完成の章_潜在意識の浄化 | 宇宙の知恵☆人生を歩む地図

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「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

 

 

 

玉石混淆の潜在意識の浄化が自明行です。
自明行が進み、潜在意識の浄化も進んでくるに従い、

超越意識からの光が
顕在意識である表面意識に映し出されます。

日々の行で、潜在意識を浄化してゆく、

これ宇宙の大霊から授かった我々人間の生きる目的です。

そこに本当の幸せがあります。

悟りとはそうした幸せのことです。

「完成の章_玉石混淆の潜在意識」で上のようなことを書きました。

 

そこで潜在意思の浄化とはどのようにすればよいのでしょう。

錯覚ベクトルと統一ベクトルが混在する→潜在意識です。

人間の運命は「思いどうりになる法則」に支配されてます。

ですので、実現して欲しくない思いを、潜在意識の中から消してしまう、

捨ててしまう、超越人格にお願いして整理してもらうのです。

言ってしまえば、幸せになるとは、潜在意識の浄化なのです

 

まず「潜在意識」」の中にある錯覚ベクトルと統一ベクトル

とは何なんでしょう。
ベクトルとは思考の方向性ですので、

どのような考え方の思考か、ということでして、

そこでまず統一ベクトルとは?


はい、超越人格である守護の神霊の導きにそった思考か、

あるいは守護の神霊の導きを素直に受け入れられる心か?

ということなのです。

 
であるなら、我々人間には常にそうした導きが

常時ONであるわけで、そういう人には悪い事なり、

苦労を伴う事も起こらないのです。


起こったとしても、それを前向きに捉えられる

心の姿勢」であるわけで、そのことに対して、

感謝の念さえ心に湧いてきます。

自分の身の回りで起こったことに対して

「被害者意識」
「偉い自分意識」の強くでてくる心であるならば、

そこにやがて苦しみが起こります。


その苦しみも、現実に起こってしまう「苦」と
今の段階で気づいてその苦の元を消してしまえば、

現実化しないよ、という「一次的事象の苦」と 
現実に起こってしまった「苦」を

「二次的事象の苦」とに別れます。

それら「苦」は、超越人格である守護の神霊の導きに沿って

いないからでありまして、守護の神霊にしてみたら、

どうにか間違いに気づいてもらいたいとする

愛から起こる「苦」です。

であるならば
「一次的事象の苦」を「苦」の元であると

自覚できたらそれを消していただく、自分で捨てる。

あるいはそれは錯覚べクトルだから正しく方向を変えて、

「統一ベクトル」に変換しよう、とできるわけです。

 

とにかく、悪い雑草の種は発芽する前に処分、

これが最も手間もかからず楽です。

発芽してしまったら、大きく育たないうちに根から引き抜く。


その自覚、

それに気づくか気づかないかが「正しい苦しみの自覚」 が
出来るか、出来ないかに分かれます。

 「正しい苦しみの自覚」は絶対いいわけです、

現実の不幸が起こらない前にその種を消せるわけですから、
その種が発芽する前に悪い種を処分してしまえば
不幸につながる「苦」の元は無くなるわけです。

さてどのように、潜在意識の中にドデンと居座ってる

「錯覚ベクトル」を探すのでしょう。
それは、貴方自身がそうした錯覚ベクトルを探して、

見つけたら捨てたい、あるいは超越人格である守護の神霊様に

お願いして消してもらおうと、本気で思っていなければ、

そうはなりません。
人生は「思いどうりに成る法則」

という宇宙の法則に支配されてるからです。

 

「錯覚ベクトル」についてもう少し詳しく、
具体的な内容などを書いてみたかったのですが、
それは、所詮、自分の経験した事では無く、
岩根先生の書かれた書籍に頼ろうとした……

なぜか、そのことに結構な苦痛を感じる。
これって、私自身の持つ「錯覚ベクトル」なのかも、
だろうな、であるならこの苦しみは、
この「錯覚ベクトル」の消えてゆく姿なのかもと、
感じる。

しばらくは、私のこの苦しみが消えるまで、
そしてこれが私の「一次的事象の苦」なのでしょう。
「偉い自分意識」もありそうです。
自らの心の中を内観しようと思います。

 

顕在意識は無意識のスクリーン 知っていていいかも。

 

 

この動画は長いのですが、やはり見ておいて欲しい動画です

 

 

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