統計によると
本日、IT系のサイトで見かけた記事であるが、インターネットにて実施されたアンケートの結果によると、この夏の賞与の予想額は平均で60万円ちょっとらしい。一方、理想額については100万円ちょっとということであった。理想額とは、すなわちこれだけあれば、余裕のある金の使い方ができるであろうという額のことだ。
ちなみに私はどうかと言うと、予想額は上記の平均額のおおよそ三分の二くらいだろうか。それだけもらえれば、文句は言うまい。ちなみに理想を言うと上限に限りはないが、もうちょっと欲を抑えて現実的に考えると、100万とは言わないから、80万くらいは欲しい。それだけあるといろいろと余裕を持って予算を立てることもできそうである。どれだけ切り詰めることができるだろうかとか、もうすぐ貯金が底をつきそうだとか、心配せずに過ごすことができたらなによりありがたいものだろう。
などと言ったところで、ないものはないのでしかたがない。まだまだ景気が回復する様子もなければ、相変わらず仕事は少ない。これじゃ、稼ぎが減ったとしても文句も言えまい。
しかしものは考えようである。少なくとも生活するに困らないだけの余裕があるのはありがたいものじゃないか。人間、贅沢せずとも過ごせるものである。欲しいものばかりを買わずとも楽しむ方法はたくさんあるんじゃないだろうか。限られたもののうちで、どれだけ日々を楽しむことができるか。その方法を見出す方が、手に入れるあてのない大金に夢を抱くよりは、はるかに生産的なもんじゃなかろうか。
ちなみに私はどうかと言うと、予想額は上記の平均額のおおよそ三分の二くらいだろうか。それだけもらえれば、文句は言うまい。ちなみに理想を言うと上限に限りはないが、もうちょっと欲を抑えて現実的に考えると、100万とは言わないから、80万くらいは欲しい。それだけあるといろいろと余裕を持って予算を立てることもできそうである。どれだけ切り詰めることができるだろうかとか、もうすぐ貯金が底をつきそうだとか、心配せずに過ごすことができたらなによりありがたいものだろう。
などと言ったところで、ないものはないのでしかたがない。まだまだ景気が回復する様子もなければ、相変わらず仕事は少ない。これじゃ、稼ぎが減ったとしても文句も言えまい。
しかしものは考えようである。少なくとも生活するに困らないだけの余裕があるのはありがたいものじゃないか。人間、贅沢せずとも過ごせるものである。欲しいものばかりを買わずとも楽しむ方法はたくさんあるんじゃないだろうか。限られたもののうちで、どれだけ日々を楽しむことができるか。その方法を見出す方が、手に入れるあてのない大金に夢を抱くよりは、はるかに生産的なもんじゃなかろうか。
人生とか
今朝の新聞の記事で見かけたのだが、今年の新社会人は「ゆとり世代」を自認している連中が多いという。まぁ、それはそれで仕方がないのだろうけど、自認しているならまだしも、自認していない連中も世の中にはいるようだから困ってしまう。で、その記事によると、ゆとりを自認する新社会人たちが一番世代間のギャップを感じるのが、36歳の上司、先輩ということらしい。つまり私の世代ということになる。幸か不幸か、昨年は私のところに新人は来なかった(投入する余裕がなかった)し、おそらく今年も新人が来ることはないだろうと思われる。
さてさて、なぜゆとり世代が十数年違う人たちに対して世代間ギャップを感じるのかというと、ゆとり世代から見ると私らの年代は「仕事が人生になっている」「プライベートが充実してない」というように見えてしまうらしい。少なくともこのいずれも私には当てはまらないのだけれどもね。世間一般の私の世代はそんな人たちが多いということなのだろうか。
で、ふと思ったわけだ。人生って何だろうかってね。人生ってそもそも何だろう。その人の生活の中心になっているもの、何のために人は生きるのか……という概念のようなものだろうか。人の生き様かね?
だとしたら、仕事が人生っていうのは、たしかにツマラン。もちろん、私にとっても仕事が人生ではない。んじゃ、家族が人生だろうか。まぁ、そういう人もいるだろうね。家族のために一生を捧げるってな感じかね?それもあれだな。私には当てはまらない。んじゃ、模範的なクリスチャンらしく、信仰が人生ってか?いやいや、無理無理。申し訳ないが、そんなマジメなクリスチャンじゃない。
私の視点から見るとだね、仕事も家庭も信仰も、社会的・人間的・道義的責任という面において、私の生活を形成しているものなのであろう。それらのために、私が存在しているわけじゃなくて、それらが私のために存在しているというようなものだろうか。うーむ、何とも抽象的過ぎて、自分の言いたいことが何なのか分からなくなってしまったが……。
というと、私は何のために存在しているんだろうか?私の人生とは何ぞや?ってことになってくるのだ。もちろん、これも模範的クリスチャンの回答を言うことはできるのだが、果たしてそれで自分が理解したことになるのかと言えば、そんなわけでもあるまい。
うわー、難しい。今日はもう寝よう。
さてさて、なぜゆとり世代が十数年違う人たちに対して世代間ギャップを感じるのかというと、ゆとり世代から見ると私らの年代は「仕事が人生になっている」「プライベートが充実してない」というように見えてしまうらしい。少なくともこのいずれも私には当てはまらないのだけれどもね。世間一般の私の世代はそんな人たちが多いということなのだろうか。
で、ふと思ったわけだ。人生って何だろうかってね。人生ってそもそも何だろう。その人の生活の中心になっているもの、何のために人は生きるのか……という概念のようなものだろうか。人の生き様かね?
だとしたら、仕事が人生っていうのは、たしかにツマラン。もちろん、私にとっても仕事が人生ではない。んじゃ、家族が人生だろうか。まぁ、そういう人もいるだろうね。家族のために一生を捧げるってな感じかね?それもあれだな。私には当てはまらない。んじゃ、模範的なクリスチャンらしく、信仰が人生ってか?いやいや、無理無理。申し訳ないが、そんなマジメなクリスチャンじゃない。
私の視点から見るとだね、仕事も家庭も信仰も、社会的・人間的・道義的責任という面において、私の生活を形成しているものなのであろう。それらのために、私が存在しているわけじゃなくて、それらが私のために存在しているというようなものだろうか。うーむ、何とも抽象的過ぎて、自分の言いたいことが何なのか分からなくなってしまったが……。
というと、私は何のために存在しているんだろうか?私の人生とは何ぞや?ってことになってくるのだ。もちろん、これも模範的クリスチャンの回答を言うことはできるのだが、果たしてそれで自分が理解したことになるのかと言えば、そんなわけでもあるまい。
うわー、難しい。今日はもう寝よう。
柔道、子育て、国政
なんと民主党が夏の参院選に向けて、谷亮子を擁立したそうな。それだけでも、有名人を担いでの票稼ぎをしようとしているのかと、あきれてしまうが、さらにあきれてしまうのは本人もその気になっていることだ。柔道の腕はオリンピックに出場するくらいだから、認めざるを得ないが、果たしてこの人が政治周りのことを考えたことがあったのだろうか。うーむ、よく分からない。それにしても、私から見たら、踊る阿呆に、踊らされる阿呆って感じである。そして、票を投じようなんて人がいるのならば、間違いなく見る阿呆だ。
何より、この人大丈夫なのかって思わされるのは、柔道を現役で続けると宣言していることだ。おまけに次のオリンピックでも金を目指すとか。しかもしかも子育てもしていくとか。二兎追うものは一兎も得ず、というけど、この人は三兎も追おうとしている。それは無理だろ。人間、そんなに何でもかんでもできるもんじゃない。あれこれやろうとすると、全部が中途半端に終わってしまうのだ。それとも何か?国政は片手間にやってもOKだということか?そんだったら、私でも十分に勤まると思うんだけれどもね。少なくとも、この人よりは自分の意見を持っていると思うんだけれどもねぇ。あ、でも党の方針に従うのであれば、個人的な意見なんか持ち合わせていない方が良いのかもしれないな。
よもやこの人に投票する人なんていないだろうと思うが、いるとしたらホントに馬鹿としか言いようがない。国民を愚弄するのもいい加減にしろと言いたいが、悪いのは簡単に踊らされてしまう国民がいることだろう。良識を備えた国民が、自分で考えることを忘れた国民を上回ることを期待する。
何より、この人大丈夫なのかって思わされるのは、柔道を現役で続けると宣言していることだ。おまけに次のオリンピックでも金を目指すとか。しかもしかも子育てもしていくとか。二兎追うものは一兎も得ず、というけど、この人は三兎も追おうとしている。それは無理だろ。人間、そんなに何でもかんでもできるもんじゃない。あれこれやろうとすると、全部が中途半端に終わってしまうのだ。それとも何か?国政は片手間にやってもOKだということか?そんだったら、私でも十分に勤まると思うんだけれどもね。少なくとも、この人よりは自分の意見を持っていると思うんだけれどもねぇ。あ、でも党の方針に従うのであれば、個人的な意見なんか持ち合わせていない方が良いのかもしれないな。
よもやこの人に投票する人なんていないだろうと思うが、いるとしたらホントに馬鹿としか言いようがない。国民を愚弄するのもいい加減にしろと言いたいが、悪いのは簡単に踊らされてしまう国民がいることだろう。良識を備えた国民が、自分で考えることを忘れた国民を上回ることを期待する。
休みの日
風邪を引いてしまったので、家で一日おとなしくして過ごす。おかげで、今日はゆっくりと本を読むことができた。
というわけで、先週古本屋で見つけて買ってきた、麻生幾の「外事警察」を読んだ。麻生幾の作品を読むのは久しぶりである。相変わらず登場人物の多さには辟易してしまう。結局最後の最後まで、一部の人物とその関係についてしか把握できなかった。登場人物の多い作品というのも、記憶力が抜群の人であれば問題ないのかもしれないが、私のような人間には、ちょっとついていくのが難しい。
もし仮に私が小説を書くことがあれば、登場人物は適当な数に絞った方がよいだろう。自分で書いてて誰が誰だかわからなくなってしまいそうだ。
というわけで、先週古本屋で見つけて買ってきた、麻生幾の「外事警察」を読んだ。麻生幾の作品を読むのは久しぶりである。相変わらず登場人物の多さには辟易してしまう。結局最後の最後まで、一部の人物とその関係についてしか把握できなかった。登場人物の多い作品というのも、記憶力が抜群の人であれば問題ないのかもしれないが、私のような人間には、ちょっとついていくのが難しい。
もし仮に私が小説を書くことがあれば、登場人物は適当な数に絞った方がよいだろう。自分で書いてて誰が誰だかわからなくなってしまいそうだ。
いざ医者へ
どうやら風邪をひいてしまったようで、今日は午前中に医者に行ってきた。さすがに今日のように暖かな週末の午前中から医者に行く人は、さほどいないだろうと思っていたら、むしろ平日の朝よりも混んでいたので、ちょっとびっくり。いつもなら待っても十数分くらいで診察の順番がまわってくるのだが、今日に限っては一時間も待たなければならなかった。しかも医者のなかはポカポカとして、暑がりの私にはこれがなかなかにキツイ。それでも待つこと一時間チョイ、ようやく順番がまわってきたのだが、待ったわりには、アーンして喉を見せて、聴診器で胸の音を聴いて、触診でリンパ腺の腫れ具合を見て、たったの2、3分。クスリの説明で1分。たったのそれだけである。もっとも医者ぎらいの私だから、長くなくて有難いのだが……待ち時間を思うと、何やら損した気分にもなる。ピザの宅配だったら待ち時間が予定より長くなってしまうとクーポンをもらえるのだが、さすがに医者でそれはないか。もちろん、そんなもんもらっても嬉しくはないけどね。
そんなこんなで結局クスリは三種類出してもらえたのだ。いつものことだが、総合感冒薬のPL顆粒を飲むと眠くなってしようがない。晩の分も飲んだことだし、今日はおとなしく寝るとするかな。
そんなこんなで結局クスリは三種類出してもらえたのだ。いつものことだが、総合感冒薬のPL顆粒を飲むと眠くなってしようがない。晩の分も飲んだことだし、今日はおとなしく寝るとするかな。