ログハウス・ビルドのブログ -18ページ目

防水コーキング

建築後ちょうど2年経過した 霧島市隼人町の A さんの

お宅へ

 

 

この秋ご夫妻で一階部分の塗装をされたそうで しっかりと良い色になっています

 

 

その上部をどう塗装するか検討中のご様子でしたので 

脚立や道板や命綱の使い方などをお話し致しました

 

 

9月にお伺いした時にログの亀裂を数ヶ所見ましたので 

充分乾燥したこの時期を見計らって

 

 

マスキングテープを両サイドに張り ログ専用の輸入コーキング剤をたっぷり埋め込みました

 

 

塗料と同系色で見辛いかと思いますが 手摺りの外側上部を一列埋めています

縦樋(タテドイ)追加設置

台風14号で雨漏りがあり 防水屋さんと屋根板金屋さんに見てもらった処 雨樋に溜まる落葉のこまめな除去だけでなく 縦樋の追加が提案されました

 

 

軒天の通気板を開口し 上の鉄板平樋と下の壁位置を

確認しながら 

 

 

鉄板樋に5個の穴を開け

 

 

上と下から二人で 結構厚めの鉄板を何種類もの鉄切り鋏で 縦樋の大きさに丸く開けられていきます

 

 

上から見るとこの様な状態です

 

 

平らな樋に取り付ける専用の塩ビ器具が用意され

 

 

たっぷりとシーリングボンドが付けられて 上下から固定されました

 

 

壁からの距離を見ながら 固定金具を三ヶ所に設置

 

 

塩ビ管を切断し

 

 

二ヶ所を直角に曲げて 垂直に落とします

 

 

通気板の上から加工した鉄板をかぶせ 鉄板用ドリルで穴を空け

 

 

14ヶ所を釘留めしていきます

 

 

鉄板と軒天との小さな隙間もシーリング剤できれいに埋められました

 

不足の器具が有り 今回は縦樋を仮り設置して 終了

双石山(ボロイシヤマ)

宮崎の登山愛好家に人気のある とても身近な山 宮崎市南部の双石山(ボロイシヤマ)に出掛けました

 

 

久し振りに来たので まずは高低差の少ない 頂上に一番近い 九平(ココノビラ)登山口から登ります

 

 

駐車場の直ぐ前に 「姥ヶ嶽(ウバガタケ)神社」の鳥居

 

 

そこから数百メートルの参道を歩き本殿へ そしてその裏が登山口

 

 

登山道の両側には大きな岩と 

 

 

その隙間に積もった腐葉土に根を下ろした木々

 

 

岩の造形の見事さと

 

 

木々の生命力に驚くばかり

 

 

いつもながら永い永い時の移ろいと 人間のちっぽけさを

思い知らされます

 

 

中には大きなこぶをこしらえた木も

 

 

倒木が土に帰り また新たな芽吹き その繰り返しが幾万年か

 

 

ようやく山頂へ 僅か509mと笑うなかれ 北アルプスなどを目指す宮崎の登山家達の 良い訓練場所と言われています

 

 

少し下って山小屋へ

 

 

きれいに片付けられて

 

 

上にはロフトも

 

 

曇り空に覆われて靄った眺めは少々残念でしたが 美味しい昼食に元気百倍

 

 

ゆるゆると引き返し 姥ヶ嶽神社の後ろには神水と言われる山水も

 

 

立派な社殿を巡り 無事に下山しました

次回は 足腰の状態が完璧な時に 小谷登山口からの

厳しい岩登りに挑みます

展示会

九州でも指折りの建材・設備機器卸会社「直方建材」の宮崎支店 西都市にある「(株)杷野」の展示会に朝一番で出掛けました

 

 

広い敷地には様々な材木が並び

 

 

大径木の柱材や

 

 

防腐防蟻剤加圧注入材

 

 

そして様々な樹種の平板

 

 

きれいに手が加わえられ すぐ使えそうな大きな製品もあります

 

 

装飾性のある壁掛け棚や

 

 

木目と色つやも見事な一点ものの時計

 

 

様々に使えそうな板に集成材の階段

 

 

人気の高い洗面流し用の焼き物

 

 

色鮮やかで壁やドアのワンポイントとして評判の良いステンドグラス

 

 

多くの設備機器メーカーの常設展示場では 既に来客が担当者の説明を受けています

 

 

実際に浴槽の中に入ったり蛇口や手摺りなど多くの付属品にも触れる事が出来ます

 

 

大工さんや専門工事業者さん達にも人気の 年々進化する電動工具

 

 

先般 床下専用の掃除機がコンクリートの細かい粉や鋸くず等を吸い込み過ぎて

壊れてしまい お二人のスタッフにご相談して 粉塵にも強いタイプを購入致しました 

センチメンタル ジャーニー

この20年 ホームショーなどで上京しても その後数日の東京散策は 隅田川の 両側や深川などの下町がほとんど 

時代小説の影響も有って 江戸の切絵図と今の地図を見比べながら 毎日2万から3万歩とよく歩きました

 

今回は半世紀前にお世話になった市ヶ谷の学生寮が建て替えられると聞き 久し振りに昔住んだ場所などを歩いてみました 

 

 

南北に二棟有り 手前は県職員の単身・家族寮等 北側には宮崎県出身で男子1年生だけの二人部屋

 

 

入口の看板も時代の流れを感じさせます

 

 

まだ建ったばかりの頃でしたが 北側の寮に様々な大学の学生だけが一年間

東京に少し慣れて酒など覚えだすと 門限を破って無謀にもこの渡り廊下でもない

コンクリートの上から帰還したものです

 

 

早稲田へ その昔まだ学生運動華やかなりし頃は この正門は常に閉じられ 汚い立て看板が敷地を取り囲んでいました

今日は高校生の学内見学がある様で 左に多くの制服姿の周りにガイド役の在校生 

 

 

久し振りに見る景色は あまり真面目な学生ではなかった為か どうもよそよそしく

感じます

 

 

学部のあった3号館内で ちょうど高校生に説明が行われていますが 昔の建物の一部を残して

 

 

その上に覆い被さる様な高層ビルへと変容しています

 

 

革マルと中核が乱入して大荒れの卒業式の後 学生証と卒業証書を交換する学部事務局窓口は この辺りだったと思いますが 跡形も無し 

定期試験は実施出来ずでほとんどのレポート提出に助けられましたが 卒業出来る単位に達していたのか不明で ヒヤヒヤしながら並んだのを思い出しました

 

 

時に送られてくる大学からの郵便物は 毎回寄付金の振込用紙が主役の文書で 中も見ずにゴミ箱へ直行

 

 

良い学生でも立派な卒業生でもなかったなぁと思いつつ 記憶に残る周辺の建物や食堂や居酒屋などを探して回りました

 

 

卒業してから何年も経って 勉強し直そうと社会人コース再入学を思い立ち 付属の中学高校横のこのアパートに引っ越しましたが 運悪く転勤となって実現せず 

勉強に見放されて現在に至っています

 

高田馬場に向かうバス停で Suicaが使えるかお聞きした方と車内で話をすると 何と偶然にも同じ学部学科の一年先輩 ほとんど忘れていた教授の名前が次々と出て来ます  しっかり勉強されて社会でも活躍された方とお見受けしました 

 

 

市ヶ谷の寮を出て選んだのは ジャズ喫茶やライブハウスの盛んだった高円寺

ほとんど建て替えられた建物の中に そのアパートがまだ生き残っていました 

一階角の四畳半 その角の紫陽花も少ししぼんで健在です

 

 

二つの路地を歩きましたが 見覚えの有ったのはこの魚屋さん 中を覗くと代替わりされた様子

 

 

そして次の引っ越し先は吉祥寺 

二階建て 廊下の南北に六畳間の並んだアパートは とっくの昔にマンションになり 今は塗り替え中の様です

 

 

手前の角の散髪屋さんは取り壊され 奥のスナックと質屋さんは健在

 

 

一番印象に強く残っていた八百屋さんは 取り壊されて近く住宅になるとか 

真向いの話好きな二代目商店主に この通りの様々な変容の歴史をお聞きしました

 

 

街中を歩くと その昔地下に大盛況のディスコが有ったビル バブル崩壊と共にパチンコ屋に変わり 今は薬局のようです

 

 

懐かしのライブハウス

 

 

お許しを頂いて タバコと酒の匂いが沁み込んだ店内をパチリ

 

 

ほとんど変わっていなかったのは 井の頭公園

ちょうどこの辺りを舞台とした中村雅俊「俺たちの旅」の頃  酒飲んで大騒ぎしたり

池の鯉を捕まえたり 奥に有る神田川湧水のように バカをした多くの事柄が記憶の底から湧き上がって来ます

 

 

ついでに翌日は 昔の仕事場やその関係の場所などを歩きましたが ビルはことごとく建て替えられて大型化し 歴史的建造物以外はどこも ほとんど目新しいビルに変貌していました 

大型のビルにしても50年も持たずに スクラップアンドビルドとなるものだなぁと 

どこでも見上げてばかり 東京の至る所が解体・建築現場の様相です

 

やっぱり 昭和の木造建築ひしめく下町の風情がしっくりきますし 年寄りの感傷にしっかり応えてくれるので 何度でも訪れたくなります 

 

これら全てが今回で見納めと 秋晴れの中 たっぷりと歩き回りました