あるキリスト者のつぶやき… -6ページ目

ラノベ

「ラノベ」という小説のジャンルがあるという。ライトノベルの略である。いくら私が読書好きだと言っても、私にも好きなジャンルとそうでないものがあるので、読んだことはない。ネットとかでたまに話題に……その文章の酷さゆえに……なったりすることがあるので、たまに一部抜粋されたものを目にすることがある程度だ。まぁ、それを見るだけでも、確かに、ヒドイというのが正直な感想である。もっとも、ヒドイから話題になるのだから、仕方がないのかもしれない。もしかしたら、中にはマシなのもあるのかもしれないが……いや、やっぱりないのかな。読んだことがないので、判断することはできない。

ところで、今朝電車に乗っていたら、横に座っていたちょっとオタクっぽい雰囲気に青年が、必死になって携帯で何か打っているではないか。器用に両手を使って打っているのだから、たいしたもんだ、最近の若いのは。私は片手でしかうてない。iPhoneを横にしてQWERTYキーボードを出せばようやく両手で打てるくらいのもんである。

何をせっせと打ってるのかと思って、いやぁ、まったく私も性格が悪いけど、ちょっと覗いて見てしまった。えぇ?プライバシーの侵害?んなの知ったことか。見られて困るようなもんなら人前でやるなよって言い返すまでだ。そんなこと気にするくらいなら、隠れてやるか、せめて画面を隠すフィルムでも貼れよってんだ。見えるから見ちゃうんだろう、なーんていうのは私の言い訳かしらね。

それはそれでおいとくとして、その青年、必死になってプチプチやってるもんだから、メールでもやっているのかねぇ、と思ったら……違った。メモ帳アプリで何やらちまちま書いてるではないか。何々……「静寂で無色で無味無臭な空間、云々。」うあっ!リアルでラノベっぽい文章書いてるよ!笑いそうになってしまったじゃないか。

まぁ、あまり人様の書いていることをどうのこうの言える立場ではないけれども、正直、書いてる本人は恥ずかしくないのだろうかと思ってしまった。私だったら人がどう思うかよりも、まずはあんな文章書いていたら自分で恥ずかしくなってしまうだろう。

雪や雪

朝起きたら、久し振りに一面の銀世界であった。が、ものの一時間もしないうちに溶け始めてしまい、夜に帰宅した頃には跡形もなく、道路もすっかり乾いていた。まぁ、中途半端に残るくらいだったら、一日で溶けてしまう方が何かとありがたい。

この冬雪が降るのは、今回が最初で最後だろうか。もう2月も半ばである。もうちょっとすれば3月ではないか。ついこの間、寒い季節になったと思ったら、気付けば梅の花が咲き始めているではないか。ラニーニャのせいか、今年はことのほか気温の高い日が長く続いて、気温の低い日がわずかであったように感じるのだが……。

しかしせっかく雪が降るのであれば、せめて丸二日くらいは降り続けてくれたら、もう少し遊べたろうに。うーむ、ちょっと損した気分である。

雪男

寒い!暑がりで寒さには強いと自認している私が言うのだから、確かなことである。先週の金曜には雪が降ると予報されていたにも関わらず、結局ほんのわずかな雪と、ちょっと鬱陶しいみぞれで終わってしまっただけだった。ところが今夜は予報通りの雪である。

という事で、今日は仕事を早めに切り上げて家路についたのだ。

改めて感じたのだが、雪になると傘というやつはあまり役に立たないようだ。普通に雨であれば、よほど天気が荒れているわけでもなければ、上から下に向かって降るものである。ところが雪ってやつは質量に比較して表面積が大きいのか風に煽られやすいのか、横から吹いたり下から吹いたりするもんだから、残念かな傘が本来の役目をあまり果たさないのである。

幸いコートにフードが付いてるから体は濡れ無くて済むのだが、傘だけじゃなくコートや鞄にも雪が積もっている格好で家にたどり着くのだ。これではまるで雪男である!

「雪男だぞー!」と言うと、娘たちは喜んだのだが、雪が降って寒がる雪男っていうのも妙な話だ。

ノアの箱船

ノアの箱船の話はクリスチャンでなくとも、何となく聞いたことがあるだろうし、その内容についても何となく知っているだろう。洪水伝説というのは、世界各地でも様々な形で存在しているので、おそらく大規模な洪水があったというのは事実である可能性が高い。それを起こしたのが「神」であるのか、超自然的な何かなのか、それとも地質学的気象学的な一大イベントなのか、どのように解釈するかは人それぞれであろう。なお一人のキリスト者として、私はノアの箱船の話を信じている。すなわち地上に蔓延する悪意に満ち、悪を行う人々を見ているうちに、神は人類を大雨によって滅ぼしてしまおうと考えたのだが、ノアに命じて、当時としては大型の船(但し、動力などは備えておらず、要するに水に浮かぶだけのもので、映画「2012」に出てくるようなものではない……)を建造させ、ノアとその一族、および各種の動物のいのちを救出させたというものである。

さて、何でノアとその一族は救われたのであろうか。

先日、新聞の社説欄で茨木のり子という詩人の「水の星」という詩が一部引用されていた。ちなみに茨木のり子が誰だか知らない。社説で初めて聞いた名前である。そもそも詩には興味がないもので。

引用されていた一節はこうである。

「すさまじい洪水の記憶がのこり/ノアの箱舟の伝説が生まれたのだろうけれど/善良な者たちだけが選ばれて積まれた船に/子子孫のていらくを見れば この言い伝えもいたって怪しい」

「子子孫のていらく」まぁ、それは納得できる。確かに、神は地上を洗濯しようと大洪水を起こされのだあるが、右を見ても、左を見ても、上を見ても、下を見ても、前を見ても、後ろを見ても、悪意や悪業は世に満ちている。どうやら洗濯しても垢は落ちなかったようだ。ノアの時代の悪がどれほどだったのかは分からないが、今の時代も洗濯された方がよいのではないかと思えるくらいだ。

ところで聖書的な観点から見たら、「善良な者たちだけが選ばれて」というのは、間違っているだろう。確かに、聖書には「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。」(旧約聖書・創世記6章)と書いてある。重要なのはノアが正しい人かどうかということよりも、どうしてノアが正しい人であったかということである。それは「ノアは神とともに歩んだ」(同)からである。ついでに言うと、「正しい人」と言われたのはノアであって、彼の家族ではなかった。また「きよくない動物」も救助の対象となっている。すなわちノアたちは善良だから助かったわけではない。神の哀れみによって、ノアと家族、動物たちが救われたに過ぎないのだ。ノアが善人であったからというのが理由ではないだろう。

ちなみにノアであるが、洪水の後の世界で、あるとき泥酔して素っ裸で眠ってしまい、息子たちに醜態をさらしてしまったことがある。いかに善人と言われた人でも、誰でも汚点のひとつやふたつあるものである。なおさら、善人だからという理由で救われるという考えは成立しないであろう。

子供は風の子

今日は寒い!昨日も寒かったけれども、今日は昨日よりも寒く感じられる。昨日は厚着をして外出したり、暖房の効いている場所にいた時間が長かったからかもしれないが。おまけに雪が降るでもなく、雨が降るでもなく、かと言って日が照るわけでもなく、一日雲がかかって、昼間でも薄暗い。だから余計に寒さが増幅して感じられる。

さて、家の中も寒い。寒暖計があるわけじゃないから、実際の室温がどれくらいあるのか分からないのだが、いつもよりも寒く感じられたのは間違いない。おもえばiPhoneのアプリに寒暖計みたいなのがあれば最高なんだが、さすがにそれは物理的に無理な要求であろうか。外付けでiPhone対応の寒暖計があってもいいかもしれないが、技術的にはさほど難しいものではなくとも、利用価値がさほどないだろうし、何より需要が少なそうだから、実現することはないだろう。まぁ、こう寒いと家に寒暖計がひとつくらいあってもよかったかもしれないと思ってしまうのだ。何はともあれ、暑がりで、寒さには強いというのが自慢の私であるが、それでも今日の寒さはいつもよりも厳しく感じられたくらいだ。

しかしそんな寒い日だというのに、家のヒーターが切られたままなのである。朝はついていたようだが、途中で灯油が切れたらしく、灯油を入れたタイミングで切ってから、ずっとそのままのようである。もっとも、朝は私は半分夢の中だったから、よく憶えていないのだが。普段の昼間であれば、日当たりのよい我が家はヒーターがなくても寒いことはないのだが、今日は日も出てないので、寒いことこの上ない。それでも子供は元気に遊んでいるのだから、いやぁ、たいしたもんだ。文字通り子供は風の子である。さすがに外では遊んでいないが、それでも暖房のない家の中で遊ぶのも大したものだ。さすがの私も凍えそうな寒さだというのに。

いつもなら、私が寒いと言うことはないのだが、さすがに今日は私が最初に音を上げてしまった。午後3時を過ぎたところで、とうとうヒーターを入れてしまった。

灯油代の節約になるし、灯油を買いに行く手間を減らせるとおもったのであるが、まだ20リットルのポリタンクがひとつ満タンで物置にあることを考えると、そんなケチケチする必要もない!おぉぉ、寒い。いくら暑がりって言っても限度ってものがあるわ。