頑張ります | あるキリスト者のつぶやき…

頑張ります

今年も会社に新人が6人ほど入ったんだけれども、今社外の講師を招いて新人研修なるものをやっている。外部から講師を招いてやるというのは、今年から始まった新しい取り組みである。結果がどうでるかは、終わってみなければ分からない。しかし、外部から講師を招いてやるために、社内からは隔絶されている環境での研修という、どうも今までとは勝手が違い過ぎて、なんとも妙な雰囲気である。何をやっているのか、イマイチよく分からないのだ。

さて、新人は毎日日報を書いてくれているのだが、どうにもその日報が日報よりも日記のようで、何と言うか……こんなんでいいのかいな?って感じである。どう見ても、研修でやっているテキストの目次をそのまま書いているような気がしてならない。こちらとしては、何をやって、何を学んだか、もしくは何を学びそこなったのか、何が理解できて、何がちんぷんかんぷんなのかを書いてもらいたいのであるが……目次みたいなものを書かれてもどうにも、指摘することもできない。

そして、よく新人の日記、じゃなくて日報でよく目にする言葉が「頑張ります」である。

実のところ、私はこの「頑張ります」って言葉がキライである。小学校に入ったばかりの我が家の娘が言うのであれば、まぁ、仕方ないと思うのだけれども、大人が「頑張ります」って言うのを聞くと、これがまた腹が立ってくるのだ。「頑張ります」なんて言われると「ふざんけんな、ボケッ!」と言いたくなるのだが、そこは抑えて「まぁ頑張れよ」と応えるのであるが。それというのも、頑張るのは当然のことである。子供でもないのに、いい年こいた大人がそんなこと言っても、言い訳にしか聞こえないのだ。大人として求められているのは、目的を達成するための過程ではなく、目的を達成することなのである。結果を出さなければいけないのである。社会に出ているのであれば、それは当然のことなのである。もちろん、結果が出せないのであれば、それはそれで仕方がないのであるが、どんなにやってもできないことを、いつまで経っても頑張っても意味はない。できないなら、その見極めも大事である。できないなら、今まで「頑張ってきた」方法が間違っていることに気付いて、別のアプローチをすればいいだけだ。無駄に努力されても、時間が惜しい。

なんて考えていたら、こともあろうに我が国の総理大臣も似たようなことを言ってるじゃないか。同盟国の大統領に対して。国を代表する立場の人間が、そんな生っちょろいことを抜かしているようじゃ、この国、どこに行ってしまうんだろうか。