DVD恋し
今夜は9時からCATVの映画専門チャンネルで「ワルキューレ」が放映される。と言うわけで、今日はテレビを見たいので、ブログの記事はこれにて失礼!
あぁ~、それにしても早くDVDを見れるようにならないだろうか。見たい映画があってもこれでは何も見れやしない。DVDレコーダーを買わないといけないのは分かっているんだけれども、どうも最近は1万円を超えるものにはなかなか手を出せない。
まぁ、いつかは買わなきゃいけないわけだから、あれこれ気にするだけ無駄なんだろうが。
あぁ~、それにしても早くDVDを見れるようにならないだろうか。見たい映画があってもこれでは何も見れやしない。DVDレコーダーを買わないといけないのは分かっているんだけれども、どうも最近は1万円を超えるものにはなかなか手を出せない。
まぁ、いつかは買わなきゃいけないわけだから、あれこれ気にするだけ無駄なんだろうが。
刈り上げ
髪を伸ばしているとはいっても、伸しているのはアタマのテッペン周辺だけなので、横と後ろは刈り上げている。テッペンがぼうぼうに伸びるのは、一向に構わないというか、伸しているのでむしろ歓迎である。しかし、どの部分の髪の毛を伸すとか伸さないとかはコントロールすることができない。それができたら文句なし、と言いたいところだが、そうすると床屋の仕事がなくなってしまうので、それはそれでちょっと申し訳ない。幸か不幸か、髪の伸びる場所や早さや量などというのは、人間にはどうすることもできないのだ。放っておくしかない。後は、定期的に手入れをしてやるだけだ。
さて、アタマの横と後ろ側、当初は地肌が見える程度の短さだったのだが、最後の床屋に行ったのが12月末、つまり最後に手入れをしてから1ヶ月ちょっとが経過した。今では肌が見えないほどの長さになってしまった。これをどうにかして刈り上げたいのだが、さすがにこれだけのためにフルサービスの床屋に行くのは、ちょっと勿体ない。まぁ、床屋の売り上げに貢献できなくて、またまた申し訳なく思えてしまう。でも、ちょこっと刈り上げるだけで4000円近くも取られてしまうのは、割に合わないように思えてならないというのが本音である。たしかにそれだけの金額を払えばちゃんと手入れをしてくれるのはわかっているし、顔も剃ってくれるし、至れり尽くせりなのだが、それでもケチな私には勿体なく思えるのだ。
そこでどうするか考えている。
まず一案として、自分で髪を刈るという方法である。幸い、以前購入したバリカンがあるので、その気になれば自分でやれないこともない。しかし、面倒くさいというのが本音である。お金を使いたくない、かといって手間が掛かるのも納得できない……まぁ、なんとわがままなんだろうか。我ながら呆れてしまうが、そうなんだからしようがない。
もう一案としては最近見掛ける1000円カットに行ってみるか、というところである。1000円と言えば、ほぼ通常の床屋の4分の1の値段である。もちろん、洗髪もしてくれないわけだが、必要最低限の髪を刈るという目的さえ果たせれば、その値段で納得はできる。自分でやるだけの手間も掛からないし、楽という点においても勝っている。ただ、近所にそんな場所がないというのが問題だ。仕事の帰りに寄るというのも選択肢としてはあるのだが、いかんせん私が帰宅する時間にはどこも閉まっているのだ。
さぁて、どうしたものか……いい加減、手をいれないとちょっと見苦しくなってきた。
さて、アタマの横と後ろ側、当初は地肌が見える程度の短さだったのだが、最後の床屋に行ったのが12月末、つまり最後に手入れをしてから1ヶ月ちょっとが経過した。今では肌が見えないほどの長さになってしまった。これをどうにかして刈り上げたいのだが、さすがにこれだけのためにフルサービスの床屋に行くのは、ちょっと勿体ない。まぁ、床屋の売り上げに貢献できなくて、またまた申し訳なく思えてしまう。でも、ちょこっと刈り上げるだけで4000円近くも取られてしまうのは、割に合わないように思えてならないというのが本音である。たしかにそれだけの金額を払えばちゃんと手入れをしてくれるのはわかっているし、顔も剃ってくれるし、至れり尽くせりなのだが、それでもケチな私には勿体なく思えるのだ。
そこでどうするか考えている。
まず一案として、自分で髪を刈るという方法である。幸い、以前購入したバリカンがあるので、その気になれば自分でやれないこともない。しかし、面倒くさいというのが本音である。お金を使いたくない、かといって手間が掛かるのも納得できない……まぁ、なんとわがままなんだろうか。我ながら呆れてしまうが、そうなんだからしようがない。
もう一案としては最近見掛ける1000円カットに行ってみるか、というところである。1000円と言えば、ほぼ通常の床屋の4分の1の値段である。もちろん、洗髪もしてくれないわけだが、必要最低限の髪を刈るという目的さえ果たせれば、その値段で納得はできる。自分でやるだけの手間も掛からないし、楽という点においても勝っている。ただ、近所にそんな場所がないというのが問題だ。仕事の帰りに寄るというのも選択肢としてはあるのだが、いかんせん私が帰宅する時間にはどこも閉まっているのだ。
さぁて、どうしたものか……いい加減、手をいれないとちょっと見苦しくなってきた。
語彙力
TOEICの点数が高いからなのか、それともアメリカに6年間留学していたからなのか、何が理由なのか分からないが、私の周囲の人は、私の英語力をやや過信しているのではないかと思うことがある。人が良く私に聞いてくるのは、いきなり単語を指し示して、これの意味は何?ということである。私はTOEIC940点をとったこともあるし、アメリカに6年間いたこともあるが、勘違いしないでもらいたいのは、私は辞書ではないってことだ。世には「生き字引」という言葉もあるが、あれは私には当てはまらない。いきなり単語の意味を聞かれたって、なんて答えてよいのか分からない。
もちろん、意味が分からないわけではない。意味ぐらいは分かるのだが、それを日本語を訳すことができないのである。前後の流れがあるから、文章を訳して欲しいというのは、問題ないのだが、いきなり何の脈絡もなく単語の意味を聞かれてもこまるのだ。日本語もあいまいな言語かもしれないが、英語も一部ではストレートな表現が多いとは言われているけれども、それは文章や少なくとも熟語で現わしたときである。単語ひとつでは場合によっては何とでも理解できることがある。だから、簡単に「この単語の意味はこうである」と答えることができないのだ。おそらく、私よりも英語をちゃんと勉強している中学生や高校生や受験生に聞いた方が確かな答えが返ってくるだろう。
それに何と言っても英語を日本語に訳して考えるということができないのである。英語は英語でしか理解できない。おそらく私が英語を日本語に訳すことができるのであれば、小遣い稼ぎに翻訳の内職でもやっているかもしれないが、現実問題としてそれは無理である。英語は英語、日本語は日本語、だからだ。英語を日本語とか、その反対に日本語を英語、などというふうに頭の中での置き換えが難しくてしかたがない。英語で単語を見ても、そのイメージというか概念をアタマに思い描くことはできるのであるが、それを日本語にするということができないのである。うーん、考えようによっちゃ日本語の語彙が少ないのかもしれない。日本語をもっと知っていれば訳せるようになるのだろうか……などと思うのであるが、果たしてどうなんだろうか。
確かに言葉を多く知っていれば、そのイメージなりをそれらの言葉を使って説明することができるのかもしれないが、どうやらそれだけではないようにも思える。具体的にそれが何であるかは分からないのであるが……うーん、難しい。
こと言語について言えば、私は多重人格者なのかもしれない。ちなみに今でも英語で夢を見ることがある。もう10年以上もアメリカに行ってないのにね。不思議なもんだ。
もちろん、意味が分からないわけではない。意味ぐらいは分かるのだが、それを日本語を訳すことができないのである。前後の流れがあるから、文章を訳して欲しいというのは、問題ないのだが、いきなり何の脈絡もなく単語の意味を聞かれてもこまるのだ。日本語もあいまいな言語かもしれないが、英語も一部ではストレートな表現が多いとは言われているけれども、それは文章や少なくとも熟語で現わしたときである。単語ひとつでは場合によっては何とでも理解できることがある。だから、簡単に「この単語の意味はこうである」と答えることができないのだ。おそらく、私よりも英語をちゃんと勉強している中学生や高校生や受験生に聞いた方が確かな答えが返ってくるだろう。
それに何と言っても英語を日本語に訳して考えるということができないのである。英語は英語でしか理解できない。おそらく私が英語を日本語に訳すことができるのであれば、小遣い稼ぎに翻訳の内職でもやっているかもしれないが、現実問題としてそれは無理である。英語は英語、日本語は日本語、だからだ。英語を日本語とか、その反対に日本語を英語、などというふうに頭の中での置き換えが難しくてしかたがない。英語で単語を見ても、そのイメージというか概念をアタマに思い描くことはできるのであるが、それを日本語にするということができないのである。うーん、考えようによっちゃ日本語の語彙が少ないのかもしれない。日本語をもっと知っていれば訳せるようになるのだろうか……などと思うのであるが、果たしてどうなんだろうか。
確かに言葉を多く知っていれば、そのイメージなりをそれらの言葉を使って説明することができるのかもしれないが、どうやらそれだけではないようにも思える。具体的にそれが何であるかは分からないのであるが……うーん、難しい。
こと言語について言えば、私は多重人格者なのかもしれない。ちなみに今でも英語で夢を見ることがある。もう10年以上もアメリカに行ってないのにね。不思議なもんだ。
節分
今日は節分。節分と言ったら、やはり豆まきである。そして豆を年の数だけ食う。私は38歳なので、38個食えるのだが……そういやまだ食べていなかった。後で食べようか、それとも後日頂くとするか。でも、あれはやはり節分に食べるからこそ意味があるのか。とはいえ、あの豆はウマイ。節分じゃなくとも、いくらでも食えそうだ。
そういえば、最近は恵方巻なるものもよく見掛ける。あれは、いったいいつ頃から普及するようになったのだろうか。私が子供の頃はなかったような気がする。元々は関西の方の習慣だったらしいが、果たしていつからかそれが各地に広がったようだ。やはりマスコミの影響だろうか。それとも、コンビニの影響だろうか。うーむ、考えてみると、コンビニの全国展開に伴って、広がったのではないだろうかと、私は考える。確たる根拠があるわけではないが、昔はコンビニというものがあまりなかったではないか。思えば至る所でコンビニを見掛けるようになってから、節分に恵方巻を見るようになった気がする。そして、コンビニが売るようになってから、それ以外のスーパーとかでも販売するようになったのでは……などと、すべては私の勝手な想像なのである。だから、違うかもしれないが。
さて、恵方巻。ただの太巻きのように思えるのだが、ちょん切られていないのが普通の太巻きとは違うところだろう。もちろん、店によっては普通の太巻きも切らずに一本のまま売るところもあるかもしれないが。そもそも、太巻きというものを普段の生活で食べることは少ないのではないか。だから、節分に恵方巻を売り出すとついつい手が出てしまうのである。
というわけで、私も買って帰ろうと思ったのだが……仕事が遅かったので、どこを見ても売り切れだった。いや、スッカラカンというわけではない。売っているところもあるにはあったのだが、私が欲しいものではなかった。今日の気分的に、「ヒレカツ巻」もしくは「エビフライ巻」が欲しかったのである。まぁ、太巻きにしては邪道かもしれないけどね。まぁ、揚げ物が欲しかっただけなのかもしれない。しかし、どこを見てもその系統の巻物は売ってないか、すでに売り切れなのである。結局4軒くらいスーパーやらを見て回ったのだが、売っているとしても海鮮巻しかない。海鮮の気分じゃないんだって。
でも、さすがに節分なのに手ぶらで帰るのは惜しいと思ったわけだ。で、恵方巻を買う予定が、結局コレになったのである。
ローソンの「プレミアムティラミス」、うん、全然恵方巻には見えない。
でも家に帰ったら、ちゃんと用意してありました。
太巻きは太巻きでも、普通のとはちょっと違います。「韓国風」です。中にはキムチも入ってますし、ごま油で味付けもしてあります。これはこれで、なかなかオイシイ。
それにしても、色々と食べるものがあるのは、感謝なことですね。
そういえば、最近は恵方巻なるものもよく見掛ける。あれは、いったいいつ頃から普及するようになったのだろうか。私が子供の頃はなかったような気がする。元々は関西の方の習慣だったらしいが、果たしていつからかそれが各地に広がったようだ。やはりマスコミの影響だろうか。それとも、コンビニの影響だろうか。うーむ、考えてみると、コンビニの全国展開に伴って、広がったのではないだろうかと、私は考える。確たる根拠があるわけではないが、昔はコンビニというものがあまりなかったではないか。思えば至る所でコンビニを見掛けるようになってから、節分に恵方巻を見るようになった気がする。そして、コンビニが売るようになってから、それ以外のスーパーとかでも販売するようになったのでは……などと、すべては私の勝手な想像なのである。だから、違うかもしれないが。
さて、恵方巻。ただの太巻きのように思えるのだが、ちょん切られていないのが普通の太巻きとは違うところだろう。もちろん、店によっては普通の太巻きも切らずに一本のまま売るところもあるかもしれないが。そもそも、太巻きというものを普段の生活で食べることは少ないのではないか。だから、節分に恵方巻を売り出すとついつい手が出てしまうのである。
というわけで、私も買って帰ろうと思ったのだが……仕事が遅かったので、どこを見ても売り切れだった。いや、スッカラカンというわけではない。売っているところもあるにはあったのだが、私が欲しいものではなかった。今日の気分的に、「ヒレカツ巻」もしくは「エビフライ巻」が欲しかったのである。まぁ、太巻きにしては邪道かもしれないけどね。まぁ、揚げ物が欲しかっただけなのかもしれない。しかし、どこを見てもその系統の巻物は売ってないか、すでに売り切れなのである。結局4軒くらいスーパーやらを見て回ったのだが、売っているとしても海鮮巻しかない。海鮮の気分じゃないんだって。
でも、さすがに節分なのに手ぶらで帰るのは惜しいと思ったわけだ。で、恵方巻を買う予定が、結局コレになったのである。

ローソンの「プレミアムティラミス」、うん、全然恵方巻には見えない。
でも家に帰ったら、ちゃんと用意してありました。

太巻きは太巻きでも、普通のとはちょっと違います。「韓国風」です。中にはキムチも入ってますし、ごま油で味付けもしてあります。これはこれで、なかなかオイシイ。
それにしても、色々と食べるものがあるのは、感謝なことですね。
小銭入れ
今日は夕方から客先で打ち合わせがあったので、午後になってから事務所を出たら……事務所の入っているビルの通用口を出たところで、小銭入れを机の上に置きっぱなしにしたままだったことに気付いた。これは、取りに戻るべきかどうか、今ならぎりぎり間に合うかもしれないし、間に合わないかも知れない……などと一瞬考えたのであるが、財布でもなければ、携帯でもないし、iPhoneでもない。小銭入れくらい無くても大丈夫だろうと言うことで、結局引き返さずに、小銭入れを放置したまま出掛けてしまった。それに最近は節約をしているので、小銭を使う機会も減っているので、半日くらい小銭入れがなくとも生活に困ることはない。
私の小銭入れは今頃、誰もいない事務所の机の上でひっそりと明日、私が来るのを待っていることだろう。
さてさて本来であれば、小銭入れを忘れたら、誰かに盗られてしまったらどうしようかなどと、ちょっとくらい心配してもよいのかもしれないが、なぜかそのような不安が全くない。果たして、喜ぶべきか、悲しむべきか。職場に人の小銭入れを盗るような人間はいないから心配ない、という理由もあるにはあるのだが、それよりもむしろ盗られたところで大して痛くもない程度の金額しか小銭入れに入っていないからという理由もある。小銭入れの中身なんていうのは、早晩消えてなくなってしまうものではないか。使ってなくなろうが、盗られてなくなろうが、無くなってしまう事実に変りはない。使ったら使ったで、何か形を変えて残る……と言いたいところだが、実際のところ小銭を使って購入するものは、まず99%消えて無くなるものであろう。もっと具体的に言うと、飲み物と食べ物くらいである。それもなにかちゃんとしたごちそうではなく、ペットボトルのお茶とか、チョコボールとか、その程度のものでしかない。むしろ小銭入れの中身より小銭入れの方が高価なくらいである。
いや、正確に言うと、高価だった、と言うべきかもしれない。でも、もう数年以上も使い続けた小銭入れはぼろぼろで表面もだいぶ痛んでおり、中の厚紙が見えてしまうくらいだ。それでも実用に耐えているのだから、やはり良いものを使うと長持ちをするものだ。とは言っても、さすがにこんなみすぼらしい小銭入れを盗ろうなどと思う者はいないだろう。おまけに見るからに、汗と手垢がしみこんで、なんだかニオイそうな感じの小銭入れである。これに触ろうなどと思うほど、度胸のあるヤツはおるまい!
だから、私の小銭入れは、中の小銭と一緒に、人の目に付くところに半日ほど放置されていても安泰であろう。もっとも不特定多数の人が通り場所ではその限りではないだろうが。
しかしながら、一円を笑う者は一円に泣く(?)とも言うではないか。わずかな小銭だとしても大事にしていこう。塵も積もれば何とやら、とも言うくらいだからね。次回は置き忘れることのない様にしないとね。
私の小銭入れは今頃、誰もいない事務所の机の上でひっそりと明日、私が来るのを待っていることだろう。
さてさて本来であれば、小銭入れを忘れたら、誰かに盗られてしまったらどうしようかなどと、ちょっとくらい心配してもよいのかもしれないが、なぜかそのような不安が全くない。果たして、喜ぶべきか、悲しむべきか。職場に人の小銭入れを盗るような人間はいないから心配ない、という理由もあるにはあるのだが、それよりもむしろ盗られたところで大して痛くもない程度の金額しか小銭入れに入っていないからという理由もある。小銭入れの中身なんていうのは、早晩消えてなくなってしまうものではないか。使ってなくなろうが、盗られてなくなろうが、無くなってしまう事実に変りはない。使ったら使ったで、何か形を変えて残る……と言いたいところだが、実際のところ小銭を使って購入するものは、まず99%消えて無くなるものであろう。もっと具体的に言うと、飲み物と食べ物くらいである。それもなにかちゃんとしたごちそうではなく、ペットボトルのお茶とか、チョコボールとか、その程度のものでしかない。むしろ小銭入れの中身より小銭入れの方が高価なくらいである。
いや、正確に言うと、高価だった、と言うべきかもしれない。でも、もう数年以上も使い続けた小銭入れはぼろぼろで表面もだいぶ痛んでおり、中の厚紙が見えてしまうくらいだ。それでも実用に耐えているのだから、やはり良いものを使うと長持ちをするものだ。とは言っても、さすがにこんなみすぼらしい小銭入れを盗ろうなどと思う者はいないだろう。おまけに見るからに、汗と手垢がしみこんで、なんだかニオイそうな感じの小銭入れである。これに触ろうなどと思うほど、度胸のあるヤツはおるまい!
だから、私の小銭入れは、中の小銭と一緒に、人の目に付くところに半日ほど放置されていても安泰であろう。もっとも不特定多数の人が通り場所ではその限りではないだろうが。
しかしながら、一円を笑う者は一円に泣く(?)とも言うではないか。わずかな小銭だとしても大事にしていこう。塵も積もれば何とやら、とも言うくらいだからね。次回は置き忘れることのない様にしないとね。