あるキリスト者のつぶやき… -64ページ目

坂本龍馬

NHKで「龍馬伝」を放映しているせいか、なぜか今年は龍馬がはやっているようだ。基本的にテレビを見ない私なので、NHKのドラマは2、3回ちょっと見た程度に過ぎないが、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」は読んだことがある。

さて、なぜか最近「平成の龍馬になる」とかいう政治家とか実業家たちが世間に湧いている。彼らが何を考えているのか、正直私にはよく分からない。なんだか馬鹿のひとつ覚えみたいに龍馬、龍馬と言っている気がしてならないのだ。たしかに龍馬の知名度は高い。知名度が高いからといって、そんなに立派な人物だったのかというと、果たしてどうだったのだろうかというのが、私の疑問だ。

私は幕末史を専門に勉強してきたわけではないし、それどころか日本史なんて中学の頃にやった程度だ。但し、私は本を読むのが好きだから、幕末の人物を題材にした小説なら数多く読んできた。もちろん、小説なので、若干の脚色なりは加えられているだろうから、そこの書かれていることを額面どおりに受け取るわけにもいかないが、異なる作家が異なる視点から書いて、共通の事項があるとすれば、おそらくそれは史実にかなり近いものがあるだろうと思われる。で、肝心の龍馬であるが、おそらく最大の功績として挙げられているのが、薩長同盟を実現に導いたことだろう。さて、龍馬がどのような思いで、これを実現に導いたのかは分からないが、これが結果として良かったのかが疑問である。

これが結果として徳川幕府の瓦解、明治維新へとつながるのであるが……今更、そんな昔に起きてしまったことを論ずるのもどうかと思うが、二百数十年も日本を治めてきた徳川幕府を無理やり国賊にしてしまったやりかたはどうかと思う。さすがに、これは龍馬も望んでいなかったことだろう。徳川慶喜が大政奉還を行ったのを龍馬は涙して喜んだと言われているではないか。そんな龍馬の感動を裏切るようなことに、龍馬自身が立役者となった薩長連合、および一部の公家が暴走してしまったのである。

平成の龍馬とか抜かす連中、彼らは幕末をどの程度理解しているのだろうか。知名度だけで龍馬をかたっても、私からみたら単なる阿呆である。

ゴールデンウィークとか

毎年、この時期になるとゴールデンウィークの話題が新聞等で取り上げられるが、なぜかこう毎年のようにこの連休を海外で過ごそうという人たちの写真とかが載っていたりする。なんて景気のいい話なんだと、私は思ってしまうわけだ。私なんかはこの不景気の煽りをくらって、去年の今頃と比べて、給与の累計額が、20数万円も減っているのだ。月にしたら6万円程度も去年と比べて下がっているのである。もちろん、数字のカラクリみたいなもんで、辞令のうえでは給与は昨年度よりは月額4千円ほど増えてはいるのだが……どうも仕事が減って、去年ほど残業もしてないためか、アテにしている残業代がたまらないので、どうにもならない。

こっちは貯金を切り崩して、税金を払ったり保険代を支払ったりしているのに、優雅に海外で休みを過ごそうなんていう人たちがいるんだから、金があるところにはあるんだろうな、と。

もちろん、ここで格好つけて、「羨ましいとは思っていない」なんてことは言わないし、そんな気高い思いは私には露ほどもない。正直言って、羨ましい。まぁ、要するにひがんでいるだけなのである。世の中不公平なもので、私の周りでは私より仕事をしていない、仕事ができないクセに稼いでそうな人間はいっぱいいるのだから。まぁ、世の中が不公平なもんだから、何とかして優勢な方に移りたいと思うわけだが。

なんてことを考えていると、本来であればこの時期は、いかに出費を抑えて過ごすべきかを考えなきゃいけないのであろうが、しかし、出費をケチってばかりいると、どうにも気持ちまで貧しくなってしまっていけないような……。もちろん高額な商品、例えば大型液晶テレビ(今日のコジマ電機の宣伝をみたら、32インチだったかな?のSHARPのAQUOSが59,800円で売っているのを見てしまったが、普通に余裕のあるときならさほどの高額にも思えないのだが、今は高額に思えてしまうのである)のようなものを買うことはさすがに控えておかなければいけないが、そうでないのなら、ちょっとくらい景気良く過ごさないと、つまらないよねーと思ってしまうのだ。

銭がないのは、なんとかなるけど、気持ちが貧しくなっちゃ、人間ダメになっちまうよ。

ワラジムシ

さて昨日は実家の気切りを手伝ったわけだが、天候が一時スッキリしなかったこともあり、外で作業をする時間があまりなかった。ということで、もちの木の枝を払うことからはじめたわけだが、もちの木の高さが非常に中途半端だったために、どうにも上の方の枝を払うことができない。なんとか払うことができたとしても、また来年も同じような苦労をするのも、時間と体力の浪費でしかないので、幹を途中からぶった切って、次回以降手入れが用意にできるようにしたのだ。それで、昨日は体力を使い切ってしまったわけだが、いやいや、私が本当に書きたいのは、それではない。今日のトピックは「ワラジムシ」である。

ところで、ワラジムシを皆さんはご存知であろうか。「ワラジムシ」……よもや知らない人はいないだろうと思うが、見た目はダンゴムシに似ているが、触っても丸くいならないアイツラである。無理に丸めようとすると、体が折れてグチャッとなってしまう。但し、ダンゴムシほど愛嬌はない。妻に言わせりゃ、ダンゴムシは抵抗ないが、ワラジムシは気持ち悪いそうだ。どうも人気がない。

そんなワラジムシであるが、昨日もちの木の枝を払っていたら、ワラジムシが巣に住んでいることを発見してしまった。じめじめしたところで群れになって住んでいるのかと思いきや、乾燥したもちの木の表面に巣を作って、一匹で住んでいるのである。つまり一匹一匹が巣を持っているのだ。なかなか優雅なものである。

どんな感じの巣であったかという、ちょうどもちの木肌に水ぶくれみたいなのがあって、そこに穴を開けて、住んでいるのである。水泡は自然にできたものなのか、ワラジムシが自分で作ったのか、それは専門家じゃないから私には分からない。穴から触手を出して、外の様子を伺っている様子を見ていると、ダンゴムシより気持ち悪いが、こいつら巣を作って住むとは、もしかしてダンゴムシより高等な生物なのではないか……などと思わされる。

37年間生きていても、案外知らなかったことがあるものだ。

木切り

毎年恒例、実家の木切り。のこぎりをひいていたら、腕がガクガク。今日は疲れたので、ブログは休み!また明日~!

電子書籍とか、その二

先日も電子書籍の話題をテーマに書いたが、一昨日の産経新聞(iPhone版)のコラムでも、似たようなトピックを取り上げていたので、ちょっと読んでみた。いや、なかなか勉強になるというか、そのような視点もあるのかと、ちょっと目から鱗が落ちるような印象だった。残念ながらコラムを書いた人の名前は忘れてしまったのであるが……。

さて電子書籍というと、私もそうだけれども、普通に人が考えるのは、字義通りに、本が電子化されるということだろう。まぁ、確かにそれはそれで正しいのであるが、この人の考え方というか視点は、勉強になるというか、あぁ、なるほどね、と思わされた。

なにが私のような凡人の考えることと違うのかと言うと、本が電子化されるというのではなく、むしろ電子化された様々なものが本になるということだ。いや、もちろん、ここで筆者が言っていることは、すべての電子化されたメディアが紙の書籍になるということではない。さすがにそれはありえないだろう。そんなことしたら、紙が足りなくなってしまいそうだし、それだけの量の情報をしまっておくだけの場所もあるまい。それこそ地球が紙の本で覆われしまう。

つまり、KindleやiPadに代表される電子書籍用の端末で、あらゆる情報を閲覧することができるようになるであれば、あらゆるメディアが書籍化されることになるということだ。ちょっと、私の下手糞な文章ではオリジナルのコラムの雰囲気を伝えることはできないが、重要な点はそこにあるのだろ。つまり手軽に本を読むことができるように、電子化されたありとあらゆる情報を手軽に閲覧できるようになるということだろう。iPadがもたらす一番の影響というのが、そのような電子書籍に対する新しい考え方ではないかと、筆者は言っているのだ。

動画であれ音声であれ画像であれテキストであれ、電子書籍として人に受け入れられるようになるのであれば、人の書籍に対する考え方というのも変わるのであろうか?電子書籍については、ちょっと気になる分野である。個人的には、いろいろな手段で思うところを配信していきたいものである。もっとも私の提供する内容が、そんなに人のためになることかどうかは、ちょっと怪しいものではあるが。