小説と未来 -99ページ目

ずっと西にある島 39.解縛


太陽の光が地上を包み込むように広がっている。

空の上や東の方は夜になろうとしているのに、キウたちがいる西の果ては光に覆われている。

太陽は地表面と並行する遥か西で輝いている。



「ケイチョウ様、もう戻らなければなりません」

ずっと裏に隠れていたカナスナスティアは突然二人の前に現れ、ケイチョウにそう伝える。


ケイチョウはその言葉を聞かぬふりをするように、眩しい太陽の方へと体を向けている。


ケイチョウ様、あなたは神に選ばれし身の女性。

 今帰らなければ、あなたは二度とカルミンヌオールの居住区に戻れなくなります」


キウはカナスナスティアの声をよく聞き、ケイチョウを見ていた。

ケイチョウは目を閉じ、黙とうするようにじっとしていた。


しばらくして、ケイチョウは目を開いた。

「カナスナスティア、私はそれもまたいいかと思う。

 私は15の時にカルミンヌオールで神に選ばれた女性として、宮殿に入れられた。

 そして23の時に、選ばれし女性の代表者として完全に基へ戻る事を許されなくなった。

 私は男性の欲望を駆り立てる女性の象徴として、あの宮殿で一生を過ごさなければならない。

 それもまた運命だと信じている。

 しかしもしこの機会が今の生活を断ち切る機会ならばそれもまたそれとして従いたい」


女の主なる者、つまりその地で最も美しい女性は男性の欲情を生み出す。そしてその欲情は奪い合いの争いを生み出す。また女の妬み、僻みを生み出す。だから女の主なる者は宮殿にて一生独り身で送らなければならない。それがカルミンヌオールの掟なのだ。



ケイチョウは守り抜く生活をどこかで辞めたいとも望んでいた。

それはただの欲望なのかもしれない。

だけど運命として従えば変える事も可能だと考えていたのだろう。


「キウ、あなたに問う。私はカルミンヌオールの居住区へ帰るべきか?」


日は西の下へと落ちてゆく。時間は刻々と過ぎてゆく。


「帰るべきだ。帰らないと、大変な事になる」

キウはあせってそう答える。


「キウ、あなたは私を戻し、そしてどこへ行く?

 あなたは生きる道を見失っている。私と再び歩む道を考え直す事もできるのではないか?」

ケイチョウはそう言って、妖艶な笑みを浮かべる。

不思議な瞳がキウを魅了する。


運命の時だと、ケイチョウは見えない声でキウに伝える。

「人はどこかで変わらないとならない。私は今、カルミンヌオールの地を離れる事もできる。それが望みだ」



ケイチョウは今度は太陽に背を向け、小さなカナスナスティアに近寄ってゆく。

「カナスナスティア、おまえはどうする。地を離れるのが、おまえの望みか?

 おまえもまた選ばれし女、今を諦めることもできる。それともまた宮殿に戻るか?」


大きなケイチョウの影に隠れたカナスナスティアは高い声でケイチョウに言葉を返す。

「もし、ケイチョウ様が戻らぬ事をお望みならば、私もケイチョウ様と共に居住区を去りましょう。

 しかしまだその時には早い限りです。ケイチョウ様が戻れる時間にある限り、私はカルミンヌオールの女主者に仕える者としてケイチョウ様が無事に居住区へと戻れるように、お供いたします。今はまだ無事に居住区へお連れする事が出来るでしょう。ケイチョウ様、お戻りになりましょう」



ケイチョウはカナスナスティアを諦め、再び崖のすぐ傍にいるキウに近寄ってくる。

「キウ、あなたは私に帰るよう望むか?」


キウが見るケイチョウの大きな瞳は潤んでいた。



彼女は神に身を捧げて一生を送る事なんて本当は望んでいないんだ。


本当は一人の女性でしかないんだよ。


どんなに時が経ち、人が欲望に勝てるようになろうと、真の望みはいつも単純な事ばかりだ。


女性はいつだって男性を求めている。


とても単純に欲しているものがある。



キウは縛れた世界に置かれた一人の女性を見つめていた。

女性は女としての生き方を送るために女に戻りたいと言っている。



彼女の望みを満たしてやる事がキウ、君の運命なのかもしれない。


その答えを問われている。


ずっと西にある島 38.滅守

ケイチョウはどこまでも光輝かし西の太陽を見つめながら語る。


「わたしは歴史を受け継ぐものとして、聞いている話がある。

 遥か昔、人は欲望を大いに持つ生き物だった。

 欲望を消せない人は、奪い合いの争いの末に滅びたと聞く。

 人が人を大切にし、心を穏やかに保たねば、人は滅びゆく。

 一部生き残った物はその事を大切にした。

 それでも人は苦しんだ。どうしても生きている事で生まれてくる欲望を抑えきれない。

 人はいつも自分の内にある欲求と戦いながら、地球との共存を目指し、穏やかに生きようとする。

 多くが失われたときに、カカラの神話が広がっていった。

 人は欲望を捨てなくてはならない。求める気持ちを失わなければならない。


 わたしに与えられたのは、女の選ばれた者として、男との交わりを禁じられた。

 男性にも一人、女性にも一人。

 かつて人々は欲望に溢れ、欲望のままに生きてきた。様々な欲する欲求が力を持ち、人々は天の上をも支配できると信じるようになった。

 しかし結果、欲望を大いに持つ者が世界のあらゆる者を奪い始め、地位や力を持とうとした。結果、人々は貧困にあえぎ、奪い合い、争いあう世界へと変わっていった。

 奪い合い、争い合い、全てが滅びた後に、欲を禁じるものたちが集まった。その者たちがカカラ神の話を語り出した。

 人類滅亡の危機に、我らカルミンヌオールはこの地で、カカラ神を祭り、多くの欲望を捨てる事を決意した。生き残ったものたちの間に我らの神話は行き渡り、全てではないが、今でもカカラ神は人を穏やかに保つための象徴として、多くを求めないように我々を守り続いている。

 しかしカカラ神は多くの文明も奪った。かつて作られた多くの文明・技術は失われ、僅かなものだけが残った。それによりよくも悪くもなっただろう。だけど、そういなければ人は生き場を失う」


キウはその話に自分が住む時代の未来を浮かべていた。

きっとこの世界は遥か未来に違いないと、キウは脳のどこかで理解した。


「僕は、欲望に渦巻いた世界の中で生きてきた。

 でもその場でどう生きていいかわからなくなった。

 気がついたら秋の森にいた。そしてそこで欲を失う事を求められた。

 でも僕は欲を失う事が出来ずに、雨に沈む町という社会に辿り着いた。

 そこでただ生きてゆくことを求められた。

 でも僕は強い探究心を捨てられなかった。求めたい気持ちが強く、その思いのままに町を抜け出た。


 戦い、争う事は望まない。だけど、望む気持ちも捨てられず、ただ生きる事もできない。

 望まない気持ちだらけで、僕はここまでやってきた。全てが嫌でただここまで逃げてきた。

 もう、逃げ場もない。

 僕はここから飛び降りるべきかな?」


 キウは西の切れ端に近づき、地の下を見る。

 何が起きたかわからない過去を想像する。遥か昔にここに切れ目ができた。西が失われた。

 多くの人がこの地の下に墜ちていったのだろう。


 ケイチョウはそんなキウを止めようとはしない。一緒にいたカナスナスティアは木の裏に隠れ、二人の様子に見向きもしない。


「人は欲望を捨てられないだろう。ただ生きる事もできないだろう。

 生まれては欲し、ただ満たされない想いを満たそうと行き続ける。

 人はいつも今が不満で、欲望に溢れ、求め続ける。

 それはあなただけではない」


 ケイチョウはキウに向け、大きな声でそう言い放った。


「人の欲望と不満が僕を苦しめる。

 でも僕は人の欲望を満たしや不満を消すために正しく生きなくてはならない。

 そして僕も生まれてくる欲望を満たそうとし、不満を消そうとして生きてなくてはならない」


「それが嫌になり、恐くなって逃げた。

 あなたは欲望も不満も嫌になった。その想いがあなたをこの地に運んだ。

 でもあなたは欲望も不満も捨てられなかった。

 欲望や不満が溢れてくる。そうあればただ生きる事はできない」


「中途半端なんだ!とても。

 とても揺れている。僕はどこへ行けばいいのかわからない!」

キウは大きな声でそう叫んだ。その声は遥か西の空に包まれて、消えてしまった。

ふと怒りや悲しみが溢れてきた。

どうしようもない苛立ちが体中を支配する。

キウは自分に対し問う。

「俺は宇宙を支配するのか?限りある地球の中で、上手に生きてゆくか?」


「あなたと同じ気持ちで、かつて人の半分は天を目指し、人の半分は地球に留まった。

 永遠の者とやがて滅ぶ者」


「でも、永遠はない。ただの夢だ。そして現実はいつか滅ぶという事。

 目指すのは自由なんだ。どちらと目指すかは自分で決めるしかない」


「われわれは滅び行く世界をいかに守り続けるか、そう望んでここに生きている。

 私はその望みに従って今日を生きてきた。あなたはその望みに従わないか?

 欲望と不満のままに生きてゆくのか?」



僕はどう生きればいいのか?


僕は何のために生きているのか?


その答えがないまま、今日をここで何とか生きている。


本当はどこにも行けていない。


どこにも辿り着いていない。


僕は今日も宙ぶらりんのままに生きている。


ずっと西にある島 37.欲要

どこまでも続く西の空を眺めながら、キウはすっと声を吐き出した。


僕の住んでいた世界では、人々はとても力強かった。私利私欲がとても強い人もいたし、自己顕示欲の強い人や自尊心を持って生きる人もいた。そして自分の居場所を守るために人を蹴落とそうとするたくさんの人がいた。口では世のため人のためと言っておきながら、人々は皆そうやって人より上に行こうとして生きていたんだ。そうしないとあの世界じゃ生きていけない。皆自分が踏み潰されるの恐くて、自分を守って生きていたんだ。

 僕はそんな争いに巻き込まれたくなかった。人の競争世界に足を踏み入れたくはなかった。人は競争し、戦い、自分の陣地を確保して行く。確保した場所を堅持し、誇り、時には崇められ、そういった事を喜びにして毎日を送っていた。自分の地位を守るだけ、そのための生活を続ける事になる。戦争はなくても、争いのない場所はない。人は皆そうやって生涯を費やしてゆく。ただ自分を生かすために


ケイチョウはキウの真剣な表情を見つめていた。

そして、キウの語りに答えた。


「あなたはそれを望まなかった。そしてあなたはこの世界に逃げてきた」


キウはケイチョウの声に惹かれるように、ケイチョウの大きな瞳を見つめ返した。


「僕は逃げようと思って逃げたわけじゃない。ただふと感じたんだ。あの世界で僕は生きたくなかった。僕は争いを望んでいないし、陣地を確保するための世の中でやってゆくつもりはない。

 僕はこの世界に住んでいて感じる。この世界の人は皆役割を持っている。そしてその役割を喜び、個々に自らの与えられた役の目指す先へと進んでいる。僕らが住んでいた世界ではそれは社会主義的な考え方だったような気がする。そしてその社会主義という世界はほとんど滅んでしまった。どうしてこの島のように、役割を演じることができなかったのだろう?

 あの世界の人にはたくさんの欲望があるからかもしれない。そういった利欲や野心がないと、彼らは堕落や怠慢に陥る。だからあの世界では欲望も必要なのかもしれない。この世界の人は大きな野望も持っていないけど、明らかに怠ける者はいない。しっかり仕事をしている。それはなぜだろう?」


ケイチョウは口元を僅かに緩ませた。


「あなたは利欲を持って生きる?それとも堕落してゆく?」


「僕は、どうだろう?利欲を求めているかもしれない。それがなくて堕落してゆくかもしれない」



求め、彷徨い歩いた道が浮かぶ。


進み歩いた道も浮かぶ。


泥に汚れた落ち葉を踏み潰し、歩いてきた道を思い返す。


利欲のために歩いたのだろうか?



「あなたは何のためにここに来た?」


幸福を望んだ。感動を求めた

キウはその事にあらためて気づく。だけどそれが全てでもない。

「だからといって、この世界に人はそのためだけに生きられるのかな?人は欲望のある生き物じゃないのかな?僕にはわからない。ただ、幸福を望むために、ただ未来の平和を祈って、そんなために生きられるのか。もっと単純な欲求が心の内には溢れているはずだろう?」


ケイチョウはキウの言葉を黙って聞いていた。


辺りはとても静かだった。

太陽の熱だけが力強く、辺り一面を照らしていた。

とても穏やかな時間の流れが突然終わってしまった地上の切れ目一体を包み込んでいた。

ずっと西にある島 36.西空

キウは遥か西の果てに着いた。


そこは文字通り、西の果てだった。


断崖絶壁の向こうに地上は無く、果てしない空が続いていた。

西に傾きかけて太陽が沈む場所を失ってしまったように、西には果てしない空が続いている。


キウは言葉を失った。その光景、その果てしなく広がる一面の空。この先には無限の自由が広がっているかのように思えてくる。


「抜け出すしかない。希望の先、この果てに飛び込んでしまいたい」

と、キウは独り言を口にする。



「人はいずこより生まれた?


命の繋がり、ずっと過去から未来へと人は生命を繋いできた。


死する者は、塵となり地に戻る。


命の繋がりのために、女は男を愛し、男は女を愛する。


そして生を育み、人はいずれ塵となる」


エジプトの古代人のような姿のケイチョウは、遥か西の空を見てそう言う。


グァンダーの地で、イマエダさんが亡くなった時の事をキウは思い出していた。

『死んだ者は西の地の崖の上より葬られる』

その時、クリショバがそう言った。

人は無になり、地へ葬られる。


そして、生きる理由を想う。


「僕は、昔、カミという名前の女の子を愛した。

 彼女といる事が僕にとっての幸せだった。彼女も何もない僕の事を愛してくれた。

 僕はその時間がとても幸せだった。それが僕の全てだった。

 でも、僕は彼女と性行為をした。その場所のルールで僕らはその世界から追い出された。

 そして別々に生きてゆく事になった。

 僕は今でも彼女を探しているんだと思う。でも僕は彼女に会えない。

 きっと近づこうとしていたんだけど近づこうとすればするほど、彼女は遠くへと行ってしまう。

 とても遠い存在になってしまった。

 もう、二度と会う事はないだろう。

 それなら僕は何のために生きたらいいのだろう?」



「人は生命を繋げるために生まれた」


ケイチョウは語る。


「命を繋げる愛がある。


 しかし全ての人が命を繋ぐ事ができるわけではない。人には愛を育む事ができない者もいる。


 あなたは生き甲斐を失った。愛するべき女性を失い、命を繋げる術を失った。


 もう生きる意味がないと言う」


「そうですね。僕にはもう生きる意味がないでしょう」


「未来はそんなあなたに何を望むでしょう?


 あなたが過去に、未来に対して何かの期待を持ったように、未来の者はあなたに何かを望んでいる」


キウは過去を思い返す。

自分はただ幸せになりたいと思っていた気もする。子供の頃、小さな幸せを感じたことがあった。

それが何だかは思い出せない。大人になれば、もっとたくさんの幸せを味わえると思っていた。

でも幸せはそんなにたくさん溢れてはいなかった。むしろ感情は徐々に失われ、感動する事も稀になっていった。何もかもが無関心になっていった。


ケイチョウは下をうつむくキウを見て、話を続ける。


「たとえば我が子の成長を。


 たとえば町の発展を。


 たとえば未来に残る言葉を。


 そうして未来へと一人の存在は何かを残し伝えようと生きていける。


 毎日同じように繰り返される日々の先にある世界を信じ、人は未来へ向けて生きてきた。


 私たちはとても長い時間を生きている。


 でも私たちは神々からしたらとても短い命の生き物だ。


 われわれと神々では感じる時間が異なる。全ての生命体にとって生きる時間は異なる。


 神々からしたら我々はとても儚い命の生き物だ。


 それでも我々にとって、日々は長々しく続いてゆく。


 そうであってもいずれ時は過ぎてしまうだろう。


 世界は変わってしまうだろう。過去が懐かしく思える。


 過ぎた日々は失っていっても、あなたの脳にはしっかりと残っているから、


 いつも儚く、切なく、心に痛みを残す」


遥か西に辿り着いていた。

そこには西の果てがあった。西の果てで、生きる意味を探していた。

西の西には永遠に思える空が続いていた。

空が続いている。その先には何かがあるのかもしれない。

フワーナ島の東には海しかなく、西には空しかない。

何もない東からやってきて、遥か西を眺める。


「この空に、僕は感動する。僕が遥か東からやってきたように、遥か西にも何かがあるのかもしれない。そう思う空想も広がる。この広がりが僕に自由な気持ちを与えてくれる。とても心地いい光景だ。僕はここに来れてよかった。そう思います」

いろいろな事に無関心となっていたキウもその光景には心を露にしていた。とても優しい風が西から吹いていた。その風をキウはとても心地よく感じていた。


「あなたはまだ諦めるには早い。


 あなたの知りえない感動がまだまだこの先にはある。


 あなたはまだまだ幸福を感じられる余地を残している。


 未来の者が生まれ、育ち、幸福を与えられたいと望むでしょう。


 あなたはたくさんの感動や幸福を未来に、まだまだ伝える事が出来るでしょう」


ケイチョウはキウにそう伝える。



僕は未来に何かを伝えられるだろうか?


僕は未来に幸福を与えられるだろうか?


僕にはまだまだ幸福を感じられる可能性を残しているのだろうか?


何を期待し、何を望み、未来に生きてゆく事ができるだろう?



キウは心の中で自分自身にそう尋ねる。



あなたはとても望んでいたのですね。


それならあなたはあなたらしくありなさい。



地中深くから、そんな声が届いてきた気がした。


だからキウは地中深くに住むといわれるカカラ神に、僕は僕らしくなりたい、と願いを込め、祈った。


ずっと西にある島 35.貌人

「あなたはなぜ僕をここへ呼んだのだろう」

と、キウは彫刻のような女に尋ねる。


「わたしはここを司る者、ケイチョウと申す。

 光ある窓辺より、あなたの姿が見えた。見知らぬ者を知りたかった。

 ただそれだけだ」

自らをケイチョウと名乗る女はキウにそう伝える。


「確かに、僕には何もない。ここへ来た正しい理由なんてない。

 ただ平穏な毎日を望んだだけなんだ。

 世の中が壊れてゆくような感じがして恐かった。僕はそこから逃げ出したかった」


「未来とは、常に不安なもの。

 しかしそれを恐れれば恐れるだけ、あなたは強張り、動かなくなるだけだろう。

 だから未来は恐れるべきじゃない」


「僕はもう、逃げ出してしまった。

 心が逃げて、ここに来た。もうどうする事もできない。

 僕はきっとここに逃げてきただけなんだ。僕は僕を導いたんじゃない。

 ただ逃げたかった。それだけだよ」


ケイチョウはにやりと微笑んだ。

「決めつけることはない。あなたを西の端に案内しよう」



ケイチョウはすっと立ち上がり、キウの横を過ぎて、キウが上がってきた暗闇の階段の下へと降りてゆく。

周りの女たちがざわついている。

一緒に来た小さな女が慌てて、ケイチョウの後を付いてゆく。

そしてその女はキウにも一緒についてくるように手招きをする。



光を出て、闇を抜けて、キウらは再び光あたる地上へと出る。

森に覆われた地を西へ行く。

そして広場に戻る。


「わたしの名はカナスナスティア。ケイチョウ様に仕えるもの。一緒にお供いたします」

と、小さな女はキウに名乗った。


「僕はキウ。グァンダーの地から来ました」

キウは自分の名を告げていないことを思い出し、カナスナスティアにそう名乗った。



広場にいた、多くの人がざわついている。

ケイチョウの姿に驚いているようだ。


「彼女はケイチョウか。わたしも始めてお会いする。彼女はめったなことでもなければ、石の宮殿からは出てこない。カルミンヌオールのお偉い方だ。噂どおりの美しい人だ」

ハバルヒラはユスティスにそう伝える。


ユスティスは自分の方に近づいてくる大きな女性の方に目をやる。

後ろからキウが付いてくるのが見える。


「キウ。彼女とはどうしたの?」

と、近づいてきたキウにユスティスは尋ねる。


「わからない。とにかく、僕は彼女と西の端へ行く事になった」


ケイチョウはユスティスを気にせず、ハバルヒラに話しかける。

「あなたはとてもバランスの取れた方ですね。あなたはあなたである事に感謝しないといけませんね」


「これはお褒めの言葉、ありがとうございます。でも私にはいくらでも理解できない事があります。

 あなたはそこにいるキウを連れ、どうして西へ行こうとするのですか?」

ハバルヒラはケイチョウにそう尋ねる。


ケイチョウは遥か西に広がる森を見つめる。

空は青く、森は穏やかだ。

「この者は特別な者だ。ずっと東からやってきたのだろう。

 カカラの事も知らない。私はこの者に伝えないとならない事がある」


「カカラの事なら、グァンダーの地で学んだ。

 僕は何だかんだ言っても、この地で2年は住んでいる」

と、キウが横から話に入り込む。


ケイチョウは何故かキウが遥か東から来た事を知っていた。

その事を不思議に思うが、その事をキウはとりあえず聞かなかった。


「それでもあなたはずっと西に行き、見る必要がある」

と、ケイチョウは言う。


キウは頷いた。

「そうですね。僕はあなたの言うように西の端へ行ってみたい」


「予期せぬ出来事が起きたとき、予期せぬ事に対応しなければ、人生は退屈に過ぎてしまう。

 今こそ、予期せぬ出来事を行うべきとき。だから、私はこの者と西へ行く」


ケイチョウはハバルヒラにそう伝える。


ハバルヒラは頷いた。

「そうですか。わかりました」


ユスティスも頷く。



僕はどこへ行くのだろう。


ずっと西、そこには何があるのだろう。



キウたちは西へ行く。


ユスティスは再び売買を始める。



不思議な事が起こっているのだろうか?


僕は意外な出来事を起こしているのだろうか?


ただのつまらない人間なのに。