センチメンタル ジャーニー
この20年 ホームショーなどで上京しても その後数日の東京散策は 隅田川の 両側や深川などの下町がほとんど
時代小説の影響も有って 江戸の切絵図と今の地図を見比べながら 毎日2万から3万歩とよく歩きました
今回は半世紀前にお世話になった市ヶ谷の学生寮が建て替えられると聞き 久し振りに昔住んだ場所などを歩いてみました
南北に二棟有り 手前は県職員の単身・家族寮等 北側には宮崎県出身で男子1年生だけの二人部屋
入口の看板も時代の流れを感じさせます
まだ建ったばかりの頃でしたが 北側の寮に様々な大学の学生だけが一年間
東京に少し慣れて酒など覚えだすと 門限を破って無謀にもこの渡り廊下でもない
コンクリートの上から帰還したものです
早稲田へ その昔まだ学生運動華やかなりし頃は この正門は常に閉じられ 汚い立て看板が敷地を取り囲んでいました
今日は高校生の学内見学がある様で 左に多くの制服姿の周りにガイド役の在校生
久し振りに見る景色は あまり真面目な学生ではなかった為か どうもよそよそしく
感じます
学部のあった3号館内で ちょうど高校生に説明が行われていますが 昔の建物の一部を残して
その上に覆い被さる様な高層ビルへと変容しています
革マルと中核が乱入して大荒れの卒業式の後 学生証と卒業証書を交換する学部事務局窓口は この辺りだったと思いますが 跡形も無し
定期試験は実施出来ずでほとんどのレポート提出に助けられましたが 卒業出来る単位に達していたのか不明で ヒヤヒヤしながら並んだのを思い出しました
時に送られてくる大学からの郵便物は 毎回寄付金の振込用紙が主役の文書で 中も見ずにゴミ箱へ直行
良い学生でも立派な卒業生でもなかったなぁと思いつつ 記憶に残る周辺の建物や食堂や居酒屋などを探して回りました
卒業してから何年も経って 勉強し直そうと社会人コース再入学を思い立ち 付属の中学高校横のこのアパートに引っ越しましたが 運悪く転勤となって実現せず
勉強に見放されて現在に至っています
高田馬場に向かうバス停で Suicaが使えるかお聞きした方と車内で話をすると 何と偶然にも同じ学部学科の一年先輩 ほとんど忘れていた教授の名前が次々と出て来ます しっかり勉強されて社会でも活躍された方とお見受けしました
市ヶ谷の寮を出て選んだのは ジャズ喫茶やライブハウスの盛んだった高円寺
ほとんど建て替えられた建物の中に そのアパートがまだ生き残っていました
一階角の四畳半 その角の紫陽花も少ししぼんで健在です
二つの路地を歩きましたが 見覚えの有ったのはこの魚屋さん 中を覗くと代替わりされた様子
そして次の引っ越し先は吉祥寺
二階建て 廊下の南北に六畳間の並んだアパートは とっくの昔にマンションになり 今は塗り替え中の様です
手前の角の散髪屋さんは取り壊され 奥のスナックと質屋さんは健在
一番印象に強く残っていた八百屋さんは 取り壊されて近く住宅になるとか
真向いの話好きな二代目商店主に この通りの様々な変容の歴史をお聞きしました
街中を歩くと その昔地下に大盛況のディスコが有ったビル バブル崩壊と共にパチンコ屋に変わり 今は薬局のようです
懐かしのライブハウス
お許しを頂いて タバコと酒の匂いが沁み込んだ店内をパチリ
ほとんど変わっていなかったのは 井の頭公園
ちょうどこの辺りを舞台とした中村雅俊「俺たちの旅」の頃 酒飲んで大騒ぎしたり
池の鯉を捕まえたり 奥に有る神田川湧水のように バカをした多くの事柄が記憶の底から湧き上がって来ます
ついでに翌日は 昔の仕事場やその関係の場所などを歩きましたが ビルはことごとく建て替えられて大型化し 歴史的建造物以外はどこも ほとんど目新しいビルに変貌していました
大型のビルにしても50年も持たずに スクラップアンドビルドとなるものだなぁと
どこでも見上げてばかり 東京の至る所が解体・建築現場の様相です
やっぱり 昭和の木造建築ひしめく下町の風情がしっくりきますし 年寄りの感傷にしっかり応えてくれるので 何度でも訪れたくなります
これら全てが今回で見納めと 秋晴れの中 たっぷりと歩き回りました




















