あるキリスト者のつぶやき… -39ページ目

茹でめだか

先週末のことだが、めだかの水を交換していたら、一匹足りないのを発見した。8匹いたはずなのに7匹しかいない。それもそうだろう、一匹死んで沈んでいるのを発見。水も毎週交換しているし、餌も上げてるし、水草も新しいのをいれたし、さて、何が理由で死んでしまったのだろうか。

何でだろうかと考えていたら、ふとめだかの寿命が来たのだろうかと疑問がわいてきた。そこで、ちょっと調べてみた。どうやらめだかの寿命は1~3年ということらしい。3年はかなり長生きな方で、普通は冬を二度越すことはできないらしい。長生きするには、水温をちゃんと調整してやる必要があるとか。それこそ、小まめに面倒をみてやらなければいけないらしい。夏は涼しいところに移し、冬は暖かいところに移して、水もこまめに入れ替えれば長生きするとか。それでも3年だという。

ということは、我が家のめだかは寿命が来てしまったのかもしれない。自然のめだかは1年が精一杯ということらしい。なるほど、我が家のめだかは飼育はされているものの、冬でも夏でも関係なく屋外に半ば放置されている状態だ。日に一度の食事と、週に一度の水の交換だけである。どちらかと言えば、自然界に放置されているめだかに近い状態だ。小さな睡蓮鉢の中に住んでいるわけだから、小川や池よりもむしろ過酷と言えよう。捕食者がいないだけマシなくらいか。

とくに今年の夏は暑い。妻が言うには、先日は睡蓮鉢から湯気がたっていたらしい。これでは、茹でめだかである。人間にとってもこの夏の暑さは相当厳しいものであったけれども、水の中に住むめだかに相当きつかったろう。だから今さらどうするってわけでもないが。

残り7匹。あとどれくらい生きるだろうか。果たして冬を越せるのかどうか!?自然は過酷である。

本日の我が家の夕食は「ポークステーキ」でござった。ステーキと言うと、ビーフステーキを思い浮かべてしまうのであるが、我が家はステーキにして食うことができるような牛肉を買えるほど裕福ではない。というわけで、牛より安い豚なのである。とは言っても、私は牛肉よりも豚肉の方が好きだからいいんだけどね。牛肉は塊で食べるよりも、カレーとか牛丼とかになっている方が、どちらかと言えば好みである。一方豚は角煮とかで塊で食べるとおいしい。

で、ふと思ったんだけれども、焼豚、焼鳥、焼魚……とあるんだけれども、焼牛って聞いたことがない。なんでだろう。豚を焼いたら「焼豚」、もっとも焼豚(チャーシュー)は単純に焼いただけではないけれども、まぁ、基本的に火を通しているし、煮たりゆでたりしたわけじゃないから、焼豚でもいいか。焼鳥、これなんかそのものだ。軽く味付けして焼くだけ。好みでタレをつけてもよし。私は塩のが好きだけどね。焼魚、これなんかもそのものだ。魚を焼くだけ。秋になったら、秋刀魚のおいしい季節である。七輪で焼く秋刀魚は最高!もっとも我が家はマンションなんで七輪で秋刀魚を焼くわけにはいかないが、実家では食うことができる。また親父に焼いてもらおうか。とはいえ、今年は秋刀魚が高いとか何とか。

しかし、牛肉を焼いても焼牛とは言わない。これ如何に?

いやいや、その理由は分からないですね。世の中の不思議のひとつです。牛を焼くという習慣が日本には昔なかったからでしょうかね。では、豚を焼く習慣が日本にあったかというと、古来日本人は四足のものを食す習慣はなかったと思うので、焼豚っていうのも日本のものではないかもしれないですね。でも焼豚=チャーシューと考えてみると、中華料理になりますね。ということは、チャーシューは焼豚として日本になじんだけれども、焼いた牛肉(roast beef,beef steak,berbequed beef)というのはそのまま焼牛という字にならなかったということかな。

まぁ、どうでもいいけど、肉はおいしいね。おいしい焼鳥と秋刀魚を食べたくなってきてしまいましたよ。暦の上ではすでに秋なんだけれども、まだまだ暑くてそんな気はしませんね。でも食欲は季節に関係ありませんよ。

代表選

最近、新聞を開くと、必ず目にするのが民主当代表選の話題。いや、厳密に言うならば、新聞の一面に載っているので、わざわざ開かずとも見えてしまう。読売と産経の二紙に目を通すようにしているのだが、いずれの新聞もこの話題ばかりである。おそらく他の新聞も似たり寄ったりなのであろうと推測する。

先日は小沢が出馬せずに菅、小沢、鳩山に輿石を加えた3+1という、世論の目から見たら、まずありえない、トンデモナイ体制を組むような雰囲気ではあったが、結局人事で折り合いが付かなかったのか、小沢と菅の一対一の争いになってしまった。

日本の通例だと与党の代表が首相になってしまうわけだから、代表選の結果では、今と変わらず菅首相のままなのかもしれないが、ひょっとすると小沢首相が誕生してしまうのかもしれない。米国の大統領選だと有権者が投票することができるのだが、日本ではそれができない。もちろん、米国の大統領選も有権者が投票することは投票するのだが、いろいろと複雑な仕組みがあるらしく、すべての投票数が直接有効となるわけではないらしい。詳しいことはよく分からないが。いずれにせよ、一般人が大統領候補の話を聞いて、自分の意志に従って、自分が応援する候補に投票できるのは良い制度だろうと思う。もっとも、日本のように大衆に影響力を持つマスコミが民意を左右しかねない日本でそれをやるのは衆愚に国家の代表を選ばせるようなものなので、むしろそうではない現状の方がマシなのかもしれないが、考える人にとってはやはり投票できるほうが良いのではなどと思うのだ。

それにしても、与党であるというだけで、その党の代表が首相になるっていうのも、どうかと……。それでも、まともな人間が立候補するのであればまだしも、菅も小沢もどっちもイマイチな感じがしてならない。クリーンな政治などと言っているけれども、政治にクリーンなことを求めるのは無理だろう。世の中なんだかんだ言っても金が物を言う。若干、金の噂が付きまとうのは仕方ないだろう。だからそれをあえて争点からはずすとしても(もっとも小沢の秘書が逮捕されてることや、不起訴不当の判断がでている現状では、「ちょっとした噂」では済まされないかもしれないが)、彼らのいずれもが本当に日本のことを考えてるとは思えない。菅は韓国に頭下げっぱなしだし、小沢は中国に言って「人民解放軍の野戦軍司令官のつもり」なんて言ってしまうくらいである。

どっちが勝っても、どっちが首相になっても、まだまだ日本は混迷したままだろう。

羊羹

餡子が苦手な同僚から羊羹を頂いた。なんでも人からもらったものだけれども、餡子が苦手なんで自分では食べないということだそうな。いやいや、私は餡子が大好き。当然ながら、羊羹も大好き。ってなわけで、得した気分です。うーん、どうもありがとうございました、ご馳走様でした!

あるキリスト者のつぶやき…-羊羹1

これがその羊羹なんだけれども、なんだか岩手の和菓子屋さんで作られているらしい。なんかちょっと高級そうな、上等な雰囲気。お店の名前の漢字が読めません。なんて読むんでしょうかね?

あるキリスト者のつぶやき…-羊羹2

ちょっと持ってみるとずっしりしてます。きっと私の好きな餡子が……これは胡麻風味なので、胡麻餡が詰まってるんでしょうね。早く食べたい!!

しかし、ちょっと待てよ。こうやって持ってみると、大きさといい、形といい、何かに似ているような。何だろう。

あるキリスト者のつぶやき…-羊羹携帯

そうそう、携帯を連想させますね。(無理やり画像を合成させてみましたが、あまり上手にはいきませんでしたが。)

などと、くだらないことを考えてしまったのですが、羊羹はとってもおいしかったですね。さすがに一人で全部を食べてはマズイだろうし、かといって妻と二人で食べるにしても、やはり食べすぎになってしまいそうなので、半分ほど頂いて、残りはまた後日。幸い、我が家の娘も餡子ファンではないので、子供のおやつになってしまう心配もありません。めでたし、めでたし。

Dracula

ホラー小説の古典的名作、Bram StokerのDraculaをようやく読み終わった。さすがに古典であるだけに、読むのに時間が掛かってしまった。

さて、おもしろいか否かで判断するのであれば、お世辞にもおもしろいとは言えない。なんせ、言葉が難しい。そればかりじゃない。物語のクライマックスというものがない。盛り上がりに欠けているのだ。物語が静かに始まって、静かに終わるという感じか。手に汗握るというところがないのだ。この手の物語では、主人公と怪物の決闘場面というのがあってもよいのだろうけど、それがない。読んだことのある人なら分かるかもしれないが、Dracula伯爵は戦わずして負けてしまうのだ。

また物語の構成も独特である。すべてが登場人物の日記やら手紙やらメモやら「新聞記事」やらで構成されているのだ。言うなれば、一人称で全てが語られている。しかも、語り手が頻繁に変わってしまうのだから、ちゃんとフォローしないと、誰が語っているのだか、たまに分からなくなって混乱してしまいがちである。

しかし、それらをひっくるめて考えると、常に主観で物語が進行し、ここぞと盛り上がるところがないだけに、ただの創作物語を読んでいるのか、それとも現実に起こったことの記録を読んでいるのかの境目が曖昧になってくるようにも感じられる。それがじわじわと迫るような恐怖心の原因となるのではなかろうか。

他の怪奇小説を読んでもそう思うことはないのだが、これに限っては、本当に吸血鬼というのは存在するのではないかと錯覚させられてしまう。