北野武さんが「夢を叶える事」についての発言が大変素晴らしい内容でした。
夢を持つこと、それに向かって行動すること自体は大切なことではありますが、これをやたらに強調することは、高度成長時代の大量生産、大量消費のプロパガンダを未だに引きずっているからではないかと皮肉を込め、「清貧」の大切さを説いています。
時代は変わって、幸せの定義は大きく変化していると思います。「欲望」を追いかければ追いかけるほど満足することはなく、「不満」が増幅するだけです。
人間にとって一番大事なのは、「今を大事に生きること」、そして精一杯生を全うすることに喜びと感謝をすることだと思います。
もっともたけしさん自身は大成功者。成功者ならではの到達点として「無我無私」の境地に到っているからではないかと思いますが…
(以下、一部抜粋)
今の社会は、夢を持てとか、自分らしさを生かせとか、やたらとそういうことを子どもたちに強調する。道徳の授業もそうらしい。
夢に向かって努力することが生きる喜びになる、なんて書いてある。貧乏だった時代には、そんなこといわなかった。
「清貧」が、あの時代の道徳だったはずだ。最近の道徳の教科書に、そんな言葉は見つからない。
清く貧しく美しくなんてのは、もう流行らないらしい。
節約とか節制なんて言葉もあまり見かけなくなった。時代が変われば、道徳は変わるのだ。
だけど今の人類が置かれた立場を考えれば、むしろ夢を叶えようなんてことより、清貧の方が大事なんじゃないのか、と思う。
(途中略)
人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。その今を、10年後だか20年後だかの明日のために使ってどうしようというんだろう。
昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。
まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。
夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。俺は心の底からそう思っている。
どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。贅沢と幸福は別物だ。
慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。
そんなことは、誰でも知っている。だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。
頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。
そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。
だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。
参考 北野武さんが「夢を叶える事」について言及。その内容があまりにも深過ぎると話題に…