玉石混淆の潜在意識の浄化が自明行です。
自明行が進み、潜在意識の浄化も進んでくるに従い、
超越意識からの光が
顕在意識である表面意識に映し出されます。
日々の行で、潜在意識を浄化してゆく、
これ宇宙の大霊から授かった我々人間の生きる目的です。
そこに本当の幸せがあります。
悟りとはそうした幸せのことです。
→「完成の章_玉石混淆の潜在意識」で上のようなことを書きました。
そこで潜在意思の浄化とはどのようにすればよいのでしょう。
錯覚ベクトルと統一ベクトルが混在する→潜在意識です。
人間の運命は「思いどうりになる法則」に支配されてます。
ですので、実現して欲しくない思いを、潜在意識の中から消してしまう、
捨ててしまう、超越人格にお願いして整理してもらうのです。
言ってしまえば、幸せになるとは、潜在意識の浄化なのです。
まず「潜在意識」」の中にある錯覚ベクトルと統一ベクトル
とは何なんでしょう。
ベクトルとは思考の方向性ですので、
どのような考え方の思考か、ということでして、
そこでまず統一ベクトルとは?
はい、超越人格である守護の神霊の導きにそった思考か、
あるいは守護の神霊の導きを素直に受け入れられる心か?
ということなのです。
であるなら、我々人間には常にそうした導きが
常時ONであるわけで、そういう人には悪い事なり、
苦労を伴う事も起こらないのです。
起こったとしても、それを前向きに捉えられる
「心の姿勢」であるわけで、そのことに対して、
感謝の念さえ心に湧いてきます。
自分の身の回りで起こったことに対して
→「被害者意識」 や
→「偉い自分意識」の強くでてくる心であるならば、
そこにやがて苦しみが起こります。
その苦しみも、現実に起こってしまう「苦」と
今の段階で気づいてその苦の元を消してしまえば、
現実化しないよ、という「一次的事象の苦」と
現実に起こってしまった「苦」を
「二次的事象の苦」とに別れます。
それら「苦」は、超越人格である守護の神霊の導きに沿って
いないからでありまして、守護の神霊にしてみたら、
どうにか間違いに気づいてもらいたいとする
愛から起こる「苦」です。
であるならば 「一次的事象の苦」を「苦」の元であると
自覚できたらそれを消していただく、自分で捨てる。
あるいはそれは錯覚べクトルだから正しく方向を変えて、
「統一ベクトル」に変換しよう、とできるわけです。
とにかく、悪い雑草の種は発芽する前に処分、
これが最も手間もかからず楽です。
発芽してしまったら、大きく育たないうちに根から引き抜く。
その自覚、
それに気づくか気づかないかが「正しい苦しみの自覚」 が
出来るか、出来ないかに分かれます。
「正しい苦しみの自覚」は絶対いいわけです、
現実の不幸が起こらない前にその種を消せるわけですから、
その種が発芽する前に悪い種を処分してしまえば
不幸につながる「苦」の元は無くなるわけです。
さてどのように、潜在意識の中にドデンと居座ってる
「錯覚ベクトル」を探すのでしょう。
それは、貴方自身がそうした錯覚ベクトルを探して、
見つけたら捨てたい、あるいは超越人格である守護の神霊様に
お願いして消してもらおうと、本気で思っていなければ、
そうはなりません。
人生は「思いどうりに成る法則」
という宇宙の法則に支配されてるからです。
「錯覚ベクトル」についてもう少し詳しく、
具体的な内容などを書いてみたかったのですが、
それは、所詮、自分の経験した事では無く、
岩根先生の書かれた書籍に頼ろうとした……
なぜか、そのことに結構な苦痛を感じる。
これって、私自身の持つ「錯覚ベクトル」なのかも、
だろうな、であるならこの苦しみは、
この「錯覚ベクトル」の消えてゆく姿なのかもと、
感じる。
しばらくは、私のこの苦しみが消えるまで、
そしてこれが私の「一次的事象の苦」なのでしょう。
「偉い自分意識」もありそうです。
自らの心の中を内観しようと思います。
→顕在意識は無意識のスクリーン 知っていていいかも。
この動画は長いのですが、やはり見ておいて欲しい動画です
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