の誰が)傾聴し、来るべき時のために聞き従うだろうか。誰がヤコブを略奪者に引き渡し、イスラエルを強奪者どもに(引き渡したのか)。それは主ではないか。主(本来は「彼」)に我らは罪を犯した。彼らは、主の道を歩むことを望まず、主の律法に服従しなかった。故に、主はイスラエル(本来は「彼、それ」)の上に御自分の怒り、激怒と戦いの力を注がれた。激怒(本来は「それ」)はイスラエルを四方から燃やしたが、イスラエルは悟らず、また、激怒はイスラエルの内で燃え上がったが、イスラエルは心に留めなかった。」(イザヤ書四十二章二十三節~二十五節 拙訳。「彼、それ」が繰り返されるので、分かり易くするためにそれぞれの指す言葉に置き換えちょります)の御言葉が思い起こされます。日本人が激減しよるのと反比例して外国人が激増しよる現状から(他にも憲法改悪や食糧難、気象兵器による人為的な災害等の危機も数多く迫っている)、神の激怒の炎が既に日本に臨んで火がついちょると言っても過言ではないのに、当の日本人はそれにまったく気付かず(先述したように、火がついちょることに気付いちょる人もそれが神によるものだと悟っていない)、日本が滅びようとしよるのに気にもしちょらん状態に陥っちょるように思えるからです。上記聖句の「戦いの力 」の「戦い מִלְחָמָה」には「戦争」の意味もあり、「力 עֱזוּז」の原義は「無理強い、強制」なので、憲法が改悪されて徴兵制が復活し、日本人が再び戦争へと引きずり込まれる様子が心に浮かびます。また、「激怒」の原語「חֵמָה」には「」の意味もあり、
・「彼らのぶどう酒は蛇どもの、蝮どもの無慈悲な毒液である。これは我(主なる神)と共に蓄えられ、我が蔵の中に封じられているではないか。」(申命記三十二章三十三節~三十四節 拙訳)
・「彼らは蛇のようにその舌を尖らせました。彼らの唇には蝮の(があります)。」(詩編百四十編四節 拙訳)等の聖句でも同じ単語が使われちょることから、過去記事の後半で述べた「ぶどう酒」(聖書の真理、真の聖書福音と預言以外の悪魔とローマ教皇を頂点とした支配層が作ったすべての滅びへと導く嘘。パウロ教、仏教、イスラム教、コロナ教、Qアノン、無神論、人間主義、大地球体説、進化論等)によって殆どの日本人が酔わされて(騙されて)夢中になり、神を拒絶して律法違犯を繰り返すことで遂に神から見放され、神の「激怒のぶどう酒」(エレミヤ書十五章十五節 拙訳)、つまり、
・「あんた方は飲め、酔え、そして、吐け、倒れよ。あんた方が立ち上がることは無い。この我が、あんた方の間に送った剣の故に。」(エレミヤ書二十五章二十七節 拙訳)
・「主は、その(エジプトの首長の)内に迷謬の霊を混ぜ入れられた。故に、彼らはそのすべての業によってエジプトを踏み違えさせた酔いどれが自らの嘔吐物によってよろめかされるように」(イザヤ書十九章十四節 拙訳)とあるように、悪いぶどう酒の酔いから目を覚まして回心し、救われることが決してないように強い惑わしの霊(悪霊)を恩恵期間を過ぎた日本人に送られちょるのかもしれません。それが多くの日本人に臨むことで、
・「エルサレムに、ユダの町々に、その王たちに、その長たちに。彼らを荒廃に、(足がすくむような)驚愕に、嘲笑に、そして、呪いに定めるためである。今日(こんにち)のように。」(エレミヤ書二十五章十八節 拙訳)
・「あんた(主なる神)は、あんたの民に苛酷なことを示された。あんたは我らに慄きのぶどう酒を飲ませられた。」(詩編六十編五節 拙訳。「苛酷なこと קָשָׁה」には「残酷、無慈悲、悲惨、耐え難い」等の意味もある)とあるように、神から数多くの恩寵を受けて大いに愛されたにも拘らず、一向に神に立ち返って正義を行わず、かえって悪事を重ねて堕落し続けよる日本人が、先祖と同じく既に定められた破滅へと必ず向かうように。

旧約聖書 イザヤ書 六十六章三節(一部のみ)~四節 (拙訳)

実に、彼らは彼らの道を選び、彼らの魂は忌まわしき偶像を強く望んだ。我もまた、彼らの迷妄を定め、彼らの恐怖を彼らにもたらす。我は呼びかけたが応える者は居らず、我は語ったが聞き従わず、我が目に邪悪なことを行い、我が喜ばないことを選んだからだ。


この上記の聖句も、先のイザヤ書四十二章二十三節~二十五節とその関連聖句に繋がっちょります。主の道であるキリスト道を歩むことを拒絶し、神と神の律法に服従することを拒否して各人それぞれが自分の道を選び、自分の魂が望む偶像(政府、報道機関、医師、ローマ教皇、パウロ、仏、先祖、八百万の神、トランプ前大統領、自分等)を強く望んだからこそ、神もまた、その者たちの望みを叶えられて迷妄(道理がわからず、事実ではないことを事実だと思い込むこと)にお定めになったのではないかと思います。「迷妄 תַּעֲלוּלִים」の原義は「忌々しさ、腹立たしさ」、定義は「間違った信念、妄想、思い違い、思い込み、惑わし」であるため、三年経っても未だにコロナを信じちょるコロナ教信者は、既にこのように定められて惑わしの霊を送られちょるからこそ何を言っても目が覚めず、ワクチンを打って苦しい目に遭いながらも四回も五回も接種しに行きよるのかもしれませんし、同じように話がまったく通じないパウロ狂信者たちもパウロを神の如く絶対視することから離れられなくなっちょるのかもしれません。先述したSri氏と山岡氏はコロナ教やパウロ教に入信しちょりませんでしたが、その様子から既に別の宗教と偶像に心を奪われちょるのかもしれません。コロナの矛盾に気付くことは何も特別なことやないですし、神を拒絶するなら何の意味も持ちません。



聖書が示す絶対的真理の価値観、ほんまの歴史、他国の事情も知らずに、西洋かぶれの狂った世俗的な価値観や習慣、学校教育やテレビ報道等が正しいと思てるようでは、カルト宗教にはまってるのと一緒や。地動説も学校教育に組み込まれてるカルト思想の一つである。二千十七年の過去記事「地球球体説と地動説という大嘘と太陽神崇拝」でその偽りを論破したのに、未だに球体説を推して、大地が平面であるという事実を偉そうに上から目線で莫迦にする愚か者が居る。ザウルスというのもその一人。

(※中略)

やはり聖書を学ばず、不信仰で、神の律法違犯をして罪の奴隷で居ると知恵は得られへんことが分かるやろ。たとえ反マスクや反ワクチンであっても、不信仰であるという一点ですべて悪という評価になる。律法違犯も一つも無いように完全であらねばならんのはヤコブも「律法全体を守ろうとする者でも、一つの点で罪を犯すなら、すべてにおいて有罪やからや。」(ヤコブ二章十節拙訳)と述べたし、主イエスも「完全な者になりなはれ。」(マタイ五章四十八節拙訳)と教えはったことから明白である。このように、律法違犯を一つもしはらへんかった主イエス・キリストに限りなく近い神の民になるための信仰には、一つも律法違犯の妥協は許されへんのや。

(※中略)

ほんまにこの終末期は残り時間が少なくて焦ってる悪霊どもの活動が活発になり、当ブログ読者のあんた自身も他人事やのうて、ちんたらして悔い改めを先延ばしにしてると籠絡され、同じように偽りを愛し、真理を嫌い、正しい人を迫害する地獄の子になるであろう。


引用元:「真の聖書福音と預言」(アメーバブログ)、「日本人の問題点 一



上記のミカエル氏の言葉も正にそのとおりです。某はザウルス氏のブログを信仰に招かれる前から知っていて、彼の話に夢中になってブログを読み進めよったことがありました。信仰に招かれた後も、コロナ犯罪に関する有益な記事を執筆されよったのでちょくちょく読みよりましたが、ある時(はっきりとは思い出せませんが)から他人を莫迦にする発言がやたらと増え始めたので、どうしたんだろうと少し疑問に思いよりました。彼はその辺りから悪霊に蝕まれ始めたのかもしれません。

ぶどう酒は嘲る者(にする)。強いぶどう酒は荒れ狂う者(にする)。それによって堕落する者は賢明にならない。」(箴言二十章一節 拙訳)とあるように。ザウルス氏は、今も大地が平面である事実を莫迦にして非常にみじめなことを自身のブログで言っており、最近はワクチン接種者から発せられる青歯(Bluetooth)に反応する電波を感知するアプリをナゴヤ・ジョーという人と共に開発し、それに関する講演会を開いています。こちら(Twitter)から分かるとおり、その講演会を字幕大王(杉村)(以下、杉村氏)はツイッターで宣伝、応援しており、その杉村氏もまた、こちら(字幕大王)にあるとおり、大地が平面である事実を否定する偽教師であるポール松岡という牧師を自身のブログで紹介して、嘘を吹聴する行為に加担しちょります。この牧師は、「公名」牧師(ハムタロ牧師とも)という「律法を守る必要は無い」と吹聴しよる典型的な偽教師のブログ記事を取りあげて、「ざっと、この人のサイトを見たのですが、聖書の言葉を引用しているといっても、いくつか説得力に欠ける点があります。ヨブ記26章7節には「彼(神)は北の天を空間に張り、地を何もない所(empty space)に掛けられる」とあります。つまり、この箇所では「地」は土台や(基)の上には置かれていないことを言っています。宇宙空間に浮いていると言った方が、ヨブ記26章7節の表現に合うと思えます。」(原文のまま引用。斜体は某がしたもの。以下の引用においては、この括弧内の表記を省略します)と言いましたが、ミカエル氏がブログ記事「地球球体説と地動説という大嘘と太陽神崇拝」で仰っていたように、どうして何も無い所に吊るされる(掛けられる)対象が球体でないといけないのかまったく説明になっちょりません。また、「創世記1章の「おおぞら」と訳されている「ラキア」というヘブル語は、辞書では、「広がり」という意味で、堅いものとしては書かれていません。金属を叩いて広げるという語源の言葉をここに当てはめて「堅い天蓋で覆われている」というのは、無理なように思えます。どうして堅いラキア(おおぞら)のなかを鳥がとべるか、ということになります。」とも言いましたが、רָקִיעַ(ラキア)の原義は「広がり、大空、空の見えない迫持(アーチ)状のもの」であり、רָקַע(ラカ)の原義は「金槌等で打ち広げる、金属の薄い板で一面を覆う」、定義は「広げる、展開する、引き伸ばす、張りつめる」。先のヨブ記二十六章七節にある「張る」の原語「נָטָה」の定義も「引き伸ばす、張りつめる、展開する、押し広げる」なので、下の画像のように半球形の天蓋があってその下に空間が広がっちょるということです。


画像引用元:
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なぜ、「大空全体が堅いなら鳥が飛べる訳がない」なんて考えに至るのか、また、それを堂々と公言出来るのかまったく理解出来ません…。「地球」という、イエズス会士マテオ・リッチが作った言葉と嘘だらけの大地球体説を無理矢理正当化しようとするから、こんな意味不明で恥ずかしいことになります。「ポール」とはパウロのことであり、パウロと同じように嘘つきになっちょります(パウロはここまで愚かではありませんが)。この牧師は、こんな有り様でヨハネの黙示録に関する講演会も行ったようですが、「また、もし誰かがこの預言の書の言葉から取り除くなら、神は命の書から、聖なる都から、この書に書き留められてることからその者の分を取り除くであろう。」(黙示録二十二章十九節 ミカエル氏訳。聖句引用元「偽使徒パウロの反キリスト教義 四」)とあるように、黙示録の言葉の誤解釈を広めて人々を惑わす行為は命の書からその名が消される、つまり地獄行きの大罪です。ツイッター等でも、黙示録の獣の刻印を「ワクチンのことだ」、「個人番号(マイナンバー)のことだ」、「いや、世界経済討論会(WEF)が押す666の焼き印みたいな物だ」などと皆が好き勝手に言いよりますが、これも地獄行きになる大罪なので心当たりのある方は即刻やめてください。ポール松岡という牧師は、「聖書の信用を落とそうとする大衆心理操作の手段として、こうした説が撒きちらされているのではないかと思います。唱える人達は真剣だと思いますが、「聖書にこう書いてあります」というのは、サタンがイエスを誘惑するのにも使われています。」と、自分こそ聖書を用いて人々を惑わしたり、聖書の信用を落としよるのにこんなブーメランなことを言いよりますし、「真実と間違いが入り混じっているように思えます。この理論が出回るのを裏で故意に促進している動きがあるように思えて怪しいのです。」とも言いましたが、この牧師こそニコミ会や杉村氏も含めて怪しいです。杉村氏は、この牧師をどこの宗派にも属さない聖書のみを信じるキリスト者だと自身のブログで紹介しちょりますが、「どこがですか」となりますし、「四十七年以上の聖書研究歴のある宣教師」というのも「四十年以上も聖書を研究してこれですか」と呆れます。杉村氏は、神真都Qや参政党、木原くにや氏、塚口洋祐氏、与国秀行氏等の偽り者と組織を非難しよりますが、こんな牧師を紹介しよるというのはよほど人を見る目が無く、聖書に関して無知過ぎるのか、もしくは彼らと同類かのどちらかです。ミカエル氏が公式サイト「キリスト道」の「支配層はいつも「両建て」を忘れるな。しかし、証拠も無いのに中途半端に信じたり疑ったり、極端な思考をする単細胞にもなるな。人を見る目を養え。」でも書かれちょるとおり、杉村氏には他にも問題がありますし、たとえ反コロナ・反マスク・反ワクチン・改憲反対派であっても決してその人自体を盲信するべきではありません。先述したように、不信仰者の言動には必ず嘘偽りが多く混ざっちょるからです。このように、聖書の知識があれば誰が嘘つきで信用ならない人物かが分かるようになります。


話を戻します。繰り返しますが、たとえコロナ犯罪の欺瞞に気付いたとしても、いつまでも聖書を読んで学ばず、神の律法、掟、戒めを主イエスの信仰と共にすべて守るキリスト道を歩まなければ、いずれ個人の恩恵期間が過ぎて神に見放され、惑わしの霊を送られることで真実を拒絶して嘲笑ったり、偽りを愛して正しい人を迫害する地獄の子と化してしまいます。神に見放されることより恐ろしいことはありません。先のイザヤ書六十六章四節「我は呼びかけたが応える者は居らず、我は語ったが、」の「語る קָרָא」には「招く、伝道する、宣告する、宣言する」の意味もあります。ミカエル氏はもう六年近く真の聖書福音と預言をブログで伝道されちょりますし、それらの記事は世のことも絡めた分かり易いもので、神の慈愛も厳しさも宣べ伝えられちょります。動画も製作されちょりますし、コロナ犯罪や改憲問題、気候変動詐欺等の世の情報を中心にまとめられた公式サイト「キリスト道」も開設され、すべて無償で公開されちょります。また、某も含めたごく少数の信仰の兄弟姉妹たちも福音伝道や周知活動を行いよりますが、真剣に耳を傾ける人は殆ど居ません。本記事をお読みの方の中には、ミカエル氏のブログ読者の方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらと一緒にキリスト道を歩まれる訳でもなく、何か感想や意見等を記事に投稿したり、ツイッター等で周知活動に協力される訳でもなく、かといってパウロ狂信者のように迫害する訳でもなく、一体何のためにこちらの話を読みに来られよるんだろうかといつも疑問に思いよります。「そして、彼らは民の共鳴する者であるかのようにあんたの許にやって来る。そして、我が民はあんたの前に座り、あんたの言葉に耳を傾けるが、それらを実行しない。それに反して、彼らは多くの愛をその口で示す。彼らの心は自らの利益を求めて歩んでいる。」(エゼキエル書三十三章三十一節 拙訳)とあるように、何か情報を得るためだけに来られているんでしょうか。それだけでは無意味ですし、何も好転することはありません。それどころか、聞いた上で何もしないというのは何も知らない人よりずっと悪いです。また、こちらに賛同の意を示して周知に協力してくださる方もごく少数ながらいらっしゃいますが、「兄弟の集いの場」に来て共に歩もうとしなかったり、聖書の複数回通読にあまりにも時間がかかり過ぎちょるので、大丈夫だろうかといつも思いよります。聖書の複数回通読は二、三か月あれば終わりますし、他にももっと学ばなければならないことが山程あります。聖書通読やミカエル氏のブログを読むだけで満足しちょってはいけませんし、いつまでも初学者のまま、傍観者のままでは非常にまずいです。その理由は聖書に書かれちょりますし、少し前に引用したミカエル氏の言葉のとおりでもあります。すべて個人の自由であり、無理強いするつもりもまったくありませんが、早めに準備を整えていただけたらと思います。


先に、偶像やその偽りの教え(宗教)に完全に心を奪われておらず、しかし、確信が持てるものも無く迷っちょる人も居るのではないかと書きました。そうした人にこそ、先ず聖書を読んで欲しいです。

画像引用元:
「真の聖書福音と預言」(アメーバブログ)

上記のミカエル氏の画像はとても分かり易いです。ミカエル氏の仰るとおり、聖書の真理を知ると迷いが無くなります。何一つ間違いの無い神とその御言葉と教えを知り、それを実践することで得た実体験からその正しさを確信することで、揺らぐことのない一本の芯(神とその御言葉への信頼)が備わり、その一つの真理に外れちょるものはすべて間違いだと判別出来るようになることで、周りに惑わされなくなるからです。こう書くと、それはただカルト宗教に洗脳されているだけとか、狂信者とか、不寛容で差別的、冷たくて愛が無い等と思われるかもしれませんが、そうではありません。そのように思われた方は、なぜ、聖書の真理に依拠する生き方をおかしいとか狂っている等と考えられるのでしょうか。聖書(パウロ書簡を除く)を複数回通読せず、また、実践もされちょらん、つまり聖書も神も何も知らないのにどうしてそのように否定し、悪魔と悪魔崇拝者の支配層(サタン)が造り上げたこの嘘と不義だらけの世で今まで得てきた常識や思想等の方が正しいと思われるのでしょうか。その確かな根拠は何かあるのでしょうか。一度、「自分が歩んでいる道は本当に正しいのか」と真剣に考えてみて欲しいです。聖書に疑いを持たれちょる人の脳裏にあるもの、例えば「聖書は支配層の計画書」、「聖書は読む価値が無いほどに改ざんされている」、「聖書は矛盾している」、「西洋の宗教だから日本人の自分には関係無い」等は、すべてサタンに植え付けられた嘘か自らの勘違いです。本当に今は邪な時代で、人々が聖書と主イエスに興味を持たないように数多くの嘘、躓きの石が置かれちょります。そして、たとえ興味を持ったとしても正しい信仰を持つことがないようにパウロ教等の躓きの石が更に置かれちょります。ミカエル氏は、そうした石がすべて取り除かれて明らかになった唯一の救いの道、キリスト道を伝道されちょります。以前述べたことですが、某も聖書とミカエル氏の記事の内容にまったく疑問を持っていなかった訳ではありません。聖書の御言葉に感動したり、ミカエル氏の記事の内容にとても驚いたのは確かではありましたが、理解出来ないところや「それは違うんじゃないか」と思うところ(西洋かぶれが悪であること等)もあって、色々な思いが心の中で渦巻いちょったように思います。しかし、キリスト道を歩み続けて知識や経験等が備わることで少しずつ考え方や視点が良い意味で変わり始め、また、信仰の兄弟姉妹との交流の中で自分が如何に考えが甘く、努力が不足しているかを思い知り、彼らに付いていくために勉強を重ねる日々を送る中で、ある時ようやく疑問を持っていた頃の自分が非常に未熟であったこと、その未熟さのために理解出来なかったことを悟りました。知識や経験、能力等においてあまりにも差があると言っていること、書いちょることが理解出来ないんです。この理解出来ないことに対してどのように感じ、その後どのように行動するかで明暗がはっきりと分かれます。今回取りあげた人たちのようにただ莫迦にして終わったり、ツイッターの各大型口座等の嘘を鵜呑みにして食わず嫌いのまま真実の前を通り過ぎるのではなく、今の自分に理解出来ないことに対しては疑問を持ったり反発するだけに終わらず、自分から努力して変わっていく必要があります。聖書と共にミカエル氏のブログの最初の記事から一つずつ読み進め、実践することで、御心ならば人間の唯一の救い主であられる主イエス・キリストを見出だし、確信を持つことが出来ます。これは、ミカエル氏個人を教祖の如く盲信しているから「ミカエル氏の言うとおりにしなさい」と言いよる訳ではなく、彼が聖書に忠実に依拠して、その聖書の真理を基に実践すべきこと等を伝道されちょるからこのように勧めよります。彼は聖書を無視した自分勝手な考えを伝えられよる訳ではありません。このことも、聖書を原語から研究して学べば学ぶ程それが分かります。真実を心から求める方は、先ず「目を覚ませ」から読まれてください。確かに、神はいらっしゃいますし、その神の御許へ向かう道も確かにあります。しかし、これまで述べたように日本は既に滅び始めちょりますし、恩恵期間が過ぎて手遅れになってしまっちょる人も増えてきよるように思います。ネットもいつ使えなくなるか分かりませんし、突然大災害に見舞われることも考えられます。何より、キリスト者として成長するには時間がかかります。某が確信に至るまでは二年くらいかかったと思います。行動が遅くなればなる程、状況が悪化していくのは間違いありません。このキリスト道がまだ見えちょる内に、後悔せぬよう道を改められますように。


聖書をすべて読めば、何が正しい道なのか、何が悪魔的なのかというのが分かると思います。拙者はキリスト者(主イエスの弟子)ですが、あなたに強制的にキリスト者になるようにと言っているのではありません。信教の自由ですから、何を信じてもらっても構わないのですが、ただ知識として聖書の内容を知ることは決して無駄ではありません。嘘で固められた学校教育、教科書や参考書、報道機関の情報よりもはるかにためになります。神があなたを憐れむのであれば、あなたは聖書を読んで真実を得て、あなたの魂で主イエス・キリストを信じるでしょう。

引用元:「真の聖書福音と預言」(アメーバブログ)「目を覚ませ


以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。