小説と未来 -59ページ目

「何気ない毎にちを貴方に伝う」1ノ7


僕は何気なく生まれ育ち、大人になったのだろう。長い時間が一人きりだった。


長い時間を部屋の中で、ぼぉっとテレビを見て過ごしていた。

日が沈んで、夜になって、蛍光灯も付けずに小さな電球だけで部屋の中を照らしていた。後はちかちかするテレビの光が部屋のイルミネーション。


物悲しく、安っぽい。


明るい世界に出られないのはきっと君のせいだ、なんて訳もわからず人のせいにして。


やっぱり訂正。


明るい世界に出られないのはきっと僕のせいだ、と。



一日を思い返せば、やはり今日もいつもの一日だった。


汗をかくほどでもないけれど、まだまだ暑い一日だったな。中学生に数学を教えるのも楽じゃない。一歩進んで一歩下がる。覚えたようで覚えてくれない。そしてただ教科書に沿って先へ進む。大人になっても何も残りやしない。


ただ勉強しただけの記憶が残るだろう。


今日の冷やし中華はうまかったな。あのしょっぱい醤油ダレが食欲を誘った。プチトマトを歯で潰した瞬間に広がったトマト汁の味が口に残っている。からしの付けすぎた部分を啜って、むせた刺激も残っている。


冷やし中華、まだまだ夏だな。


麦茶も進んだ。まだまだ暑い夏の日だ。



いつだって、気づけば弱い光が届く、暗い部屋で眠っている。いつだって、明るい光が降り注ぐ昼の思い出は夜に思い返される。


わかるかい?この感触。なぜだか目尻から涙がこぼれ、こめかみの付近を伝ってゆく。

僕は朝日を嫌うけど、心が闇夜を遠ざけたがっている。そして脳は夢へとトリップする。そこに君がいないかと、僕はなぜだか探してしまう。

でも乾いた大地では男どおしが戦争をし合っていて、僕はどちらかに加担しなくちゃならなくなる。嫌だと感じれば、いややってやるって気が奮い立ち、一歩進めばまた嫌だな、と慄く。僕は一人夢相撲を取っている。右へ左へ心は揺れ続く。


そして目が覚め、朝日が、不快。

体中が嬉しくない。


いい夢でも見直したいな。けど恐い夢を見たくないから、ベッドから体を仕方なく起こす。

テレビが付いて、いつものニュースがまたどこかで聞いたような話を繰り返していて、僕はまた無駄な知識を増やす。


一日がスタート。


ああ、繰り返した昨日、今日。僅かな違いが二日経った事を教えてくれる。


(つづく)

「何気ない毎にちを貴方に伝う」1ノ6

雨が過ぎ去った朝に、「おはよう」


今日もいつもと変わらない毎日の始まりに目覚めた。



昨日は久々に、僕を登校拒否中学生に派遣している担当者に会った。


雨の中の喫茶店は濡れた町の中にある。空間は涼しいを越えて、少し寒い。暑さに慣れた僕には少し辛い。


「どう?」と、彼は僕に尋ねる。


どう、と聞かれても、どうという事もないのだが、「いえ、まあ、問題なくやってます」と答える。


彼は何も言わない。実は悪い話なのかもしれない。僕はあの子に切られるのだろうか?中学生であってもお客なわけであって、嫌だと言われれば僕は必要なくなる。時給制だから仕事がなくなれば稼ぎどころがない。これは面倒な話になるのだろうか?困った話かもしれない。


「そうか。それはよかった。いや、今日はね、来週なんですが、一週間ほど、研修を受けてほしいんですよ。特に難しいテストとかじゃなく、一通りセミナーで話を聞いてもらえればいいだけなんで」


そんな話か、と僕は少し安心する。

「時間は?」


担当者は一枚のコピー用紙を取り出す。ピンク色のその紙には、学校の時間割のようなものが書かれていて、黄色いマーカーで一部縁取りされた部分がある。午後の13時から17時まで、月曜から木曜まで、それが毎日続いている。

「この予定なんですけど、一通り聞いていただいた方がようかと思いまして」

3つ年下の担当者は、年上の僕に気を遣って、少し丁寧に話をしてくる。きっと僕が年下なら、「これは受けといてほしいんだよね!」と強く押してくるにちがいない。


「ええと、時給が減ってしまうのが、ちょっと」と、僕は柔らかく問題点を指摘する。


「その分は一応手当ては出る事になってるんで、まあ一日、2,500円ほどで割りは悪いんだけど」

彼は恐縮そうに、僕の顔色を窺う。


どうせいつも15時まで、同じ程度しか稼げない。17時までという長さはあるが、ここは断らない方がいいだろう。

「ええ、いいですよ。わかりました。あの、午後が休みになってしまうのは、あちらの…」


「ああ、あちらには僕の方から伝えておきます」


「そう、ですか。わかりました。よろしくお願いします」


と、いうわけで来週は登校拒否子とは午前だけでいいらしい。なんとなく肩の重荷がふと下りるような気分になった。



なんて事が昨日はあった。


その程度の話である。だからと言って、僕の毎日に大きな変化が起きたわけではない。


「だから何?」と君は不満に思うかもしれない。


僕も思うんだ。もう少し、気の利いた、おもしろい話をするべきだと。


何気ない毎日が続く。今日は大きな雲の傘の下、少しだけ暑さも和らいで、町の人も苛立ちが消えたかのように穏やかだ。こんな日々が続くといい。ただそんな事を思う。


(つづく)

「何気ない毎にちを貴方に伝う」1ノ5

「オフンってなんだっけ?」

僕は中学生の見ている教科書の単語を覗く。


「often」とそれっぽく発音して、「しばしば」と答える。


しばしばって何?」


「だいたい、よく、みたいな、そのくらいの感じ」


「よくわからない」


「わたしの父は家をしばしば留守にします」

僕は教科書の例題を翻訳して、なんとなく理解を求める。


が、彼女は理解していない。

しばしばって誰が言うの?」


面倒くさい。

「でもさ。俺が中学校の時は、oftenはしばしばだって習って、理解したぜ」

と、ちょっとむきになった口調で言ってみる。


「変なの」と、否定しつつも、もうどうでもいいのか、その登校拒否女子は教科書の黙読はまた続ける。僕はだからむきになりつつあった気持ちに整理をつけて、彼女が解いた問題の答えあわせを続ける。


間違えだらけだ。自分も英語は得意ではなかったが、この女の子はそれを上回り英語ができない。



「はあ、メンドー。英語、めんどくさい」と、口に出して言っている。


「でもさ、まあ、覚えておいたほうがいいよ。英語は実用的だろ?」


「そうかなあ。わたしが将来英語を喋るの?」


「喋るかもしれないし」


「ああ、やめた。ぜったい喋らない」


僕は口篭る。勉強を教えるのを仕事として、どうして勉強をしなくてはならないか、を教えるのも仕事だろうか?“おまえ”がメンドーな前に、よっぽどそうする僕の方が面倒だ。「勉強しろ!」と怒鳴りつけてやりたいが、なかなかそんな勇気もない。

子供の頃は、「いいから勉強しろ!」と父親に怒鳴られて育った僕で、父親のようにはなりたくないと思ったのを思い出す。僕は素直な少年だったので、楽しい遊びもせずに勉強して、それなりの大学まで行き、教員免許まで取った。でも学校の先生になりたいわけでもなく、塾の教師をしたり、ホームセンターの販売員をしたり、学校の勉強がとても役に立った覚えもないし、英語を使った覚えもない。

当時は、なぜ勉強をしなくてはならないか、などという哲学じみた事を考えた事もなかった。考えていたかもしれないけれど、気にしなかった。学校拒否女子はそんな事をしっかりと考えるだけ、僕より賢いのかもしれない。


「いいよ。別に、ちゃんと読むから」

困った僕の姿に見かねたのか、彼女は素直に勉強の続きを始めた。



世の中の矛盾に戸惑っているのは、その中学生じゃない。むしろ僕なんだ。僕は何のために、勉強して大人になり、これといった青春もなく、ただ過ぎてゆく毎日をここに繰り返しているのだろう。


でも、勉強する事が正しいと世間は言う。


矛盾してないか。そんなの何の役にも立たないさ。


そう思わないか、と君に問いたい。でもその全ては無意味な事だろうけど。


登校拒否女子は今は真面目に教科書を見つめている。僕には何も言えない。


(つづく)

「何気ない毎にちを貴方に伝う」1ノ4


もうすぐ、日曜日も終わってしまう。


それなら何かすればよかったのに、と後悔しても、もう遅い。


「いつもそうなんだよな」なんて独り言が口から溜息と共に出てくる。



クラーにテレビ、それだけで一日中うちで過ごせる。昼間から缶ビールを飲みながら、座椅子にうな垂れていれば一日は過ぎてゆく。

休日昼の缶ビール、いつからかそんなのが当り前になった。もう何年も前からだ。


つまらない一日になる、と頭ではわかりつつ、どこへも行かずに缶ビールの栓を開ける。習慣とは恐い。


仕事に疲れたからさ、といういい訳も今の楽な仕事では通用しない。これはもはや、僕という人間の性格にあるんだな、と認めるしかないか。


そんな生活が終わると、どこかで期待していたはずの新しい生活は、変わらない僕を家の中にうずめている。



「僕が僕であるために」そのフレーズの次には前向きな強い意志が現れるはずなんだけど、僕においては、「僕が僕であるために、立ち上がる気力さえ出てこない」


また駄目人間の言い訳で、土日が過ぎてゆく。土曜も家庭教師の仕事を入れてもらおうかと考える。この生活を抜け出す方法が僕には見つからない。



きっと君ならたくさんの趣味を持って、休日を忙しく過ごしているはずだろうね。


僕は誰にも何も言われない場所にいると、ただ無駄に生きているだけ。一歩家の外に出る事さえメンドクサイ。存在の無駄を感じて、今日も一日が過ぎ去ってゆく。


いつまでもこんな事をしていていいのかな?そして、僕は何しにここへ引っ越してきたんだろう?

自分への不満が少し心の内に育つ。


変えるきっかけはこんな不満な思いから生まれてくれやしないか、と我に期待する。



「はあ、まあいいか」

でも、過ぎ去った今日の不満は溜息と共に噴出され、なくなってしまう。


また零に帰って明日の一日を望もう。

「おやすみ」とは、明日の一日を行動するための一言だ。


もう一度、君に、「おやすみ」


「何気ない毎にちを貴方に伝う」1ノ3


畳の部屋、ちゃぶ台に肘をつき、その中学生は退屈そうな態度を見せる。


「怒らないんだ?お母さんと同じだね」


「ん?」


「学校行かなくなっても、怒らなかったの。お母さん」


「ふむ」


「ここで勉強しなくても、怒らない?先生」


「そうだな。そうしたら俺、先生失格になっちゃうかもな」


「そうか。さよなら」


「冷たいなあ。それとも、俺じゃ、いや?」


「冗談だよ。でも、誰でもいいかもしんない」


「居ても、居なくても、同じ、か」


「そうは言わないけど」


「じゃあ、いいか」


僕と、中学生はそんな会話をする。


6畳の畳部屋。2階の一室。木でできた古い作りの窓が開いている。クラーのない部屋だから、扇風機が回っている。決してお金持ちのお嬢さんではない。

その子の母親の事を思えば、ちゃんと学校行けよ、と言ってやりたい。

でも、こんな楽な仕事を手放したくはない、というのが僕の本音だ。


扇風機だけが回る地味な部屋で、僕はダレている。中学生は今日もジャージ姿で、うちわを仰いでいる。


いつ見ても、残念ながら、かわいくない。

その方が仕事としてはしやすい。今はそれでよかったと思っている。


このダラダラ、暑い日々の、、、生活。

麦茶の氷が溶けてゆく。


腑抜けた顔の僕らは、ただ教科書と睨めっこをしている。



君に伝う。


ここでは決して間違った恋愛なんて生まれない。


その事だけは確かだ。


(つづく)