自分で言っちゃぁ
あまりにもルーピーと言われるものだから、とうとう鳩山総理は自分自身でも「私は愚かかもしれないが」と言ってしまった。それも自民党の谷垣総裁との党首討論をやっている最中にである。さすがに谷垣さんもこれには驚いてしまったようだ。いやぁ、こりゃ驚くって。驚くどころか、この人大丈夫か?って感じである。
Washinton Postの記事はあくまでも記事である。しかもコラムニストが書いたものだから、多かれ少なかれ、書き手の主観が入っているものだろう。外部の人間が客観的にみてloopyと言ったに過ぎない。もちろん、私自身も、その通りだと思っている一人であるから、総理を弁護しようとは思わないが。
しかし、人がそう言うのと自分で言うのとはわけが違う。本人が冗談のつもりでいったのか、本気で言ったのかは分からないが、どちらにしても、ますますloopyであることをアピールする結果になっただけだ。一体、党首討論という場で、冗談を言うのは、政治家としての資質を疑ってしまう。もちろん、すべての冗談がいけないというわけでもない。時には場の雰囲気を和ませたりするために、一役買うこともあるだろう。ところが、「私は愚か」っていうのは冗談にもなりゃしない。自嘲してるのか自虐的になってるのか、わけがわからん。
しかし、これが本気で言ってるのなら、なおさら危ない。つい先日も、この人、新しく国家公務員になった人たちへの訓辞の中で「トップが愚かだと国が滅びる」みたいなことを言ってたように記憶しているんだけれども、総理が自分は愚かだと本気で言ってるんだったら、日本は滅びると宣言しているようなものだろう。
この程度の人間が、まがりなりにも国家の代表になっているんだから、何と言うか……日本、大丈夫なんだろうか?いや、多分大丈夫じゃないだろうな。もう、あらゆるところでボロが出まくりである。
Washinton Postの記事はあくまでも記事である。しかもコラムニストが書いたものだから、多かれ少なかれ、書き手の主観が入っているものだろう。外部の人間が客観的にみてloopyと言ったに過ぎない。もちろん、私自身も、その通りだと思っている一人であるから、総理を弁護しようとは思わないが。
しかし、人がそう言うのと自分で言うのとはわけが違う。本人が冗談のつもりでいったのか、本気で言ったのかは分からないが、どちらにしても、ますますloopyであることをアピールする結果になっただけだ。一体、党首討論という場で、冗談を言うのは、政治家としての資質を疑ってしまう。もちろん、すべての冗談がいけないというわけでもない。時には場の雰囲気を和ませたりするために、一役買うこともあるだろう。ところが、「私は愚か」っていうのは冗談にもなりゃしない。自嘲してるのか自虐的になってるのか、わけがわからん。
しかし、これが本気で言ってるのなら、なおさら危ない。つい先日も、この人、新しく国家公務員になった人たちへの訓辞の中で「トップが愚かだと国が滅びる」みたいなことを言ってたように記憶しているんだけれども、総理が自分は愚かだと本気で言ってるんだったら、日本は滅びると宣言しているようなものだろう。
この程度の人間が、まがりなりにも国家の代表になっているんだから、何と言うか……日本、大丈夫なんだろうか?いや、多分大丈夫じゃないだろうな。もう、あらゆるところでボロが出まくりである。
牛角へgo!
南町田に常駐する自社のメンバーと「牛角」にて飲み会!と言っても、酒を飲まないメンバーが多かったので、半ば食べ会のようなものであったけどね。
やはり気心の知れた人たちと一緒にいる方が落ち着くし、食べ物も会話もじっくり味わえるというもの。だから、社交辞令でお客さんとのお付き合いは苦手なのさ。
時間を有益に過ごすためには、誰と過すかって言うのも大事ってことだ。
やはり気心の知れた人たちと一緒にいる方が落ち着くし、食べ物も会話もじっくり味わえるというもの。だから、社交辞令でお客さんとのお付き合いは苦手なのさ。
時間を有益に過ごすためには、誰と過すかって言うのも大事ってことだ。
頑張ります
今年も会社に新人が6人ほど入ったんだけれども、今社外の講師を招いて新人研修なるものをやっている。外部から講師を招いてやるというのは、今年から始まった新しい取り組みである。結果がどうでるかは、終わってみなければ分からない。しかし、外部から講師を招いてやるために、社内からは隔絶されている環境での研修という、どうも今までとは勝手が違い過ぎて、なんとも妙な雰囲気である。何をやっているのか、イマイチよく分からないのだ。
さて、新人は毎日日報を書いてくれているのだが、どうにもその日報が日報よりも日記のようで、何と言うか……こんなんでいいのかいな?って感じである。どう見ても、研修でやっているテキストの目次をそのまま書いているような気がしてならない。こちらとしては、何をやって、何を学んだか、もしくは何を学びそこなったのか、何が理解できて、何がちんぷんかんぷんなのかを書いてもらいたいのであるが……目次みたいなものを書かれてもどうにも、指摘することもできない。
そして、よく新人の日記、じゃなくて日報でよく目にする言葉が「頑張ります」である。
実のところ、私はこの「頑張ります」って言葉がキライである。小学校に入ったばかりの我が家の娘が言うのであれば、まぁ、仕方ないと思うのだけれども、大人が「頑張ります」って言うのを聞くと、これがまた腹が立ってくるのだ。「頑張ります」なんて言われると「ふざんけんな、ボケッ!」と言いたくなるのだが、そこは抑えて「まぁ頑張れよ」と応えるのであるが。それというのも、頑張るのは当然のことである。子供でもないのに、いい年こいた大人がそんなこと言っても、言い訳にしか聞こえないのだ。大人として求められているのは、目的を達成するための過程ではなく、目的を達成することなのである。結果を出さなければいけないのである。社会に出ているのであれば、それは当然のことなのである。もちろん、結果が出せないのであれば、それはそれで仕方がないのであるが、どんなにやってもできないことを、いつまで経っても頑張っても意味はない。できないなら、その見極めも大事である。できないなら、今まで「頑張ってきた」方法が間違っていることに気付いて、別のアプローチをすればいいだけだ。無駄に努力されても、時間が惜しい。
なんて考えていたら、こともあろうに我が国の総理大臣も似たようなことを言ってるじゃないか。同盟国の大統領に対して。国を代表する立場の人間が、そんな生っちょろいことを抜かしているようじゃ、この国、どこに行ってしまうんだろうか。
さて、新人は毎日日報を書いてくれているのだが、どうにもその日報が日報よりも日記のようで、何と言うか……こんなんでいいのかいな?って感じである。どう見ても、研修でやっているテキストの目次をそのまま書いているような気がしてならない。こちらとしては、何をやって、何を学んだか、もしくは何を学びそこなったのか、何が理解できて、何がちんぷんかんぷんなのかを書いてもらいたいのであるが……目次みたいなものを書かれてもどうにも、指摘することもできない。
そして、よく新人の日記、じゃなくて日報でよく目にする言葉が「頑張ります」である。
実のところ、私はこの「頑張ります」って言葉がキライである。小学校に入ったばかりの我が家の娘が言うのであれば、まぁ、仕方ないと思うのだけれども、大人が「頑張ります」って言うのを聞くと、これがまた腹が立ってくるのだ。「頑張ります」なんて言われると「ふざんけんな、ボケッ!」と言いたくなるのだが、そこは抑えて「まぁ頑張れよ」と応えるのであるが。それというのも、頑張るのは当然のことである。子供でもないのに、いい年こいた大人がそんなこと言っても、言い訳にしか聞こえないのだ。大人として求められているのは、目的を達成するための過程ではなく、目的を達成することなのである。結果を出さなければいけないのである。社会に出ているのであれば、それは当然のことなのである。もちろん、結果が出せないのであれば、それはそれで仕方がないのであるが、どんなにやってもできないことを、いつまで経っても頑張っても意味はない。できないなら、その見極めも大事である。できないなら、今まで「頑張ってきた」方法が間違っていることに気付いて、別のアプローチをすればいいだけだ。無駄に努力されても、時間が惜しい。
なんて考えていたら、こともあろうに我が国の総理大臣も似たようなことを言ってるじゃないか。同盟国の大統領に対して。国を代表する立場の人間が、そんな生っちょろいことを抜かしているようじゃ、この国、どこに行ってしまうんだろうか。
時間
大雑把だが、ブログをひとつ書くのに、携帯で書くと30分、iPhoneで書くと20分、PCで書くと10分くらいである。同じことをするのにこれだけ時間の違いがあるとは。というわけで、最近は、こうしてPCで記事を書くことが多くなってきた。もちろん、iPhoneで書くときもあるけどね。それはPCを起動させるのが面倒に思える時か、出先で何となく思いついて書こうと思った時くらいのものである。さすがに携帯から記事を投稿することは、最近ではなくなった。PCも使えない、iPhoneも使えないという場合の最終手段みたいなものである。
同じ30分という枠を、どれだけ有効に使おうかと考えたら、やはりPCで書けば記事を書くのに10分、それ以外のことに20分を費やすことができるのである。同じ時間内で、より多くのことを達成できる方を選んだまでのことだ。もちろん、ブログの記事を書くのに、それだけの時間を費やすのかと人によって受け取り方も様々かもしれないが、ある程度のまとまった量、だいたい原稿用紙一枚分、つまり400文字相当、を書こうとするとそれくらい掛かってしまうのである。
面白いもので、考える時間は携帯だろうが、iPhoneだろうが、PCだろうが、たいして変わらないのである。5分間考えるとしたら、PCだと5分、iPhoneだと15分、携帯だと25分を「書く(=タイピング)」という行為に費やしていることになる。そう考えると、携帯で30分掛けているからと言って、それだけ真剣に考えているということにはならないのである。
結局、私にとってはPCでブログを書くのが一番、効率的なことなのである。
人間、与えられた時間は平等である。誰でも1日24時間だけだ。人によって48時間も与えられていると言うこともなければ、12時間しか与えられていないということもない。この24時間、どうやって使うのかが重要なのである。時間を有益に使いたいもんだ。
同じ30分という枠を、どれだけ有効に使おうかと考えたら、やはりPCで書けば記事を書くのに10分、それ以外のことに20分を費やすことができるのである。同じ時間内で、より多くのことを達成できる方を選んだまでのことだ。もちろん、ブログの記事を書くのに、それだけの時間を費やすのかと人によって受け取り方も様々かもしれないが、ある程度のまとまった量、だいたい原稿用紙一枚分、つまり400文字相当、を書こうとするとそれくらい掛かってしまうのである。
面白いもので、考える時間は携帯だろうが、iPhoneだろうが、PCだろうが、たいして変わらないのである。5分間考えるとしたら、PCだと5分、iPhoneだと15分、携帯だと25分を「書く(=タイピング)」という行為に費やしていることになる。そう考えると、携帯で30分掛けているからと言って、それだけ真剣に考えているということにはならないのである。
結局、私にとってはPCでブログを書くのが一番、効率的なことなのである。
人間、与えられた時間は平等である。誰でも1日24時間だけだ。人によって48時間も与えられていると言うこともなければ、12時間しか与えられていないということもない。この24時間、どうやって使うのかが重要なのである。時間を有益に使いたいもんだ。
休みらしく
外に出ている時は、ちょっと肌寒いとも思えるような一日であったが、ここしばらく天気が悪くて、冬を思い出させるような寒い日が続いた後では、心地良い一日であった。
と言うわけで、礼拝が終わった後に、久し振りに八景島シーパラダイスへ行ってきた。家からクルマで十数分の所にこのような場所があるのはちょっと嬉しい。
フツウの日曜日だったんだけれども、何だか「休み!」って気分を思いっきり味わうことができた。感謝なことである。
と言うわけで、礼拝が終わった後に、久し振りに八景島シーパラダイスへ行ってきた。家からクルマで十数分の所にこのような場所があるのはちょっと嬉しい。
フツウの日曜日だったんだけれども、何だか「休み!」って気分を思いっきり味わうことができた。感謝なことである。