あるキリスト者のつぶやき… -65ページ目

耳の穴

うぉぉぉ、耳の穴の中に……吹き出物ができちゃった。もちろん、奥の方ではなくて、穴の手前の方である。たぶん、外からも見えるんじゃないかと思うんだけれども、さすがに自分で自分の耳の穴を覗くことはできないので、どんな様子なのかを見ることができない。しかし、これが結構痛い。普段の生活では触ることがないから、それはそれで構わないのだが、かえってそこに吹き出物があることを忘れてしまいがちなのである。おかげでふとした拍子で触れてしまうと、力の加減をまったくしていないものだから、目が覚めるような痛みが伴うのである。

風呂上りに耳の中の水を取ろうとしても、痛い。

イヤフォンを耳に突っ込もうとすると、これもまた痛い。

ましてや、耳かきでもしようものなら、涙が出そうである。

それにしても、耳の中に吹き出物ができるなんて、生まれて初めてじゃないか?いや、まぁ、さすがにそれは大げさかもしれないが、私の場合吹き出物は、鼻の横とあごにできるのが普通なのである。だから耳の中にできてしまうと、実に違和感がたっぷり。

しかし、吹き出物ばっかりは、どうすることもできないので、治るのを待つしかない。それにしても、何で耳の穴の中にできてしまったのだろうか。

もっとも、吹き出物っていうのは、耳の穴の中に限らずとも、厄介なものである。痛いし、なんと言っても見た目が良くない。外から見えないところにできるのであれば、見てくれについては気にしなくても構わないんだが、これが顔にできてしまうのだから、いやぁ、見た目が悪い。まるで「こいつは栄養不足、こいつは野菜を十分に食べていない」と世界に向かって宣伝しているかのようである。うーむ、こうならないためにも野菜を沢山食って、睡眠を十分に摂れってことなのだろうか。さてさて、体がそう訴えているのだろうか。

中古DVD

鳩山総理はいつまでも首相の座に居座り続けたいような発言をしている。何ともおめでたい人だ。しかし、腹が立ってきてしょうがない。とはいっても、馬鹿相手に腹を立てても何の得にもならないのだから、気分転換が必要である。というわけで、今日は帰りにTSUTAYAに寄って、24シーズン6の第6巻を借りるついでに、中古DVDの売り場を眺めてきた。TSUTAYAは中古DVDを、もちろんセール品に限ってだが、数百円で販売しているので、映画好きの私にとっては嬉しい限りである。ちょっと古め、といっても1990年代後半から2000年代前半にかけての作品が、DVDをレンタルするのとさほど変わらない値段で購入できるだ。たまに見ると、前から気になっていた作品を見かけることがあったりする。そのような場合には、迷わずに買ってしまうのだ。

ここ最近、買ったものとしては「この森で、天使はバスを降りた」(原題:The Spitfire Grill)がある。あまり有名な作品ではないかもしれないが、内容は良かったね。見終わった後になんか、ほっとする感じ。必ずしもHappy Endingなわけではないけれども、それがまた良かったりするものだ。似たような話しでは「テラビシアにかける橋」をケーブルテレビで、これも先月くらいに見たけれど、こちらもなかなか良かった。人々の営みにおいては、様々なことが起こるわけだし、中には残念なことも起きるのだけれども、それを乗り越えて人々が成長するというか、前進するというか、そのようなことが、いずれの作品でも描かれていた。

どちらも、見てて面白いってわけじゃないけれども、内容は濃い。

ちなみにTerminator Salvationも最近やっとDVDで借りて見たけれども、うーん、これは別の意味で面白かった。

そう考えてみると、映画っていうのは、娯楽性を追求した作品と、娯楽性よりもメッセージに重点を置いた作品があるのだろう。どちらにしても見るだけの価値がある作品に出会えると、ちょっと得した気分になるのだ。

で、今日はミスティックリバーを500円で買ってしまいました。さて、これはどんな内容でしょうかね。連休中に見るとするかな。

4月末

あれよあれよと言う間に、4月も最終週に突入である。4月末から5月頭に掛けては、連休なので、どうも気持ち的には、すでに休みに入ったようなものである。もちろん、今週は月火水とんで金の4日間はカレンダー通りに仕事に行くわけだが、いまいち仕事をする気にはなれないだろう。だったら、いっそのこと休んでしまっても構わないじゃないかと思われそうだが、まぁ、確かにそうなのかもしれないが、ちょっと見方を変えれば、1週間フルで働く必要がないことが、あらかじめ分かっているので、むしろ仕事に集中できたりするものである。

気分的なもんであるが、「今週も5日間仕事しなきゃいけないのか~」と考えるよりも「今週は三日働いて、一日休んで、一日自社に行ってやりたいことやればいいんだな」と考えるほうが、精神的に楽である。そして、精神的に落ち着いてるほうが、半ば強制されて神経を張り詰めらせているよりは、何をするにしても効率が良いのも事実である。

そんなわけで、私はゴールデンウィークそのもの(つまり休みの日)よりもその前後の平日の方が、どちらかと言えば好きなのである。

でも、仕事に行ったら働かなければいけないだろうし、家にいれば働く必要もなく、休めて良いんじゃないか?と思われそうだが、現実、家族を持っていると休みの日は休みの日にあらず、なのである。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、あれをしたり、これをしたり……精神的にはさほど負担でもないが、体力的には結構きつかったりする。それと、財布に掛かる負担も、ちょっとキツかったり。

まぁ、そんなこんなだけれども、今週と来週は気持ちの上では、静かに過ごすことができそうである。これがゴールデンウィークの醍醐味とでも言おうか。

なんだか連休を地域によって5分割するみたいな、馬鹿げた法案が検討されているようだが、これには反対である。経済効果うんぬん、休日の意味が曖昧になるとかの精神論ではなくて、私のこの4月最終週~5月第一週の、心の安らぎを奪わないで欲しいだけだ。

海はいいなぁ。私は海が好きである。理由を聞かれても分からないが、私が横浜生まれの横浜育ちだからなのだろうか。とはいっても、格別海の近くに住んできたというわけでもないが。日本に住んでいても海のそば、アメリカに住んでいたころも海のそば。もともと海水浴とか海で遊ぶのが好きなほうではない。どちらかというと、海が近くにあることで安心感を得ているようなところがある。遠くからでも海を見ることができると、妙に心に平安を覚えるのだ。もちろん、近くで見ても良い。

アメリカにいた頃、ひと月ほど海から遠く離れた内陸部にいた事があるが、その時は本当に物足りなく感じたものだ。幸い長期間滞在する予定があったわけではないから、なんとか我慢することができたが。いやぁ、長期間いなければいけないとしたら、それこそ気がヘンになっちゃいそうになったことだろうと、今更ながらに思うのだ。

海から離れてしばらくしていると、ふと海を見たくなることもある。例えば、海から離れたところへ出掛けていたりすると、電車や車の窓から海が見えると、ちょっと安心するのである。車に乗っていると、ちょっと遠回りをしてでも、海の見えるところ、一番素晴らしいのは海沿いの道路を走りたくなってしまうのだ。

幸いなことに、私の住むマンションから駅へ行くまでに必ず一度は海を見ることができるので、そう言った意味では、毎日必ず一度は心に安らぎを得ているのだろう。

やはり住むのは海の近くに限る。家から海が見えなくても構わないから、できることなら、歩いて海まで行けるところに住んでみたいものだ。海水浴だの海で何かをするわけでもない、ただ海を見れば、それだけで満足なのである。だから季節も関係ない。暑い夏だろうが、寒い冬だろうが、海を見るのが好きなのである。気が済むまで、ぼんやりと眺めていられたら、文句なしである。

電子書籍とか

最近、電子書籍について取り扱った記事を目にすることが多くなったような気がする。火付け役はAmazonのKindleで、最近ではAppleのiPadが参入してきた。それ以外にも、SHARPのNetWalkerの新モデルも、電子書籍を視野に入れて開発されたようだ。他にも何種類か端末があったようだが、今はちょっと思い出せない。

電子書籍と言っても、Kindleがアメリカで始まったことで、盛り上がりを見せたかのようだが、日本ではその前から携帯小説のフォーマットで存在していた。私自身は見たことがないけれども。

一部では電子書籍の台頭によって、一般の紙書籍が衰退するのではないかとの懸念もあるのだが、私の見る限りでは、それはちょっと考えすぎなのではないかと思う。通勤の途中、乗り換えの時にいつも本屋の前を通るのだけれども、いつもお客さんで一杯である。もちろん、駅の中というロケーションの良さもあるからなのだろうが、これだけ本屋に人が入っている様子をみると、紙の書籍もまだまだ存続しそうな雰囲気である。

活字離れ、本離れと言われて久しいが、以前と比べてそうなのであって、実際には、まだまだ本に親しむ人が多いということだろう。私も本が好きな人間の一人であるから、人が本を読んでいる姿をみるとちょっと嬉しい気分になるのだ。仲間意識というものではない。本が人の手にあり、読まれているという事実が、私を喜ばせるのである。

いつか私もそのように人に読まれるものを残したいと思うのだが、さてはて、こればかりにはどうなるか分からない。

しかし、電子書籍というものが一般に浸透すれば、誰でも手軽に電子出版することができるのだろうか?今私がブログやホームページを公開しているように、電子書籍というかたちでも、何かしら意見なり考えを世に公開することができるのだろうか。玉石混交になることは目に見えて明らかであるが、それでも自分の記したものを世に広めることができるようになるのであれば、歓迎すべきことである。