あるキリスト者のつぶやき… -40ページ目

紙の新聞

最近、iPadやらiPhoneをはじめとして、その他諸々のスマートフォンやらKindleやらが登場してきた。それが直接影響しているのかどうか、正確なところは分からないが、紙媒体、主に新聞の売れ行きがいまひとつらしい。そんなわけもあってか、「紙があって、よかった。」という広告を、すべての新聞が記載したらしい。らしい、というのは、私は直接その広告を見ていないからだ。そんなことがあったよ、というニュースをネットで読んだ口である。もうその時点で、紙媒体としての新聞が、あまり役に立ってないようなことを暗示しているのではないか。

紙媒体としての新聞が必要かどうか。というのも最近聞かれることである。私個人だけの意見を言うならば、はっきり言って紙の新聞はいらない。毎月の購読料を払って、読み終わったら無駄に場所をとって、おまけに情報源としてはちょっと古い。おまけ新聞というと、なにやら信用できそうな気がするけど、基本的に出版元の主観を多かれ少なかれ含んでいて、公平とは言い切れない。

なんてことを考えると、情報源としての新聞というのは、さほど訳に立つものでもない。いや、新聞に記載されている内容について言うならば、時に有益なことも書かれていよう。しかし、その情報を見るために、何も新聞を買う必要はない。新聞に記載されている内容であれば、それこそ新聞社のWebサイトに行けば、自由に読むことができる。

だから、紙媒体としての新聞は不要って言えば、不要かもしれない。現に私も新聞を取ってはいるものの、実際に新聞を読むのはiPhoneである。紙の新聞はちらっとしか読まない。じっくり読むのはiPhoneの産経新聞である。

んじゃ、解約してもいいんじゃないか……とも思うのであるが、紙媒体の新聞にもそれなりの利点がある。様々な手段で情報を入手することのできる大人の私にとっては、情報源としてのありがたみはないかもしれないが、多くの情報源として持たない我が家の子供たちにとっては、新聞が広い社会への入り口なのである。新聞が我が家にある限り、子供たちは世界のことを大雑把ではあるけれども、自由に知ることができるのだ。

と言っても、まだ漢字がロクに読めないし、目下のところ読む箇所と言えば、コボちゃんとポケモンの熟語くらいであるが。

詩篇

今日は礼拝の司会。前回は時間に間に合わなかったので、司会は久しぶり。いや……遅刻の原因は、私じゃないですよ。

たまには普段とは趣向を変えて、せっかくなので司会の時に読んだ聖書の箇所を載せておこうかと思う。

"すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。

まことに、いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王。

国々の民を私たちのもとに、国民を私たちの足もとに従わせる。

主は、私たちのためにお選びになる。私たちの受け継ぐ地を。主の愛するヤコブの誉れを。セラ

神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、上って行かれた。

神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。われらの王にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。

まことに神は全地の王。巧みな歌でほめ歌を歌え。

神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。

国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた。

まことに、地の盾は神のもの。神は大いにあがめられる方。"(旧約聖書・詩篇47編)

知恵のある言葉

昨晩はISIのスタッフが来日しているということで、同窓会的なものが行われたのでちょっと顔を出してきた。ISIとは、米国コロラド州に本部を置く宣教団体である。主に米国にやってくる留学生に対して宣教活動を行っている。さて、今後は日本にやってくる留学生に対して宣教活動をしていこうというのが新しいビジョンであるらしく、そのために勉強会を日本で行ったということだ。もっともキリスト教的土台がある米国で伝道するのと、キリスト教的土台のまったくない日本において伝道するのとでは、かなり違いがあるかもしれないが、しかしどうなるかは分からない。

個人的には何らかの手伝いなりサポートなりできたら良いなぁとは思うのであるが、いかんせんアメリカにいた頃と、日本での今の生活ではとてもじゃないけど違いがありすぎて、そんな余裕はどこにもない。

まぁ、それはそうとして、昨晩は懐かしい友人と久しぶりに再会する機会が持ててよかった。感謝なことである。ちょっとばかり若かりし頃の気分に戻ってしまった……ような気がしなくもない。しかし久しぶりに会うと、信仰者として私の先輩にあたる方々の言葉には、今まで気付かなかった「知恵」というか何かそのようなものを見出すことができるのだ。それは大きなことではない。大きなものであれば、私でも気付くであろう。むしろそれは小さなことである。小さいことであるがゆえに、今まで気付かずに過ごしてきたのかもしれない。

忘れないようにここに書き留めておこう。「キリストを知ること(信じること)は大きな特権でもあるが、同時に大きな責任を伴う。」

そのようなことは漠然とは分かっていたが、改めて人から明確な言葉で言われると、なるほどと思わざるを得ない。

Reunion

夜の11時、東京。

古い友人、懐かしい顔ぶれ。十数年前のシアトルにいた頃を思い出すひと時。

体は重いが、心は軽やかだ。

今週は

今週はあれよあれよと言う間に、時間が過ぎていく気がしてならない。まぁ、夏休み、旅行、徹夜作業と日曜から木曜まで、イベントがてんこ盛りだったからだろうなぁ。これでまた、明日は明日で仕事が終わった後に、吉祥寺まで行く予定だから、今週は体力と精神力へ挑戦状を叩きつけたようなもんである。それでもなんとかやっていけてるから不思議なもんだ。

おまけにこの暑さである。じっとしていていも汗が出てくる。これがまた疲れを倍増させてくれるわけだ。何はともあれ、早く涼しい季節がやってきて欲しい。