みぞれ
雨にもなれず、雪にもなれず……中途半端な状態で空から降ってくるみぞれである。あまりにマイナーな存在であるがために、漢字でどう書くのかさえ知らない。いや、知らないのは私だけかもしれないが。でも、みぞれという漢字を習った記憶がないし、本を読んでもそれっぽい字を見たことがない。習ったことがないのに、見ても分かるか、と言われてしまうと、ちょっと自信がないが、でも漢字なんていうのは習ったことがなかったり、忘れてしまったりしても、なんとなく感覚である程度分かるものである。ちなみに、PCで「みぞれ」と打って変換してみると「霙」という字がでてくるが、こんな字見たこと無いぞって感じである。
あれこれ考えてみるのだが、結局のところ「みぞれ」は「みぞれ」と書くのが一番しっくりくる。
そういえば、英語でみぞれは何というのだろう。雨は"rain"だし、雪は"snow"である。アメリカに6年間住んでいた私であるが、みぞれを意味する単語を知らないということに今さらながらに気がついてしまった。どうやらみぞれというのは日本だけでなく、アメリカでも目立たぬ存在なのかもしれない。もしかしたら、他の国でも同様なのかもしれないが、いや、本当のところはどうなのだろう。あまり広い世界のことは私には分からないが。
さて、みぞれ……あまりにも目立たない存在なのか、天気予報にも「みぞれ」を示すマークが出てこない。出てこないから、存在しない、というのはちょっと短絡的な考え方かもしれないが、どうにもあるようには思えない。天気予報でも曇り時々雪、雪のち晴れ、というのは聞いたことがあるけど、曇り時々みぞれとか、みぞれのち晴れ、というのは聞いたことがない。雪ところによりみぞれというのは聞いたことがあるかもしれないが、私が今までに聞いた限りでは、みぞれというのが重要なポジションにいたためしがない。
でも、表舞台に登場しないからといって、みぞれというのが存在しないわけではない。今日は予報では「雪」だったけれども実際は「みぞれ」であった。なんで天気予報はみぞれと言わないのだろうか。やはり謎である。雪国ならともかく、比較的温暖な関東地方では、雪もみぞれも降るし、むしろ雪の予報でも、実際には雪にならずにみぞれで終わってしまうことが往々にしてあるではないか。みぞれならみぞれとはっきり言ってくれた方が、助かると思うんだけどなぁ。
それとも何だ?気象学的にはみぞれというものが存在しないのか?あれは雪と分類されているのか?うーむ、専門家ではないからよく分からない。
あれこれ考えてみるのだが、結局のところ「みぞれ」は「みぞれ」と書くのが一番しっくりくる。
そういえば、英語でみぞれは何というのだろう。雨は"rain"だし、雪は"snow"である。アメリカに6年間住んでいた私であるが、みぞれを意味する単語を知らないということに今さらながらに気がついてしまった。どうやらみぞれというのは日本だけでなく、アメリカでも目立たぬ存在なのかもしれない。もしかしたら、他の国でも同様なのかもしれないが、いや、本当のところはどうなのだろう。あまり広い世界のことは私には分からないが。
さて、みぞれ……あまりにも目立たない存在なのか、天気予報にも「みぞれ」を示すマークが出てこない。出てこないから、存在しない、というのはちょっと短絡的な考え方かもしれないが、どうにもあるようには思えない。天気予報でも曇り時々雪、雪のち晴れ、というのは聞いたことがあるけど、曇り時々みぞれとか、みぞれのち晴れ、というのは聞いたことがない。雪ところによりみぞれというのは聞いたことがあるかもしれないが、私が今までに聞いた限りでは、みぞれというのが重要なポジションにいたためしがない。
でも、表舞台に登場しないからといって、みぞれというのが存在しないわけではない。今日は予報では「雪」だったけれども実際は「みぞれ」であった。なんで天気予報はみぞれと言わないのだろうか。やはり謎である。雪国ならともかく、比較的温暖な関東地方では、雪もみぞれも降るし、むしろ雪の予報でも、実際には雪にならずにみぞれで終わってしまうことが往々にしてあるではないか。みぞれならみぞれとはっきり言ってくれた方が、助かると思うんだけどなぁ。
それとも何だ?気象学的にはみぞれというものが存在しないのか?あれは雪と分類されているのか?うーむ、専門家ではないからよく分からない。
寒くなるらしい
なんでも予報では今夜から明日にかけて雪が降るとか。雪が降るのは構わないのだが、せめて三連休だけは避けてもらいたかったのだが、さてどうなることやら……どうやら今のところはまだ降っていない様子である。予報が外れてせめて、明日一日くらは晴れてもらいたいものだ。土曜日に雪になるのであれば、それはそれで妥協できるのであるが。うーむ。
それにしても、休日に降る雪と、平日に降る雪、どちらがありがたいだろうが。冬は雪が降って当然の、雪国で生活する人たちにとっては、愚にも付かぬ問いかもしれないが、滅多に雪の降らない関東に住む私にとっては、なかなか切実な問題なのである。
さて休日に雪が降ると、どこにも行けずに家でのんびり過すことができて、それはそれでありがたい。ところが休みの日に何かをしようと思っているときに雪が降ってしまうと、予定が狂いかねない。ましてやクルマで出掛けようなんて予定していたら、全部の予定がキャンセルになってしまう。電車を使うのであれば、まだ何とかなるかも知れないが、それでも子供いれて4人で出掛けようというのは、無謀過ぎる。が、幸いにも、この連休にその予定はない。もっとも雪が降ったら降ったで、雪だるまでも作っていれば、結構幸せな気分になれるけどね。
一方、平日の雪は、場合によっては仕事に行けなくなってしまう。いや、それは困るようなことではないな。仕事に行かなくて済むのであれば何よりである。よほどの重大な用件でもあるのなら別かも知れないが、一日二日待てる程度の用件であれば、無理に出掛けないほうがいいだろう。ただでさえ遠い職場なのに、電車が遅延しようものなら、いつ職場に到達できるかまるで見当もつかないだろう。おまけに靴も靴下もズボンもぐっちゃぐっちゃで悲惨な状況になりかねない。
というわけで、結論はこうかもしれない……休日だろうが、平日だろうが雪が降り積もれば、日常の生活はとまってしまうので、どちらにしても大差ない。数年のうちに唯一、大きな雪だるまを作ることのできる特別な日になることは間違いあるまい。
さぁ、明日の天気はいかに!?
それにしても、休日に降る雪と、平日に降る雪、どちらがありがたいだろうが。冬は雪が降って当然の、雪国で生活する人たちにとっては、愚にも付かぬ問いかもしれないが、滅多に雪の降らない関東に住む私にとっては、なかなか切実な問題なのである。
さて休日に雪が降ると、どこにも行けずに家でのんびり過すことができて、それはそれでありがたい。ところが休みの日に何かをしようと思っているときに雪が降ってしまうと、予定が狂いかねない。ましてやクルマで出掛けようなんて予定していたら、全部の予定がキャンセルになってしまう。電車を使うのであれば、まだ何とかなるかも知れないが、それでも子供いれて4人で出掛けようというのは、無謀過ぎる。が、幸いにも、この連休にその予定はない。もっとも雪が降ったら降ったで、雪だるまでも作っていれば、結構幸せな気分になれるけどね。
一方、平日の雪は、場合によっては仕事に行けなくなってしまう。いや、それは困るようなことではないな。仕事に行かなくて済むのであれば何よりである。よほどの重大な用件でもあるのなら別かも知れないが、一日二日待てる程度の用件であれば、無理に出掛けないほうがいいだろう。ただでさえ遠い職場なのに、電車が遅延しようものなら、いつ職場に到達できるかまるで見当もつかないだろう。おまけに靴も靴下もズボンもぐっちゃぐっちゃで悲惨な状況になりかねない。
というわけで、結論はこうかもしれない……休日だろうが、平日だろうが雪が降り積もれば、日常の生活はとまってしまうので、どちらにしても大差ない。数年のうちに唯一、大きな雪だるまを作ることのできる特別な日になることは間違いあるまい。
さぁ、明日の天気はいかに!?
聖書の話題
ついこの前の日曜日のことだが、毎朝のように新聞を読んでいたら、日経BP社(名は体を現わすということで、日経新聞社の子会社なんですね)の「日経おとなのOFF」という雑誌の宣伝が第1面に載っていた。普段なら流して見るところなのであるが、今回ばかりは私の目をひいてしまった。なんせ特集記事が「聖書入門」なんだもん。どんなことが書いてあるのかちょっと気になるじゃないですか。不真面目かもしれないけど、こんな私だって世間から見たら「クリスチャン」のハシクレなんだから。
というわけで、さっそくその日のうちに買ってみた。幸い、ちょうどクルマの6ヶ月点検とリコール対応の日でもあったので、クルマをディーラーに預けて、ちょっと本屋まで出掛ける余裕もあった。なんせ、点検とリコール対応で2時間半くらい掛かるというのが、ディーラーの説明だったわけだ。おかげで本屋に行っても、まだまだ時間があったので、さっそく本屋の近所のスターバックスへ。これで雑誌の記事も読めるし、時間もつぶせるから一挙両得。
何でだろうね、最近一般のメディアで聖書が取り上げられる機会が多いように思えるのだが……私の気のせいだろうか。昨年は、「PEN」という雑誌で特集が組んであったし、今回は日経BP社の雑誌である。当然、うさんくさい雑誌ではなく、ちゃんとしたところから出版されているのだから不思議なもんだ。「PEN」でも「おとなのOFF」でも、どちらを読んでも共通しているところは「西洋文化を理解するには聖書(キリスト教)を知ってべき」という観点から書かれているということである。きっかけは何であれ、聖書やキリスト教が一般に知られるというのは、歓迎する。
読んで意外と思うのは、キリスト教についての解説が結構正確であるということだ。否定するでもなく、肯定するでもなく、中立した立場から淡々と解説されている。やはり一流のメディアだからなせるわざなのだろうか。
もっとも、キリスト者としての立場から見れば「これは違うだろう」と思える箇所もあるにはある。が、信仰書ではないから、それくらいも構わないだろう。むしろ、そのような考えは雑誌そのもののスタンスではなく、編集者が意見を求めた、もしくは取材した、いわゆる学者、研究者、専門家の意見に見られることが多い。おそらく信仰を持った人に聞けば、別の意見も聞かれるだろうに、と思うのであるが、やはり中立した立場を維持するのであれば、信仰者に質問するのは、どちらか一方の肩を持つことになるので雑誌としても避けたいのかもしれない。
何はともあれ、一般の人には未知なる部分が多い、聖書、キリスト教が人々の知るところになるのは良いことだろう。私のブログを読むよりは有益だと思うよ。

というわけで、さっそくその日のうちに買ってみた。幸い、ちょうどクルマの6ヶ月点検とリコール対応の日でもあったので、クルマをディーラーに預けて、ちょっと本屋まで出掛ける余裕もあった。なんせ、点検とリコール対応で2時間半くらい掛かるというのが、ディーラーの説明だったわけだ。おかげで本屋に行っても、まだまだ時間があったので、さっそく本屋の近所のスターバックスへ。これで雑誌の記事も読めるし、時間もつぶせるから一挙両得。
何でだろうね、最近一般のメディアで聖書が取り上げられる機会が多いように思えるのだが……私の気のせいだろうか。昨年は、「PEN」という雑誌で特集が組んであったし、今回は日経BP社の雑誌である。当然、うさんくさい雑誌ではなく、ちゃんとしたところから出版されているのだから不思議なもんだ。「PEN」でも「おとなのOFF」でも、どちらを読んでも共通しているところは「西洋文化を理解するには聖書(キリスト教)を知ってべき」という観点から書かれているということである。きっかけは何であれ、聖書やキリスト教が一般に知られるというのは、歓迎する。
読んで意外と思うのは、キリスト教についての解説が結構正確であるということだ。否定するでもなく、肯定するでもなく、中立した立場から淡々と解説されている。やはり一流のメディアだからなせるわざなのだろうか。
もっとも、キリスト者としての立場から見れば「これは違うだろう」と思える箇所もあるにはある。が、信仰書ではないから、それくらいも構わないだろう。むしろ、そのような考えは雑誌そのもののスタンスではなく、編集者が意見を求めた、もしくは取材した、いわゆる学者、研究者、専門家の意見に見られることが多い。おそらく信仰を持った人に聞けば、別の意見も聞かれるだろうに、と思うのであるが、やはり中立した立場を維持するのであれば、信仰者に質問するのは、どちらか一方の肩を持つことになるので雑誌としても避けたいのかもしれない。
何はともあれ、一般の人には未知なる部分が多い、聖書、キリスト教が人々の知るところになるのは良いことだろう。私のブログを読むよりは有益だと思うよ。
草食系
最近……でもないかもしれない。去年の話だったかな、草食系男子とかいう言葉がちょっと流行った。ここしばらく言われていることだが、日本の若者は世界に出て行かないということを新聞などでよく目にする。留学生でも最近は中国や韓国出身の学生のが優秀だそうな。日本の学生には勢いがないとか。いや、それ以前に数も減っているとか。
私は日本にいるのがイヤになって海外に出て行った若者の一人であったが、ずいぶん昔のことのように思えてしまう。日本を飛び出したものの、結局最後には帰ってきたのであるが……そして帰ってきてから13年も過ぎてしまった。思えばあのとき帰ってきてなかったら、今頃私は何をしていただろうか。もっとも世界の歴史に「もし」がないように、私の人生にも「もし」というのは存在しないのである。考えたところで、昔が懐かしく思い出されるだけだ。あまり感傷的になっても得るものはない。
結局日本に帰ってからの後は旅行以外で海外に行ったことはない。それも最後に海外に行ったのは8年半前の新婚旅行である。それ以後、海外に行ったことがないどころか、飛行機に乗ったこともないし、本州から出たことすらない。せいぜい遠くと言っても、長野とか三重くらいである。日本を飛び出した私が、今や家と職場の往復だけの日々を過すようになってしまった。思えば、ツマラナイ人間になってしまったものだ。私という人間がつまらないのか、それとも私の過している日々がつまらないのか。いや、両方かもしれない。
さてそんなツマラナイ私であるが、世界のどこにでも行こうと思えば行ける、たどり着けるだけの自信はある。もちろん、今の私にはそれだけの資金がないが、誰かが資金を出してくれさえすれば、嬉々として行くだろう。人間の住んでいるところであれば、世界中どこにでも行ってみせるぜ!と思っているのだが、空威張りになってしまうのだろうか。またその反対もできるだろうと思う。極端な話、仕事の帰り道に拉致されて、袋をアタマにかぶせられて、麻酔薬を注射されて、次に目を覚ましたら、ブルカをまとった女性やAK47で武装した男性が闊歩しているどこかの市場に放置されていた……ということになっても、何とか自力で家に帰れるという自信もある。残念ながら試す機会には恵まれないが。
なんてことを妄想しながら、明日も通勤列車に運ばれて仕事に行くわけだ。その他大勢の一人になるわけで……ツマンネェー。
私は日本にいるのがイヤになって海外に出て行った若者の一人であったが、ずいぶん昔のことのように思えてしまう。日本を飛び出したものの、結局最後には帰ってきたのであるが……そして帰ってきてから13年も過ぎてしまった。思えばあのとき帰ってきてなかったら、今頃私は何をしていただろうか。もっとも世界の歴史に「もし」がないように、私の人生にも「もし」というのは存在しないのである。考えたところで、昔が懐かしく思い出されるだけだ。あまり感傷的になっても得るものはない。
結局日本に帰ってからの後は旅行以外で海外に行ったことはない。それも最後に海外に行ったのは8年半前の新婚旅行である。それ以後、海外に行ったことがないどころか、飛行機に乗ったこともないし、本州から出たことすらない。せいぜい遠くと言っても、長野とか三重くらいである。日本を飛び出した私が、今や家と職場の往復だけの日々を過すようになってしまった。思えば、ツマラナイ人間になってしまったものだ。私という人間がつまらないのか、それとも私の過している日々がつまらないのか。いや、両方かもしれない。
さてそんなツマラナイ私であるが、世界のどこにでも行こうと思えば行ける、たどり着けるだけの自信はある。もちろん、今の私にはそれだけの資金がないが、誰かが資金を出してくれさえすれば、嬉々として行くだろう。人間の住んでいるところであれば、世界中どこにでも行ってみせるぜ!と思っているのだが、空威張りになってしまうのだろうか。またその反対もできるだろうと思う。極端な話、仕事の帰り道に拉致されて、袋をアタマにかぶせられて、麻酔薬を注射されて、次に目を覚ましたら、ブルカをまとった女性やAK47で武装した男性が闊歩しているどこかの市場に放置されていた……ということになっても、何とか自力で家に帰れるという自信もある。残念ながら試す機会には恵まれないが。
なんてことを妄想しながら、明日も通勤列車に運ばれて仕事に行くわけだ。その他大勢の一人になるわけで……ツマンネェー。
バリカン
先日の話の続きになるが、結局物は試しとばかりに、自分でバリカンを使っ横と後ろの余計な髪の気を刈り上げてみた。それが土曜の夜の話。今日は月曜日。特に誰も何も言わないところをみると、目立つほどヘンなところはないのかもしれない。それとも、ヘンなところを見つけても遠慮して言えないだけなのか……でも実際は気付いていない人の方が多いのかも知れない。考えようによっては、誰からも気付かれないってことは、違和感がないってことで成功なのかもしれない。
しかし自分で自分の髪の毛をバリカン使って刈り上げるのは、結構難儀なものである。まず右利きだから、右側を手入れするのは、さほど難しいことでもない。問題は反対の左側。左手を使えればいいんだけれども、左手を自由に動かすなんて、そんな器用なことは私にはできない。だから右手で左側もやるわけであるが、これがまた一苦労である。それだけじゃない。後ろ側も大変である。何が大変って、そりゃー見えないからね。自分がどこをどう刈っているのか、手で触れた感触から想像するしかない。
そんなこんなで苦労しながらやったから結局30分近くも掛かってしまった。おまけに後始末が大変。洗面所やら風呂場やらが髪の毛だらけになってしまった。掃除と片付けで、さらに10分くらい掛かったかもしれない。結局40分近くも費やしてしまった。まぁ、安上がりなのはいいけれどね、やはり次回は1000円カットにでも挑戦してみようかと思う。1000円カットと自分でカット、果たしてどちらがよいのだろうか。
あぁ、それと、やはり自分でやるのは、素人だからそれなりのリスクっていうのは避けられない。私も刈り終わってから、髪の毛を引っ張ったら、伸していた貴重な髪の毛が100本くらいの単位でガバッと抜けてきてしまった。どうやら、間違えて切ってしまったようである。幸い、髪の毛は多い方だから、100本程度で困ることはないんだけれども、いやぁ、やっぱり難しい。丸坊主にするのは簡単だろうけど、横と後ろだけ刈り上げるっていうのは、なかなかどうして、難しいものだ。
でも、時間を難しさと失敗するリスクを覚悟すれば、半年は床屋に行かずに済みそうだ。が、それでは床屋に申し訳ない……と、結局振り出しに戻ってしまうのであるが。いやはや。
しかし自分で自分の髪の毛をバリカン使って刈り上げるのは、結構難儀なものである。まず右利きだから、右側を手入れするのは、さほど難しいことでもない。問題は反対の左側。左手を使えればいいんだけれども、左手を自由に動かすなんて、そんな器用なことは私にはできない。だから右手で左側もやるわけであるが、これがまた一苦労である。それだけじゃない。後ろ側も大変である。何が大変って、そりゃー見えないからね。自分がどこをどう刈っているのか、手で触れた感触から想像するしかない。
そんなこんなで苦労しながらやったから結局30分近くも掛かってしまった。おまけに後始末が大変。洗面所やら風呂場やらが髪の毛だらけになってしまった。掃除と片付けで、さらに10分くらい掛かったかもしれない。結局40分近くも費やしてしまった。まぁ、安上がりなのはいいけれどね、やはり次回は1000円カットにでも挑戦してみようかと思う。1000円カットと自分でカット、果たしてどちらがよいのだろうか。
あぁ、それと、やはり自分でやるのは、素人だからそれなりのリスクっていうのは避けられない。私も刈り終わってから、髪の毛を引っ張ったら、伸していた貴重な髪の毛が100本くらいの単位でガバッと抜けてきてしまった。どうやら、間違えて切ってしまったようである。幸い、髪の毛は多い方だから、100本程度で困ることはないんだけれども、いやぁ、やっぱり難しい。丸坊主にするのは簡単だろうけど、横と後ろだけ刈り上げるっていうのは、なかなかどうして、難しいものだ。
でも、時間を難しさと失敗するリスクを覚悟すれば、半年は床屋に行かずに済みそうだ。が、それでは床屋に申し訳ない……と、結局振り出しに戻ってしまうのであるが。いやはや。