語彙力 | あるキリスト者のつぶやき…

語彙力

TOEICの点数が高いからなのか、それともアメリカに6年間留学していたからなのか、何が理由なのか分からないが、私の周囲の人は、私の英語力をやや過信しているのではないかと思うことがある。人が良く私に聞いてくるのは、いきなり単語を指し示して、これの意味は何?ということである。私はTOEIC940点をとったこともあるし、アメリカに6年間いたこともあるが、勘違いしないでもらいたいのは、私は辞書ではないってことだ。世には「生き字引」という言葉もあるが、あれは私には当てはまらない。いきなり単語の意味を聞かれたって、なんて答えてよいのか分からない。

もちろん、意味が分からないわけではない。意味ぐらいは分かるのだが、それを日本語を訳すことができないのである。前後の流れがあるから、文章を訳して欲しいというのは、問題ないのだが、いきなり何の脈絡もなく単語の意味を聞かれてもこまるのだ。日本語もあいまいな言語かもしれないが、英語も一部ではストレートな表現が多いとは言われているけれども、それは文章や少なくとも熟語で現わしたときである。単語ひとつでは場合によっては何とでも理解できることがある。だから、簡単に「この単語の意味はこうである」と答えることができないのだ。おそらく、私よりも英語をちゃんと勉強している中学生や高校生や受験生に聞いた方が確かな答えが返ってくるだろう。

それに何と言っても英語を日本語に訳して考えるということができないのである。英語は英語でしか理解できない。おそらく私が英語を日本語に訳すことができるのであれば、小遣い稼ぎに翻訳の内職でもやっているかもしれないが、現実問題としてそれは無理である。英語は英語、日本語は日本語、だからだ。英語を日本語とか、その反対に日本語を英語、などというふうに頭の中での置き換えが難しくてしかたがない。英語で単語を見ても、そのイメージというか概念をアタマに思い描くことはできるのであるが、それを日本語にするということができないのである。うーん、考えようによっちゃ日本語の語彙が少ないのかもしれない。日本語をもっと知っていれば訳せるようになるのだろうか……などと思うのであるが、果たしてどうなんだろうか。

確かに言葉を多く知っていれば、そのイメージなりをそれらの言葉を使って説明することができるのかもしれないが、どうやらそれだけではないようにも思える。具体的にそれが何であるかは分からないのであるが……うーん、難しい。

こと言語について言えば、私は多重人格者なのかもしれない。ちなみに今でも英語で夢を見ることがある。もう10年以上もアメリカに行ってないのにね。不思議なもんだ。